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石巻(一)

元禄二年(一六八九年)五月十日


 石巻は目を見張るほどに栄えた港町であった。

 仙台に次ぐ規模であるとは聞き及んでいたが、数百の船が入り江に停泊されている様は圧巻の一言に尽きる。

 多くの家々が土地を争うように密集して立ち並び、かまどの煙も立ち続けているようであった。


 石巻に着いた途端に降り出した小雨は、やがて止み、再び晴れ始める。


「曾良君。晴れたようですので、石巻を一望できそうな場所に行ってみましょうか」


道中で教えてもらったとおり旅籠屋はたごや『四兵へ』を尋ね、無事に一泊できることが決まると、狐娘芭蕉は急に元気を取り戻した。

 安心したのだろう。急に腹の虫が鳴きだして、芭蕉は恥ずかしそうに腹の辺りを押さえて俯いた。


「そういえば、松島で朝食を食べてからずっと歩きどおしで何も食べていませんでしたね。私もお腹が空きました。何か食べに行きましょうか」


「えぇ、そうしましょう!」瞳を輝かせる芭蕉。服の下に隠した尾も千切れんばかりである。


 宿に荷物を置き、石巻の町なかを少し歩けば、気軽に入れそうな食事処がいくつか見つかった。


 石巻と言えば、古くから捕鯨が盛んな町である。


 芭蕉も『鯨』と書かれた看板が目にとまったらしく、そこに入ろうとしたが、ぐっと堪えて立ちどまる。


 仮にも西行法師と同じ僧の服装で旅に出た芭蕉である。ここで鯨肉など食べて良いのだろうか。


「良いに決まっとるじゃろ。ほれ、行くぞ」


気が付くと九尾の狐が芭蕉の身体を奪っていた。何ということだろう。芭蕉の抵抗むなしく、狐娘は店に入っていってしまう。


 店の厨房からは、ぐつぐつと煮込まれた鯨の脂の香りや、鯨の刺身の香りが漂ってくる。空きっ腹にこの香りを嗅がせられて立ち去ることなどできるはずがない。


「ほどほどにしてくださいよ。お九さん」


 路銀には少し余裕があるとはいえ、あまり贅沢はしていられない。


「なあに、これも調査の一環と思えば良いじゃろ」周囲に聞こえないように、狐娘は曾良の耳元で囁いた。


「いや、そういうことではなく……」芭蕉の身体を借りるのはほどほどにしてほしい、という言葉を呑みこんで、曾良は苦笑した。


支払いと注文を終えてしばらく待つと、鯨肉の刺身と汁物が出てくる。


「これを食べてみたかったんじゃ!」満面の笑みを浮かべ、五尾を広げて揺らしはじめた狐娘。


 突然のことに曾良は慌てたが、店員はおろか、店内にいる他の客も全くこちらを気にする素振りを見せなかった。


「うむ。やはり獲れたての肉は美味じゃのぅ」鯨肉の刺身を素早く平らげて、狐娘は舌なめずりをしている。


「何か、したんですか……?」曾良は、怪訝な顔で尋ねる。


「なんじゃ? この場に居る者すべてに『我々がここにいることは普通のこと』という暗示をかけただけじゃぞ? ちょうど店内に男しかいなかったからのぅ」さも当然のように言い放つ狐娘であった。


 そういうこともできるのか。敵に回したくない相手だな、と曾良は心の中で思う。


 狐娘が笑ったまま「全部聞こえておるぞ~」などと言うので、曾良は危うく汁を噴き出すところであった。


「いっ、いつから……!?」


読心どくしんは、二尾になった頃からじゃな」


 ほとんど最初からじゃないですか! なんで教えてくれなかったんですか!? 曾良は心の中で叫んだ。


「まあ、そうじゃな。もはや、隠しておくべきではないと思ったので明かしたのじゃ」


「それは……、少しは私のことを信用してくれた、ということですか」


「我は前に言うたじゃろう。情報は可能な限り共有すること。隠し事はしないようにすること、と。お主らはそれをきちんと忠実に守ろうとしてくれたことが分かった。こちらも、いま知りうる限りの情報をお主らに託そう。心して聞くがよいぞ」


 これまで集めてきた五つの力。


 狐娘松尾芭蕉の身に宿った『一の尾』から『五の尾』までの尻尾にはそれぞれ異なる種類の力があるのだと『九尾の狐』が熱心に語るのを、曾良は大人しく聞いていた。

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