63 見る世界、知る世界
僕は拳銃を持っていた。
猟銃を持つ仲間は既に別れていて、民間人とはいえ近づかれれば為す術が無い。
そんな僕の恐怖は、使命を果たす高揚感に支えられていた。
初めての殺人は僅か数分前に済ませていたが、その行為に付属する背徳感や罪悪感はそう安々と受け入れられるものではなかった。
感情は緊張に包まれ、麻薬のように僕を奮い立たせていた。
もう後戻りは出来ないと実感しつつ、隠れている得物を燻り出そうと行動を続けた。
何件目の家に押し入っただろうか。
弾倉ひとつ分の弾薬を消費して、その半分ほどの住人を仕留めた後だった。恐ろしさは興奮にすげ替えられ、人差し指に感じていた重圧はもう消えかかっていた。
小さな悲鳴が聞こえていた。誰かが居るのは間違いない。
子供の声だ。首を掻かれる事はないと、僕は微かな安堵を覚えていた。
一階を掃討し、本命へと向かう。
階段が軋むが、外の悲鳴や破裂音が掻き消してくれていた。
子供の声がまた聞こえる。女の子の声だ。
ドアの向こうで、誰かがそれを抑えようとしている。それが僕を押し止めた。
拳銃に込められる力が増す。震えていることに今更気付く。
逃せばどうなるか。子供だろうと見過ごすことは出来なかった。
同じ痛みを、同じ苦しみを。親の世代から続く迫害の代償を。相手に理解させるために。
ひとつの深呼吸を置いて、ゆっくりと扉を押し開けた。
見える限りで、隠れられる場所は無い。部屋の隅に誰か居る――――子供だ。
暗がりでよく見えないが、泣いていることは分かった。
心が痛むのが分かる。が、やらねばならない。
僕には強い意志があった。やらねばならないと。何度も、何度も繰り返した。
緩みは無かった。無かったが――――。
その子の顔が見えた。
僕と同じだった。体毛など生えていなかった。
その一瞬だけ、僕の信念は揺らいでしまった。
そこを突いて、扉の死角から誰かが襲ってきた。
子供に向けていた拳銃に手が伸びてくる。突き出されてくるものの反射を見て、辛うじて掴み、抵抗する。
その手も、顔も、力も、憎らしい種族のものでは無かった。
だが仲間でもなく……一瞬合ったその瞳には、恐ろしいまでに躊躇いが無かった。
目が合った瞬間に、自分自身が消えるような恐怖を感じた。
ほぼ無意識だった。やらなければならないと。
覚えていた死の恐怖が、純粋に僕を動かしていた。
動かしていた、はずだった。
今の僕に、それはない。
僕を襲おうとしていた青年は床に倒れ込んでいた。胸元に穴が空いている。
言いようのない恐怖が襲ってきた。
得体の知れない、どこから来たのかも分からない罪悪感が。
よろめいて、僕は二、三歩後ずさった。
力が入らない。落とした拳銃を取り上げる余裕すら無い。
辿り着いた壁に背を預けて、僕は死体を見下ろしていた。
いや、死体じゃない。まだ生きている。
手を伸ばしている。部屋の隅に、あの子に向かって。
その子がこちらに向かってきていた。
彼女が僕と違うのは耳だけだった。
彼と僕に違う所は何もなかった。
間に合わなかった。間に合わなかった……。
ひたすらな虚無感を抱えて、僕はただ見ていた。
僕に出来ることは何もない。近づくことさえ許されない。
必死に泣き叫んでいる声すら遠くに感じる。
息苦しい。もうここには居られない。
どうにかして、この場から逃げ出したかった。
もう耐えられない。どう償えば良いのかも分からない。
その場にへたり込んだ。誰も僕を気にしていない。気にする余裕などない。
右手に触れるものがあった。そうだ、これが救いだ。
逃げることに違いはなかった。
怖くはなかった。
「ッ――――!!」
脳味噌全てに電流が走ったような鋭い痛みを覚えて、跳ね上がるように覚醒する。
瞬間に夢だと知覚した。にも関わらず、寒気と焦燥はそうそう薄らがなかった。
「きゃっ!?」
小さな悲鳴が耳元で上がる。僕の動作がほぼ直接的に伝わる距離だ。
しかし、気を回せるほどに意識も覚醒していない。
こちらに来てからと言うものの、見る夢すべてに空気感がありすぎる。
記憶の追体験なんてものじゃない。時間の流れている空間そのものだった。
「カズっ、だっ、大丈夫!?」
「あぁ……うん、大丈夫」
呼吸を整えつつ、答えを返す。
アレは夢だ。夢だ。
心配することじゃない。落ち着け。心配させるな。
「大丈夫だ、夢だ。少し……怖い夢を」
イリアが気にすることはない。僕の問題だ。
彼女をこれ以上不安定にさせてはいけない。
「…………カズ……」
