06 彼女の村で
太陽が空の頂点を通り過ぎ、西へ僅かに傾き始めた頃に、やっと乾いた服を着た彼女と共に小川を後にした。少し不機嫌気味ではあるが、ちゃんと手を握って案内してくれるところは優しい子だった。先程のことを忘れたいがためか、少し無理な歩幅で進んでいく。
というのは僕から見た感想になるだろう。きっとイリアはもっと前のことを忘れようとしているか、一刻も早く故郷に戻りたい一心なのかもしれない。僕よりか頼れる人もいるだろうし。
休憩時間を含めほぼ同じ時間を掛けて戻ってきたこの林の奥に、彼女の言う村があるようだった。昨日、少なくともこの林を彷徨っていたときにそれらしいものは見つけられなかった。本当にあるのだろうかとわずかな不安がよぎる。
しかし、イリアの足取りは迷いなくその林の中へ入っていく。彼女の踏み出す足元をよくよく見てみれば、僅かにだが誰かの通った道らしき跡があった。見つけられなかった自分の観察力の低さに自己嫌悪に陥りつつ、彼女を助けられたのだから無駄足ではないと結論付けた。
彼女の脚がさらに少し早まった。もうすぐ到着するのだろう。
「あそこがシナ村、私の故郷」
イリアはそう言って速度を緩める。視界の奥に木製の小さな門のようなものが低木に隠れるように立っていて、左右に壁のように広がるその茂みの広さからして村というより小さな町のようにも思える。ここまで上手く人工物を隠されると普通は気付けない。ある程度視界が取れる林の中、この一部分だけ鬱蒼としているのが唯一の違和感と言える部分だった。だとして、ここに集落があると言われなければ素人には判別できない。
自然の壁の上、門の傍に二つの突起があり、それが木立に上手くカムフラージュされた見張り台と気付けたのは誰かがこちらに手を振っていることに気付けたからだ。
その人を見て、一つの違和感を覚える。人だというのは見て分かる。が、肌の色が僕らのそれから随分とかけ離れているように思えるのだ。何かを着込んでいるからなのだろうと考えるが、違和感がそれを否定している。顔まで覆う衣類など必要ないはずだ。
そうこうと思案している間に門の前にたどり着いた。
「イリアじゃないか、伯父さん達はどうしたんだ?」
頭の上から低い声が響く。こちら側に出した顔を見て、数秒思考が止まった。
人の顔じゃない。獣? 仮面か? 瞬きして、あそこまで駆動するか?
止めだ、ここは僕の知る世界じゃ無い。何があっても可笑しくない。そういうことだと強引に思考を戻す。
「…………」
「おーい、聞こえてるかー?」
男の声からは配慮の欠片も感じられない。何も知らないのだから仕方ないのだが、イリアにとってどう見えているか。
「……死にました、帰りに襲われて」
男も察したようだった。壁の向こうにその姿が消えて数秒、ツタに覆われた門に一人分の隙間が出来た。
「何があったんだ、いったいどうやって……」
先程の男が顔を出す。確信を持って言えるほどに、仮面とか仮装とかの水準じゃない、その男は獣の顔立ちをしていた。多分猫なのだろうが、大柄なせいで虎にも思える。
「盗賊、です……いきなりで、何も出来なくて」
冷静に話そうと精一杯な口調は、全てを話さずとも意味が通じたらしい。
「ああ……大丈夫だ、もう話さなくていい。大丈夫だから」
気まずい表情で脇にどき、イリアが中に入っていく。後に続いて入ろうとしたときに一度挟まれたが、男は足下の土を一度蹴っただけで特に怪しまれることは無かった。
「村長のところまで行こう、まずは休まないと」
男がイリアに手を伸ばすが、彼女が一歩後ずさったのを見て少し戸惑いをみせた。
「大丈夫です、一人で……ううん、もう一人いますから」
「もう一人?」
「はい……行きますね、メガロさん」
