2.皇女と会う
日が昇り、朝が来て昼になった。
ヒロ達は昨日宙港まで迎えに来た大臣に連れられて、森林の道を、城より少し離れた小さく清楚な建物の前まで歩いて来た。それは大臣が言うには男子禁制の皇女の住居で、彼女はこの住居からはほとんど外に出ないのだそうだ。
小さい建物と言っても、あくまでも城に比べての事であり、それは大富豪の御屋敷みたいな白い洋館で、その前には噴水や花の庭園があった。そしてその周りは緑の星らしく、大木の森林に囲まれている。
「これは美しい場所ですね。」
ヒロが思わず感嘆の言葉を出した。彼は地球から離れてあと、これだけ美しい場所を見たことが無かったのだ。勿論、地球人の感覚での美しさではあるが…。
「さて、男子禁制ですが、王子は皇女の夫となる身。私は入る事が出来ませんが、王子と他の女性方はどうぞ中へ…。」
「うむ…。」
ヒロは大臣に頷いてみせ、その白い木の扉を開いた。中は明るく、そしてほんのりと香水の様な良い匂いが流れてきた。目の前は落ち着いた色調の大きなホールで、そこに十数人の女性が並んで立っていて、ヒロが入ると同時に一斉にお辞儀をする。
ヒロはリンザと兵士の中の女性を一人連れて中に入り、その女性達と対峙した。
その女性達は、皆統一された青いワンピースにエプロンという姿なのだが、その中央にいた女性だけは違う。美しいく清楚なドレスに身を包み、そのサラサラの金髪や胸元には美しいアクセサリーが光っている。そして侍女達も美しい若い女性ばかりだが、その中央の女性はその中でも群を抜いて美しい。高貴で清楚。それはまるで女神の様な女性であった。
「お初にお目にかかります、ケリッシュ様。私がセトスの皇女、サシャリーナ=クラムーラ=セトスです。シャーナとお呼びください。」
その美しい女性がユックリと優雅に頭を下げる。ヒロはそれで少し焦ってオドオドした。ケリッシュに変装してから初めての動揺である。
「わ、私がケリッシュです。どうぞよろしく…。」
シャーナはその動揺した姿に、思わずクスッと笑った。その笑顔がまた美しく、そして暖かな雰囲気が流れる。
「飲み物の用意が整っています。さあ、奥へどうぞ…。」
彼女は笑顔のまま、ヒロ達を奥へと案内する。
飲み物が用意してあったのはその建物のバルコニーで、美しい庭を見通せる場所であった。そこに彼女はヒロ達を案内し、そしてそこにある丸いテーブルに彼を座らせた。
「ここが私の一番好きな…、そして一番安らげる場所です。」
「はあ…。なるほど良い景色です。私もこういう場所は好きですね。」
「良かった…。アルマの方は自然が御嫌いとの噂が有りましたので、こんな場所はお気に召さないかと思いましたのよ。ちょっとドキドキしてしまいました。」
シャーナは胸を押さえて少し頬を染め、そう言いながらヒロの正面にゆっくりと座った。動作や口調の全てがおっとりとしていて、彼女が本当に育ちが良いと思われた。しかし、リンザと女兵がヒロの後ろに立ってキョロキョロと警戒をしていると、それに気付いて言う。
「ここはお城より厳重な警戒がされておりますのよ。賊が入る可能性はほとんど有りませんわ。」
リンザと女兵が頷いて、しかし、意識だけは緊張を緩めずに正面を向いて固まった。シャーナの侍女が、その後すぐにおしゃれなカップにお茶らしき物を注ぐ。それは昨日リンザがパーティーで飲んでいたコンという飲み物である。しかし、ヒロはそれに全く感心を示さず、彼女の動作見詰めながら質問をした。
「シャーナ殿は…。…失礼、あなたの情報が全く無かったので、質問をさせて頂きたいのですが…、この縁談をどう思っていらっしゃりますか?」
シャーナ笑顔でユックリと頷くと、ユッタリとした口調で言う。
「大変良い事だと思いますわ。この縁談が成立しませんと、二つの星に本当の平和は訪れませんからね…。私、一人の犠牲で平和が訪れるなら…。と、昨日までは考えていましたわ。」
「昨日までは?」
シャーナはカップの取っ手をつまみ、口に持っていった。そしてコクッと少しだけ口に含むとそれを置く。
「はい。昨日まではそう思っていました。でも、あなたに会って、少し考えが変わりました。」
ヒロが首を傾げる。
「どういう…。」
「犠牲では無く、それが幸せに繋がるかもしれないと考えられたのですわ。あなたの優しげな目を見て…。」
