第二話
「さあ、着いたわよ、マコちゃん、ミコちゃん起きて」
ママがおこしてくれました。するともうそこはおうちになっていました。
私たちは、ふかふかのおふとんに寝かされていました。寝ているあいだに東京のおうちについたのです。引っ越しも寝ている間に、おわってしまったのです。私は目を丸くしました。
「もう東京についたの?」
ママはにっこり笑いました。甘いにおいのする、だけどちょっとくさいママ。マコちゃんも起きてきました。マコちゃんも目を丸くしています。ママは私たちの様子を見て、「あはは」 と笑ってばかりでした。私たちにむかって、私たちにだけに笑ってくれるのです。この人は、私たちだけのママなのです。私たちはうれしくなりました。
「わーい、ママ!」
「ママ! ママ!」
私たちは同時にママの首にしがみつきました。ママはびっくりした顔をしましたが、ぎゅっと抱きしめてくれました。
「ほんとにいいコたちだこと! ママはあんたたちのママになれてうれしいな! がんばるんだよ、あんたたちはここでがんばるんだよ」
「うん、ママ」
「ちょっとまわりをみてごらん」
「うん、このへやは?」
「きれいでしょ。ここがあんたたちの住む部屋だよ」
「ママもいっしょでしょ、お父さんもいっしょでしょ」
「そうね、私は外ではたらいているから夜には帰ってくる。お父さんとはずっといっしょだよ」
「ねえねえ、このへやにつくえがあるよ、もしかしてこれ私の?」
「ああ、そうだよ。ふたつあるだろ、来月からあんたたち小学校だから。そうだ、ランドセルも用意しなきゃな」
「おかい物に行くのね?」
「いや、用意させておくよ」
「おかい物は?」
「そのうちにな、いいコにしてりゃ外に連れていってやるさ」
「うん、ママありがと、ママだいすき」
「いいコたちだこと、私もだいすきさ。マコにミコ。しかし、よくにてるなあ、二人とも……。わたしは区別をつけるのが大変だとおもったよ」
「みんなそういうの」
「そう、みんなそういうの」
私たち三人で笑いあっているとトントンとノックの音がしました。それはお父さんでした。お父さんは、おどおどしていました。今から思えばこのママとママについているバックが怖かったにちがいありません。ママはお父さんに対しては、いつでも横柄な口のききかたをしました。
「何の用さ?」
お父さんは手を前に組みながら、ママにていねいに言いました。
「あのう、食事の用意ができましたが」
ママは私たちの方を見ました。
「じゃ、ごはんにしようか」
キッチンでの最初のごはんは、お父さんの手作りでした。お米のごはん、それと魚の焼いたもの。魚はまっかなしゃけの切り身でした。おとなりに緑のはっぱがあって、その上に大根おろしが小さく盛り付けられていました。それとましかくのたまごやきもありました。ふわふわのたまごやきです。私はあんなにおいしいたまごやきは食べたことはありません。お茶もありました。わたしたちがやけどをしないようにぬるめに入っていました。このお父さんは、わたしたちにごはんをあげる役目と、逃げないように見張りをする役目があったのです。
お父さんはご飯を食べている私たちを見つめます。それから初めてにこっと、笑いました。すると口の横のしわが深くなりましたが、やさしい顔になりました。ママが言いました。
「この人は魚をやくのがじょうずだよ、やっぱり昔おりょうりやで、修行していただけあるね」
「お父さんって、おりょうりする人なの?」
お父さんはにこにこしながら、だまってうなずきました。ママがお父さんを見て言いました。
「やっぱり親子だね。目元がよく似てら。皮肉なもんだな、あんたにこんなにかわいい双子がいるなんてさ。やっぱり世の中、くるってるよな」
お父さんは笑うのをやめ、私たちから目をそらしました。私はお父さんとママの会話の内容もわからず、きょとんとしていました。ママはやさしい声でいいました。
「さあ、ごはんが毎日食べられるよ。子供は、ほんとの親といっしょが一番だろ、よかったよな」
「うん」