怪訝な顔になった男と目を合わせることも無く、右手をさりげなく差し出してくる。多分僕に向けてだろうと握ると、まるで糸が切れたかのように走り出した。
「うおっ!?」
「ちょっ、おい! イリア!?」
背後で僕と重なるように男の声がするからに、何時もの彼女の行動じゃないのだろう。
イリアの歩幅と上手く合わせられず、幾度か躓きそうになりながら村の中を見渡す。ここの住人の誰も彼もがメガロと呼ばれた男と同じく獣の外見をしていた。すれ違う人々全員がそんなものだから、ここはそういう世界なのだろうと思うことにしたのだが、それならばイリアはどうして人間の外見をしているのだろうと新たな疑問が浮かぶ。
仲間はずれ、そんな単語が浮かんだがすぐに忘れようと試みた。
かれこれ一分ほど走っただろうか。僕を引っ張っていたイリアは、村の中でも一番に大きいと思われる家の前で足を止めた。大きく息を荒げている彼女だが、僕も僕とて運動は得意という訳でも無いのだ。いきなり走るとも思っていなかったから余計に息が切れている。
数回の深呼吸のうち、イリアがドアをノックする。
「……誰かな? 入りなさい」
その声を聞いてもう一呼吸し、彼女の小さな手がノブにかかった。
外から見たよりも手狭だったが、落ち着きのある綺麗な空間だった。
窓からは十分な量の日光が差し込み、家の中心にはどういう訳か一本の若木が茂っていた。その木に寄り添うように、重厚な作りの机と椅子があり、そこに一人の人物――恐らくはさっきの声の主が座っていた。その顔はやはり人のものではなく、しかし親しみのある眼差しは警戒というものを許さなかった。
「お帰り、イリア。街は……」
向けられたその老猫の目は鋭く、それでいて優しい目をしていた。背後でゆっくりと動く尻尾に掛けられた眼鏡からは、彼の誠実さと思慮深さを隠すこと無く表している。
「……いいや、話さなくても良い。辛かっただろう」
「はい……」
イリアは暗い顔のままだ。涙が流れ落ちた跡がうっすらと見える。走りながら泣いていたのだろう。
「生きているというだけで、今は十分じゃ」
「……」
「一人が嫌なら、二階の部屋を使って構わん。今は何も考えず、ゆっくり休むといい」
「…………はい、ありがとうございます」
一人、という部分に何か言いたげにしたが、イリアは結局言うことは無かった。
プシラム、と老人が誰かの名前を呼ぶと、部屋の隅にある階段からこれまた猫っぽい女性が降りてきた。イリアはその女性に促されるまま、二階に消えていく。
「ああ、そうそう。一つだけ尋ねてもいいじゃろうか、イリア?」
老人が声を掛ける。イリアの脚が止まり、ゆっくりと顔が老人に向けられる。
「何、でしょう」
「お主、一人でここまで帰ってきたのか?」
「……違います」
その質問に答える声は、さっきまでの沈んだ声とは違い、確信を持った強い芯を持つ声だった。少なくともそう捉えてくれているらしい。現状からしてもうれしい言葉だった。
「……そう、か。有り難う」
イリアの姿が見えなくなる。後を追うことも考えたが、もう僕が傍に居なくとも大丈夫なはずである。少しはこの世界の情報を漁った方がいいだろう。
そうするまえに、やっておかないといけないことがある。どうやれば怪しまれずに存在を伝えられるかを考えないといけない。変に物を漁ったせいで敵対的な態度を取られてしまったらそれこそおしまいだ。とはいえ不可視の人間をどこまで信用できるかなどたかが知れている。
面倒ごとは避けたいが自分自身が面倒な存在であるからにして、結論としてとても面倒くさい。
頭がこんがらがるのでいったん止めだ。
「……足音が二つ、来たのはあの子だけ……外の者が来たならメガロの奴が真っ先に伝えに来るじゃろうし。うーむ……儂も耳が悪くなったのか、それは致し方ないとはいえ……しかし、この臭いは、なぁ」