ポッと頬を染めた。その姿は可愛らしく、ヒロ本人の人格なら、抱きしめたくなるほどの衝動にかられる所である。しかし、今はケリッシュとしてここにいるので、彼は落ち着いた様子でクスッと笑ってカップの取っ手をつまんだ。
「そう思っていただけるのは光栄です。勿論あなたの幸せを私は考えていますし、そして私もまたあなたと一緒にいて幸せになりたいと思っています。…失礼。実の所、あなたの情報や映像が全く無かったので、私の苦手なタイプの女性だったらどうしようかと思っていたのです。」
「私はどうですか?」
ヒロはカップに少しだけ口を付けてから答える。
「あなたの為なら私は命も捨てるでしょう。これは世辞では無く本心からです。」
シャーナが顔を真っ赤にさせて俯いた。なんて可愛らしい女性だろう。ヒロはそう思い、自分がただの身代わりというのが少し酷に思えてきた。結婚の儀式は確かに行うが、さすがに人の妻になる人を抱くわけにはいかない。
「よければ庭を案内していただけますか?庭に出てよろしいならば…。」
「勿論です。どうぞ。」
シャーナは顔を赤らめたまま立ち上がり、そして二人はバルコニーから外に下りていった。さすがにリンザと女兵はシャーナとヒロについて行くわけにはいかず、一応警戒をしながらそれを見送った。シャーナの侍女達はこの館の警備システムを信じているのか、全くシャーナが庭にでるのを全く気にせず飲み物の片づけをしはじめている。
ヒロはシャーナと肩を並べて庭をユックリと歩いていく。花が咲き乱れたその風景は、まるで楽園を想像出来るくらい美しく、穏かで良い匂いがした。
「本当に奇麗な場所ですね…。私はこんな奇麗な場所に来た事が有りません。」
ヒロはポーっとその美しさに見とれて思わず言った。しかし、すぐにハッとして口を噤む。それはケリッシュの言葉では無く、ヒロ本人の言葉であったからだ。
「まあ…。アルマ星は緑などの自然を何百年も前に捨てたと聞いていたけど、少しの自然も残っていないのですか?」
シャーナは気付かずに話しを続ける。それでヒロも悟られないようにその話しに合わせた。
「そうなんです。科学が発展してからは自然などが必要無いという意見があったらしく、過去の科学者に薦められて、自然を排除してしまいました。まあ、その背景には、人の増加に合わせた居住区が必要だったからなのですが…。」
これは資料にあった事実である。シャーナは暗い表情で頷く。
「そうですか…。科学で全ての代用が出来るとしても、決して本当の自然に優るわけは無いのに…。しかし、人が増えてしまっては、当時のアルマ王としても仕方ないと言う所ですか…。」
「ええ…。しかし、今はその住居区も、長い戦争の為に人が減り、廃虚となってしまっていますが…。」
「まあ…。」
シャーナがますます顔を顰める。そういう表情をしていても、彼女の美しさは一向に損なわれる事が無い。
「もっとも、その廃虚に植物を戻そうという計画もありまして…。この縁談が上手く行きましたら、戦争に掛けていたお金を完全にそちらに回せるのですよ。」
シャーナの表情がパっと明るくなった。
「それは良い計画でございますわね。是非ともそうしていただきたいです。」
ヒロはそこで立ち止まり、シャーナの手を取った。
「あなたが私を嫌わずにいてくれたら、もうこの計画は完了したも同然です。私はあなたといつまでも一緒にいたいと…、あなたと共に生きたいと思っていますから…。」
シャーナはポーっとした表情でヒロを見上げた。徐々に頬を染めて、そして一瞬だが辛い表情になり、目を背ける。
「どうしました?」
「え…、あ…。嬉しいです。私、嬉しいです…。けど…、うんん、きっと上手く行きますわ。」
彼女はそれだけ言うと、またパっと明るい表情になった。ヒロは一瞬表情をかえた事に気づかぬフリをして、そして彼女と肩を並べて、また庭を歩き出した。
「どうだった?あのお姫様は…。」
リンザが聞く。例の如く、手に盗聴盗撮防御装置を持っている。ヒロは広い部屋のベットに寝間着の姿で腰掛けていて、この部屋にはリンザと彼しかいない。
「確かに綺麗で…はっきり言ってもろ好みだけど…。まあ、人の妻になる人だしね。」
「うーん、その辺りの感覚は良く分からないわね。そりゃ、表情から色々と読む事は私にも出来るけど、ああいうのが綺麗とか美人とか言うのか?全くヒューマンタイプは分からないわ。他の連中がこの任務を断っただけはあるわね。」