「ごめんね、僕は大丈夫だよ」
それ以上、イリアは何も言わなかった。
いや――――言わせたくなかった。
時たま雲に日差しが遮られ、暖かくも涼しい午前中だ。
僕らが歩いているのはエネストラの数ある大通りの一つで、伝統と近未来感が交差して産まれたような景観がどこまでも続いている。
「……噛まれてたのか? 一晩中?」
ガルシアがそんなことを言うには、理由があった。
彼の言うに――――僕が起きてきてからずっと、まんべんなく「お嬢ちゃん」の匂いが揺蕩っている、とのことだ。特に首筋から漂うらしく、そこからガルシアは予想したらしい。
「他人の涎の匂いなんて初めて嗅いだ……」
「その言い方はどうかと思うぞ、カズ」
お前だけには言われたくない、とにらみ返すがいつも通りだ。
「なぁ、アニマリアの愛情表現って知ってるか?」
「知ってる訳がないだろう」
行き過ぎる人々がガルシアを奇妙な目で見ていくが、これもいつも通りに気にしない。彼の意識は僕をからかうことに夢中で、自分がどう見られているかなど興味が無いのだろう――――昨日の荒れ模様も含めて。
「俺達と同じく、そりゃあ色々あるわけだが……あるんだよなぁ、『相手の首元に噛みつく』ってのが」
肩を組もうとしてくるが、流石に公衆の前で透明人間に寄り掛かるのは不味いと思ったのだろう。自然体と見せるには厳しい身振りで、伸ばした腕を自らの元へ戻した。
「表現、って言うんだから、ちゃんと意味がある。何だと思うよ?」
「答える必要があるのか?」
「あるかって、お嬢ちゃんがしてきたことだぞ? お前が考えねぇでどうする」
答えだけ見ても頭には残らねぇぞ、と自分の頭を指さす。
言っていることに筋は通っているが、こいつに諭されるのは納得できない。
「…………それで、待ち合わせ場所はまだなのか?」
「あ、逸らしやがった」
「ちゃんと考えとくよ……で、どこなんだよ」
直ぐそこだ、と顎で指す。
随分と大きい、伝統的ながらも真新しい建材で出来た建物があった。三角形のフラクタルも、木材に刻まれると途端に古臭いような雰囲気を醸し出す。
「……レストラン、ではあるんだな」
「大衆――――『エネストラに住める大衆』向けでもあるが、王政区勤務の誰それも良く来たりする店だ。そんな訳だから『お誂え向きの部屋』ってのがある」
「VIP待遇、って言い方は合ってるんだか」
「間違いじゃないな」
ガルシアが先陣を切る形で、入り口前に立つウェーターに予約を確かめた。
出した名前は聞いたことのないもので、ガルシアが間借りする肉体のものなのか……「待ち合わせ相手」のものなのかは分からなかった。
通されたのは、窓の無い、薄暗くも上品な一室だった。
来るまでに少なくとも二つの扉があり、三人の警備とすれ違ったことから、ガルシアの言葉が真であると証明された。
「……来てないのか」
肩すかしを食らったような声を出す。ここまでの緊張が無駄になった気分だった。
「何かやってんのかねぇ……まぁいいや、待てばいい話だし、丁度良いしな」
遠慮も何も無く、二人がけの上質な生地のソファに飛びかかり、一人で占領する。
人の目が無いからこそ出来ることなのだろうが、もう少し節度を持ってはくれないものだろうか。
「それで、答えは出せたのか?」
反対側に座ると、ガルシアが起き上がった。
丁度良いというのは、イリアのこと――――厳密には「これからのこと」を話すのに丁度良いタイミングだと言うことだろう。今のイリアから離れていられる時間はそこまで多くない。
「答えって言うか……そのまんまだろう? 『愛情表現』なんだし」
僕はありのままを答えた。それ以外にあるとして、深い意味も無いだろうし。
そう思ったのだが、ガルシアは口を開けて呆れていた。次の瞬間には手で目を覆って、顔を大きく仰け反らせていた。
「……あのさぁ、手を繋ぐのも抱き締めるのも、キスだって『愛情表現』だろ?」
「だろうね。で?」
「お前、初対面の奴に抱きつくか?」
「しないけど…………あぁ、度合いのことか?」
つまり、イリアが僕の首を噛んだのは、何かしら深い意味があると。
暫く沈黙が続いたが、ガルシアが耐えきれなくなったように口を開いた。
「……アニマリアが相手の首を噛むのはな、『離れるな』って意思表示の延長線上なんだよ」
その言い草から、僕が言うべき台詞だったらしい。
「離れるな?」
「離れたら首を噛み切る、されたくなければ側に居ろ、ってことだな。無論、表現だからマジじゃあ無い。けど、かなり情熱的な表現なことには違いないぞ? お前が思っている以上にな……分かるか?」
