この世でもっとも優しいこころ
この世でもっとも優しいこころとは
どんなものだろう
そんな想定自体に
間違いが含まれているのかもしれない
もっともとはどういう意味か
どうやって比較するのか
そもそもこころというものを
具象物のように扱うのは謬見ではないか
でもいまは
問わない正しさより
誤りによる一歩を
自分は必要としているようだ
この世でもっとも優しいこころ
それは人間に可能な優しさなのか
関係の絶対性は
だれもを攻撃に荷担させる
分け隔てない優しさ
それですら
超越的な立ち位置を仮設しなければ
全うすることはできない
人間の形をとった神の子は
優しさとは裏腹に
烈火のように激烈な罵倒も残している
この世でもっとも優しいこころ
それは生者には無縁のものか
だから神の子は死なねばならなかったのか
生きているかぎり
だれも救済できないのか
だれも救われないのか
母から分娩されたときに
世界はすでにして他者となる
傷つけあいが始まる
凄惨な椅子の取り合いが始まる
群れのなかで生きるかぎり
鎖からは逃れられない
みな死ねばいいと
宗教家がたびたび陥る極論は
それなりの必然性はあるのかもしれない
それでもやはり
正しいとは思えない
生きているのが間違いのように感じられても
死をばらまくことは
なんの救いももたらさない
優しさをはき違えたみじめさが残るだけだ
この世でもっとも優しいこころ
それを体現したように思える人を
自分は何人か知っている
その信じがたいほどの優しさが
限定された局面の
瞬間的なものでしかなかったとしても
こんな人間がいるのかと思うだけで
救われるような心地がするのはたしかだ
その救済が
たとえ仮初めのものであっても
この世でもっとも優しいこころ
そんなものは存在しないが
蜃気楼のように
時たま眼前を横切る