ヒロは、ハハハ…と苦笑いをした。
「それにしても結婚の儀式の初夜に性交を結ぶ事になるけど、あんた、任務を忘れて本気にはならないでよ。まあ、一回やらしてもらえるのは役得として…。」
「え?…僕、あの皇女様と一夜を共にするの?結婚の儀式だけで良いんじゃ無かったんですか?」
リンザは腕を組んで溜息を吐いた。
「そんな訳、無いでしょう?本物の王子と入れ替わるのはアルマ星に挨拶がてらの旅行に行った時よ。それまでは、あんたはあの皇女の夫で無くてはならないの。計画書、読んだでしょう?」
ヒロは口をポカンと開けた。語学や国の基礎知識、そして王子に対しての情報は直接脳に圧縮してインプットしていたが、計画書などはデーターをちゃんと目で読まなくてはならない。しかしヒロは、その計画書も圧縮データーの方に一緒に入っていると思って、ほとんど読んでいなかった。
「…、読んでないのね…。」
ヒロはコクンと頷く。それでリンザは呆れた表情をして溜息を吐いた。
「全く…。本当に駄目な弟だわ…。あのね、この計画はあくまでも結婚の儀式を無事に終らせる為のものだけど、だからこそ決してこの国の人達にバレては行けないのよ。だから、あなたはあの皇女様にバレない様に、全てケリッシュになりきらなくてはならないの。当然夜のお勤めも方もケリッシュになりきってやらなくてはならない。」
「そ、そんなぁ。」
ヒロが顔を顰めた。
「そういう事になっているの。勿論、本物のケリッシュ王子もその事を承知。ただ、避妊だけはしてよね。子供は本物のケリッシュ王子の方が仕込まなくてはならないから。」
「でも、一国の皇女にそんな事を…。」
「分からないわね…。一国の皇女って言っても、体は生殖器を持った女でしょう?別に気にせずに抱けば良いじゃない。それとも、ああいう女じゃ欲情しないの?」
リンザは、やはり別の人種らしい言葉でヒロに聞く。
「欲情って…。そりゃ、僕も男だし、綺麗な女性は好きですけどね…。でも、皇女ってのを除いても、彼女は他の男の妻になるんですよ?リンザさんの国では、そういう事は気にせずに、誰とでも生殖行為をしていたのですか?」
「私の人種は、私を残して絶滅しちゃったからね…。それに、元々固体数が少なくて、別の固体と会ったらすぐに生殖という感じだったから。その為に私達は両性を体に持っていて、あなた達の様なヒューマンタイプの様な一対一の夫婦という関係は無かったわ。ただ、血の近い者との生殖はしないけどね。」
彼女の種族が彼女を残して絶滅しているのはヒロも知っていた。元々知能も戦力も生命力も高い彼女の種族はそれほど子孫を残す必要が無く、その固体が少なかった所へ犯罪者の凶弾によってその星ごと潰されてしまったのだ。彼女は組織に入っていて、宇宙にいた為に助かった唯一の生存者だった。
「す、すみません。思い出させちゃいましたか?」
ヒロは思わず誤まる。しかしリンザは全く気にしていないように軽く笑った。
「何を謝っているのよ。それより、子供は作らないのだからその生殖行為は擬似的な物で、それほど気にしなくても良いんじゃない?あんたも、ヒューマンタイプの惑星に降りたら必ずそういう店に行くじゃない。性欲を満足させる為だけに女を抱くのに、任務で女は抱けないっての?」
ヒロは顔を顰めた。確かにそういう店にはよく行っていた。しかしそれは、彼がヒューマンタイプの男である限り仕方ない事である。つまり、溜まった物は出さなくてはならない。勿論、リンザもそういう事を良く知っていて、彼にそういう店に払う為の小遣いを渡している位である。
「わ、分かりましたよ。分かりました。リンザさんと話していると、そう言う道徳的な事で悩んでいるのが馬鹿らしくなりますよ。」
「ヒロの国の道徳など私は知らないからね。ま、金を払わずに一回出来るんだから、それも上玉の女との一回。楽しんできな。」
「はいはい。そう考えれば、少しは楽しくなってきますよ。でも、さすがにあの皇女様は男性経験は無いだろうな…。フーッ…。」
ヒロは溜息を吐いた。彼は処女を相手にした事が今まで無かったのだ。
「えっと…、何て言ったっけ…。あ、そうそう。初物って奴だわね。嬉しいでしょう?」
「…そう簡単でも無いですよ。あれって女性は本当に痛いらしいから…。やっててもあまり楽しくないと思いますよ。これが自分の恋人なら話しは別ですけどね。」
