第1話 悪の組織と町内会(前編)
「ついに、この日が来た」
古びたアパートの六畳一間に、男の声が静かに響いた。
黒ずくめの男が四人、真剣な面持ちでちゃぶ台を囲んでいた。
遠くで、十七時を告げる『夕焼け小焼け』が流れた。
「我々は今日、世界征服を目指して悪の組織を設立する」
髭面の男が続けて言った。
無造作に結い上げたくせ毛の長髪が、扇風機の風に揺れる。
「いよいよか、黒木。まずはひと暴れか?」
ガタイのいい男が、ちゃぶ台に手をついて身を乗り出した。
ちゃぶ台の脚が、ギシッと鳴った。
「世界征服を甘くみるな、大門」
髭面――もとい、黒木は、シッシッと大男を手で振り払う。
大門はつまらなそうな顔で身を引く。
黒木は咳払いすると、声を張り上げた。
「まず――」
その瞬間、壁の向こうから鼻をかむような音がした。隣人だろう。
黒木はわずかに身をかがめ、声のボリュームを落とした。
「まず必要なのは、組織名だ」
「かっこいい名前にしたいっす!」
幼い顔立ちの男が言った。
大門と並ぶと、体躯の小ささが際立つ。
黒木は一度、大きくうなずいた。
「当然だ、ユズル。悪の組織たるもの、聞けば誰もが慄き、口にするのも憚られるほどの圧倒的な名前が必要だ」
「すげえ、ヴォルデモートみたいっす!」
「おい、例のあの人と呼べ。大先輩だぞ」
ユズルがハッとして、口元を押さえる。
黒木の隣に座っていた眼鏡の男が、ちゃぶ台の上にノートパソコンを置いた。
「組織名の候補を検討しておきました」
「さすがだ、三枝」
三枝は、眼鏡の縁をクッと指で押し上げた。
リンゴマークのパソコンがよく似合う。
切れ長の瞳は、有無を言わさぬ威圧感がある。
「リズム感や覚えやすさ、検索性など、さまざまな観点を考慮して選考しました」
「検索性は高めんな」
三枝は、パソコンでファイルを開いて、三人のほうへ画面を向けた。
『新規暗黒結社 設立基本計画書』
洗練されたスライドが表示されていた。
文字サイズも余白も美しく、一切の無駄がない。
「第一候補です」
三枝がクリックすると、スライドが切り替わる。
『候補①:暗黒結社ノクターン』
「おお」とユズルが前のめりになる。
「かっこいいっす!」
「悪くない。夜の闇を感じさせる名前だ」
「うまそうだ」
大門が言う。
この大男の頭には、基本的に筋肉と食のことしかない。
「サブ候補です」
『候補②:合同会社ワルダクミ』
「……一応、意図を聞いておく」
黒木は半目で三枝を見た。
三枝は真顔だった。
「もろもろの手続きを考慮しました。悪事を働くにも、法人口座があったほうが何かと便利です」
「どっちにしろダメだろ、この名前」
黒木は息を吐く。
大門が丸太のように太い腕を組んで、不満げに声を漏らした。
「俺は、『血の惨劇・デッドエンド』がいい」
「それはお前の必殺技名にでもしとけ」
「俺の拳で、すべてを終わらせる」
「終わらせんな。これから始めるんだ」
黒木は話を続ける。
「ひとまず、候補①のノクターンで進める。次は資金だ。何をするにも金がいる」
「その点も検討してきました」
三枝がスライドをめくる。
『初期活動資金に関する検討』
ターゲットから利益率まで、細かくまとめられていた。
「現在、最も資産を保有しているのは高齢者層です。そこを主要なターゲットとすれば、効率的な資金調達が可能と考えます」
世界征服への一歩としては、いささか地味だと黒木は思う。
しかし、大切なのは積み重ねだ。
小さな悪を積み上げ、やがて巨悪をなす。
「なるほど、要するにだ」
黒木が口角を上げた。
生まれ持った悪人面の助けもあり、表情だけは一人前に悪い。
「ジジババどもから、うまく金を騙し取るってことだな」
黒木が告げた瞬間、四人の頭上でカタリと音がした。
全員、同時に天井を見上げる。
