第五話
その日も集団下校をして私はいつものようにまっすぐに家に帰りました。マンションの前には大きな駐車場があって、いつでも黒い車が何台かとまっています。車の中のガラスも真っ黒で何も見えません。あの車の中でママの仲間が交代で見張りをしているのです。仕事のジャマになるやつが入ってこないか、チェックしているのです。私は誰かに教えられていたわけでもないのにわかってしまっていました。特に客の来る夜がげんじゅうで、マンションの表のげんかんや、うら口には見張りが何人もいるのです。管理人さんもいたような気もするのですが、今となってはみんなグルだったとしかいいようがありません。
私たちやエマちゃんのように小さい女の子をはだかにして自分の好きなことをしたいお客さんのために、みんながはたらいていたのです。なぜそういう仕事があるのですか? なぜそんな仕事をしないといけないのですか?
私はふつうに学校へ行って、ふつうにくらしたかった。しせつの先生たちも「幸せになるのよ」といって見送ってくれたのです。私はこれが幸せだとはとても思えませんでした。どうしてもにげたかったら、死ぬしかないのです。死ぬってどんなのだろうか、でも私はまだ死にたくはありませんでした。私が死んだり逃げたりしたら、マコちゃんがもっとひどい目にあうでしょう。おとなりのエマちゃんだってどうなるかわかりません。私は、学校を休んだままのマコちゃんが心配でした。
マンションの部屋に戻ると、ちょうどママも帰ってきていました。そしてマコちゃんをしんさつしてやるから、といってハダカにしていました。私はマコちゃんのおしっこをするところをママと見ました。おしっこをするところやうんちをするところは、だいじなところです。そのまんなかにぱっくりと大きな穴があいていて、黄色のしるが出ていました。においもくさいし、あちこちに赤いブツブツがでていました。ママがいいました。
「アタリが悪かったな、マコは性病にかかってしまった。コワされる時期が早すぎら、かわいそうに。これでは売り物にはなれないな」
ママはお医者さんからもらってきたといって、マコちゃんにバイ菌を殺す薬をその場でのませました。するとマコちゃんはひどい下痢になって水のようなうんちをたれながしにしてしまいました。結局マコちゃんは学校を一週間休みました。どうしても立ち上がれなくなったのです。目がおちくぼんで顔が黒くなっていました。おしっこもうんちも垂れ流しになっていました。この時にはもうお父さんとも口を聞かなくなりました。そしてお父さんの作ってくれるご飯も食べたくなくなりました。お父さんは一回だけ自分の方から私にしつもんをしました。
「今日のサカナはとても上手にやけたけど、やっぱり今日も食べてくれないのかな」
「……」
私はだまって下を向きました。ご飯は給食の時はみんなといっしょで楽しく食べられるけど、マンションのこの部屋ではごはんやおやつを食べてもおいしくないのです。まるで紙や砂をたべているような感じで味もしません。ぜんぜんおいしくないのです。すぐにママがキッチンに入ってきて、片足をたかくあげてお父さんの背中をけりました。
「お前、子どもに何を質問してやがる。このコがお前のごはんをよろこんで食べるかと思うのか? え? 今のマコの状態をしっているだろ? このコらが働けなきゃ、お前の借金は減らないし、どうなるかわかっているくせに、自分の焼いたサカナを食べろたあ、どういうシンケイしてんだ、ええっ?」
ママはお父さんの背中を何度も何度もけりました。ママはとてもいらいらしていました。
「お前も私の父親とドウルイさ、死ね、このクズが」
お父さんはキッチンの床に横になりました。横になったお父さんをママがちからいっぱい何度もふみつけていました。お父さんは頭をかばいながらも、そのままけったりふまれたりしていました。となりにいたお兄さんたちが音を聞きつけたのか部屋に入ってきました。
お兄さんたちはお父さんを助けることなく、だまって見ていました。床から血がでてきます。お父さんの鼻血でした。黄色いかみのお兄ちゃんがお父さんの横にきてしゃがんで言いました。
「おい、おっさん聞こえているか? あんたのかわいい双子のうち一人は壊れそうだしな、もうすぐここから追い出されるかもよ? へへっ」
お父さんはだまってじっとしていました。ママはまだお父さんの背中をふみつけたままでした。お兄さんはしゃがんだまま、煙草に火をつけて吸いました。その姿勢で私を見上げていいました。
「ミコちゃん、あんたは何も心配しなくていいさ。あんたは客の女神さ。だからあんたは心配しなくていいさ。俺たちのような優秀なガードマンがいる。あんたは追い出さないよ、へへっ」
私はそのお兄さんに話しかけました。
「マコちゃんは?」
「病気は治したらいいのさ」
「今お兄ちゃんはマコちゃんのこと壊れそうっていったよ、ちゃんと治してやってよ。マコちゃんのこと壊すと私は仕事しないよ、それから許さないよ、わかった?」
お兄ちゃんは煙草をくわえたまま目を丸くしました。
「ほおっ」
私はだまって前につがれたジュースを飲みました。ママがお父さんを蹴るのをやめて感心したように言いました。
「ミコ、お前にはヘンな度胸があるな?」
みんな何を言っているのか、私にはどうでもいいことでした。私はマコちゃんをつれてしせつにもどりたいと思いました。
学校には電話でマコちゃんは肺炎にかかったので遠くの大きい病院に入院させているといったようです。田村先生は心配だからおみまいにいくといいました。私はママにいわれたとおりのことをいって、ことわりました。
「マコちゃんはもとから身体が弱いので、もっと大きい病院につれていって精密検査してもらうそうです」
「そうなの? 前から顔色が悪いとはおもっていたけどそんなに悪かったのね? 入学式の時は元気いっぱいだったのにね?」
