平泉(一)
元禄二年(一六八九年)五月十三日
翌朝、天気も良くなったため、狐娘芭蕉と曾良は一ノ関の宿を出て、平泉へと向かった。
天和三年(一六八三年)に、現・仙台藩主の伊達綱村公が命じて建てさせたという義経堂なる御堂があると聞き、まずはそこを目指すことにする。
「眺めの良い場所ですね」曾良が呟いた。
義経堂は丘の上に建っているらしい。石段を登っていく途中、右手の景色は開けており、野山や田の中を大河・北上川が流れていた。
狐娘芭蕉は、息を切らして石段を上がりつつ、少しだけ景色に目を向けるも、すぐに目を背けて立ち止まってしまう。
「芭蕉先生、まだ御堂までは少しあるようです。背中を貸しますよ」気を利かせて曾良がしゃがみ込み、背中に乗るように促した。
「ち、違います! 疲れて立ち止まったわけではありません。行きますよ!」狐娘芭蕉は、恥ずかしそうにそう言うと、さっさと石段を駆けあがっていってしまった。
「すみません……」子ども扱いされて怒るところも可愛いと、曾良は旅日記に書き残している。
芭蕉を追いかけて石段を上っていく曾良が丘の上に到着すると、真新しい雰囲気の木造の御堂が出迎えてくれた。
文治五年(一一八九年)、源義経が妻子とともに自害した場所とは、とても思えない。
それほどに、明るく穏やかな空気が流れていた。
「曾良君。先ほどは、大きな声を出してしまって申し訳なかったです」芭蕉は俯いて、尻尾を悲しげに垂れさせていた。
「全然構いませんよ。こちらこそ察しが付かずすみません。急にどうされたのですか」立ち止まった理由が何かあったに違いない。曾良は問いかけた。
「この一面に田が広がる景色を見て、時の流れの儚さを感じてしまったのです。奥州藤原氏が栄華を極めた頃は、あの辺りも田畑ばかりではなく、家々が立ち並んで賑わっていたのではないかと思ったのですよ」
それを聞いて、曾良も気付いた。五百年前、この丘から見える景色は緑溢れる景色では無かったのではないかと。
亡き父・秀衡の遺言を守らず、鎌倉殿の圧力に屈して義経を追い詰めた泰衡たちも、同じく文治五年(一一八九年)に命を落としたという。
自害した義経の首を酒に浸して鎌倉へ送り、源頼朝に従う姿勢を示した泰衡だったが、頼朝は「これまで義経を匿った罪は消えない」として、奥州藤原氏への圧力を弱めることはなかった。
頼朝は大軍を引き連れて鎌倉を出陣。「鎌倉殿に断りもなく勝手に義経を殺害した罪」を着せて、泰衡を討ってしまう。
このような経緯で、奥州藤原氏は滅亡することとなったという。
町の家々は戦火に包まれ、灰と化してしまったのだろう。
眼下に広がるのどかな緑の風景に、芭蕉は五百年前の戦火を重ねて見ていたのである。
「ここに来れば、義経や弁慶、忠衡の霊に会えないかと思いましたが、さすがにそう都合の良いことは起こりませんね」芭蕉は少し寂しそうな表情を浮かべ、一句を詠んだ。
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
それは、鎮魂の句であった。
「芭蕉先生……」思わず目頭が熱くなって、曾良は芭蕉の方に視線を向ける。
狐娘の向こうに、見知らぬ白髪の老人が立っていて、思わず「うわっ!」と悲鳴を上げてしまう曾良であった。




