『二章』㉙ 満開の刀剣
それは剣の花だった。
灰色の空の下、銀に鈍く光る刀剣たちが満開に咲き誇り、黒髪の少女の美しさや妖しさが一層増している。
その数はおよそ一ニ本を超えている。その時点で先刻までの、右腕を奪った時のクロカミではないのだと確信する。
不敵に微笑む黒髪の少女。彼女の実力が計り知れないことはすぐに分かったが……。
(………これは。想像以上だな)
はっきり言ってレベルが違うとルイナは苦笑する。魔力の質、圧力、黒さは罪人寄りではあるのだが本質的なモノがそれとは違う次元にある。
見えない。
底が見えない。
闇を擬人化したような、この世の全ての悪意を秘めているような存在に思える。
しかしだからこそ、合格だ。
殺し甲斐がある。
片腕を無くしたが、安い代償だと思えるくらいに良い相手。敵。
ルイナは笑う。
「見掛け倒しじゃないことを祈るよ!」
ダン!!と、猛々しく笑い、吠えて、ルイナは黒髪の少女に斬りかかった。
少女が背後に侍らせる刀剣の花が一体何なのか、どうゆう役割を担うのかは不明。けれどそれをいちいち考えていては埒が空かないし、殺し合いなんて始まらない。
臨機応変に対応し、斬り刻む。
「死突・乱惨!」
血刃を纏った手刀の刺突、その連続が吠える。死を描くような赤色の線が何本も生まれ、その全てが黒髪の少女の命に迫る。
【痒いわね】
一言。
告げられた。
目を細められて、嫣然と。
そしてルイナは驚愕に目を見開いた。
連続して放った死突が余すことなく全て弾き返されて、片腕が盛大にのけ反る。
最早自分の目を疑った。奴は今、背後に侍らせている刀剣の光輪から一本剣を掴んで取り、その一本でルイナの連続死突を否定した。
(どんな動体視力をしてやがる……!)
【次は私の番】
「ーーーー!」
驚いている暇はなかった。同時に反った腕をそのままにしている余裕もない。
黒髪の少女が動く。再生した右腕で握った剣を無造作に振り下し、またしても斬撃が飛ぶ。
綺麗に切断される音ではない。暴力的に引き裂かれるような乱暴な音が、大気を切り裂き、近距離にいるルイナを喰らう。
「なめ、るな!」
【へぇ。やるぅ】
二度は喰らわない。
右腕を苛む痛みに言い聞かせるように、ルイナは黒の斬撃を紙一重で回避する。
背後にあった木々たちが無惨に切り落とされて倒れる轟音が響き渡り、それを聞き届けながら蜂蜜色髪の罪人は再度攻撃を仕掛けた。
刃透魔法は空気に鋭さを与える。
それを纏うことで、さも、刃を操っているように見せかけている。
基本的にルイナが纏う空気の形状は剣の刀身。それが一番イメージし易いというのもあるし、扱い易いというのも理由の一つ。
だがそれだけに囚われてはいけない。魔導士が自らの魔法に固定観念を与えて自由性を無くしちゃ終わりだ。
空気は様々な形に姿を変えるのだから、例えばこんな風にすることだって可能なはずだ。
「死爪!!」
唯一残った左腕、左手。
その五指を鉤爪のように開いた。そして指の一本ずつに獣の獰猛な爪をイメージした空気の刃を纏わせる。
それはまるで獲物の血で濡れた猛獣の凶悪な爪だった。
相手を裂き殺すことでしか欲求を満たせない悪爪が、袈裟斬りのように黒髪の少女を襲う。
【わんわん。犬は犬らしく地面に伏せてないとダメだよ】
悔しいが、認めたくないが、どこかで予感はしていた。
この攻撃「も」当たらないと。
案の定、死爪はものの見事に剣で弾かれ、纏った獣の爪はその瞬間に大破、赤色に染まった空気が硝子の破片のようにキラキラと舞った。
まるで子供の遊びに付き合ってるみたいに余裕な態度で唇を緩める黒髪の少女。
だがここで、ルイナも笑った。
「犬も噛み付くぜ、人間様?」
【?】
黒髪の少女が怪訝に眉を寄せる。その表情の変化が見て取れて、ルイナは八重歯を剥いて愉快げに笑う。
ーー予感はしていた。
それはつまり、攻撃が通らないと知っていたこと。予め実現するであろう未来を不確かなりにも視ていたことになる。
次手の準備は怠っていなかった。
死爪が通用しないと予測した時には、もうその後のことを考えて、種を蒔いておいたのだ。
パチン、と。
指を鳴らす。
そして。
「死山八鮫!」
ズガン!!と。ルイナが吠えた直後に黒髪の少女の足元から、まるで鮫の顎じみた牙の塊が山のように顕現した。
海の中から獲物を喰らおうと浮上してきた人喰い鮫のような獰猛さが、黒髪の少女を丸飲みする。
【刀乱ーー弌型・舞】
え、と。
らしくもない小さく頼りない息がルイナの口から漏れる。
勝利の瓦解。
確定した殺害の強制却下。
鮫の大口が、その牙が。無惨に薙ぎ払われた。
理解不能だ。意味不明だ。脳が現実に起きた事象を否定したくて必死だ。
