『二章』㉔ 決着の雷鳴
「……テメェに話したところで、何か解決すンのかよ」
ハルの拳を喰らって倒れたレイスが口から垂れる血を拭いながら立ち上がった。
気分が悪くなる記憶が再生されて、レイスの怒りは更に熱くなっている。
「オレがどうしようが、何をしようが、どれを選択したって、テメェには関係ねェだろォが。罪人のオレと英雄のテメェじゃァ、ハナから何も分かり合えねェ」
生きる世界が違いすぎるのだ。
生きてきた世界が異なり過ぎているのだ。
そもそも。
何も知らない相手に自分のことを語られたくなかった。
外に出れたのはドロフォノスが九泉牢獄を占領したからだ。それは間違いない。
一番初めにやりたかったこと。
それは妹の墓の前に行くことだ。だけどそれを叶えるためにはドロフォノスの計略に乗るしかなかったのもまた事実。
だけどそれをすると決めたのはレイスの意思であって、ドロフォノスのクソ野郎の思惑に弄ばれているわけじゃない。
今こうして真六属性と戦っているのも、殺そうとしているのも、全部レイス・フォーカスという男の意思によるものだ。
決して、あの男の掌の上なんかじゃない。
「オレはオレの意思でここに立ってンだ。テメェにとやかく言われる筋合いなンかねェンだよ!」
ドッ!と、足下を爆発させてレイスは一瞬でトップスピードに到達、ハルに迫った。
右手に爆発の弾丸を生成、連続で解放し、避けられたとしてもすぐに次手に繋げられる意識を保つ。
予想通り、だ。
雷の英雄は爆発弾を躱した。それ自体は癪でならないが、今は気にするのをやめよう。
事実は事実として受け止めるしかない。
「死ね、三下ァァァァ!」
この一撃で全てを終わらせるつもりだった。訳知り顔でモノを言う格下を殺すための一撃だった。
なのに。
「ーーふざ、けるなァァァァ!!」
怒声と、雷の激音。
二つの音が爆発し、レイスの拳とハルの拳が再び正面衝突を果たした。
ブッッッワァ……!!と、雷と爆発が拡散され、衝撃波が発生する。
どこかで見た光景。しかし始まりのイメージはなく、最後の交戦に思える衝突だった。
「俺は英雄なんかじゃねぇ!俺は俺だ!ハル・ジークヴルムなんだよ!真雷魔法が使えるだけの、お前と何も変わらない人間なんだよ!罪人?英雄?そんなもんに拘ってんじゃねぇ!分かり合えねぇからとやかく言っちゃダメなのか?ちげーだろ!分かんねーからとやかく言うんだ!」
「ーーーーっ!」
「お前が何を抱えてるのか俺にはわからない!何か解決したい問題があるんだろう、やらなきゃいけないことがあるんだろう!でもその手段が殺しだったのか?その手段が殺人一家に手を貸すことだったのか!?お前は何のために力を手に入れた?何か大切なモノがあったんじゃないのか、失いたくない人がいたんじゃないのか?どーなんだ!!」
「ーーーーっ!」
ーー始まりは自分の欲を満たすための力に過ぎなかった。
悦に浸り、弱者を見下して、生きたいように生きるだけの道具に過ぎなくて、それ以上の価値を求めてもいなかった。
だけどレイシャと出会い、会話をし、レイシャが傷つく様を見て、いいや見ることしか出来ない自分が歯痒くて、いつしか道具に道具以上の価値を、意味を見出すようになった。
守りたかったんだ。
助けたかったんだ。
そのための力はあったのに、自分がその力を使いこ
なせなくて、理不尽に負けて、悲劇に勝てなくて。
だから悪に。正義ではなく悪になるしかなかった。レイスが知っている強さとは、悪にしかなかったから。
だから今目の前で、正義の強さを目撃したレイスの信念が揺るぎ始めている。
失いたくなかった。
ずっと一緒にいたかったんだ。
レイシャを失い、自暴自棄になって、八つ当たりで人を殺した。
清々しかったけど、虚しかった。
レイシャの死の原因は自分なのに、その責任を押し付けるようにエマ・ブルーウィンドを探し出した。やり返してこなかった。
全ての悪を背負い込むみたいだった。
ーーレイスはいつも強くいてほしい。
彼女の言う「強さ」とは、果たして殺しを実行する力のことだったのだろうか?
S級罪人と呼ばれるほどの悪に成り下がり、一生を牢屋の中で過ごし、確定した死を待つだけの価値のない人生を歩むための力だったのだろうか?
ーーヒーローになるのは、自分じゃなくちゃいけなかったんじゃないのか?
