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62 過去にうずもれて

「……お嬢ちゃんの産まれた場所は、随分と小麦畑が綺麗だった」


 話はそうやって始まった。


「住人と言えるのは三十人かそこら、ほぼ自給自足で成り立っていた村だ。そんな訳だから……お嬢ちゃんが産まれても、大した問題にはならなかったんだな」


 始まったときから、言いようのない影が付きまとっていた。


「――――お嬢ちゃんは、種族としては間違いなくアニマリアに属する。けど、その親が必ずしもアニマリアである訳じゃないんだ」


「アニマリアじゃない、と言うと……」


 疑問の体ではあるが、答えはそれとなく分かっていた。


「……噂でしか聞いたことは無いが、有り得ないことではないらしいな」


 ガルシアの代わりに、ミリアスが口を出した。


「ヒューマリアの中で、人類のみが二種族を生むことがあるとか。親が純粋な人間であろうとも、アニマリアや他のヒューマリアの特徴を持った子が出来ることがあるらしいが……」


「俺達にとっちゃ、お嬢ちゃんが何よりの証左だ。国籍も――――決める必要は無いが『皇国人』ってなるんだな」


「そうか……イリアは十五だったか。もう皇国の前身が出来上がっている頃だ」


 ルダウ皇国。人間のための国家。

 僕が話に付いてこれているかを一目見て確かめた後、ガルシアは続ける。


「これまでだったら、大した問題じゃなかったんだ。アニマリア、ヒューマリアが産まれたとしても、耳とか尻尾とか、そんなところまでだったからな。まとめて『人類』って括りにされて、同じように差別されてた……んだが……なぁ」


「確か、『純血活動』だったか? 和平後の交流で耳にしたことがある」


「そうそう、それだ」


 ミリアスから物騒な言葉が放たれた直後、店内の空気が少し強張った気がした。


「人類が多数派の土地であった活動、迫害の逆転……助けようとしたり、活動そのものに反対した人間までも対象にされてたからなぁ」


「後続を作らないための見せしめだ。二世代前が作ったような、団結のために強いる犠牲」


 二人の会話から想起するのは、中世の魔女裁判だ。

 そんな状況で、異種族の子を産んだ家族となれば……格好の材料に他ならない。


「そんな情勢でもお嬢ちゃんが死なずに済んだのは、そこが辺鄙なドの付く田舎だったからだ。純血活動も流された血も、遙か遠い世界の出来事でしかなかった。ネコ耳があろうと、小さくて可愛い子供に変わりはなかったんだな」


「……その頃は、幸せだったんだろうか」


「俺が見てきたわけじゃない。でも……覚えちゃいないだろうな」


 覚えていない方が幸せだ、とガルシアはぼやいた。


「事が変わったのが、二歳かそこらの頃だ。活動を活性化させるために、懸賞金の制度が出来上がったんだ。潜伏しているアニマリアやヒューマリア、彼等に幇助している人物、そいつらを軍部に報告すれば、そこそこの額が貰えるって算段だ」


 誰しも欲深いものだろうか、報告の件数も検挙の成功率も、ぐんと上がったらしい。


「……まぁ、こういう場合、私怨で密告されることも多かったんだろうがな。それでも成功してるってなるのは、二大種族への恨みがどれだけ深かったか、団結力が元からあったかって話になるんかね」


 ガルシアがミリアスを見て言うのは、王政区で王へ語ったものと同じ事柄だろうか。

 どちらの眼差しも、酒が入っているとは思えないほどに真剣だった。


「……その時のお嬢ちゃんは、両親と祖父の四人家族だった。親はどっちも農作業に精を出してて、祖父は軍隊に入っていた」


 四杯目を注ぎながら語る。最初に知ったのは、軍に勤めていた祖父だったらしい。

 アルコールを燃料にして語っているかのように、かなりの頻度でグラスに口を付けていた。


「友人伝いか、どこからか……故郷に小規模の捜査隊が来ると耳にしたんだ。爺さんが確信を持つまでに、三人の同期と、一人の上官に尋ねた。それぐらいに信じられなかったんだろうなぁ」