「そういうもんかね…。ま、どちらにしてもやらなくてはならないんだから、がんばりなさいよ。と、それより、あんた何か気になっていたんじゃない?」
ヒロが彼女の言葉で思い出し様な顔をした。
「そうそう、そうなんです。あの皇女様と話していた時に気付いたんですけど、彼女、何かを隠している様な気がして…。これはただの直感でしかないんですけど…。」
「…ヒロもそう感じたか…。私もあの皇女さんに、彼女の両親と同じ物を感じた。ただ、あの両親と違って、嘘を付くのが苦手の様な気がしてね…。まあ、それは後々調べたいと思っているのよ。でも、今はあんたの護衛が必要だからね…。」
「…別に気にせずに行って構いませんよ。どうせ、結婚の儀式まではこの城か皇女様の所にいるだろうし、一応、兵が護衛に着いてます。それに僕もヒューマンタイプが相手なら、自分で何とか出来ると思いますし…。」
「そうは言ってもね…。ま、それは明日までに考えておくわ。その時になったら一人でがんばってね。」
「はい。」
ヒロがそう返事すると、リンザは装置のスイッチを切った。
「それではお休みなさいませ。ケリッシュ様。」
「うむ。任務ご苦労であった。」
リンザは頷いて、そのままツツツツッと下がって扉から出ていった。それでヒロは侍女を呼び、彼女達に飲み物を持ってくるように申し付ける。侍女達はそれを予想していたのか、すぐにグラスに飲み物を持ってきて彼に渡した。
「それにしても、このコンって飲み物はお茶に似ているよな…。全て終ったら、沢山買ってかえろう。」
彼は呟き、冷えたお茶に似ているそのコンを一気に飲み干すと、空いたグラスを侍女に渡して彼女らを下がらせた。そして明かりを消して、ベットに入る。と、すぐにウトウトとし始め、眠りの中へと入っていった…。
夢は本人が忘れていた様な事を思い出させたりもする。ヒロは自分が幼かった頃の記憶を溯っていた。それは彼が全く覚えていない記憶で、両親と自然豊かな森でキャンプをしているものだった。
「浩、そんなに火に近付かない。危ないわよ。」
暗闇に灯る火に幼いヒロがいて、それを母が叱咤する。しかし、その口調は柔らかく、そして暖かなものであった。
「ママ…。僕、昨日変な夢を見たよ。変な夢なんだ。女の人と一緒に宇宙を旅している夢。」
ヒロは優しげな母に駆寄って、楽しそうに言う。近くに川があり、せせらぎがバックミュージックの様に聞こえていた。
「まあ。浩は将来は宇宙飛行士にでもなるのかな?」
「うん。きっと宇宙に出るよ。あの綺麗な星達の中を航海するんだ。」
「ほお。航海なんて難しい言葉を良く知っているものだな。」
後ろから声がした。それは眼鏡を掛けた父親で、彼は手に串刺しにした良く焼けた魚を持っていて、それをヒロに渡す。その横には幼い少女がいて、すでに焼けた魚に齧り付いていた。
「お姉ちゃんは何になるの?」
ヒロが聞く。彼女は口をモグモグとさせながら、しばらく首を傾げていたが、口の中が無くなると同時に言った。
「それじゃ、浩ちゃんと一緒に旅をしてあげる。えっと、千奈は看護婦さんになって、浩ちゃんの怪我を治してあげるよ。」
「怪我?僕、怪我なんかしないよ。強い正義の味方になるんだ。」
「正義の味方だって怪我くらいはするでしょ?千奈、浩ちゃんの事心配だもの。」
両親はそれでクスッと笑った。
「千奈は浩の事が一番大事だものね。ずっと一緒にいるの?」
「うん。千奈は浩をずっと見ていてあげるの。千奈はずっと浩を…。」
その時、ヒロは自分が大人に戻っている事に気付く。彼の姉である千奈もまた大人になっていて、浩に向って悲しげな表情をしていた。
「姉さん。父さんと母さんにはごめんって言っておいて。僕、もうお父さんとお母さんの期待には応えられないよ。大学も全部落ちたし、それに…、勉強もあまり好きじゃない。」
「浩の好きにしなさい。ただ忘れちゃ嫌よ。姉さんだけはあなたの味方だから。あなたが何をしても、どんな悪い事をしても、世界中の人が敵になっても、姉さんはあなたの味方。困ったら連絡してちょうだいね。」
「分ってる。姉さんだけは僕の味方だ。住む所が決まったら姉さんだけには連絡するよ。」
彼の姉は少し寂しげな、しかし一生懸命に笑って見せる。
「お父さんとお母さんの事、勘違いしないでね。二人もあなたを誰よりも愛しているのよ。だから、厳しく…、突き放した様な言い方をしているだけ…。」