老人の言葉に耳を傾けてみる。独り言と共に思考する口の人物らしく、何かしらの糸口を見つけやすいことには助かった。ものは試しだ。一歩、気持ち強めに踏み出してみる。
「!」
耳と視線がこちらに向いた。尻尾の振りの周期が速くなった。猫は尻尾で意思表示するとかよく言うけれど、こういう場合はどういう意味だったか。地球の知識が異世界でも当てはまるのかと疑わしいところでこんな推論無駄なのだろう。
その代わりに、彼が僕に対する推論をしてくれればそれに対する答えを出すだけで済むんだ。頼む。
「……誰か、おるのか?」
よしきたともう一歩進んでみる。老猫の眼がすっと細くなった。
「おるのなら返事をしてくれ、それ以外でも何でも良い」
機転が利くのだろうか、そんな言葉を口にしてくれる。それならお構いなくとメモ帳を取り出すと、この音も捉えられたのだろう、何かを警戒するように椅子から立ち上がって半歩退いた。
ここはあのときと同じで良いはずだ。変に考えるよりはまだ動向が予測できる。
『コンニチハ、ハジメマシテ』
机の上に置いた紙切れを見つけ、彼の目がそれに釘付けられるまでを観察する。おそるおそる手に取り、文字を見つめ、何かしらの反応を返してくれると思っていた。のだが。
『初めまして』
どうして貴方も筆談で会話をしようと踏んだのかと言いたくなった。逆さまに書いたエセ文字で通じるのは良いのだが、そんな達筆な文字を読めると思ってか。全く同じ文章だから読めただけで、これでやれなんて堪ったものじゃない。
『ワタシ、モジガアマリヨメナイ。ハナシテホシイ』
老人がペンを走らせる。多分、『私の声が聞こえるのか?』とでも書いてあるのだろうが、それが正しいか判別できるほどこの文字に慣れていない。変に答えてすれ違いが起きたら大惨事になる。
『ヨメナイ、ハナシテホシイ』
「……お主、何者じゃ。何をどうして」
やっと口にしてくれた言葉がそれだった。どうして会話は理解できるのか本当に不思議でならない。どんな原理が働いているのやらと思いながらシャーペンを動かす。
『ナマエハ、カズマサ』
「カズ、マサ?」
『ソウ』
聞き慣れない名前だからか、彼の動作が一瞬止まった。
「…………亡霊、ではあるまいな?」
『チガウ』
似たようなやりとりをしつつ、しかし彼女よりも緊張感のある空気が重く感じられる。
暫く考えに耽ったのち、老人は再び話を切り出してくる。
「それで、じゃが。お主は如何様な用があってここに……?」
『イリアヲタスケタ。コノムラマデイッショニキタ』
「助けた? つまりはお主があの子を?」
『ソウ』
「なるほど……なるほど。確かにそれなら辻褄はあう、か。しかし……」
何やら納得したような老人は、思い出したかのように胸に手を当てた。
「申し遅れましたな。儂の名はサージャス。スペルは……」
半分ほど埋まった紙切れに、一文字一文字丁寧に書いていく。
「こうじゃが、長いと書くのも大変じゃろう、『サージ』で構わぬ」
『ワカリマシタ、サージ』
敵意は無いと判断したのか、サージャスは再び椅子に座り込んだ。二階から足音が聞こえるが、間取りは全く分からない。
「なにはともあれ、あの子を救って頂いた恩がありますな。辺鄙な村じゃ、今すぐには小さな部屋と質素な食事しか用意できぬが……どうか寛いでくだされ」
『アリガトウ、トテモウレシイ』
「二階にもう一つ空き部屋がある。上って通路を進み、右手の部屋じゃ」
視線を階段に向けながら説明してくれる。丁度先程の女性が降りてきたところだ。
「ああ、プシラム……イリアはどうじゃった」
臆病そうと言うと失礼になるだろうか、幸薄そうな女性は沈痛そうに目を伏せた。
「ええ……きっと酷い目に遭ったのでしょうね、塞ぎ込んだままです。離れて見守ることぐらいしか……」
「心の傷は癒やす術が少ない、気に病むことはないぞ」
