末の松山
歌枕として代表的な「末の松山」は、沖の石から北へ歩いてすぐのところにある。
末の松山には寺が建っており、付近の松林の木々の間は、たくさんの墓で埋まっていた。
「なるほど、浮遊霊さんがこの辺りに詳しいわけです。末の松山が、これほど広大な墓地になっているとは……」曾良は呟いた。
「狐さんは、誰に会いにここまで来たの?」沖の石で出会った浮遊霊が話しかけてきた。
名前を言ったら本当に連れてきてくれそうな気配があり、少し怖い。
沖の石での別れ際、浮遊霊に「末の松山の辺りには詳しいから案内してあげる」などと言われ、つい案内をお願いしてしまったが、失敗だっただろうか。
歌に疎い浮遊霊ではあるが、顔だけでなく着物も美しく、髪飾りには白い芍薬の花を付けていた。
「誰かに会いにきたわけではありません。この場所が古くから多くの歌人が歌に詠んでいる名所だったので興味を持ったのです。そのような名所や旧跡を歌枕と呼びます。歌枕になった場所は、和歌によって様々な印象が付与されているんですよ」芭蕉が丁寧に歌枕について説明すると、浮遊霊は「ちょっと分かったような気がする」という表情を浮かべていた。
『契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは』芭蕉が引用したのは、清少納言の父である清原元輔が詠んだ古歌である。
「波越さじ? このへんは、海から離れているし、波が来ないのは当然だと思うけど……」浮遊霊は首を傾げた。
「ここで言う波というのは、普通に打ち寄せる波ではありません。遠い昔、この地域を大津波が襲ったことはご存じですか」芭蕉は、遠い過去の災害に思いを馳せた。
貞観十一年(八六九年)に発生した貞観津波は、逃げ遅れた大勢の命をさらっていった。
このことは『古今和歌集』の序文にも書いてある。
「しかし、どれほどの大津波であっても、この末の松山までは波が到達しなかったので、ここに避難した人々は助かったという言い伝えがあります。そのため、歌枕『末の松山』は、波と組み合わせて『決して変わらないもの』の例えとして、恋歌などに使われるようになったそうです」芭蕉は言った。
「へえ、そうなんだ……決して変わらないもの、ねぇ……」浮遊霊は、末の松山に生えている松を見上げて、そう呟いた。
なお、先ほど引用した歌の意味としては、「約束したのにね。互いに泣き濡らした着物の袖を絞りながら……。末の松山を波が越すことがないように、決して心変わりはしないと。それなのに……」という含みがある歌であり、決して変わらないと思っていた心が離れてしまったということが暗に示されていることを、芭蕉は合わせて解説した。
「恋心や愛情といった刹那的なものが、決して変わらないものであると信じたい。そういった想いが多くの歌に詠まれていますよ」と曾良が芭蕉の解説を引き継いだ。
浮遊霊は目を輝かせながら、芭蕉と曾良の話を聞いていた。
「生前は歌とか全然興味なかったけれど、もっと早くに知っておきたかったわ。何気ない風景がいつもと違って見えてくる気がする……」松林の木々を見上げつつ、浮遊霊は言った。
「そう言っていただけると、拙者たちも話した甲斐がありますね」
何気なく浮遊霊の方に目をやると、その姿は先ほどよりも随分と薄らいでいるように見えた。
「私も、大好きな人とずっと一緒に居たかった。でも残念なことに、そうはならなかったの……。せめて一目会ってから成仏したいと思って、気が付いたら霊になってこの世に留まってしまっていた」浮遊霊の視線の先には、墓前に花を供えている若い男の姿があった。風貌からすると、武士のように見える。
「でも駄目ね。いざこうして会ってみると、むしろ未練は増えていくばかりに感じるもの……」
彼は幽霊を見るも、声を聞くこともできないのだと浮遊霊は言った。
「ここまで案内してくれたお礼に、何か伝えたいことがあれば、我々が彼にお伝えしますよ」芭蕉は提案したが、浮遊霊は首を横に振った。
「大丈夫。伝えたいことは、生前に全部書き残してあるから……。ありがとう」そう言うと、浮遊霊の姿はゆっくり消えていく。
やがてその姿が完全に見えなくなってしまう直前に、芭蕉は思わず浮遊霊に手を伸ばすが、その手は空を切った。
浮遊霊が消え、残された芭蕉と曾良の横を、墓参りを終えた武士が会釈をして通り過ぎる。
よほど憔悴しているのだろう。芭蕉が狐娘であることにも気付かず通り過ぎていく。
すれ違いざまに見たその顔は、先ほど消えてしまった浮遊霊とどこか似ているようにも感じられる。
「まさか、兄妹……?」曾良は呟いたが、武士には聞こえていない様子だった。
『天にあっては願わくば比翼の鳥となり、地にあっては願わくば連理の枝とならん』
中国の詩人・白居易が、玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を見事に詠んだ『長恨歌』の中に出てくる一節である。
比翼の鳥とは、雌雄で一つずつの目と翼を持つという伝説上の鳥だ。
連理の枝とは、二本の枝が絡み合い癒着して一つになっていることを指す。
いずれも、仲睦まじい男女を例える言葉である。
「どれほど固く契りを交わした男女であっても、死の前ではどうにもならないものですね」
芭蕉は何とも言い表せない寂しさと悲しさを感じていた。これが無常というものか、と。
「せめて名前くらい聞いておくべきでした」曾良が寂しそうに言って、芭蕉も浮遊霊に名を聞きそびれていたことに気付いた。
降り始めた五月雨に、芭蕉と曾良は笠を被って末の松山を後にする。
塩竈に到着した頃には昼を大きく回っていた。
芭蕉が腹を鳴らして恥ずかしそうにしていたので、ここで食事をしていくことにする曾良であった。
「あまり食欲は湧かなかったので一食くらい抜いても良いかと考えていましたが、お腹は減るものですね……」
「湯漬けなどもありますよ。宿に行く前に軽く食べていきましょう」
湯漬けというのは、お茶漬けのように、ご飯にお湯をかけたものだ。
「狐の口というのは、これほど湯漬けが食べづらいのですね」以前に蕎麦切りを食べた時も慣れない口の構造に難儀していた芭蕉であったが、湯漬けの熱さと流動性にも想像以上に苦戦を強いられた。「お椀に直接口を突っ込んで食べるのは、避けたいですし……」
芭蕉は、手元で箸をくるりと回すと『匙』に変えてしまった。
「いつの間にそんなことができるようになったんですか、芭蕉先生!?」
「いま初めてです。尻尾の変化を応用すればできるかもしれないと思って試してみたのですが、できてしまいました」これには芭蕉自身も驚いていた。
「芭蕉先生には、変化の才があるのかもしれませんね」
「そんなことはありません。九尾の力あってこその変化ですよ」
何はともあれ、匙を使って食べ進めた芭蕉は、無事に湯漬けを完食して満足したのであった。
『昼顔に 我は食くふ きつね哉』
雨は止み、店の軒先で日光を浴びた昼顔の花が風に揺れていた。花についた雨粒が光を反射して輝いているではないか。
この世は無常。だが、美しい。
狐娘は今日も飯を食う。