ある意味、自分の裸を見せるよりも恥ずかしかったかもな、とにやつく。
僕の鈍さにうんざりしているようだが、彼女が出来た男友達のような対応は抜け目ない。
「ついでに耳を噛むと『わたしの言葉だけを聴いて』、口周りを噛むと『何も言わずに側に居て』、腕には『わたしだけに触れ』…………って、そんな怖い顔するなって。キスん時に舌入れるよりハードルが高い程度だってば」
「いや、別にそんな……怖い顔してるのか?」
ガルシアが頷く。だとしたら、別にイリアの純情やらをからかったのが原因じゃない。
「……まだ引きずってるのか?」
互いに質問文を投げつけ合う。言わずとも答えが知れているから、なんて事はないだろうが。
「分からない。いや、悩んでも仕方の無いことだとは分かっているんだけど……」
僕が祖父を殺したこと。一晩経ったから、昨日の罪悪感は薄れている。
だとしても、辛いことには変わりなかった。過去は変わることをせず、僕もガルシアも背負い続けなければならない。
「……哲学的な問題だけどよ」
共に思案に暮れていたが、ガルシアが先に止めた。
「俺達が見ている世界と、お嬢ちゃんが見ている世界は違うだろ?」
「世界は感じることで存在できるようになる……だっけか」
哲学的な問いは好きだが、専門的なことはさっぱりだ。
正しい答えがあるわけでは無いが、見当違いな認識を言って失笑されることはしたくない。
「昨晩、俺はお前とミリィに真実――――俺が見て、本当のことと信じた事柄を話した。そこで三人は『お嬢ちゃんの過去に関連するひとつの事象』について共通の認識を得たわけだが、それを保証するものは何も無い……俺が覗き見してきた他人様の記憶だからな」
「僕が祖父を殺したという『世界』を知るのは……信じているのは、君しかいなかった」
ガルシアが昨晩漏らさなければ、僕はイリアの家族を殺していなかった――――矛盾するような言い方ではあるが、認識の仕方に間違いは無い。
「そうだな。知ってる過去も今も未来も、結局は知らなきゃ存在しないに等しい。現に、お前はお嬢ちゃんの家族を殺したことを知らなかった。だから罪悪感を抱く必要も無かったし、お嬢ちゃんが望むことを幾らでも、お前の良心に従ってすることが出来た」
「伝えない限り、イリアの世界は変わらない。お前から話を聴くまで、あのロケットを預かるまで気付かなかったように……」
「そうだ。お嬢ちゃんからすれば、家族はとっくの昔に全員死んでて、代わりのようにお前が護ってきた……命を張って、何度もな。死なないのは俺もお前も知ってるが、お嬢ちゃんは知らない。死ぬかもしれないリスクを背負って、自分を助けてくれているって思っていても可笑しくないと思うぞ」
机に用意されていた水差しを取り、二人分の水を注ぐ。包帯の巻かれた右手を使って良いものなのか、痛そうにはするものの、至って平常そのものの手つきだった。
「……知らなければ、か」
知らなければ存在しない。覚えていなければ、事実でさえも消え去るのだろうか。
人が死ぬのは、全員から完全に忘れ去られたときだ、とどこかで聞いた言葉を思い出した。
ウィズネアは僕の思い出を奪ったと言った。六年分の思い出を。
その間にあった出来事を保証するものは無い――――ガルシアが知っているのはほぼ確実ではあるが、それは認識できる情報ではない。
僕の世界から、どれだけの事象が消えているのだろう。
そのうちのどれだけが、再び取り戻すことの出来る過去なのだろうか。
「……まぁ、そこまで心配することでも無いと思うけどな」
僕を安心させたいのか、そんなことを口走った。
「お嬢ちゃんにとって、お前ほどに大切で、掛け替えのない奴は居ないさ。俺もメイドさんも、ミリィでもなれないものだ。家族を殺してしまったかも知れない、なんて言ったところでたかが知れてる」
「……掛け替えない、か」
「お互いにとって悪い事じゃあないんだが、今はそれが問題だな……」
「そこなんだ。よく分からないところ」
僕が言うと、ガルシアは面食らったような顔をした。
「お、おぅ。どういうこった?」
「僕以外にも、イリアの側には人がいる。クラムさんはともかく、ミリアスもお前も……僕より彼女を知っているはずだし、長く側に居るはずだろう?」
なのに、イリアは僕を……「僕だけを」離したがらないように思える。
どうしてだろうか? 僕よりも付き合いが長くて、信頼だってあるだろうに。わざわざ見えない赤の他人をここまで頼るだろうか?
