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死ぬとどうなるか

 もちろん死は怖い

 でもどこか期待してしまう

 なにかを

 それはいったいなんなのだろう


 無だろうか

 でも無とはなんだろう

 無といわれて反射的に想像するのは

 なにも見えない暗闇

 しかしそれは無ではなく暗闇

 知覚の対象も主体もないはずだから

 この想像は端的に間違っている

 想像しようとした時点から間違いは始まっている

 眠りの空白と似たようなものだと

 せいぜい類推するくらいしかできない

 想像できないものを想像することは

 はたして可能なことなのだろうか


 死後の世界はどうだろう

 これならいくらでも想像できる

 どんなに奇妙な世界だとしても

 とにかく存在があるのだから

 ダンテの神曲のような幾何学的な異世界

 あるいは三途の川とお花畑

 光に包まれた未知の空間

 なんだって想像できる

 しかし独創的であれ陳腐であれ

 その想像に自分の死を賭けられるかは別だ

 容易く想像できるものに信を置くことは

 はたして可能なことなのだろうか


 霊として現世にとどまるのはどうか

 これなら異世界を創造せずに済む

 そのときに関心の中心となるのは

 自己の存在様態だ

 霊としての自分とはいかなるものか

 身体感覚は?

 脳髄も五体もなくどうやって存在する?

 認識は?

 記憶や思考や言語は?

 これは死後の世界においても同じく疑問ではある

 想像するもの自身を想像することは

 はたして可能なことなのだろうか


 生まれ変わりというのもある

 これはある意味ではもっとも想像しやすい

 既知の世界と既知の存在様態

 来世が現世とはかけ離れた環境の人物であれ異性であれ動物であれ昆虫であれ

 想像のよすがはある

 しかしそうなると興味は輪廻というシステムに向かう

 魂はどれだけの器を遍歴すればよいのか

 このシステムにはいかなる意義があるのか

 現世と来世のあいだの空白期間はどうなる

 その終点は?

 無、死後の世界、あるいは霊?

 限りないモラトリアムが輪廻なのか

 虚しさに行きつく想像に信を置くことは

 はたして可能なことなのだろうか


 こんな並列的疑問なら

 死への関心が高まった十代の頃に

 漠然と考えていたような気がする

 それでその後

 なにか新しい想像はもたらされただろうか

 死生観に深まりはみられたか

 どうもそんな気はしない

 あれこれ本を読んでも

 身近なだれかが死んでしまっても

 死のわからなさと

 哀しみと苛立ちと疑惑が深まるばかりだ


 それでも死に期待している

 死ぬとどうなるか

 その問いへの歩みが

 一向に進捗する気配がないとしたら

 これは問いを間違えているのかもしれない

 もっと有効な問いを生み出せれば

 新たな道が拓けるのかもしれない

 しかしその問いを見つける前に死ぬだろうと思うと

 途方にくれて

 ただ寂しくなる

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