待つんじゃなくて。最初からレイスがヒーローになっていれば。
妹は。
レイシャはきっとーー。
「道は一つじゃない。必ずどこかで分岐してる!選択ってのはその道を選ぶことだ!今までお前は殺しの道を歩んできたかもしれないけど、お前はもう自由なんだろ!いつか終わる自由だとしても、今は自由なんだろ!だったら同じ選択をするんじゃねぇ!その道が間違ってるってもう分かってんじゃねぇかよ!お前の意思で決めたっていう選択は間違いだらけで、ドロフォノスを喜ばせる模範解答にすぎない!一度外に出たんなら、変わってみろよ!S級罪人としてのレイスじゃない。………一人の男のレイスとして、これからの人生を歩めるように!誰かに誇れる道を歩めるように、なりたい自分になれるようにやりたいことをやってみろ!そのチャンスを棒に振るってまで、クソみたいな家族の親玉に従ってんじゃねぇよォォ!!」
誇れる道。
なりたい自分。
さて、それは一体何だったか。
レイス・フォーカス。
彼がやりたかったことは……。
(……あァ。もう一度、レイシャに会いてェなァ)
ーーありがとう、お兄ちゃん。
拳の迫り合いが終わり、ハルの雷拳がレイスの顔面に直撃したのと、レイシャの声が聴こえ、彼女の笑顔が薄れゆく意識の端に映ったのはほぼ同時だった。
そしてレイスが気を失い地面に倒れ、ハルは荒い息を吐きながら自分でこう思う。
問題の解決手段が殺しなのは間違い。
どの口が言うんだと、思わず自嘲した。
ジーナを殺すことはハルにとって天命みたいなものだ。実際一度は殺したと思った相手だ。
だけどそれをもう一度実行するために怒りに身を任せるなんて、自分も罪人と変わらないじゃないか、と。
なにか。
違う方法があるのかもしれない。
殺しは、人を悲しませる。
アカネのあんな悲しそうな顔が見たいから、セイラやユウマ、ギンが心配する顔を見たいから力をつけたんじゃない。ジーナを殺すんじゃない。
ジーナを殺して仲間が悲しむなら、ハルはもう、ジーナを殺せない。
レイスに偉そうなことを言っておいて、結局自分のことをわかっていないのはハルだったのだ。
「……ありがとな、レイス。それに、気づかせてくれて」
聞かれることも、もちろん聞かせることもないだろうことを呟いて、ハルはボロボロの体に顔を顰めなが
らもアカネたちが向かった方を見る。
目的は九泉牢獄の奪還とS級罪人の捕縛、並びにドロフォノス家討伐。
レイス一人でこの有り様なのだ。S級罪人がまだいると考えたら一刻も早く皆と合流しなくてはならないだろう。
「……ジーナ」
特に、彼女が脱獄していたら洒落にならない。それこそ、世界が終わる。
「ーーや、ハル。久しぶりだね」
「…………………………は?」
トスっ、という軽い衝撃と共にハルの体が微かに揺れて、少年は意味がわからないとばかりに息を漏らした。
アカネたちを追いかけようとした矢先、背後から可憐な声がしたのだ。
聞き覚えのある声だった。
「ーー会えて嬉しいよ。元気だった?」
ゆっくりと。
壊れた人形のようにギチギチと首だけ動かし後ろを見た。
世界の破滅の始まりが姿を見せていた。
白黒の長い髪。切れ長の黒と青のオッドアイ。深雪を連想させる繊細な顔立ち。
どこか神聖じみた雰囲気のある佇まい。
そして底無しのような圧倒的邪悪。共存不可の聖と悪が混ざり合うカオスが具現化したよかのような存在。
最悪の事態であった。
「………エリ、ス。……ジーナ?」
「ーーそうだよ。ハルに会いたいから、地獄から出てきたよ。閻魔を殺して、ね」
そして気づく。
軽い衝撃の正体が、胸貫だったことに。
白く細い手刀が、ハルの胸を貫いていた。
カハッ!と血を吐いて、悪い夢でも見たかのように笑った。
「………ジーナ、お前……」
「もっと話していたいけど、とりあえずハル。一回死んでね」
気軽に言う類のセリフではなかった。
しかしそれを伝える暇なんてありはしなかった。
もともと感動の再会を喜ぶ相手ではないが。邂逅一発目にこうなるとは流石にハルも予想はしていなかった。
終結は実に呆気なかった。
「ーーさよなら」
ブチュッッッ!!と。
ハルの心臓が、容赦なく白い手によって握り潰された。




