『二章』⑯ 激突、そしてS
ーー特定危険海域「壱」に指定されている、海獣が棲息する死の海にソレはある。
人間の掌の形をした島の名は泥犁島。島内に生物は存在せず、整理されていない木々が生い茂る荒れた島。
その中心に建つ塔こそが九泉牢獄である。
特殊合金石によって造られたその塔は鋸の刃の如く峻険とし、高く聳え立ち、島全体に内側から外に干渉することを禁止する術式結果が張られ、脱獄は不可能。
しかしソレは保険に過ぎず、そもそも収容されている罪人に脱獄は出来ない。
罪人の階級によって収容階層は分かれていて、魔法が使えなくなるのは当然として、階層が低くいほどランクは高くなり、それに合わせて不可侵結界の効力は増す。
常に微弱ながら魔力を吸われ、すぐ隣に魔力欠乏症の発生リスクを置きながら死ぬまでの時間を過ごす地獄が九泉牢獄。
罪人から力を奪い続け、最後には命すら奪う、処刑の塔。「死」を一番近くで眺められる、実感できる場所。
「……ん、んん」
そんな物騒な場所で目を覚ましたことなど、銀髪に青い瞳の少女ーーサクラ・アカネは知らない。
白というよりは鼠色に近い砂浜で、アカネは全身に痛みを感じながらゆっくり起き上がった。
「どこ、ここ……」
服に着いた砂や海水、とにかく濡れた服に顔を顰めながらアカネは辺りを見回す。
まるでテレビでよく見た無人島の光景だ。後ろは海、前は森。砂浜には流木などがあり、明らかに人の気配はない。
「一体、なにがどうなって……。なんでこんなところに……」
微かに痛む頭を押さえながら呟いて、アカネは記憶を引っ張り出す。
ハルたちと温泉街に行こうとして、船が使えなくなって、アレス騎士団と会って……、
「……そうだ。あたしたち、襲われたんだ。襲われて、そしたら、空が割れて……」
確かあの空の裂け目に呑まれる寸前にアレスに手を握られた気がするが、しかし彼の姿はどこにもなく、見事なまでにアカネは一人、孤立していた。
現状をまとめる必要がある。
まず第一に、何故アカネたちは襲われたのか。
いや、アレスの言い方からして狙われたのはアカネたちと言うよりは、アレス騎士団側の方らしいが、それでも何故このタイミングなのだ?
シャルの話によれば、あの船は追跡などの心配もない騎士団御用達だったはずだ。
それにあの犯行のスムーズさは明らかに計画的。つまり予め考えられていたことを実行したということだ。
ーーそこでふと、ある言葉を思い出した。
「泥犁島……」
それは、罪人が収容されている島の名前だ。そしてソレが狙いだと、アレスが言っていた気もする。
と、いうことは。ドロフォノスとかいう罪人一家は泥犁島で何かをしようとしている?
そうなると、今回の『罪人選別』、罪人の刑執行を行うことを命じられていたのはアレスたちってことになる。
その考えを後押しするものが一つ。
シャルの言葉。
ーー教えられない。
仕事の有無を訊いた時、確かにシャルはそう言っていた。
あれは、自分たちが泥犁島に行くことを教えられない、という意味だったんじゃないか?
セイラが言うには、泥犁島の正確な場所の情報は一般市民には開示されていないと聞く。
だからこそアカネたちには教えてくれなくて、だからドロフォノスは船を襲った。
だが、だとしたら、だ。
どうやってアレスたちが港にいることを知ったのだろう。
色々な懸念を視野に入れてそーゆーことがないようにしているとシャルが言っていなかったか?
