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氷の洞窟

 ――雪の轟音がすべてを呑み込んでから、どれほどの時が過ぎただろう。


 ハルトは冷たい岩肌の上で目を覚ました。

 体の節々が痛み、長剣の柄を握りしめた指先まで感覚が薄れている。

 見上げれば、青白く輝く氷の天井。

 静寂の中、滴る水音だけが響いていた。


「……ここは……洞窟……?」


 掠れた声を漏らしながら、ハルトは身を起こす。

 装備は無事だが、仲間の姿はどこにもない。

 氷の壁の向こうには、薄く霞む光――外の雪原とは違う、冷たい青の光が揺れていた。


 その奥から、足音が近づいてくる。


 振り向いた瞬間、息を呑んだ。

 そこに立っていたのは、白い髪を肩まで垂らした女性だった。

 氷のように透き通る肌、深い蒼を宿した瞳。

 その姿はまるで、この凍てついた世界が生んだ幻のようだった。


「……人間、なのね」

 低く、澄んだ声。


 ハルトは剣に手をかけたまま答える。

「そうだ。仲間と雪崩に巻き込まれた。……君は?」


 女性は一歩、氷の光の中へ踏み出した。

 白い息が空に溶ける。

「私は……セラフィナ。」


 名前を名乗るその声には、感情の起伏がほとんどなかった。

 まるで自分の名を、遠い他人のもののように語る。


「セラフィナ……?」

 ハルトはその名を繰り返す。

 不思議と、胸の奥がざわめいた。初めて会ったはずなのに、どこか懐かしさを感じる響きだった。


 セラフィナは視線を氷壁へと向ける。

「ここは“永冬の洞”。外の者が入るのは久しい……。あなた、どうして生きているの?」


「運が良かっただけだ」

 ハルトは苦笑し、剣を背に戻した。

「……君こそ、こんな場所で何をしてる?」


 セラフィナは少しの沈黙ののち、静かに答えた。

「……探しているの。凍った涙――かつての“私”を」


 その言葉の意味は、あまりにも曖昧で。

 けれど、その目に宿る微かな痛みだけは、確かなものだった。


 ハルトは一歩、近づく。

「……なら、探そう。ひとりで抱え込むには寒すぎる場所だ」


 セラフィナの唇がわずかに震えた。

 それが戸惑いなのか、温もりに触れた反応なのか――彼女自身にもわからなかった。


「……あなた、変な人ね」

 それでも、その声にはほんの少しだけ、氷の綻びのような柔らかさがあった。


 氷壁の奥で、かすかに鈴の音が鳴る。

 凍てついた空間の奥底で、失われた感情が、ほんの一瞬だけ――息を吹き返した。

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