05 小休止
数分して荷物をまとめた後、これからどうするかもう一度イリアと話し合った。彼女の首にはあのペンダントがぶら下がり、手には手帳が開かれている。
彼女の村にはざっと二時間もあれば到着するらしい。僕が通ってきた道は意外と蛇行しており、まっすぐ進むことが出来れば半分近い時間で済むとのことだ。が、その前に血で汚れてしまった服をどうにかしたいという。今一度彼女を見てみると、白いシャツには先程抱き付いた跡がしかと残されており、赤頭巾にも所々に赤黒い跡が付いている。白い肌にはまだ乾かぬ雫が幾筋かの縦線を刻んでいる。年頃の女の子がなっていい格好じゃないのは明白だ。僕のシャツも乾かないうちに洗わないと彼女とお揃いの色になるだろう。
道中に小川があるそうなので、先ずはそこで体と服を洗うことで意見が一致した。ポケットと彼女の片腕で事足りる所持品群と共に、昨日歩いた道に再び足跡をつけた。
川に到着するまで、特に何も起こらなかったのは幸運というべきだろう。至って平和に歩けたからか、さっきまでの暗く重い雰囲気をいくらか紛らわせることが出来た。彼女の表情も心なしか明るくなっていることに少しながら安堵を覚える。
それに、自分よりも小さい異性にエスコートされるという経験もなかなかのものだった。
「あった」
イリアが口を開く。視線を追った先に流れが見える。深さもそこまでない、丁度良い広さの小川だった。流れに沿うように木が数本自生しており、そのうちのいくつかに食べられそうな果実が実っていた。実際に食べても大丈夫なのかは分からない以上変に手を出せないが。
「…………」
イリアが何か言いたげに僕を見上げてくる。何が言いたいのかと暫し思案したが、なるほど彼女も立派な淑女だと手を放し、足下の草を蹴りながら茂みに向かう少女の更に下流へと足を運ぶ。もうこの辺りに盗賊もいないだろう。
清らかな小川の流れは予想通りに赤く汚染された。思っていた以上に返り血を浴びていたようで、浸しただけで手元が見えない。結構な時間洗い続けて、ようやく川の透明度が少しずつ戻ってきた。血の赤さは完全に抜けなかったが、少なくとも綺麗にはなったので十分としよう。
大雑把に絞ってから、近くの木の枝に引っ掛ける。ズボンも脱いで、同じように洗う。裾に踏み付けた時の血と肉の欠片が引っ付いて洗い落とすのに苦労した……シャツの隣に引っ掛けたときには半分乾いていたぐらいに。この天気なら生乾きってこともないだろう。
もし誰からも見られない状態じゃなければ、僕は立派な変質者であり、犯罪者の格好だ。姿が見えていないので赤く染まった下着姿でいても大丈夫なのは誠に嬉しい事である。軽く顔を洗い、素足を浸しながら短剣にこびりついた血を落としていると、近くの木に生っていた果物を思い出した。思い返してみれば今日はまだ飲まず食わずだ。それを思い出すと、一気に空腹と喉の渇きが襲ってきた。まだ食えると決まったわけではないが、可能性を思ってしまうとよい方向に考えるのが本能というもの、何でもやってみるもんだと立ち上がった。
生っていた果実は、強いて言うならば青リンゴによく似ていた。ただ、この果実は青リンゴと言うにはかなり黄色で、大きさも地球のそれよりも大きかった。自生しているものの味などたかが知れているが、食えるのなら問題はない。食えるのなら。そこだけなのだが。
すると、その一つが向こう側の影から現れた小さな手に素早くもぎ取られていった。間違いなくイリアの手だ。現地人がもぎ取るのなら食えるのだろうと結論付け、自分用の果実を取りながら木の裏側へ回る。
イリアは、まだ下着姿だった。
予測できなかったわけではないが、かなりの時間洗う作業に没頭していたのだ。向こうはすでに乾いて着ているだろうと思っていた。故に、目の前の彼女の姿から目が離せなかった。つまりは固まっていた訳である。
彼女は見られているとも知らず、木の根元で果実を頬張っている。小川の水滴が残る顔は、手に持つ果実の大きさも手伝い年齢よりも小さく幼く見えた。僕と同じくお腹が空いていたらしい、両手に余るほど大きな果実をこれでもかという速度で咀嚼し飲み込んでいく。食べているということは、やはりこの果実に毒はないのだろうと綺麗になった刃で皮を剥く。僕が噛り付いた頃には、イリアは二つ目の果実を食べ始めていた。