……考えても考えても、結局は堂々巡りの思考に陥って最適解すら見つからなかった。
アカネは息を吐く。
「はぁ。とりあえず、ここがどこなのかは知っておかないとね。あとみんなの生存確認も」
現在位置の特定、仲間の生存。目下の行動理念はそれを軸にするとしよう。
制服の水っ気を脱水しつつ、アカネは砂浜を歩き出した。
いきなり森に入っても遭難するかもしれないから、とりあえず島の大きさを知る意味でも砂浜をぐるりと歩いてみた方がいいだろう。
「………何気に異世界に来てちゃんと一人になるのって初めてな気がする」
若干の寂しさを感じるが、けれど思いの外自分でもビックリするくらいに冷静だ。
この世界に来てからこっち、ずっとハルたちといたから。隣を見ればいつだって誰かがいてくれたから。
そう思って、アカネは苦笑した。
あたし、みんなに甘えてばかりだな。
「………………、」
と、そこでアカネは笑ったまま足を止めた。
……なんか、砂浜に頭から埋まってる人がいた。
見覚えのある服の人だった。
というか、噂をすれば、である。
気持ち早足気味に歩いて近づき、空に向いた両足を掴んで引っ張り砂浜のオブジェと化していた人を救出する。
ーーハルだ。
「ぷっはぁ!し、死ぬかと思ったぁ!危うくお菓子たちに食われるところだったぁ!って誰がお菓子に食われるか!そんなオカシなことがあってたまるか!……なーんてな!あっハッハッハッハッハッ……は、は、………あ」
一人の世界に入っていたハルが真横にいるアカネの存在に気付いて固まった。
いたたまれない。
見てるこっちが恥ずかしかった。
数分後。
アカネの後ろをハルは泣きながら着いてくる。
「何も見てないし聞いてないから。だから大丈夫だよ。そんなハルでもあたしは大好きだから。信じてるから」
「………助けていただきありがとうございます」
メンタルは大分やられているようだ。
そりゃ南極並の極寒に到達するレベルのダジャレを披露したのだから無理もないが。
だがハルだけでは珍現象は終わらなかった。
一人とか思っていたのに意外とみんな近くにいた。割とすぐそばに。徒歩五分圏内に。コンビニかよ。
次に再会を果たしたのは、砂浜で火を焚いて魚を焼いているユウマとナギだ。
世界に二人しかいない、みたいな顔してる。
「ほーら焼けたぞナギ。今日は大量だな、はっはっはっはっ」
「ありがとうユーくん。ん、美味しい。これだけ栄養があればお腹の子も……」
「こらこら眠てぇこと言ってると海に沈めるぞクソ野郎。ほらお魚をお食べ」
「ありがとう、パパ。幸せに、してね?」
「あははは。砂浜に埋めて欲しいんだね?」
そして二人はアカネとハルに気づくと初めて火を見た猿みたいな顔をして時を止めた。
数分後、ナギを砂浜に埋めたユウマが泣きながら後ろをついてくる。
「いや鬼か」
「見なかったことにして……」
「分かるぞユウマ。魚って美味いよな」
「ビックリするくらい何一つわかってねーな」
「まってユーくん!置いていかないで!」
「「「不死身かよ」」」
たった一〇分でいつもの感じが戻ったとなると、この勢いでいけばおそらく全員がこの島にいる。
そして全員と出会う条件が砂浜メンタルならアカネは耐えられない。
そんな感じで不安になっていたら一律した砂浜の風景に変化が生まれた。
ぽつんと、木造の家が建っていたのだ。
砂浜に、家。どう考えてもおかしい光景にアカネは警戒する。
「家?」
「家だな」
「家だろ」
「家だね」
そして四人は目を見合わせてからもう一度ソレを見た。
「「「「……家?」」」」
こればっかりは全員共通の謎だったらしい。
砂浜に家とか異物感が果てしない。
近づくか否かを迷っていると、向こうから動いてくれた。
ギィ……と、扉が開いた。
瞬時に戦闘態勢に入った四人の目に飛び込んできたのは、中年のオッサンを鎖で縛り付けて馬にしているセイラさんだった。
口を最大級に開けながら固まるしかこの世界は正しいリアクションを知らない。
「ほらしっかり歩け!沈められたくなかったら歩いて私の仲間を探しにいくぞ!」
「ハィぃい!探しに行かせていただキマスゥ!」
「ソレでいいんだこのブ、た……が」
どうやらこちらにお気づきになられたようだ。
目を逸らそうにも出来なかった。セイラは一瞬固まると息を吐き、それからペット?と化した中年を手加
減もなく蹴り飛ばして海の栄養分とした。
その放物線を目で追ってから、四人はセイラに視線を戻す。
「「「「…………、」」」」
「おー!お前たち!無事だったか!」
「「「「いや流石に無理があるだろ!!」」」」
「…………見なかったことにして」
と、初めてセイラの弱々しい声を聞いたアカネであった。
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砂浜の家の中に入ると、アレス以外の全員が揃っていた。
この家は、セイラが海に蹴り捨てた中年のオッサンに作らせたモノらしい。