だって、なんでそんなことができる。
鮫の口に喰われ、顎が閉じた瞬間。
凶悪な牙が矮小な人間を嬲った瞬間。
本来ならそこで決着が着いていたはずなのに、ルイナの目の前で鮫の口が内側から斬り刻まれるように爆散し、あっけなく散ったのだ。
赤色の空気の花弁が舞うその中心に立つのは、当然のように無傷の、二本の剣を握る黒髪の少女だ。
息を呑んだルイナの瞳に、微笑む少女が映る。
【まぁ、そこそこいい線はいってるんじゃないかな。私に『刀乱』を使わせるだけでも大したものだよ。とはいえ元々「この子」に刀剣魔法の使い方を教えるつもりだったからどちらにせよ使ってたけどね。それでも誇っていい。弱者のくせによくやったよ】
「……ッ。あまり調子に乗るなよ怪物!」
【……わかってないなぁ】
どこまでも人を見下す少女の物言いにルイナが激怒して、しかし少女は怯むどころか呆れるように息を吐いた。
そして、しんと冷えた目と声色、それから笑んだ表情で言った。
【調子に乗ることは強者だけに許された特権だ。その言葉は、私じゃなくて『お前』に返ってくるものだぞ。井の中の蛙が】
「……ッ!?」
消えた。
見失った。
僅かな土煙だけが残った。
視界から人間がいなくなった。
首を巡らせ、黒髪の少女をさがーー、
【陳腐なセリフを言ってあげるよ】
「……!?」
【どこを見てる。私はここだ】
黒い髪が視界を過ぎる。
真横から声が聞こえる。
条件反射で魔法を発動。
手に纏うだけじゃ足りないと瞬時に判断し、周囲の空気も刃化、全方位に解き放つ。キキキン!と、世界が泣いた。
振り向き様に手刀を真横に繰り出し、だけど刹那遅い。
刃の乱れ撃ち、手刀。同時連続攻撃でも彼女の顔に傷一つつけることが出来なかった。
対象がいない虚空を突いて、時間の経過をしばし忘れる。目だけで横を見る。
笑っている。
笑っている黒髪の少女が、更に横にいる。
彼女は、剣を振り下ろそうとしていた。
(いつのまに……!)
【それを知るにはあと六〇〇年必要だ】
ザン!!と。銀の刃が閃いた。
まるで三日月を描くみたいに壮麗に、美しく、今から殺される者でも思わず魅入ってしまうほどに流麗な剣捌き。
ーーそれに負けたら終わりだ。
「ーーーーん、の!」
【ヒュウ。やるねぇ、刃透魔法ちゃん】
無理矢理意識を引き戻した。剣の美しさから己の生への渇望へと。
全身の筋肉が無理な動きで回避したことによってブチブチと悲鳴をあげるが気にしている場合でもない。
ただ、剣を振るっただけなのに。
地面と剣閃の先にある全てが抉られるように斬り裂かれた。
埒外の威力だった。
身の毛もよだち、ゾッとする。
【だけどごめんね】
「……あ?」
【あなたにはもう、ターンはこない】
何の、と聞くまでもなかった。
それよりも早く行動で示されてしまった。
一瞬前の「死」から逃れられたと思ったら、またすぐに新しい「死」が顔を覗かせて、ルイナを追い詰める。
ーーその姿は、刀剣を従える神のようだった。
手に持つニ本の刀剣で、止まることなくルイナに斬りかかってくる。防戦一方とはまさにこのことであった。
ありとあらゆる方向から斬りかかってくる黒髪の少女。
彼女の剣を片腕一つでなんとか受けることで身体的ダメージは免れているがそれも時間の問題だ。
そもそも、奴に「尽きる」という概念がなかった。
防御のために奴の剣を何本か砕いているが、その度に背後に侍らせている刀剣の光輪から剣を補充し、補充した分を光輪にも補充する。その繰り返し。
折って、折られて、砕いて、砕かれて、斬られて、斬れなくて、斬られて、斬られて、斬られて、斬られて、斬られまくって。
ついには全身裂傷まみれのズタボロに様変わりし、荒い息を吐きながら手刀を構えることしか今のルイナには出来なかった。
攻撃を仕掛けるための体力が、魔力が、精神力が、悉く……。
【刀剣魔法は武器である剣や刀を切らしちゃいけない。常にそこにある状態でなくちゃ意味がないんだよ。『刀剣舞踊』。悪くはないけど磨きが足りないね。『刀乱』の劣化版みたいなものだけど、もっと精進しなさい】
「はぁ、はぁ、はぁ……っ。な、なにを、何を言っている……」
【こっちの話。あなたには関係ないよ。さて、そろそろ時間だし、終わらせようか。まだまだ『泥犁暗殺篇』の問題は残ってるし、やるべきことがあるからね】
「……お前、は。なんだ」
漠然としたルイナの問いに、黒髪の少女が笑う。
【アカネだよ。そう言ったでしょう?】
その言葉の真意を理解することは、ルイナには出来なかった。
直後。
黒の奔流が狂い咲き、圧倒的強者が容赦なく蛙を呑み込んだ。