「それに…………『一人はもう嫌だ』って言ってたんだ。僕以外にも頼れる人が側に居るのに、それが分からなくて」
「……昨日も話した気がするんだけどな、それ……まぁいいか。どうして、っていうのは俺が言えることじゃない。が、言えることはある」
水を飲み干して、二杯目を注ぎながら言う。
「重要なのは、お嬢ちゃんが恐れてるのが『一人になること』じゃないってことだ」
「何で分かる?」
「お前もそうだからだ」とからかうような笑顔。
「お前とお嬢ちゃんはよく似てる。同じ年頃に大切な人を亡くしてるし、家族はいないし、周囲に人は居ても……信用できるものじゃ無かった」
周囲の、という所で言い淀むが、単に言葉選びに悩んだだけだろう。
「お嬢ちゃんの立場にお前を当て嵌めりゃあ楽だ。考えてみろ」
「…………」
家も家族も居ない中、何度も助けてくれる人物。
何も知らないけど、危害を加えるつもりは感じられず、何を言っても受け入れて……やれているかは分からないか。
ガルシアの言いたいことは分かった。僕がそこまでやれているかが疑問だが。
「ミリィやメイドさんが買い物に出掛けても、お嬢ちゃんは待ってられるだろうよ。でもお前は……他の奴の目があっても、あそこまで粘ったんだ。あのお嬢ちゃんが」
手を離してもらうために、数分の説得が必要だった。
一人になるのが嫌だと思っていたが、ガルシアが言わせたいのは……。
「……『大切な人が居なくなるのが辛い』のか」
「多分な。お前にとっての『家族』が、お嬢ちゃんにとっての『お前』ってことになる」
かなり強い意志に違いはないだろう、とガルシアが続ける。お前が何をしたとしても、時に自分を傷つけようと、お嬢ちゃんの信頼は簡単に無くならないし、失いもしないと。
「依存って言い方もあながち間違いじゃ無いかもな。掛け替えがなさ過ぎて、お前なしに生きていけないと思い込んでたって可笑しくない」
「……そこまで思い詰めて欲しくないけど、あそこまでされるとなぁ」
噛まれていた首筋に触れる。彼女の歯形は元から残っていない。
「そこを噛まれて、よくもまぁ我慢できたな?」
ガルシアが茶化す。僕の弱い部分も知っている様子だ。
何故だか分からないが、首の右側から肩に掛けてを触れられると、尋常じゃない寒気を覚えるのだ。小さい頃から変わらない、僕の僕らしさのひとつ。
「……どうすれば良いんだろう」
「そこなんだよなぁ」とガルシアも同意を返した。
「お嬢ちゃんが何を望んでるのか、何が一番嫌なのかを知らなきゃあ、折衷案も模索できないし……あのメイドさんにでも頼んでみるか……?」
「……お前がイリアに乗り移ればいい話なんじゃ……」
何を言っているのかに気付いたのは、内容を伝えた直後だった。
「いんや、お前から許されても入りたくねぇよ。お嬢ちゃんへの冒涜な気がするしな……」
笑うが、その表情は少しぎこちないというか、申し訳なさげに見えた。
彼なりの矜持、昨晩のミリアスの言葉が思い出された。デリカシーの欠片も無いようなこの男が、彼女に関しては妙なほどに礼儀正しいし、思いやりがある。
イリアの過去を知っているから、というのは僕でも分かる。
だからこそ、自分から距離を置くことに疑問しか感じられないのだ。僕とイリアの仲が良くなることこそが一番だと言いたいように、自分自身と彼女とに壁を作っている。
「ガルシア、訊きたいことが……」
本題を切り出す前に、ドアにノックがかけられる。
「来たか」とガルシアが言い、「どうぞ」と言い出す前に扉が開いた。
「ごめんごめん、ちょっと回収と整理に手間取っちゃって……」
入ってきたのは、何と言えば良いのだろう。
人間であることに違いはないのだが、どこか不自然な女性だった。