ソレにしては完成度が高いしよく短時間で作れたね、と訊くのは何か怖かったからアカネはその質問を呑み込んだ。
………絶対何かやったんだ。怖いこと。
「そうか。やはり全員襲撃に遭っていたか」
広いとは言えない木家、簡易テーブルを座って囲う中、セイラが腕を組んで呟く。
「ドロフォノス。罪人一家って言ってた。アレスさんが言うには、あたしたちが乗ってた船を追跡するために魔力源を渡して、泥犁島の座標を知る羅針石を奪うために襲ってきたって」
アカネの言葉にセイラは頷いた。
頷いたのだ。まるで最初から分かっていたみたいに。
「知ってたの?セイラ」
「あぁ。そこにいるシエ・ドロフォノスに聞いたからな」
セイラが視線を振った先、海に消えたと思っていた中年のオッサンが正座をしていた。
「ドロフォノス……。まさか、全員がドロフォノス家に襲われたの?」
アカネの声に、皆が首肯する。
「この一連の騒動はドロフォノス家全てが関与していますねぇ」
セイラの前に座るシャルが言った。
「私とハルくんが会敵したのはシルエット・ドロフォノスと名乗っていた少女ですぅ。そしておそらく皆さんも巻き込まれたあの空間の裂け目は、その少女の魔法の暴走がもたらしたものですぅ」
「空間魔法の暴走?」
「そうみたいですねぇ。詳しい能力までは分かりませんが、シルエット・ドロフォノスの魔法は想像力によって力の強弱が決まる類の強力なモノだと推測できますぅ。私たちが彼女を追い詰めた結果、彼女の中でナニかが壊れて暴走し、こーなったんでしょうねぇ」
ふむ、とセイラは顎に手を添えてから中年のオッサンを見た。
「おい」
オッサンはビクッと肩を揺らすとセイラへ向く。
「な、なんでしょうか」
「シルエット・ドロフォノスの魔法は想像出来ればなんでも出来るのか」
「あの「廃家」堕ちの娘の魔法は好愛魔法と言いまして、自分の好きなものをいくらでも想像して作り出し、その空間内に相手を閉じ込めて力の半分を奪い蹂躙することができます。もし仮に、あの娘がその好愛空間内で「どこかへ行きたい」と願えば、それを強く想像すれば空間移動は可能かもしれません」
「………コイツ、めちゃくちゃ喋るな」
「しかもめっちゃ流暢にな」
ハルとユウマが呆れたように言うがアカネも同意見なので苦笑する。
しかしこの男の言っていることが事実だとしたら、そのシルエットの魔法は強すぎる。
群を抜いて強い。あの幼い少女。幼いからまだ使いこなせていないだけで、成長するにつれて魔法を自在に操れるようになったら実に脅威だ。
「この展開は貴様たちドロフォノスの企み通りなのか?」
「あ、一応そうなっています。「お父様」はこうなることを望んでおられました」
そこでアカネは眉を寄せた。
「お父様」?
そーいえば、ノーザンも「お父様」と口にしていたような気がする。
「……「お父様」って誰なの?」
素朴な、しかし重要な質問に中年のオッサンが顔色を変えた。
蛇に睨まれたウサギのように。
悪魔を見た人間のように。
地獄を知る罪人のように。
苦痛を知る弱者のように。
「………い、言えない。それだけは言えない」
「え、あ、あの?」
ブルブルと震え出し、歯をガチガチと鳴らして、完全に瞳が恐怖に呑まれて、男は膝を抱えるとブツブツ言いながらアカネたちの存在を己から切り離したようだった。
何度声をかけても、反応はない。
「私も「お父様」のことを訊こうとしてな。だけどこうなってしまうんだ。しばらくしたら元に戻るが、この様子からして「お父様」は……」
「徹底していますねぇ。自分の正体を隠すことを。情報の漏れを。」
セイラの言葉を継いでシャルが言った。
それから、金髪少女は立ち上がるとアカネの隣に座っていたハルの手を握った。
…………握る必要ある?と頬を膨らませて嫉妬するアカネには気づいていないシャルは言う。
「シルエット・ドロフォノスの暴走も、起因は私たちかもしれませんがトドメは「お父様」でしたぁ。その名を口にしながら恐怖と絶望に支配されていましたよぉ。……あれは、間違いなく痛みによる調教をされていますねぇ」
アカネは眉を不快げに寄せた。
「………調教」
「ドロフォノスは罪人一家ですからねぇ。自分たちの身を守るためにもそう言った家族間の裏切りなどを懸念していたのかもしれませんねぇ。…‥でもそうですか、だから国はドロフォノスの本拠地を見つけることができなかったのですね。納得です」
「あのよ。つまりそのドロフォノスは、「お父様」ってやつは何がしたいんだ?」
ハルが本題を、問題の核心を突いた。
そう、それだ。
ドロフォノスはなにがしたい?何のためにこんなことをしている?わざわざアレス騎士団に接触するという危険を冒してまで行動して、罪人一家に何のメリットがある?
答えを知っているであろうドロフォノスの男は震えたままで喋れる状態ではない。
だが代わりにセイラが言った。
既に訊いていたらしい。
「解放、だそうだ」
重く。
事態の深刻さを伝えるように。
「九泉牢獄に幽閉された全ての罪人を解放することが、ドロフォノスーー「お父様」の目的らしい」