 訊いたときには到着そのものも明日に迫っていて、やれることは少なかった。

 上官に頼み込んで、その部隊に編入させて貰うこと、文通に使っていた伝書鳩でこっそりと家族へ伝えたり。どれもこれもかなりの賭けだった。怪しまれれば終わりで、自身の身も家族も……最悪、村そのものが消える可能性すらあった。


「やれることは全部やった、部隊が到着する前に鳩も着いているはずだった」


「……はずだった、か」


「あぁ、生憎の悪天候、大きな嵐があったんだよ。捜査隊も多少は遅れたんだが、家族の元に何時着いたのかは知らん」


 祖父は信じていた。三人とも、もうとっくに逃げ出しているだろうと。

 自分が着く頃にはもぬけの殻で、処刑されるとしても自分だけだろうと。


「……そうはいかなかった。計画なんて七割が通れば上々なんだ」


 ガルシアの口が重くなっていく。伝えるのを渋るかのように、グラスの液体を口の中で転がしていた。


「入り口で待ってた人影があった。そいつは産婆で……お嬢ちゃんがアニマリアだって最初に知った一人だった。たった数日、村の外で贅沢できるかどうかの金に、何もかもを危険に晒した大馬鹿だ。おいミリィ、良いから飲ませろ」


 素面で語れるか、とミリアスの手を振り払おうとしていた。

 握られた瓶の中身は、もう三割も残っていなかった。


「度が過ぎるぞ。身体を労れ」


 ミリアスが窘める。その顔は――――元から顔に出ない人物であるのだが――――酷く心配げに見えた。


 彼の説得に折れたのか、彼はリンゴジュースの瓶に鞍替えした。


「…………爺さん含めて、部隊は七名。不意打ちで一人を殺したところまでは良かったが……民間人と訓練を受けた兵士じゃ、たかが知れてたわけだ」


 残っていたのは、母親――――祖父の娘だったらしい。

 逃げるにしても、皇国の勢力圏内では生きていけない。二歳の子を連れて、少なくても数十キロ以上の逃避行。時間を稼ぐことを考えると、夫に託すのは妥当な判断に違いはないだろう。


 その判断が、父親に残酷な選択肢を選ばせることになった。


「ここの出身だとは知られていたが、捕らえた女が家族だというのは誰も知らなかった。彼女が何を考えていたかは分からないが……自分の親を救おうとしたのか、恨めしかったのか、爺さんに尋常じゃない怒りをぶつけてきたんだ」


 決して、親だと勘付かれるような言い方はしなかった。

 処刑されるのは自分だけで良いと、そう思っていたのかも知れない。


「……親子の絆、なのかな」


 僕には計り知れない感情のやり取りだろう。

 あの時、血塗れで帰ってきた僕を迎えた母さん。親というものは、子を守るためならどんな選択肢も受け入れてしまうものなのだろうか。


「親は子に生きていて欲しいもので、爺さんにも、母さんにも当て嵌まるからな」


 それが、祖父が直面した選択だった。

 自身にとって掛け替えのない娘の命と、その娘が何より守りたい孫と。


「……どんな気分だったんだろうな、クソみたいな選択を迫られるのって」


「ガルシア」


 さり気なく瓶を入れ替えたのを、ミリアスは見逃さなかった。


「頼む、呑ませてくれ。なまじ知らなきゃここまで潰れたくならねぇんだよ……」


 もう腕を取らない辺り、彼も理解はしているのだろう。

 自分のグラスに最後まで注ぎきると、空になっていた僕のグラスにも先程と同じミックスを作ってくれた……先程よりもオリジナルの比率が高い気がするし、彼の手が緩やかに震えているのが気になったが。