「それも分ってる。だから恨んでも無いし、嫌ってもいないよ。でも、僕はそれに耐えられない…。そしてあの二人はそれを許さないから…。それじゃ。」
ヒロはバックを一つ抱きしめて、姉の部屋から静かに出ると一階に下りて玄関から外に出た。暗い一軒家の二階のベランダから涙を流している姉がしきりに手を振っているのが見える。ヒロはそれを振り切る様にして夜中の住宅街の道を走っていった…。と、突然目の前が炎に包まれて、そしてそこに大きな人影が…。それは人とは違った化け物で、その炎にも全く気にせずに暴れている。そして炎に焼かれた人の死骸が…。
「ヒロ!逃げるんだ!」
声が響く。それは化け物に向って攻撃をしている姉であった。いや、すぐにそれはリンザの姿になる。
「リンザさん!」
「死にたいか!早く逃げろ!」
ヒロは恐怖にかられて、慌ててそこから逃げようとした。しかし、周りは炎に囲まれていて、逃げる事が出来ない。
「ヒロ!良く見ろ!周りは森だぞ!お前の両親がいる!」
リンザの声が響く。それで立ち上る炎が全て木々に変って、そこに幼い頃の自分と両親と姉が笑顔でいた。
「母さん!父さん!姉さん!」
「起きろ!」
声が響く。それは全く聞いた事の無い声だ。
「姉さん!」
「起きてよ!」
声がまた響いて、ヒロはガバッと体を起こして目を覚ました。体中汗にまみれて、そこは静かな部屋の中だった。
「はあ…はあ…。」
ヒロは息を切らしていた。
「うなされていたよ?」
暗闇に声がした。それでヒロは一気に覚醒し、体に緊張が走り構えた。
「誰だ!」
「僕だよ。昨日ここに忍び込んだ…。」
ヒロは目を凝らしてそれを見る。彼の目はかなり夜目が利くのでその姿がぼんやりと見えて、それは黒装束のあの子供であった。それで溜め息交じりの息を吐く。
「あ…ああ。お前か…。また忍び込んだか…。」
「うん…。今日は昨日の事を謝ろうと思って…。」
ヒロは大きく深呼吸をして、そして心を落ち着かせると、穏かな声を出した。
「そんな事の為に来たのか?見つかれば殺されるぞ…。」
ヒロは盗聴が心配であった。リンザが装置を働かさなければ、ここの会話は筒抜けである。しかし、ヒロは部屋の壁際に人の気配があって、それがペン状の物を持って手を振っているのを見つけた。それはリンザである。彼女は侵入者の気配を感じて、それを警戒して部屋に入ってきていたのだ。ヒロは安心して頷く。
「あのね…。えっと皇女様とお話したの。そしたら、あなたとの結婚は幸せになれるって…。辛そうな表情はしてなかったの。だから、昨日の事を謝ろうと…。」
ヒロはニコリと笑った。
「そうか…。そうだね。私もあの皇女様と一緒になれるのは幸せかもと思っているよ。容姿もそうだが、性格もまた綺麗な人だからね。それより坊主は何で皇女様と話しが出来る?あそこは賊が入れる隙間の無い警備システムだし、お前が城の関係者だとしても、男は入れないであろうに。」
子供はギクリとした。
「城の関係者だとばれてたの?」
「当然だ。じゃなきゃ、子供が一人で城に入ってこれる訳が無い。もしお前が本当の賊の類で、それを手引きした者がいるなら、そいつの目的は私の暗殺と言う事になる。つまり、お前が私に何もしなかったと言う事は、外の人間では無いって事になる。」
「そうか…。王子様は頭も良いんだね。尊敬しちゃう…。王子様は色々な事を知っているんだね。」
「…話しを変えようとしているだろう。」
ヒロが呆れたように言う。それで子供はエヘヘと笑う。
「笑ってごまかすし…。全く、誰の侍従なんだお前…?皇女の側に行く事が出来るとなると、皇族の侍従か…。」
「当たり!凄いね。でも、もしも、その皇女様が本当は性格も容姿も綺麗じゃなかったら、王子様は結婚を承知した?」
子供の話しは脈絡が無い。でも、と接続詞をつけておきながら、その前と全く違う事を話している。話しを変えようとしているのか、それともこの子供の中では繋がっているのか。どちらにしても、ヒロは呆れてしまう。こんな夜中にくだらない事をいつまでも話しているつもりは無い。
「あのね…。」
「答えてよ。それじゃなきゃ、皇女様の夫と認めないからね。」
ヒロは溜息を吐いた。それにこの答えは彼の意志では無く、あくまでも王子としての答えである。
