巨影
ヴェルネの肩口から黒い血が滴った。
その僅かな傷跡を見て、仲間たちの胸に確かな手応えが走る。
「……効いた……!」
セリスが息を呑む。
だが、ヴェルネは指先で血を拭い取り、ゆるやかに笑った。
「なるほど。希望は力になる……だからこそ、美しい。
――だからこそ、刈り取る価値があるのよ」
次の瞬間、結界全体が震えた。
瘴気が天へと伸び、黒雲のごとき渦を作る。
そこから幾百もの影が滴り落ち、無数の魔獣が生み出されていく。
「っ……数が……増えてる!」
ハルトが長剣を構え直し、仲間を庇うように前へ出る。
ガルドは大剣を握り直し、地を蹴った。
「止まるな! 俺が押し返す!」
振り抜かれた一撃が十体近い魔をまとめて吹き飛ばす。
その隙を狙い、リーナが矢を放つ。紅の残光が軌跡を描き、飛びかかる獣の目を正確に射抜いた。
リュシエルは影の隙間に滑り込み、短剣で急所を狙う。
「深く……確かに!」
しなやかな動きが瘴気の肉体を裂き、影を霧散させる。
セリスの声が重なった。
「光よ……彼らを守って!」
聖光が仲間の身体を包み、瘴気の侵蝕を一時的に振り払う。
限界は近い。それでも彼女の声は震えながらも決して途切れなかった。
五人の動きが再び重なり合い、群れを押し返していく。
連携の一撃が道を切り拓き、紅と光と鋼の閃光が闇を裂いた。
だが、ヴェルネはなおも動かない。
ただ高みから見下ろし、指先に新たな魔の炎を宿す。
「連携は悪くない。けれど――その絆そのものを、試してみましょう」
炎が地を這い、瘴気と結界の根が絡み合って一つの巨影を形づくる。
紅く燃える瞳を二つ持つ異形が、ゆっくりと立ち上がった。
その圧倒的な気配に、仲間たちは息を呑む。
だがリーナは双剣を握り直し、仲間を振り返った。
「……ここで退いたら、本当に終わりになる。
だから――全員で、抗う!」
仲間たちの瞳が重なり、再び前へと踏み出した。
巨影が咆哮を上げた。
大地が震え、周囲の枯れ木が一斉に倒れる。
その体は人の数倍にも及び、瘴気を鎧のようにまとい、爪は大剣よりも長く鋭かった。
「でかい……!」
ハルトが歯を食いしばり、長剣を構える。
巨影の一撃が振り下ろされ、大地を砕いた。
衝撃波に仲間たちの体が弾かれる。
「くっ……!」
ガルドが地を蹴り、真っ向から大剣を振り上げる。
ぶつかった瞬間、重圧が腕を砕かんばかりにのしかかる。
「……俺が押さえる! 今だ、動け!」
その声に応え、リーナが双剣を交差させる。
紅の閃光が矢となって走り、巨影の肩を貫いた。
しかし傷はすぐに瘴気で塞がっていく。
「また……再生する……!」
リーナが悔しげに歯を噛む。
その隙を縫うように、リュシエルが影の足元に回り込み、短剣を深々と突き立てた。
膝が崩れ、巨影が一瞬だけよろめく。
そこへハルトが走り込み、長剣を振り上げる。
「ここで止める!」
全身の力を込めて脚を切り裂いた。
だが――巨影の瘴気が暴発し、仲間たちを吹き飛ばす。
リーナもハルトも地に叩きつけられ、動きが鈍る。
その光景に、セリスの胸が締め付けられた。
「……もう、これ以上は……!」
握る杖が灼けるように熱を帯びる。
かつて光の国で一度だけ発動した奇跡――。
彼女は唇を噛み、震える声を振り絞った。
「――聖癒光環!」
杖から光の輪が広がり、仲間たちを包み込む。
砕けかけた骨が繋がり、血が止まり、全身に力が満ちる。
瘴気の重圧が霧のように晴れ、呼吸が一気に楽になった。
「……助かった……!」
ハルトが剣を握り直し、立ち上がる。
リーナの双剣が紅に輝き、ガルドの大剣が再び轟音を上げ、リュシエルの刃が鋭く閃く。
仲間全員の動きが一つに重なった。
「今だ、全員で!」
ハルトの声が合図となる。
ガルドが大剣で巨影の腕を叩き落とし、リュシエルが胸元を裂く。
リーナの紅矢が心臓を貫き、ハルトが長剣でとどめを突き込んだ。
眩い閃光が巨影の胸を貫き、瘴気が炸裂する。
耳を裂く咆哮と共に、巨影は崩れ落ち、黒い塵となって霧散していった。
静寂が訪れる。
全員が荒い息を吐きながら、セリスの光に支えられ、立ち尽くしていた。
ヴェルネはその様子を見つめ、薄く笑った。
「……よくやったわね。けれど、忘れないで。倒したのは影にすぎない。
――この先に待つのは、私自身よ」
その瞳が赤黒く揺らめき、瘴気の風が再び結界を震わせる。