「……それでだ、爺さんは決めたんだよ。決めたんだ」


 自らの娘を赤の他人に連れ去らせて、自分は捜索に当たった。

 遠くに逃げていることを信じて、近場から徹底的に、時間を掛けて捜索させたのだという。まだ隠れているはずだと言って、そうでないことを祈りながら。


「どうなったかってのは……お嬢ちゃんが生きてるのが証拠だな。何処をどう逃げたのかは今も分からない、ってのが、上手くいった根拠になる」


 ガルシアと一緒に、グラスの中身を飲み干す。

 喉元がほんわりと温かくなってきた。


「そのこと、イリアは……」


「覚えてない、覚えていてほしくないもんだ……そうだ、忘れちまえば良い」


 出来上がってきたのか、呼吸が深くなっている。

 こういうときのミリアスは呆れそうなものだが、今回は深刻そうに俯いていた。


「……村に二人がやって来たとき、見ていられないほどに衰弱しきっていた。まだ十二の子供だったが、その時の光景は今も思い返せる」


 ミリアスが話題を受け持った。


「父親も子も……イリアも、綺麗なところがひとつも残っていない姿で、いつ息が途絶えても可笑しくない状態だった。その晩に、あの二人をどうするか大人に訊いたんだ……」


 その時にはもう、親の方は口も利けなくなっていたらしい。

 ボロボロの姿でやって来た人間の親に、微かな血のアニマリア。父親の願いが聞き届けられ、イリアが育てられたのは、シナ村もまた辺境の閉鎖空間だったからだと言う。


「クソみたいなド田舎がお嬢ちゃんを生かしてきた……自分たちの暮らす世界が全てで、外の世界で暮らす奴は、どんな外見でも余所者。向ける警戒や偏見は平等だ」


「……十三年。もう十三年も経ってしまうのか」


 ミリアスもまた、軽く酔おうとしていた。

 ガルシアほどに羽目は外していないが、これまでの彼の印象から外れ、随分口を開くようになっている。


「その時のトラウマが、今のイリアの?」


「いんや。言っただろ……覚えてなきゃいいって」


 僕が確かめると、ガルシアがすぐさま否定した。


「まだ……あるのか。まだ……」


「んだよ、まだあるんだ……クソ」


 もう止せば良いのに、彼はぐいとグラスを傾ける。

 よほどに話し辛い出来事なのか、彼自身も思い出したくないほどのものなのか。


「――――六年、六年前だ。六年前だったか? 七年か? ミリィ?」


「まだ六年だ。いや、もう六年か……」


「んだよ、お前だって思いもしてなかっただろ? あん時に、こーんなことに付き合わされる羽目になるなんてよぉ……」


「運命は物好き、か。お前が好きそうな言い回しだ」


 ガルシアもミリアスも、どこか行き違いが起きているような応答だった。


「……ガルシア、大丈夫か?」


「んにゃ、大丈夫だ、カズ。お前ほど呑んでねぇし……」


「僕?」思わず聞き返した。


 応えずにガルシアがのっそりと取ったのは、オリジナル・マムだった。それを自らのグラスに注いで、僕に作ったものと同様の飲み物をまた煽った。


「あぁ、こっちの方が飲みやすいわ。こっちならお嬢ちゃんでも程よく酔えるんじゃ……」


「ガルシア、話は途中だろう? 潰れるのはそれからにしてだな……」


 ミリアスがとうとう取り上げるが、ガルシアに反抗するほどの元気はなかった。

 彼がぼやいた内容が内容だけに、僕は自らのグラスを見つめる羽目になっていた。


 僕は酔っているのだろうか?