「分かった分かった。相手がどんな皇女でも私は結婚をしているよ。それが平和への道だし、それに私は女性にそれ程理想を持っていない。誰であろうと優しく出来るし、そしてどんな悪女であろうとも少し努力をすれば愛する事も出来るであろうよ。もっとも彼女はそんな悪女とは思えないし、そして私の好みであるから気にする事もないだろうがね。」
子供は少し考え込んで…、そして頷いた。
「あまり納得いく答えじゃないけど、でもいいよ。皇女様はあなたに上げる。」
「なんだ?お前は皇女のお父上か?」
ヒロが笑った。それで子供もクスクスと笑い、しかし、すぐに真剣な声を出す。
「所で、うなされていた時の姉さんって誰?確か王子に姉上はいないでしょう?」
ギクッ、としたのはリンザだった。こんな子供に正体がばれるのか…。リンザは懐からナイフを取り出した。ここでバレれば、計画は失敗に終る。彼女は子供とて容赦はしない…。しかし、ヒロは落ち着いていた。彼は小さく溜息を吐いて、拙い事を聞かれたという風な態度を取ると、子供に話す。
「うなされてそんな事をね…。姉さんってのは、私の護衛役のあの人の事だよ。」
ヒロはナイフを持っているリンザを指差す。リンザは慌ててナイフを懐にしまし、そこに子供が振り返った。
「あ…、人がいた…。また、全然気付かなかった…。」
「彼女は私の乳姉弟なんだ。誰にも言うなよ。彼女は私の姉の様な存在で、いつも助けてくれていたのさ。それで子供の頃は彼女の事を姉さんと呼んでいたのだが…。」
「子供の頃の夢を見たの?」
「そう。子供の頃の自分が怖い化け物に追い駆けられている夢。ははは、恥ずかしいから絶対に他の者に言うなよ。」
子供はコクンと頷いた。
「さあ、もう帰れ。彼女以外の者に見つかると厄介だよ。」
「うん。明日、皇女様と会っても僕の事は言わないでね。怒られるから…。」
彼はそう言いながら身軽な足取りで窓に向う。
「分かっているよ。ん?明日、皇女と会う約束は無いはずだが?」
「それじゃまた明日来るね…。」
彼はそう言うとそのまま窓から出ていった。それでヒロはアッと思わず言いかけたが、大きく深呼吸をする。
「明日も来るのか?あの子供は一体何者なんだ?」
そこにリンザが近付く。
「調べておこうか?私も少し気になるから…。」
「別に良いと思いますよ。どうせ子供のやる事だし…。」
リンザは軽く頷く。そしてキッとヒロを睨んだ。
「それにしても任務中にくだらん夢を見て、それにうなされるとは情けないわよ。」
「す、すみません…。気を付けます。」
「ん。」
彼女はニコリと笑って、そしてまた闇に消えた。ヒロはそのまま、またベットに横になり目を瞑る。
“ 組織に入いれてフリーパスが貰えたら、姉さんだけにはこの事を知らせよう。恐らく僕は死亡か行方不明って事になっているはずだから、姉さんだけには生きている事を知らせたい…。”
彼はそう考えながら眠りに入っていった。
次の日。ヒロは昨夜の子供が言っていた事が真実に基づいていたと知る。それは皇女がヒロとの面会を望んで、彼は半ば強制的に彼女の離れの館に訪れる事になったのである。どうせ、今日の予定はくだらない軍部の視察と皇族とのパーティーだけであったので、それは喜ぶべき物であった。しかし、深読みして考えると、軍部への視察の阻止の為の突然の予定と考えてもおかしくない。突然の予定ならば、スケジュールを先に伸ばす事が出来ぬ以上、今日の予定は全て中止と言う事になる。軍部の内部に敵を入れるのを好ましく無いと思った者が何らかの形で皇か皇女に働きかけ、皇女の予定を急に入れたとも考えられる。もしくは最初からその予定で、軍部は今日の視察の準備など全くしていないという可能性もある。
「まさかな…。」
少し猜疑心が大きくなってしまったな。ヒロは軽く笑った。実の所、少しだけ不安が出来てしまったのである。それで彼は、朝から下らぬ事を色々と考えてしまっていた。その不安とは、リンザがこのセトスを離れてしまったのである。早朝にいきなり本部から連絡が有り、新たな命令が下ったのだ。ただし計画は続行で、ヒロはただ一人残されてしまったのである。
「一人でも大丈夫と言った手前、ここはがんばらなくてはな…。」
ヒロが呟く。リンザは正式に組織に入っている訳では無いヒロを、置いていく訳には行かないと命令を無視しようとしたのだが、それをヒロが大丈夫だからと説得したのである。
「どうかしましたか?」