「でも、心配です。ただでさえあの子は……」
「プシラム、お主まで不安がってしまえば余計悪化するだけじゃ。あの子なら大丈夫、また立ち直れる強いものを持っておる。信じてやらねば」
「……そうですね、私たちがちゃんとしておかないと」
今夜の食事は少し量を増やしてくれと頼まれたプシラムが部屋を後にした後、サージャスがあらたまった様子で話し出す。
「カズマサ殿、イリアを助けて頂き、心から感謝いたしますぞ」
『ドウイタシマシテ』
「何か聞きたいことがあるならば、儂に尋ねてくださればお答えしよう。お主の礼儀を信じ、この家にある物は自由に使って貰って構わぬ」
一度失礼しよう、と立ち上がったサージャスは、一階の別室――扉の隙間から見えた範囲からして恐らくは彼の私室だ――へと消えていった。
なんとかなったという安堵が疲労を思い出させ、二階へと歩みを進ませた。
僕に割り当てられた部屋は、小さなベッドと机と椅子に、数冊の手綴りの本が何冊かある程度の、簡素なものしかない四畳半程度の広さの小部屋だった。
「……なんだか、なぁ」
声が出せることを再認識した後、ブレザーとネクタイを脱いでベッドに放り投げた。
友好的になれたものの、それはこの村の長においてだけの話だ。これからどうするであれ、この村が拠点になる……もっと別の言い方がありそうな気もするが、どうでもいいことだ。
ここで暮らすところまでいくのか分からないが、たとえそうならなくとも、ここにいる人たちと関わらざるを得ない状況も必ず出てくる。村の中に亡霊がいるだとか悪魔が忍び込んだだとか騒がれたらどうしようもない。お客様扱いも長く続かないだろうし、対策を講じないといけない。まこと面倒だ。
それ以上に、彼女のことが気にかかる。
さっきの二人の会話からして、前にも似たようなことがあったらしい。親しい人が死ぬその苦しみは、こんな僕でも幾らか理解できるつもりだ。それが再び起きたとなれば、今の彼女には相当な負担がのし掛かっているかもしれない。経験上そんな状態が長く続けば余計に衰弱するだけだ。時間は傷を癒やしてくれるが、それは傷が深すぎず、増えなければの話になる。
僕の場合はどうにかなった。だからといって同じ苦しみは誰であろうとさせたくはない。
随分と自分勝手な偽善だが、相手が必要としているのならば無駄じゃなかろうと、イリアがいるであろう部屋に向かった。
「……カズ……?」
イリアは横になっていた。扉が開いた音に上体を起こし、僅かに潤んだ瞳をこちらに向けたところだ。
こんな時に筆談もナンセンスだろうと扉を閉め、彼女の隣に座る。他人がどうして欲しいのかは分かるはずがないので、僕がして欲しかったことを試すほかない。
特に何かをするでも無く、イリアの傍に寄り添う。あのときの僕は、何も言わず、何も聞かずに自分を受け入れてくれる人が何よりも欲しかった。漠然としたままで構わなかったから、全てを吐き出して何もかもを受け入れてくれる誰かが欲しかった。
これ以上無い我が儘な願望だ。そんな人は無論誰もいなかった。僕がこうしているのは、単にこういう存在が欲しい経験があって、そういう人になれれば救われるんじゃないかという自分勝手な行動に過ぎない。
こちらに身体を向けたイリアの手が、僕のいる場所を遠慮がちに探し始める。その手は他人を恐れて震え、それでもなお救いが欲しくて伸ばされてるように思えた。僕の針が当たらない距離で、彼女が心地よい距離を見つけられたら、僕にとってもどれだけ報われるか。
僕の背中を見つけ、ゆっくりと身体を詰めてくる。葛藤があるのだろう、じれったいほどにゆっくりで、だからこそ彼女の心情が痛いほどに読み取れる。他人への恐怖と、耐え難い悲しみとを秤に掛け、どちらに傾くかは彼女次第だ。
「ねぇ、カズ……」
かき消えそうなほどに震えた声が聞こえる。