「で、六年前だっけなぁ。あの村にもう一人……お嬢ちゃんとよぉく似た奴が来たんだ」


「似た奴?」


「そうそう……違うのは耳だけで、ひとりぼっちで、実のところ寂しがりで、周りから疎まれることが多くて……似たもの同士だ、分かるだろ?」


「……人間」


「まぁ……んだな、ギフテッドも人間だ。人間……」


 ガルシアの呼吸はますます深くなり、話も途切れ途切れ、ゆっくりになっていった。

 酔いだけでなく――――何かしらの懐古や、悔恨がそうしているようだった。


「一月もしなかった……すっかり仲良しになって、ずっと一緒に居て、お嬢ちゃんにとっての初めての友達で、家族みたいで……笑うようになって…………」


 つく溜息は、何から起きたのだろう。

 見せる眼差しも、緩んだ口元も、様々な感情が渦巻いていて読み取れない。


「……それで、最期は?」


 その言い方では、幸せな終わり方もないだろう。

 その事実は――――イリアだけでなく、彼をここまで苦しめるものなのだろうか。



 僕の問いから、店内は何もかもが止まった。

 もう飲み物は消えていた。割るための水すら、主にガルシアが飲み干してしまった。


「――――その頃はまだ戦争の最中にあった。『自由と権利を』と言いながら、皇国軍の侵攻が続いていた」


 ミリアスが代わりに続ける。彼の声色も暗い。


「兵士は元より、民間人も歯牙に掛けられた。占領された市街の道には……二種族の死体が吊されていない方が珍しかった程だ」


「お前も見ただろ、シナ村のあれ……前の戦争じゃあ、どの街もあんな光景になってたんだ」


 ガルシアが机に突っ伏した。顔をこちらに回し、その目は据わりきっていた。


 彼が言う景色は容易に思い出せた。

 死体の山、その上に座る人間。生と死が濃密に絡み合った臭い。


「当時のシナ村も、あの時のような目に遭う可能性があった」


「ならなかったのは……その屑共がいい気になってて、ミリィと……そいつが村に居たからだ」


「騎士は漏れなく負傷していた。後方に報告されていたら……ここには誰も居ないだろう」


 大馬鹿野郎の糞野郎に感謝だ、とガルシアが乱暴に空のグラスを掲げた。

 ミリアスはいい顔をしなかったが、ここで彼を窘められる人物はもう居ない。


 続きを尋ねると、話し手はガルシアに戻った。


「人数は六人だった。そんな人数で村を襲おうって思えたのは、持ってた銃器のせいだ」


 銃は全てを平等にする。持っている者にのみ。

 彼等は日暮れを待ってから村に入り込むことにして――――企みは上手くいった。訓練を積んで、銃に精通した職業軍人に――――肉体的に有利だったとしても――――民間人が出来ることなどたかが知れていた。


「誰が死んだか、翌朝にならなくても分かる。男も女も、子供だろうと……大した平等主義者で、隠れようと逃げようと差別しなかった。泣こうと叫ぼうと、あいつらは笑ってて……クソみたいな日だった。クソ……クソッ!!」


 ダムが決壊するが如く、あらん限りの勢いでグラスが叩き付けられた。


「あいつらだ! あいつらが来なけりゃあ、こんな面倒なことにもならなかったんだ!!」


 砕けた欠片が幾つも突き抜けた拳を、微かに凹んだ机に何度も叩き付けた。


「お嬢ちゃんも、お前も、あの爺さんだって! 誰も苦しまずに済んだんだ!」


 自らの血がそこかしこに飛び散ろうと、彼は構いやしなかった。


「クソみたいな目に、あんな目に遭わずに済んだ! たった六人のせいで、一体何万人を殺し回る羽目になったと思う! どれだけの家族をぶっ殺して、あいつらの同類に成り下がったと思う! このォ……ッ!!」


 ぐっしょりと濡れた拳がより一層振り上げられた瞬間、ミリアスがその手を止めた。


「……言えた義理じゃないが、落ち着け」


 息を荒くして、何をしても可笑しくないガルシアに、冷酷すぎるほどに落ち着いた声で窘める。


「俺も側に居た、お前の気持ちは分かっているつもりだ。だろう?」


「…………」


 二人の間に張り詰めた空気に、僕が出せる声はなかった。

 直接的に言わずとも、彼の荒れようで察せない訳がない。


「……わぁってるよ、この、ウスラトンカチの朴念仁……わぁってるけどよ……」


 十三滴分の血溜まりが窪みに出来上がった頃、ミリアスの手が彼から離れた。

 ガラス片と自らの血が反射する手を見つめながら、同じぐらいに瞳が橙色の光源を溜め込んでいた。


「なら、どうしてこんなに苦しまなきゃならないんだ? カズも、お嬢ちゃんも、お嬢ちゃんの親も、あの爺さんも……ミリィ、お前だってそうだ。どうして何も悪くない奴が、お嬢ちゃんの家族みんな、ここまで辛い目に遭わなきゃあ……」


 開かれた手がまた握られ、静かに机の上へ置かれた。

 一筋の血が血溜まりに合流し、その周辺に透明な水滴が落とされる。


「――――――――庇ったんだよ」


 初めて見る彼を見続けていると、堪えきれなくなったように漏らした。


「庇って死んだんだ、押し入ってきた奴とお嬢ちゃんの間に入って……あの時みたいに殺しに向かって……二発。俺は助けようと思ったんだ、助けようとして……間に合わなくて――――」