私たちは、おなかいっぱい食べました。それから新しいおうちをたんけんしました。ママは私たちにちゅういしました。
「外にはでたらだめだ。家の中ならね、いいよ。どうせ学校には毎日行かせなきゃならないし、なれてきたら、どこへだって行かせてあげるから。いいね?」
「はあい」
お父さんだけが私たちに背を向けて、おさらをあらっていました。このお父さんは死ぬまでずっと、ママのいいなりでした……この人は最初から最後まで、ママのいうとおりにしか動きませんでした。
私はマコちゃんとしっかり手をつないで、最初はげんかんからたんけんしました。そしてみじかいけど、ろう下、すぐよこにトイレとおふろ。その向こうがわがキッチン、キッチンのすみっこに、小さくて低いイスがありました。そこがお父さんの居場所でした。
私たちの部屋が、一番広かったです。つくえが二個、おふとんが二組。おふとんはしせつのようにぺたんこではなくて、ふわっふわ。ふとんのはしに大きなクマのぬいぐるみが置いてあった。私たちは、ふくしまのしせつから一緒だったピンクのくまちゃんを並べました。
かべも、ピンク色だった。かべには、全身が映るような大きな鏡があった。鏡のまわりは彫刻になっていて、金属製の裸の女性が何人もポーズをとっている。女性たちは動けないはずなのに、胸を揺らして苦しいような楽しいような奇妙な表情を浮かべている。今から思えば私たちの部屋は、つくえとクマのぬいぐるみ以外は、子どもに不釣り合いだった。
クローゼットには、私たちの服がたくさん置いてあった。全部二組ずつ。色違いのものはなし。全く一緒のデザインの服だった。色はピンクが多く、その次が赤だった。
私たちは服を取り出した。それはとても楽しい作業だった。
「マコちゃん、きせかえごっこしよう」
「このピンクと赤のチェックのドレスがいいな」
「こっちは? あれえ、このスカート短いね、パンツ見えそうだよ」
「ズボンがないね、短いドレスばかりだね、足が見えちゃう」
「色はかわいいのばっかりよ、黒いのと茶色の服が一つもないね」
「おなじ服が二つずつあるね?」
「私たちがずっとなかよしでいるように、そろえてくれたのね」
私たちはクローゼットを閉めました。そして今度は、部屋から通じるベランダに出ました。
ベランダに出るとまわりはマンションばかりでした。ベランダに出てはじめて私たちのいる場所が、マンションの最上階ということがわかりました。山はどこにも、みえませんでした。風がつよくふいていて、びゅうびゅういっていました。はるか下を見おろすと駐車場がありました。車がいっぱいとまっています。
「ミコちゃん、さむいよ。中に入ろうよ」
「そうだね、マコちゃん。外にはまだ出たらいけないっていわれているしね、ママにおこられてしまう」
私たちが中にもどろうとしたときに「こんにちは」 という声がしました。となりのベランダからでした。女の子の声でした。ベランダにはついたてがあって、となりどうしが見えないようになっていました。だあれ? と聞くと「おとなりのエマです」 と返事がありました。私たちは顔をみあわせて笑いました。今まで同じ年ぐらいの子どもといっしょにくらしていたのに、急に私たちだけになって、さみしかったのかもしれません。マコちゃんが言いました。
「エマちゃん、すがたを見せて?」
すぐに返事がきました。
「ちょっと待ってね、このついたてをたたむから」
ついたてはじゃばらになっていて、おりたためました。ゆっくりと女の子の顔がみえてきました。私たちよりもずっと背の高い女の子です。エマちゃんは、私たちを見て目を丸くしました。
「ふたごなのね? すごい」
それからエマちゃんのすがたがぜんぶ見えるようになりました。まだ寒いのに半袖で短いスカートをはいていました。足がすらりとして長くてかっこいいと思いました。エマちゃんが言いました。
「新しくきたのね」
マコちゃんが私より先に返事しました。
「エマちゃん、私は田中マコよ」
「あっ、私が先に話そうとしたのに、エマちゃん、私は田中ミコよ」
