『一章』㊹ 一人じゃない
ーー雷が夜の虚空を荒々しく奔る。
乱雑な形をした雷撃がエマの体を容赦なく貫き、全身麻痺をさせるだけじゃ飽き足らず白目を剥かせて口から煙を吐き出させた。
「か、は、………!」
「目は覚めたかよ、エマ!」
「ーー!」
気を失いかけたであろうエマが、倒れる寸前のハルのその一言で意識を復活させ歯を食いしばり、腕を横に払って土塊を投擲、追撃の手を阻止する。
「目なんて、とっくの昔に覚めてるよ!」
「だったら何も見えてねぇ!!」
ドガァァァァ!と、左手を横に突き出しただけで家一つ分はある土塊を破壊、粉々にして再度エマへと迫り、ハルは拳を強く握った。
何も見えてない。本当に何も見えてない。
人を殺して、世界を憎んで、自分が笑えない未来のために突き進むなんて絶対に間違ってるのに。
控えめに言っても幸せになんて繋がらなくて、どう足掻いても救いなんてない暗闇なのに。
ーーどうしてそんなもののために……。
「何も見えてない?何も見えてないのはハルくんたちだ!救われるべき人間が殺される世界に、一体何の価値があるっていうの!?」
「世界の価値なんて大きいことは俺にはわからねぇ。多分お前が言ってることは正しいんだと思う。救われるべき人間が殺されるのは、間違っているんだろうな。……あぁ、あぁ、その通りだよ」
「ならーー!」
「だけど!」
エマの声を遮り、畳み掛けるようにハルは言う。
攻撃の嵐は止んでいて、互いに走ればすぐに埋められる距離の中、少年は言う。
ボロボロの姿で。
「人を助けるために人を殺すのは絶対に間違ってるぞ!誰かの死の上に平和と正義と笑顔があるなら!そんな方法でしかなにも築けないなら!そんなのはただの悪だ!お前が一番嫌う悪なんじゃねぇのか!?」
「ーー!」
「そんな世界で生きるなんて息苦しくてたまったもんじゃねぇよ!窒息しちまうぞ馬鹿野郎!俺はそんな世界で生きたくねぇ!!」
平和は尊い。
正義は清い。
笑顔は眩い。
しかし一つでも何かを間違えたらそれらはいとも簡単に瓦解して、人に不幸を与える凶器になる。
世界を正すことは素晴らしいことだ。実際に行動に移すことも褒められるべきモノだ。
だがその方法が流血を避けられないものなら、きっと過程にも結果にも価値なんてない。
正義という建前で欺瞞した悪義でしかない。
「俺はみんなと楽に息吸って吐いて、苦しむことなく生きて死にてぇ!!」
「そんなのはただのワガママだ!苦しむことなく生きて死ぬ?できる訳ないだろそんなこと!」
「だから今戦ってる!苦しむってのは体じゃねぇ、心だよ!仲間が傷ついてたら心が苦しいだろ!仲間が泣いてたら心が痛いだろ!それが嫌だから、そんなのは死んでもイヤだから、俺は拳を握るんだ!」
「もうウンザリなのよ、あんたの綺麗ごとは!いい加減に、黙ってよおおおおおお!!」
泣き叫ぶような絶叫がどこまでも響く。
浮遊城の外壁をめくれさせ、エマはその残骸で剣を構築、流れ星のようにハルへと迫り、正面から堂々と斬りかかった。
一閃が光る。
石で出来た刀剣のはずが、月の光を怪しく弾いていた。
空気が斜めに裂かれる刃の軌道、ハルは半身になって回避し雷拳を叩き込む。
しかしそれをエマは無理矢理体を捻って関節や骨をギチギチと痛めながら強制回避に成功、腰の捻りを戻しつつ流れに乗るようにハイキックを選択した。
「おォア!!」
「ん、の!」
ギリギリ、だ。髪を擦る形にはなったがギリギリ上半身をのけ反らせてエマの細い脚から繰り出された脅威の蹴撃の直撃を免れた。
「ーー!もう、もう、もう!なん、なのよ!なんなのよなんなのよなんなのよ、お前はァァァァ!」
地団駄を踏み、その度に地面に亀裂が入って、髪を振り乱しながらエマはその翡翠の瞳でハルを睨む。
揺れるのは、赤いリボン。
「何がしたいの、何が目的なの!どうしてそこまであたしの邪魔をする!なんであんなやつ…………なんであんなゴミを、レイシア・エル・アルテミスの味方をする!?」
「仲間だから」
