表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/65

須賀川

 阿武隈川おうくまがわを渡る頃には、狐娘芭蕉の尻尾は二本になっていた。


 阿武隈川おうくまがわというのは、現在の阿武隈川あぶくまがわのことである。昔から水量豊富な川であり、舟運が盛んであった。


 芭蕉は、船頭を怖がらせないよう、渡し舟の上では狐の耳や尻尾や手足などを笠と服で丁寧に隠し、曾良の背に隠れて縮こまっていた。


 ご存じのとおり、芭蕉はこれまで一尾の狐娘であった。

 それは那須の殺生石に残されていた九尾の力が少なかったことに起因する。

 しかし、白河の関からほど近い寺に参拝した折、裏手に祀られていた石に近づいた芭蕉は、図らずもその石に宿る九尾の力を吸収してしまったらしい。


「那須の殺生石はのう。元はおぬしらが見た石よりもさらに大きい岩だったのじゃ。今より三百年ほど前、玄翁という名の和尚によって砕かれた殺生石の一部は、無数の欠片となって我が九尾の力とともに日本各地へ飛び散ってしまったのじゃ。おぬしが先刻参拝した寺には、その欠片の一つがあったのじゃろう」昨晩の夢の中で九尾の狐を名乗る声が芭蕉にそんなことを語っていた。


 夢から覚めると、身体から溢れた力が新しい尾を形づくり、松尾芭蕉は二尾の狐娘となっていたのである。

 尻尾が増えただけでなく、心なしか外見年齢も少しだけ成長したように思われた。


「曾良君。ちょっと教えてほしいのですが……」

ぎゅっと服を引っ張り、小声で名を呼ばれただけなのに、曾良は胸の高鳴りを抑えられなかった。

 狐娘芭蕉の頼みなら、何でも聞いてあげたいと思えてくるほどだ。

 二尾になった芭蕉は、服越しに密着しただけで、相手を魅了できるようになったのである。


 左手に高くそびえる山の名を芭蕉に尋ねられ、曾良は「会津の磐梯山」と答えた。

 右手に見える地域を芭蕉に尋ねられ、曾良は「岩城・相馬・三春」といった地方だと答えた。

 まぁ、魅了されていてもいなくても曾良は芭蕉の質問に答えていたはずなので、特に意味はなかった。


「ほぅ。さすが曾良君、よく勉強していますね。心強いです」

ぐるりと周囲を見回して、芭蕉は船頭に聞こえない程度の声で、弟子を褒めた。


 ようやく始まったみちのくの旅に、芭蕉も少なからず興奮しているようだった。

 その証拠に服の下で狐尻尾が楽しそうに揺れている音が聞こえてくる。

「あの……芭蕉先生、そんなに動かれては、服が乱れてしまいますよ」

「おっと、すみません。拙者としたことが、つい……」

危うく船頭に尻尾が見つかるところだった狐娘芭蕉は、深く反省した。


 曾良はこの時のことを『少し落ち込んだ様子の狐娘もまた尊し』と旅日記に書き残している。


 常陸(現在の茨城県)・下野(現在の栃木県)との国境をなす山々に背をむけて、しばらく歩いた先、影沼という所を通った芭蕉は、また一段と落ち込むことになる。

 影沼の辺りでは、珍しい蜃気楼が見られると聞き、尻尾を揺らして楽しみにしていたというのに、いざ来てみれば、曇り空のせいか何も見えなかったのだ。


「ま、まぁ、こんな日もありますよ。芭蕉先生」


「もう拙者はおしまいです。殺生石を離れてからだいぶ経つのに、元の姿に戻れないどころか、むしろ尻尾が増える始末……」

曾良は、その言葉を否定しきれなかった。


 世はまさに、江戸幕府五代将軍・綱吉公が『生類憐み』の法令を次々と出している時代である。

 狐娘だからと言って切り捨てられるようなことは滅多に無いと思うが、狐娘が街を歩けば奇異の目に晒されることは避けられないはずだ。

 このまま狐娘の姿では、江戸には戻れない。人前にも出づらくなる。それは俳諧師にとって致命的であった。


「この姿になってからというもの、良い句も全然浮かばなくなってしまいました……」


 芭蕉はこの時、狐娘になったというストレスもあり、スランプに近い状態にあったとする説が、近年の主流である。


 実際、曾良の目から見ても、芭蕉は酷く疲れているように見えた。これが九尾の依り代となった代償に違いないと思った。


 しかし、ここで無理にでも元気づけなければ、芭蕉先生は心まで九尾に乗っ取られてしまうのではないか。曾良はそう考えなおす。


「芭蕉先生。どうか、そんな弱気なことをおっしゃらないでください」無理に笑顔を作って、曾良は言う。「まもなく須賀川ですよ。等躬とうきゅう先生も芭蕉先生の到着を楽しみに待ってくれているはずです」


 等躬先生こと、相良等躬さがらとうきゅうは、須賀川の宿場で長を勤めていた人物である。

 芭蕉よりも六つ年上の先輩歌人であり、芭蕉との親交も厚い歌人でもあった。


「あぁ、等躬さんとお会いするのも久しぶりですね。拙者も楽しみになってきましたよ」

少し元気が出てきた狐娘芭蕉は、須賀川へ向かって意気揚々と歩みを進めはじめた。


「しかし、今の拙者の姿を見て、松尾芭蕉だと気付いてもらえるでしょうか。心配です」

「等躬先生も芭蕉先生とは長い付き合いです。思い出話などすれば芭蕉先生だと気付いてくれるはずですよ」

「そうでしょうか……。そうですね。そんな気がしてきました。せっかくなので等躬さんへの手土産に一句を作っていきましょう!」

二尾を揺らしながら狐娘芭蕉が意識を研ぎ澄ませて道を進んでいくと、鋭い狐耳が聞きなれない歌を捉えた。


 遠くに見える田で、早乙女たちが田を植えながら歌っているのであった。


「曾良君、これです!」

「どれです?」曾良には歌が聞こえていなかった。


『風流のはじめやおくの田植たうえうた』


白河の関を越えて以降、芭蕉はなかなか良い句が思いつかず、ずっと悩んでいた。しかし、そんなスランプも今となってはどこ吹く風である。


 芭蕉と曾良は、こうして意気揚々と笑顔で須賀川に辿り着いたのであった。


「たいへんご無沙汰しております。等躬さん」

「何ということだ……」

ふたりを出迎えた等躬は、芭蕉の姿を見て、頭を抱えてしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