ヒロは昨日と同じバルコニーの丸い机の前に座っていて、正面に座っている皇女が首を傾げて聞く。それでヒロはハッとして笑顔を作った。
「別に…。色々と国の将来の事を考えてしまいまして…。」
「まあ。ケリッシュ様はお仕事に熱心でいらっしゃるのね。でも、私といる時は、そんな事を考えずに私の事を考えて欲しいですわ。」
彼女はそう言うと、ポッと頬を赤らめた。何とも初々しい恋人達の様である。ヒロは思わず笑ってしまった。
「失礼しました。これからはそうします。シャーナ殿。」
彼はそう言って彼女を見詰める。シャーナはヒロの視線を感じて目を逸らし、真っ赤になってしまう。それでヒロは考えた。この女性は一体幾つなんだろうか。見かけでは十七・八と言う所だが、こんな表情を見ていると、まだ十二・三の思春期の子供に見える。昨日、初対面の時はもっと大人っぽい感じを受けたが、これが彼女の本当の姿なのであろうか。
「あの…、私殿方と話す事って今まであまり無かったので…。おかしいですか?」
シャーナはまるでヒロの考えている事が分かるかの如く、彼の疑問に答えた。ヒロの表情から、それを読み取ったのであろうか。
「いいえ。とても可愛らしくて好ましいですよ。」
ヒロがそう言うと、ますます顔を赤らめる。その姿は本当に可愛らしいのだが、ヒロは困ってしまっていた。彼自身が好きになるという感情を消さなくてはならないからだ。自分はあくまでも身代わりで、決してこの女性を好きになってしまってはいけないのである。
「ケリッシュ様は私といて退屈ではありませんか?私、俗世界の事に疎くて…。何しろ、生まれてからずっとこの屋敷にいたものですから…。」
「そんな事は有りませんよ。あなたとは、ただ一緒にいるだけで楽しいのです。…これは本心ですよ。」
本心だった。ヒロの本心。しかし、彼はその心をセーブしなくてはいけない。ヒロの感情を持ち込んではいけないのだ。
「良かった…。あ、そうだ。昨日、あれから侍女達に頼んで手に入れたお菓子が有りますのよ。召し上がります?」
「ええ、いただきます。所で、この屋敷には侍従は入れていないのでしょう?」
「?はい。男性はケリッシュ様以外には絶対に入っていませんが…。お父様も、ここに入られる事は有りません。それが?」
ヒロは夜中に現れるあの子供が一体どこでこの皇女に会うのかが気になった。それともこの皇女は嘘を言っているのだろうか…。
「どうしました?」
「いえ別に…。所でその菓子とはどんな物なのでしょうか?」
シャーナはニコリと笑って侍女を呼ぶ。すると侍女はすでにそれを用意していて、銀の器に入れられたクッキーの様な物を持ってきた。
「セトスの地方の方の伝統菓子だそうです。私、このお菓子が大好きで…。ケリッシュ様にも食べて頂きたいなって…。」
「どれ…。」
ヒロはそれをつまんで口に入れた。口いっぱいに甘さが染み渡る。が、その中に香料なのか良い香りとそしてほんのりと苦みがあった。その表情をシャーナが心配そうに見ている。いや、その表情とも少し違った。
「なるほど…。これは美味しいですね。初めて食べました…。と、いうか、私はそれほど甘いものが得意では無くて…。自国の菓子もほとんど食べた事が無かったのです。これは美味い。」
ヒロが言うと、シャーナはホッとした、いや、溜息に近いものを吐いた。そして訝しげに見るヒロに慌てて言う。
「良かった。そのお菓子は甘くて、男の方は嫌いかと少し心配でしたの。でも、ケリッシュ様はお菓子が好きとの情報が有ったので…。」
ヒロの方にそんな情報は無かった。それで軽く笑顔で答えた。
「どうも、情報っていうのは当てになりませんね。私なんか、シャーナ殿の映像も、少しの情報も手に入りませんでしたから…。まあ、アルマの情報力が低下している所為かもしれませんね。」
「そうなんですか?」
そんな事実は無い。ヒロは冗談のつもりで言ったのだが…。しかし、シャーナは真剣に聞いていて、その態度は少し変だった。ヒロはそれで彼女が何か自分に探りを入れていると、考えた。しかし、すぐにそれを否定する。リンザのいない不安から、意識が高まって鋭敏すぎる程に色々と感じてしまっている所為だと。
「さて、実の所、私は軍部の事が良く分かりませんで…。それより、そんな事を知りたいのですか?」
ヒロが軽く切り替えした。それでシャーナは慌てて手を振る。