「ーーっ。聞きたくない。そんな言葉、聞きたくない!やめて、やめてよ。アンタを見てると、アンタの言葉を聞くと自分が惨めになる、自分が間違ってるかもしれないって思い込んでしまう!……そんなのはダメなんだ。そんなのは許されないんだ。アタシはこの道を進まなくちゃいけない。この道以外に歩いていい場所はないんたがら!」
「お前も、俺の仲間だ。だから、止めるために戦ってる。一緒に笑って帰るために」
「ーー遅いのよ!!!!!!」
それは。
今までの叫びとはどこか違った。
怒りが発露の声じゃない。
まるで、そう。一度だけみた、あの迷子の子供のような。ひとりぼっちでいる童のような。
息を呑んだ。
くしゃりと、エマの顔が悲しそうに歪んでいた。
彼女は言った。
「遅いよ、ハルくん。どうして、なんで今なの。
……どうして、あのときに、来てくれなかったのよ………ッッッ」
わかっている。こんなことを言っても意味はないと。どう足掻いても叶うことはなかった望みだと。
ーーそれでも言わずにはいられなかった。
目の前で、こんな正解を見せつけられて。
一番憎んでいた存在が、一番恋焦がれた存在に救われるところを見てしまったら。
「どうして!アタシのお父さんとお母さんを助けてくれなかったの!!!?」
「……エマ、ぐっ!?」
涙を拭うように手を伸ばして、けれど届く前に石礫が飛んできて、ハルは腕でガードしながら後退せざるを得ない。
さらにそこから、エマの感情の決壊に呼応するように、横殴りの暴雨がハルを襲った。
石、岩、土のオンパレード。
「ハルくんは、「ヒーロー」でしょ!雷の真六属性でしょ!ローラ・アルテミスを助けて、レイシア・エル・アルテミスも助けて!なんで王女ばかり助けるのよ。なんでアタシは助けてくれないの!なんでお父さんとお母さんを!おばあちゃんを助けてくれなかったのよおお!」
「………エマッ!」
「助けてもらいたかった、守ってもらいたかったよ!殺しても殺しても、スッキリしたのは最初だけで、あとは全部虚しかった!痛かった!ハルくんがいてくれたら、ハルくんさえアタシの目の前に現れてくれたら!こんなことにはならなかったのに!」
ーー八つ当たりだ。
ーー彼には何の罪もない。
「ハルくんは神魔を倒した本物のヒーローなんだ!神と悪魔の力を持つ最悪の化物を唯一倒せたヒーローなのに!……守ってよ。アタシも守ってよ。悲劇から、助けてよおおおおお!!」
ゴキゴキゴキゴキメキメキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキゴキメキャドガ!!と。
ハルが踏んでいた地面が六角形に抉り取られ、宙を浮いた。驚愕するハルを無視して、六角形の大地はみるみると高度を上げていく。
ーーハルが知る由もないことだが、浮遊魔法は術者本人以外の生物を浮かすことはできない。
だが無機物を一枚噛ませ、介入させるこで間接的に浮かすことは可能だ。
そして浮遊魔法に高度の条件はない。やろうと思えば宇宙にだって届くだろう。
ハルを乗せた六角形は、雲よりもさらに高い天空を、それでも『桜王』には届かない夜の空を突き進む。
ピタリと、それが止まった。
「ーー落ちろ。地獄まで!!」
「ーー!」
六角形が、スラリと横に移動してハルの足が地の感覚を失った。
重力に従い、真っ直ぐに落ちていく。
このまま落ちれば間違いなく死ぬ。着地の寸前に魔法を使ってもダメージは拡散しきれず、正直助かるかどうかはわからない。
五分五分を下回っていると見ていいだろう。
ーーそれなのに、何故だろう。
怖くはなかった。
頭を地面に向けて落ちていくハルの心には、一人の女の子を助けたいという想いしかなかった。
彼女が何を言っているのか、ハルには分からない。きっとハルが知らない何かがあって、それの原因は全てハルにあるのだと糾弾していた。
彼女がそう思うなら、そうなんだろう。
ハルがいたら、おそらくエマが闇に落ちることはなかったのだろう。
お父さんとお母さん。そしておばあちゃん。
依頼内容はともあれ、おばあちゃんというエマにとっての大きな存在は嘘じゃなかったらしい。
だったら、尚更に。
