フリーアドレス編
フリーアドレス…特定の座席が決まっておらず、出社した際に座る席を決めるオフィススタイル
11月1日、都内のどこかのオフィス。時刻は既に22時をまわっている。
オフィスの端の島には、二人の女性が並んで座っている。
一人は黒髪を肩くらいの長さまで適当に伸ばしている。グレーのパーカーとデニムパンツに適当なスニーカー。
もう一人は前下がりのショートボブ、艶めくアッシュブラウンに紺のボウタイブラウスにニットを重ねている。下は足首丈のチェックのフレアスカート。足元は黒のパンプスを履いている。
オフィスには二人の他には誰もおらず、二人の頭上だけがひっそりと蛍光灯の明かりに包まれていた。
「せんぱい、しってます?」
「知らない」
「あーやっぱりなぁ……」
「無知でごめんな」
「いいっすよ、可愛いせんぱいだから許してあげます」
「ありがと、大好き」
「私もっす」
「で、なに?」
「そーなんすよ、うちもフリーアドレス検討してるらしいっす」
「あー、なんか聞いた」
「楽しみっすね」
「え、ぜったいやなんだけど」
「えーなんでっすか」
「ゆいちと離れちゃうじゃん」
「あーもう可愛い、せんぱい百点だわ」
「でしょうよ」
「でもフリーアドレスなんだから好きなとこ座れんじゃないっすか?」
「どーせゆいちのとなり座るしなぁ」
「私も、どーせせんぱいのとなり座るんですけど……」
「うん」
「席替えが怖くないっす」
「あー、たしかに」
「でしょうよ」
「まあ、めんどくなければなんでもいいや」
「でも、ちょっとせんぱいと離れてみるのも良いかもしれませんね」
「お?」
「会えない時間が愛を育む的な」
「それはわかんないわ」
「えー」
「まー、だって寂しくない?」
「わかるー」
「ていうかどうせ、またこの時間になったら近くに来るでしょ」
「まーそうなりますわな」
「フリーアドレスになってもあんま変わらんか」
「そっすねぇ」
二人はかたかたとタイピングを続ける。人が少ないせいか、エアコンは付けているが昼間よりもやや寒い。ゆいちはマフラーを巻いていた。
「せんぱい?」
「ん?」
「いやー、しってます?」
「知らない」
「それがですねぇ、私も今ちょうどフリーアドレスなんすよ」
「……家ないの?」
「いや、違いますよ、いるべき場所を探してるってことっす」
「あーね」
「わかりました?」
「ぜんぜんわかんない」
「えー」
「無知でごめんな」
「いいっすよ、可愛いせんぱいだから許してあげます」
「ありがと、大好き」
相変わらずにタイピングを続ける二人。思い出したようにゆいちは話しかけると、せんぱいは変わらずモニターを睨みながら返答した。
「結局どうなんすかね、フリーアドレス」
「ていうかなんでやるんだっけ」
「多様な働き方を許容するのが目的だそーで」
「なにそれ」
「さぁ……」
「ほんとに多様な働き方を許容するなら、ゴロゴロしながら働けるようにすべき」
「あ、いいですね」
「そしたら私はせんぱいの隣でゴロゴロしながら仕事します」
「あー、それいいねぇ」
「総務に要望出しときますね」
「よろしく」
「ていうかそろそろ帰ります?」
「金曜だしなぁ、もう帰りたい」
「だいぶどーでもいいですよ、仕事なんて」
「飲み行きます?」
「んー、今日は帰ってゴロゴロしたいなぁ」
「あー、私はせんぱいの隣でゴロゴロしたいっす」
「今日も来る?」
「いいっすか?」
「んー、りょうかいー」
「じゃ、帰りますかぁ」
「ん」
二人はパソコンを落とすと、唯一ついていた明かりを落としてオフィスをあとにした。