シミだらけの天井板が、一枚だけ不自然に浮き上がっていた。
「……大門。お前、また勝手に猫でも拾ってきたか?」
「拾ってない」
「ぼ、ぼぼぼぼぼく、幽霊とか無理っす!」
ユズルが震えながら大門の背中に隠れる。
天井板がズリズリと音を立ててさらに動く。
四人は腰を浮き上がらせ、身構えた。
やがて、天井板の隙間から、まばらな白髪が残る、つるりとした頭頂部が現れた。
続いて、しわの深い額と白い眉、穏やかな目をした老爺の顔が、ぬっとのぞいた。
四人は、金縛りにあったように口をぽかんと開けて固まっていた。
「うーむ」
老人は、長い白髭を手で梳かしながら唸っている。
そして黒木たちを見下ろして、しわがれた声で言った。
「それは犯罪じゃなあ」
「「「「ぎゃあああああああああ!」」」」
男四人の悲鳴が六畳一間に響いた。
大門がひっくり返って、後ろにいたユズルを潰した。
三枝は、いつの間にか味の素を構え、真顔でお経を唱えている。
黒木は飛び上がり、ちゃぶ台の角に膝をぶつけた。
「誰だてめえ! ホームレスか!? 天井裏に住むタイプのやつか!?」
「神じゃ」
黒木が膝を押さえながら叫ぶと、老人は平然と答えた。
天井からするりと降りてきて、ちゃぶ台の前に正座する。
「神だと!? ふざけんな! 大門! つまみ出せ!」
黒木の言葉に、大門が飛び起きて老人に突進する。
しかし、大門の体はそのまま老人をすり抜け、壁に突っ込んで額を強打した。
「ぐおおお!」
「す、透けてる!? やっぱ幽霊!?」
「プロジェクションマッピングでしょうか!?」
「ふぉっふぉっ、神じゃよ。ただの神じゃ」
額を押さえて転げ回る大門に、部屋の隅で縮こまるユズル、投影機を探し始める三枝。
そして、先ほどから鳴りやまない隣室からの壁ドン。
部屋の中は混沌を極めていた。
神を名乗る老爺は、困ったように言った。
「老人から金を騙し取るのは、よくないのう」
部屋がしんと静まり返った。
どこから聞かれていたのだと、黒木は目を細める。
「まだ何もしていない」
「企てたのう」
「企てただけだ。思想の自由だ!」
神は、目を閉じて首を横に振った。
「とにかく、これは見過ごせん。110番じゃ!」
「は?」
神が指をもじもじさせると、床に投げ出されていたユズルのスマホが勝手に光った。
画面に、ゆっくりと番号が打ち込まれていく。
ユズルがスマホを拾い上げた。
画面を閉じようとするが、なぜか閉じない。
「神がハッキングしてんじゃねえ! 大門! 壊しちまえ!」
「うおおお! やってやる!」
「うわああああ! やめて! 僕のスマホ!」
額を赤くした大門が、ユズルからスマホを奪い取った。
ユズルは必死に、大門に縋りつく。
黒木は思考を巡らせる。
まだ実行はしていないが、三枝のパソコンにはそこそこ都合の悪い資料がある。
設立初日に、警察沙汰はごめんだ。
黒木は神の前に立って、大きく息を吸い込んだ。
「待て! 違う! これは誤解だ!」
両手を広げ、高らかに叫ぶ。
「これは詐欺ではない!」
神の指が止まる。
「ほう」
「俺たちは、ジジババから一方的に金を巻き上げようとしてるわけじゃねえ。これは……」
黒木は必死で頭を回した。
悪の総統たるもの、危機にこそ弁舌で道を切り開かねばならない。
「これは、地域の高齢者から任意で資金を募る活動だ!」
部屋の騒ぎが、ぴたりと止んだ。
三人は、折れんばかりに首を傾げた。
神は「ふむ」と白い眉を動かす。
「集めたお金は、何に使うのじゃ」
「この町に巣食う不便や不満を一つ残らず排除し、我々の理想どおりに作り変える!」
「なるほど。地域の暮らしを良くするのじゃな」
「違う。我々の理想のためだ」
神の顔が、ぱっと明るくなった。
「なんじゃ。町内会活動ではないか」
「町内……は?」
黒木が口をぽかんと開けて間の抜けた顔をした。