 抑えていた声が、混じって漏れてくる。

 彼が泣く姿に、僕は言葉を失っていた。


 そんな僕へ、ガルシアは縋ってきた。


「――――許してくれ、本当に助けたかったんだ、本当に――――」


「ガルシア……どうして僕に?」


「あぁ、いや、いいんだ……いいんだ。分からなくていいんだ……」


 僕を汚すまいと、血の滴る右手を引きながら、何度も何度も謝り続けていた。

 僕に向かって繰り返されるその謝罪は、彼の懺悔は誰に向けられたものなのだろう。



 酒を入れてしまったからか、頭が上手く回らなかった。



「…………はぁ。悪いな。こんな癇癪起こすのは久しぶりだ……深酒はダメだな、うん」


 数度の深い深呼吸を最後に、ガルシアは僕から離れた。

 先程の大声は店内中に響き渡ったであろうが、見える限りの客で苦言を漏らしそうな人相は見えなかった。迷惑そうであったが、同情の色もちらほら見えていた。


「……あぁ、そうだ。忘れるところだった……」


 疲労したのか、理性が戻るにつれて口調がゆっくりとぼやけてきた。

 感情が渦巻いていた瞳は、半分ほど覆い隠されていた。


「これは?」


 無事な方の手で取りだしたのは、同じ形をした二つのロケットだった。

 何の装飾も施されていないが、どこか見覚えがあるものだった。


「シナ村でな、お嬢ちゃん……持っていかなかったんだな」


 忘れていったのか、忘れたかったからなのか。とガルシアはぎこちなく笑った。

 それで確信する。最初の日、盗品から掻き集めた品々。


 一つを手に取り、仕掛けを見つけ、中身を見る。


 幸せそうな人間の夫婦、髪が猫の耳のように跳ねて見える、小さな赤ん坊。

 だがしかし、古びたロケットの中では見たことのない人物が、寄り添って笑顔を作っていた。


 もう一つを開いてみる。夫婦と子供だけが映っていた。

 同じ外見のロケット、一人を除いて同一人物が写っている写真。


「……これって…………」


「あぁ、ダラウ・シャール――――」


 もう一度、その人物をじっくりと見つめる。

 聡明そうで、穏やかで、じっと僕を見据えている。



 重なる記憶があった。孤独に染まりきった瞳、悔恨を懺悔する口元。

 重ねられた死体に座り、あの時に視線を落としていたもの。



『……済まない、済まない。こんな父親で、祖父で、本当に済まない……』



 記憶の中で、彼が漏らす。

 記憶の中で、僕が一歩前に踏み出した。






「――――考えるな。カズ、絶対に気を病むな」


 ゆらゆらと力なく、僕を揺する腕があった。


「お前は救ったんだよ。奪ったわけじゃない……ずっと苦しんでいたんだ」


 今にも意識を手放しそうな様子だった。

 それでも、僕を想って言ってくれていることは、何よりも僕の記憶を裏付けた。



 ダラウ。それがイリアの祖父の名前。孫の命を救うために、何よりも大切なものを犠牲にした、誰よりも報われるべき人物。


 シャール。それがイリアの姓。もう一人しか残っていない、家族の姓。

 あの時点で、イリアにはまだ家族が残っていた。血の繋がりがある、正真正銘の家族が。誰よりも生きていることを望み、願い、祈っていてくれたであろう、最後の家族。




 僕が殺した。

 誰よりもイリアを愛し、守ろうとしていた人を――――あんな残酷な方法で。


「カズ、お前の考えてること、よーく分かるぞ……」


 ガルシアの声が聞こえる。僕は添えられた彼の右手を、真っ赤に染まった手を見ている。


 僕の手を見る。この手がどれだけ汚れているのか、僕自身が何より知っていると思っていた。




 こんな手で、イリアに触れて良いのか?

 あんなことをしておいて、彼女の側に居る権利があるのか?



 僕が何よりも価値があると思っていたものを、今、何よりも大切な人から奪っておいて――――許されるとでも?