「カズ……わたし、どうすればいいの? どうしたらいいの?」
精一杯の勇気がそこにはあった。話せば話すほどに、耐えられなくなるのを承知で僕に話しかけてくる。
彼女はそう決めたらしい。僕を頼れると。縋れると。
「……ねぇ、教えて。わたし、どうしたらいい? ねぇ、ねぇ! ねぇってば!」
語気が強くなる。そうしないと溢れると、耐えられないと言いたげに。
声が届けば。そう思ったが、ないものを求めてもどうしようもない。
「お願いっ……だからぁ! おしえてよぉ!」
イリアは決めたんだ、僕も答える義務がある。
僕の背中を掴み、乗り出してくる彼女の頬に触れる。そこまで言ってくれるなら。そこまで頼って、信じてくれるのなら。
すぐそばまで来たイリアの肩を、そっと抱き寄せてやる。僕なんかで構わないのなら。
僕は彼女じゃない。どうして僕なのかなど考える必要はない。
「うぅ……うあああああああああ!!」
一瞬の静寂の後、もう大丈夫だと分かったのか、渦巻いていただろう感情の汚濁を吐き出してくれた。それでいいんだ。今は耐えなきゃいけない時じゃない。年端もいかない子供が溜め込むべき悲しみじゃない。
「あああぁ……っ、えぐっ、あううぅ……」
自分の気持ちに正直になれれば、少しは楽になれる。どうしようもなく辛くて悲しくても、誰かに押しつけられれば落ち着くことも出来る。受け入れることも、忘れることも。
泣いて、怒鳴って、また泣いて。そうやって抵抗して。僕はそうやってきた。
そうしてすべてを出し切って、やっと落ち着けるのだ。諦めとも言えるかもしれないほどに惨めだけど、それでも前に進むことが出来るようになる。
正しいとは思ってない。僕なりの解決法というだけだ。
自己投影、というものなのだろうか。誰も頼れなくて、自分で抱えることしかできなくて、自分の無力さを痛感して、全部が悲しくなって。彼女の気持ちが全て判るわけではないが、彼女の境遇は理解できる。昔の自分によく似ている。本当に昔の、面影も無くなった頃の。
僕が一人になったとき、僕の傍には誰もいなかった。だけど、この子にはそんな道を歩ませたくない。孤独がどれだけ優しく自らを蝕み、そして辛い現実を突きつけるものなのか、彼女には知ってほしくない。
幸運と言えるかは知らないけど、僕は彼女を助けられる場所にいる。
たとえ偽善だろうとなんだろうと、自分が出来ることを精一杯してやりたいことに嘘は無い。
イリアはもう我慢していなかった。精一杯の力で僕を縛り付け、彼女なりに一生懸命に抗っている。僕はただそれを受け止めればいいだけだ。一つも零さず、彼女のために。
姿は見えなくとも、触れることは出来る。声は届かずとも、思いは他の方法でも伝えられる。
彼女を助けたい。多分その思いは、あの時盗賊を須く切り伏せたときと同じで、でもそれとはずっと大きく違うものなのだろう。
何故、自分なのかという疑問よりも、頼ってくれた嬉しさが先に出てきた。
窓から差し込んでくる陽が仄かに暖かい。その橙色の光は、泣き疲れて眠りこけているイリアをやさしく覆っているようにもみえる。木漏れ日のその優しさは、それだけの時間が経っていることを教えてくれた。
彼女は一瞬たりとも僕から離れようとしなかった。もう激しさはないものの、それでもなお僕を捉えて放さない力があった。
「カズ……」
寝言かも判別できない声だった。目を開けることも無く、胸に顔を埋めてくる。
「……ずっと、一緒にいてくれる……?」
なぜだか分からなかった。その言葉を聞いたとたんに、大丈夫だという思いが沸き上がった。何がかも、どうしてなのかも判らないのに、大丈夫だということだけは理解できた。
イリアの髪に顔を埋める。
彼女の匂いと共に頬をくすぐるのは、おそらくそこだけの、彼女が獣である証だった。