エマちゃんが笑いました。
「ほんと、そっくりね。見わけがつかないくらいよ」
するとマコちゃんが私をおしのけて、エマちゃんに話しかけました。
「みんなそういうの。でも私のほうがお姉さんなの。左目の下にほくろがあるのが私、マコよ。ほくろがないのが、妹のミコ」
私もお返しにマコちゃんを押しのけて、前に出てエマちゃんに話しかけました。
「うふふ、そうだよ。ほくろがないのが私、ミコ。それからイーってして歯を出したらマコちゃんよりちょっとだけ口が大きいのよ。それとね、そっくりといっても似てないところもあるよ。私はでんぐりがえりがとくい。だけど、マコちゃんはでんぐりがえりができないよ」
マコちゃんが怒りました。
「ミコちゃんったら何を言うのよ。私はウィンクが上手だけど、ミコちゃんはぜんぜんできません。エマちゃん、私の方がすごいでしょ」
マコちゃんはエマちゃんに向かって、ウィンクしました。エマちゃんは小さく拍手しました。私も負けまいとでんぐりがえりをしたかったのですが、ベランダが狭くてできません。私は小さくふくれて、腕組みをしました。
エマちゃんは、そっとついたてをのりこえて、べランダの柵ぎりぎりまでやってきました。でもベランダの足元には空間がひろがり、少しでも足をすべらせて落ちてしまったら、死んでしまうでしょう。それでもエマちゃんは、ベランダぎりぎりまで体をよせてきました。足の方がコンクリートのかべにさえぎられて見えなくなりました。そのかわり顔がはっきり見えました。目がおおきくて美人だと思いました。それからお洋服も。今から思えば子供の服にしてはカッティングにこっていて、肩がぐっとでているちょっとかわった服でした。ちいさいお花のもようがついていました。
「そんな服でさむくないの」
「平気よ、さむくても私はベランダに出るのがすきなの。ここが一番いいの」
「ふうん」
「ところであんたたちいくつなの?」
「六つよ。来月から小学生」
「ふーん、私はもうすぐ十一歳で五年生になるの。たぶんいっしょの学校になるとおもうよ」
「おひっこしも楽しかったし、学校もきっとたのしいね」
「ひっこし、楽しかったの? ほんと?」
「うん、だって新しいお父さんとママができたし」
「それ、どういうことなの? あんたたち、ここが何をするところか知っているの?」
「エマ!」
そこへ大きい声がしました。エマがびくっとしました。私はベランダごしに、がたがたと身体をふるわしているエマちゃんを見ました。大きいおじさんが出て来て、エマちゃんの髪をいきなりつかみました。
「ぎゃあ、ごめんなさい」
「こいつ。外に出るなって」
私は思わず大声をだしました。
「おじさんやめて」
おじさんの動きが止まりました。エマちゃんのお父さんでしょう。エマちゃんの髪の毛をつかんだまま、私たちをじっと見ました。やがて声を低くして私たちに話しかけました。
「今度は双子か」
それからエマの髪の毛を放して「行け」といってエマちゃんを部屋の中に入れました。それからおじさんがついたてをのばして、こっちがわが見えないように立てました。最初から最後まで黙って。それから、ばしっという音がしました。ベランダの戸が音をたてて締められたのです。私たちは肩をよせあったまま、じっとしていました。エマちゃん……かわいそうに。エマちゃんもお父さんになぐられる子どもなのかなあ?
私たちは忘れかけていたふくしのしせつを思い出しました。そこには、本当のお父さんやお母さんにたたかれたりけられたりしていた子どもがたくさんいました。私たちはどうだったのだろうか? 気がついたらしせつにいたよね? 私たちがしせつにいたあいだ、今までお父さんやママはどこにいたのだろう。でも私たちにはむかえがきた。東京にひっこした。だけどあのエマちゃんは……。ここからは山が見えずマンションばかり。花だんのチューリップもありません。鳥の鳴き声も聞こえません。もうここはしせつではないのです。私たちはお父さんに「ごはんだよ」と呼ばれるまでベランダにじっと立っていました。