「ッ……」


 ぐいと、僕の身体が引き寄せられた。

 右肩にガラス片が押し込まれるのが分かり、上半身が包まれているのを知覚した。


「忘れんじゃ……ねぇぞ……」


 ガルシアが耳元で囁く。僕を拘束する力は僅かで、しかし僕は抜け出せなかった。


「お嬢ちゃんは、なんにも、知らないんだ……良いか? お嬢ちゃんにとって、お前が……お前だけが……たったひとりの…………」


「………………」


「カズ、もう、悲しませ――――――――」


 最後の一節は、長い吐息に変わってしまった。

 しばらくの間、僕はガルシアに抱き寄せられたままだった。



「…………あの時から、ずっと黙っていたんだな。俺達にも知らせずに」


 ミリアスが席を立ち、此方側の席にやってくる。

 その瞳はどこまでも静かで、深く思えた。


「先に帰っていてくれ。こいつを抱えてとなると時間がかかるだろうからな」


 どうにか座席から引っ張り出したガルシアに肩を貸しつつ、ミリアスが言ってくれる。が、今一人になりたくなかった――――どうしてそう思ったのかは、酔っている今の僕に考えられたものじゃないだろう。


「いえ、一緒に連れて帰りましょう」


「……そうか、ならば共に帰ろう」


 ガルシアを一度僕に預けて、机の中央に数枚の銀貨の塔と――――ガルシアが座っていた場所にあった金貨を一緒に置いた。


「騒がしくして申し訳なかった。足りるかは分からないが、居る客に一杯ずつ渡して欲しい」


 去りがてらに店員に伝え、三人足並みを揃えて店を後にした。



















 街灯の作る影が、僕らを追い抜いていく。


「ミリアスさん」


「なんだ、カズマサ」


 僕とミリアスには十数センチの身長差があり、抱えられたガルシアは踊りかけの操り人形の様相を見せていた。すれ違った人々の視線を無視できたのは、全員が酔っているからだろう。


「ガルシアは……ずっとイリアの近くに居たんですか?」


 彼が語った過去のこと。強かな彼が、これほどまでに取り乱したこと。

 この男が見ず知らずの他人に振り回される人物じゃないのは知っている。先程漏れ出した感情に嘘はないだろう。


「……難しい質問だ。側に居た……と言えば、間違いじゃないだろうが」


 間に合わなかった、守れなかった。ミリアスも言うとおり、六年前にシナ村に居たことは間違いないらしい。

 しかし、その一件のすぐ後、何も言うことなく行方をくらませてしまったのだという。


「ガルシアだった兵士は……死んでいた。村の誰も、ガルシアじゃなかった」


 帰ってきたと分かったのは、シナ村の戦闘の翌朝。僕とミリアスが居た、朝霧の深いあの時のことだ。


「六年間、俺に探す手段はなかった。目的もなく動く奴じゃない、何かをしていたんだろうが…………」


 ずり落ちてきた話題の本人を持ち上げ、ミリアスは前に視線を戻した。


「イリアは……ガルシアと親しかったんですか? 少なくとも一緒に居たと言うことは……言葉が出てこないんですけど、覚えていないのか、分からないだけなのか……」


 どこからかやって来た余所者。話しぶりからしてギフテッドであり、出てきた人物の中で当て嵌まるのはガルシアだけだ。

 しかし、別の誰かがイリアを庇ったように聞こえる言い方でもあった。それが分からない。来たのは一人だろう?


「難しい質問なんだ」とミリアスが繰り返した。


「俺も全てを知っている訳じゃない。が、ガルシア本人はイリアと親しい……とは違う。こいつそのものが説明し辛い存在なのは分かるだろう?」


「……そうですか、確かにそうですよね」


 むにゃむにゃと、聞き取れない寝言が紡がれる。

 最初こそ、赤の他人がお節介をと思っていた。見ず知らずの他人――――人格が、僕に尽くそうとするのか。


 それは今も変わらない疑問であるが、時間は全てのものに愛着を持たせてしまうのだ。



「…………そう言えば、ずっとイリアのことを『お嬢ちゃん』としか呼んでない」


 ミリアスへの質問でなく、ふと気付いたことだった。

 名前どころか、名字まで知っているはずだろう。一緒に居たのならば、何故それを伝えようともせず、他人行儀でいるのだろうか?