「はい……」
私はどういっていいのかわからずに、下をむきました。すると涙が出てきました。田村先生はやさしく私の頭をなでてくれました。
「ミコちゃん、さみしいね。でもマコちゃんの分まで、べんきょうもがんばろうね」
「はい……」
先生は何もしらないでいっているのです。私はマコちゃんの分まで、べんきょうではなく、客を取らないといけないのです。双子で売り出せなくなってママやお兄ちゃんたちはあせっていました。お父さんの借金を肩代わりしていたらしいのですが、思うようにお金が儲からなくなってきたのです。私一人でしか仕事ができなくなったからです。
毎日お父さんはママたちからなぐったりけられたりしていて、だんだん傷が増えてきました。お父さんはもう魚もやけなくなっていて、キッチンのすみっこでじっとしているだけでした。
私は毎日一人か二人ずつだけだったのに、三人も四人も客を取らされるようになりました。マコちゃんは寝てばかりいました。私が帰ってきたときだけ、笑ってくれました。私は学校がおわると客が待っているのはわかっているので、学校にある大きな木の葉っぱやマンションの花壇の前に咲いているお花をとったりしてマコちゃんにおみやげだよ、と渡してやり、大急ぎでシャワーを浴びて、となりの部屋に行きました。それが十日ほど続いたでしょうか。ある時、集団下校するときいつものように列を作っていると、同じクラスのひとみちゃんが「ミコちゃん」と話しかけてくれました。
「うちの家に一度も来たことがないでしょう? お母さんがミコちゃんを見たいって、つれておいでっていうの。あそびにきてくれる?」
私は断りました。
「ママに怒られるからだめなの」
するとひとみちゃんのお兄ちゃんで、六年生のまもるくんが言いました。
「家に新しい子猫がきたよ。遊びにおいでよ」
すると列の最後にいたエマちゃんが怖い顔をして先頭のまもるくんのところまできていいました。
「ダメよ、この子のママは怖いのよ」
まもるくんはエマちゃんに言い返しました。
「なんだよ、五年生のくせに意見する気かよ、ぼくは班長で六年生だ」
すると、エマちゃんは私に言いました。
「ミコちゃん、わかっているね、寄り道はいけないって」
「うん、わかっている。まもるくん、ひとみちゃん、私は行けないのでごめんね」
私は自分のすべきことをわかっていました。
クラスのみんなは放課後や、日曜日にまもるくんとひとみちゃんの家に遊びに行きます。そこには子猫どころか小さいとかげやワニまでいて動物園のようだって聞いています。大きい家なので雨がふってもドッヂボールをして遊べるとも。学校ではまもるくんとひとみちゃんは有名だったのです。だけどどんなに誘われても、私には仕事があるので行けません。
「私が帰ってこないとみんなが困るしね、だいじょうぶだよ」と返事してバイバイしました。
エマちゃんは同じマンションだから一緒でしたけどエレベーターに入ると怒っているかのように「ああいう言い方はマズイよ?」と注意しました。
私たちは学校ではあれから話をしたことはありません。だけどエレベーターの中で仕事の話をするようになりました。二人きり、最上階まで二十秒ぐらい? その短い時間だけ話をします。エマちゃんはよく客からいじめられているので、内容を覚えてないという私がうらやましいと言いました。この日は、いつもと違う内容になりました。私はさっきのまもるくんたちとの会話には触れずに「今日は四人だって」と言いました。エマちゃんは間髪いれずに返事しました。
「私は、昨日は五人。今日も五人だよ、でもあんたより年上だから値段が安いし。これだけ働いても借金が減らないとオヤジは殴るし……。私、もうちょっとしたら逃げるよ」
私は驚いて聞きました。
「エマちゃん、いなくなっちゃうの?」
「どこに逃げてもムダかもしれないけど、やるだけはやってみるかと思う」
エレベーターは最上階についてしまいました。ドアが開きました。エレベーターの音が聞こえたのか、見張りのお兄ちゃんが「お帰り、さあランドセルを置いてシャワー浴びて着替えて」と言いました。
私とエマちゃんは左右にぱっとわかれて待機の部屋に向かいました。部屋に入って着替えながらマコちゃんの顔を見ましたが寝ていました。ママはいませんでした。お父さんはキッチンで朝から晩までうずくまっていました。ママはこの頃来るのが遅いのです。やっと来たかと思うと、携帯電話で誰かとしゃべりっぱなしです。私におにぎりやからあげのパック、それとジュースを渡すと「またね」と帰って行くのです。ここはママのおうちではないのです。最初はママのことが大好きで、ママが身体をやさしく洗ってくれたりするのでがんばれました。だけどもうだめだ、と思うようになってきました。私はまだ病気をもらっていません。エマちゃんもまだです。でも前いた子供はすぐ病気になってどこかへやられてしまったそうです。だから私たちだって、いつどうなるかわかりません。マコちゃんは最初から病気のお客さんから病気をもらってしまいました。私は運がよかったのです。
学校から帰ると前の夜にママから渡されたふくろの中のおにぎりをさがします。それから、マコちゃんの部屋へいって食べます。自分でシャワーをあびて、客がいるとなりのへやへ行く。
受付には二人のお兄ちゃんがいます。私のことを「おもちゃ」といっていました。それだけです。ママはいないし、いてもやさしい言葉をかけてもらえず、私はどうしてよいかわかりません。だけどお客さんに対しては、私がお客さんのいうとおりのことをするとやさしくしてくれるのはわかるので、いうとおりのことをしました。終わるとお客さんは帰り、お兄ちゃんがやってきて「よくやった、マコの分までよくやった」と頭をなでてくれます。だから続けられたのだと思います。