悟られないように、そっと隣に座る。下着の彼女と同じく、こちらも下着姿だ。こっちの姿は見えないが、おあいこだろう。そう思わないとやってられない。
彼女の下着姿は、素朴ながら年相応の可憐さや女性らしさを感じられ、とても愛らしい姿ではあるのだが、流石に興奮するほどのものではないし、求められてもいないのに襲うほど僕も子供ではない。向こうも見られることは覚悟の上だろうと、気にせず食事に没頭した。
二度目の異世界での食事は、懸念していたよりも十分に美味しいものだった。
手元の果実は品種改良でもしてるのかと言えるほど甘く、かなりみずみずしい。しっかりとした食感に飲むことが出来るほどの果汁が流れ込んでくる。僅かに感じる酸味も良いアクセントだ。齧った断面は差し込んでくる木漏れ日に輝き、初めて見た林に覚えた感覚を想起させられる。
小川のせせらぎと、時たま吹いてくる風以外には何も動かない木の下で、暫くは静かに果実を頬張っていた。が、僕が果実を食べ終えた時にそれは起こった。食べられない芯を小川の方へ投げたときだ。
「!?」
芯が土にぶつかる湿った音にイリアの食事の手が止まる。その視線は芝の上のそれに釘付けになり、暫くそのまま硬直していた。何を驚いたのだろうと思っていると、イリアの顔がどんどん赤くなっていく。彼女の視線が左右に動き、僕が座って平らにならされた草でまた止まり……
「がっ!」
……彼女が食べていた果実が目の前に飛んできた。見えていないはずの彼女が投げつけてきたそれは一寸の違いなく僕の顔面に命中する。衝撃で後ろへ仰け反り、後頭部に硬いものでも出ていたのか二度目の衝撃が脳を揺さぶる。
「カ……カズ! 見ないで! あっち行って!」
どうやら自分の下着姿が見られるとは思ってもいなかったようだ。のんびりと無防備な姿で食事をしておいてそれはないのだろうか。
とはいえ、反発する必要もない。火が出るほど赤面し今更身体を縮ませているイリアからゆっくりと離れていった。流石に二個目は飛んでこなかった。
衣服を掛けておいたところへ戻り、衣服の様子を確認する。天候も良好なお陰で、シャツの方はすっかり乾いていた。生臭さもほとんどない。ズボンも濡れてはいるが、歩いているうちに乾くだろう。彼女も見られるのが嫌ならもう移動している頃だろうと思い、少し時間を掛けながら制服を着る。
「えぇ……」
もう一度イリアの元へ戻ってきても、彼女はまだその場で下着姿のままだった。まだ警戒しているのか、顔の赤いまま周りをキョロキョロしているが、目の前に立っていても気づかないのだから全くの無意味である。さっきの音に気付けるのにどうして今の足音に気付けないのか。
持ってきたブレザーを座り込んでいるイリアに放り投げる。たちまち彼女の小さな体が包み込まれた。
「きゃうっ!」
驚いている彼女の反応から察するに、僕が持っているものも見えなくなるのだろう。彼女が僕に気が付いたのも、投げ捨てた結果急に現れた果物の食べ残しが原因だったのだ。
取りあえずこれが僕の謝意だ。羽織っておけば多少は違うだろう。下半身はともかく、上半身は隠すことが出来る。
「……カズ、ありがと」
まだ顔を赤らめたまま、少しぶっきらぼうにでもそう言えるのだから根はとても良い子だ。声を伝えられないのであればこれで十分だろう。
ブレザーを羽織った彼女は、前かがみになりながら小走りで服の掛かっているであろう方向へ小走りで去って行った。そんなに隠そうとしても、見ようと思えばどこからでも見れてしまうのだから、ああする必要はないだろうにと思う。気持ちは分かるが。
前かがみになったせいで、せっかくブレザーが隠してくれていた場所がこちらから丸見えになっているのだが、どっちにしろ伝えられないので眼福と思うことにした。
しかし。ふと思い当たる。
彼女とは初対面だ。この世界にとって僕の名前は異質で、僕が男か女かとか、最悪同じ人間とすら思っていないかもしれない。
だが、今の彼女の反応は確かに僕を「男」だと知ってのものだ。彼女が誰に対して恥ずかしさを覚えるのかは知らないが、一般論を通せば僕の推論に間違いはないだろう。
イリアはどうやって僕を男だと知ったのだろう?
気になりはするのだが、別に知らなくて良いだろうと結論づけた。