「……彼なりの矜持、なのかもしれないな」


「矜持?」


 僕の独り言に、ミリアスが答えを出す。


「俺はガルシアじゃないから、そう見えるだけかも知れない……お前が考えた方が間違いないとは思うが」


「僕が? どうして」


「他人の気持ちはどうにも測り切れん。お前の方が得意だろうし……」


 続きがありそうだったが、言うのを止めたようだった。


「……あと、その話し方。止めてくれると嬉しいんだが」


「え?」


 代わりに、妙なことを頼んでくる。


「敬語のことだ」とどこか気恥ずかしげにする。私的な会話に慣れていない、共感に近い思いを掘り起こされる表情だ。


「お前に畏まられると……むず痒い。確かに会話はしない方だが……ガルシアやイリアにするように、気楽に接して貰える方が俺も楽になる」


 らしくないことを言う、と彼自身も思っているのかもしれない。

 その人のしたいことは、酔ったときに出る、なんて戯れ言を聞いたことがある。


「…………こっちはこっちで、敬語に慣れきってるんだけどなぁ」


 敬語を必要としない距離感は、どうにも気恥ずかしいし、怖い。


「……そうだ、そのぎこちなさが良いんだ」


「え?」


 僕が見たときには、彼の毛並みと街の闇が一つになっていた。






 帰ってきたガルシアの介抱にクラムがあくせくとしているため、部屋にはイリアがひとりきりになっていた。


 僕が扉を開けたのと同時に、のっそりとベッドから頭をもたげる。


「…………カズ?」


「あぁ、うん。終わったよ」


 努めて冷静に、出る前と変わらないように振る舞った。

 イリアに伝えられない事実が、一階の隅に、見つけられないように隠した証拠が、容赦なく僕の心を刻みに掛かってくる。


 ガルシアがあそこまで荒れた理由が、この場に立って理解できた気がした。

 あの時の彼は葛藤に疲れてしまったのだろう。言って楽になり、傷つけてしまうか。言わずに護り、苦しみ続けるかの選択を。



 迷っていると思われたのか、イリアがそっと毛布を上げ、ベッドの中へと誘ってきた。

 温まりきったその空間は、僕の鼻でも分かるほどに彼女の匂いで満ちていた。



「……ねぇ、どうなったの?」


 下に響かせまいと、小さな声で尋ねてくる。時間が彼女を落ち着かせてくれたものの、不安や心配、孤独への恐怖は褪せていないようだった。


 その姿は、いたく小さく見えた。


「明日、ガルシアが交渉に行ってくれるって。僕も一緒に行くことになるかもしれないけど……」


「やっぱり、ずっと一緒には居られない?」


「…………居たいさ」


 その声でそんなことを言われて、断れると思うか。

 これまでだってそうだった。ましてや、知ってしまったから――――尚更。


 僕が一人にしてしまったのだ。

 もしかしたら、いや間違いなく、イリアは家族の元に居るべきだったし、祖父も報われるべきだったんだ。あの時の決断は、苦しみは無駄ではなかったのだと。


 でも遅い。彼はもう死んでいる。僕が殺したんだ。


 イリアが逃げ延びて、育って、護られていた場所で、きっと誰よりも愛してくれたであろう家族を、たった一人残っていた家族を。


 僕が殺した。家族を。家族。



 僕には分からない。伝えなければ、僕の罪は償えない。伝えてしまえば、きっと傍には居られなくなってしまう。



 エゴイズムだ。大切な人の家族を奪っておいて、その人の傍に居てやりたいなどと。


「……ずっと、こうしていられたらいいのに」


 不幸にしておきながら、幸せになりたいと、させたいなどと。



 僕に資格があるのだろうか?

 彼女の信頼を受け取る資格が、こうやって引き寄せられて、離すまいと抱き締められる資格が、彼女を支える資格が。



 分からない。分からないけど。

 僕はもうこりごりだった。大切なものを喪うのも――――裏切るのも。



「君がこうしていたいなら、僕は……それで構わない。したいようにしていい」


 臆病者だ。イリアの方が立派に見えるぐらい、僕は臆病で、情けない。

 それで構わない、傍に居たいと思うほどには、僕は弱い。




 イリアの頭が、僕の頭の上に乗っかった。


 首元に彼女の熱い息が当たるのが分かり――――意を決したように止まると、何かが僕の一部分を覆った。

 温かく、濡れていて、少し痛くて、こそばゆい。


 背中を走る悪寒は、回した腕に力を込めて堪えるしかなかった。

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