今ここで、引き戻さなければ。
「正しいか正しくないかで言ったら、お前は正しくない」
落ちる。落ちる。落ちていく。
「どんな理由があっても、どんなに言い訳を重ねても、人を殺して叶える望みなんか誰にも肯定されない」
そもそも叶ったところで笑顔で皆がついてきてくれるのか、という話でもあった。
多分。
残るのは果てしない虚無感と孤独だけで、誰もついてきてはくれない。振り返っても、闇しかない。
「それでもお前は正しい世界を望んだ。その先にある自分の幸せのためじゃない。誰かの幸せのために。全ての悪意を請け負って、みんなが笑えるように」
それはとても苦しくて辛いけど、優しい自己犠牲。
当然ながらエマの未来だけがない取り捨て選択。
「その手段を、結末を。誰が喜ぶんだ?お前の父ちゃんと母ちゃんは、なによりもばあちゃんは笑ってるのかよ。お前の大切な人たちは、守りたいと思った人たちは、真の善人は、お前になにを望んでたんだ」
バチバチ!と、雷が体を駆け巡る。
拳を、強く握る。
「生きてほしかったんじゃないのか。幸せになってほしかったんじゃないのか。笑顔でいてほしかったんじゃないのか」
知ったような口は叩けない。そんな資格はない。
でも、友達としてそう思った。
だって、あまりにも辛そうで、痛そうで。
エマの姿が見えてくる。
彼女は信じられないものを見るような目でハルを見上げていた。
「お前は正しくない。間違った。正しい世界を求めるなら、誰よりもお前が正しくあるべきだった!殺しなんかじゃない、小さな声で助けを求める子供の手を握ることが、お前のすべきことだった!人を恨んで世界を憎んだのかもしれない。でも見限ることはなかったんだ!お前は知ってたはずだ、人と世界の優しさを!変われるかもしれない可能性ってやつを!」
その時、確かに少年の声がエマの耳に届いた。
記憶が、過去の声が、思い出が、疼く。
ーー逃げろ、エマ!
ーー逃げて、エマ!
ーー寂しいなら、私も一緒に行こう。
そう言って、みんな……。
けど、確かに。誰一人としてエマの不幸を望んでいたわけではなかった。
むしろ、幸せを願っていて。
……そういえば、あれはいつだったろう。
おばあちゃんとの買い物を終えたその帰りだったかな。
『ーー神魔が倒されたらしいぞ!しかも倒したやつが雷の真六属性だって話しだ!』
ーーシャワーを浴びに来たの間違いだろ。
そうだ。
あの時。
アタシは。
本当は、第二王女に会いに来たんじゃなくて…。
「本心じゃねぇだろ。なにもかもが本心じゃねぇだろ!嘘なんかじゃねぇだろ!?俺たちには嘘をついたっていい!だけど自分には嘘をつくな!お前は何しに"アリア"にきた。本当にアカネを殺すためか?俺たちを殺すためか?国を、アレス騎士団を滅ぼすために来たのか!?ーー違う!!」
〈ノア〉とは、助けを求める人を例外なく、悪人も善人も関係なく救って乗せる舟である。
故にエマ・ブルーウィンドという女の子を救わない道理はない。
ーー決して、ありはしない。
「世界を、人を正しく!誰も彼も救おうとした本物のヒーローのお前が!誰よりも優しかったお前が!遅れちまった俺なんかよりよっぽど英雄なお前が!殺しなんかに手を染めて、みんなを不幸にするような真似をしちゃダメなんだよ、絶対に!!!」
所詮間に合わなかった英雄だが、苦しんでいる女の子がいる。
言葉を交わすだけでは彼女には伝わらない。彼女は戻ってこれない。
ならばどうするか。
決まっている。
全ての原因たる、彼女を闇に落としたクソッタレの悲劇の神様をブン殴るために、神の力を行使する以外選択肢はない。
ーー神如きが、でしゃばるな。
「返してもらうぞ。エマ・ブルーウィンドを!」
雷が、雷神の怒りが、天の正義が。ーー唸る。
全てはハルの右手に荒々しく、猛々しく収束し、雷神の拳を具現化した。
そして。
そして。
そして。
「手が掴む雷!!!」
カッ!!!!と。
青白い閃光が激しく瞬き、エマに直撃して。
ーーそれは、浮遊城が崩壊し始めた轟音と同時に起こった一つの戦いの終わりだったのかもしれない。




