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チェーホフの遠さ

 チェーホフは

 「中二階のある家」

 という短篇で

 無為な画家と無為な娘の

 淡い恋愛を描いた

 互いに惹かれてはいても

 ふたりは一緒になることは出来なかった

 画家は娘のいた中二階のある家のことをもはや忘れかけているが

 孤独にさいなまれた時にふと娘のことを思い出し

 相手も自分のことを思い出しているのではないか

 やがて自分たちは再会するのではないか

 そんな儚い願いを募らせる


 チェーホフは

 「学生」という短篇では

 神学を学ぶ学生の一夜を描いた

 憂鬱を抱えながら夕闇を歩き

 焚火にあたっていた母娘にたまたま出くわす

 後家さんたちと呼ばれている母娘はどちらも苦労人だ

 学生は火に手をかざしながら

 焚火のそばで問い詰められたぺテロを思い出し

 新約聖書のその場面を語る

 我なんぢと共に死ぬべき事ありとも汝を否まず

 イエスから裏切りを予言されたときに

 そう誓ったはずのぺテロは

 尋問されるイエスから程近い中庭で

 問い詰められたあげく三たび否む

 ぺテロはイエスの言葉を思い出し

 こらえきれずに泣いてしまう

 学生が語るのを微笑みながら聞いていた老婆は

 そこでいきなりしゃくり上げて泣き始めた

 母娘と別れた学生は

 歩きながらそのことについて考える

 老婆が泣いたのは自分の話しぶりが感動的だったからではなく

 ぺテロが彼女にとって身近なものだったからだろう

 過去はまぎれもなく現在と結びついている

 その鎖の両端を自分は見たのだ

 一方の端に触れたら他方の端が揺らいだのだ

 学生はそんなふうに述懐する


 チェーホフは

 空間において

 時間において

 遠く離れた人と人の想いが

 つながることはありえるのか

 結びつくことはありえるのか

 そのことについて描いた

 チェーホフは

 もう百年以上も前に死んだ

 その作品に

 なぜだかひどくこころを揺さぶられる

 老婆のように

 しゃくり上げたりはしないけれど

 チェーホフの遠さは

 身近なものだ

 離れたところにいるだれかを想いながら

 過ぎ去ってしまっただれかを想いながら

 その遠さについて考えつづける

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