「そんな事、興味は有りませんよ。それより、もっとコンをどうぞ…。」
彼女が飲み物を進める。ヒロはハッとしてシャーナを見た。間違えでは無い。彼女は僕から何かを調べようとしている…。ヒロはそう考えて、屋敷内の気配を探りそして緊張した。何故なら、その部屋の外に兵士達が構える銃のカチャカチャという音を聞いたのだ。兵がこの屋敷を固めている。リンザがいない時に…、それも自分の護衛は女兵が一人しかいない。いや、護衛の者は少なくて良かった。邪魔になるだけだから。
「どうしました?」
シャーナが聞く。ヒロはその清楚な美しい動作が全て演技だと感じて悲しみを感じた。そしてこの女を好きになりかけていた自分に気付き悔しく感じてポロリと涙が流れた。それは彼女に対しても悔しさもあったが、兵に気付かなかった自分の愚かさの涙でもあった。
「ど、どうしました?何が…。」
シャーナが驚いて聞く。それでヒロはポロポロと涙を流して彼女を見詰め、そして悲しげに口を開いた。
「あなたはなんて人なんだ…。私はあなたを信じて…。私は愚かだ…。」
「な、何を…。」
シャーナが聞く。が、その時、ガチャガチャと武装した女兵士達が一斉に入って来て、ヒロの女兵が瞬間に腰の銃を抜くが、敵は一斉にヒロと女兵を囲み銃口を向けたのでヒロの女兵は諦めてその銃を捨てた。
敵兵の動きは速かったが、ヒロは抵抗しようとすれば抵抗も出来た。しかし、あえてそれはせずに、両手を挙げてシャーナを睨み続けた。彼女は兵士達に後ろへやられて見えなくなる。
「抵抗はしない。どういうつもりか知らないが、セトスは最初からそういうつもりだったのか?」
「この敵が!」
兵の一人が銃のグリップでヒロの額を殴った。ヒロはその衝撃で後ろに転がり、彼の女兵がそれを抱き止めた。
「大丈夫ですか。王子…。」
「ああ…。この位は何とも無いよ。」
ヒロはそう言うと立ち上がり、殴った女兵を睨む。
「僕達をどうするつもりだ?これは皇女の考えか皇の考えか?」
「質問は認めない。お前はいずれ公開処刑に処するが、それまでは牢の中にいてもらう。」
ヒロは溜息を吐く。彼の後ろで彼の女兵がガックリと肩を落していた。
「すみません。私がいながらこんな事に…。」
「気にする事は無いよ。どうせこうなる事になっていたようだ。」
彼は女兵にそう言った。敵の女兵士がヒロの腕を後ろに持っていきそこで手錠をし、そしてやはり手錠をされたヒロの女兵と共に乱暴に引張った。ヒロはそこで無表情で見ている皇女を睨み付けて、そしてそのまま出ていった。
“任務なのに感情を入れてしまったバツかな…。それにしても大した女だよ。女が魔物だというのは地球だけでは無いな。”
ヒロはそう呟くと、軽く鼻で笑った。
ヒロが捕まったという情報をリンザが聞いたのは、ヒロが捕まってから数時間後である。彼女は本部の命令で他の任務についていて、その定時連絡の時のその情報を聞いたのだ。
ヒロの保護者であるリンザは当然任務を中断して彼を助けに行こうとした。しかし、本部はヒロを放っておいて任務を続行するようにとの事だった。
「何故です!ヒロはまだ組織の一員では無いし、当然彼の保護者である私は助けなければならないでしょう!」
廃屋の様な、薄暗くぼろいビルの一室でリンザが怒鳴った。そのビルには他に人の気配は無く、彼女はそこに隠れている様な状態である。
「待つのだ。セトスは彼を人質にして、アルマの裏での動きを制止するつもりである。彼を殺しはしない。」
彼女のリストバンドから、小さい黒いモヤモヤとした陰が出ている。それは彼女の上司で、このリストバンドは通信機であった。
「しかし、アルマがそれで動きを止めるわけは無いでしょう!当然、彼が人質にならない偽者とばらして、アルマが優位な状態で戦争を再開する事になり、そうなればヒロは殺される。黙って見てろと言うのですか!」
リンザは怒りの形相のままリストバンドから出ている彼女の上司に怒鳴る。
「落ち着くのだ。アルマとて裏での動きが成功しなければ、戦争を再開してもまた前と同じ状況に陥るだけと知っている。だから、当然裏で動いている者達からの成功の報告が有るまで、ヒロを囮にして置いた方が良いはずだ。つまり…。」
「つまり、私の作戦の方でアルマの動きを阻止している内は、ヒロは殺されれずに済む…。」
「その通りである。だから短気を起こさず、君は君の任務をまっとうしなさい。」
リンザは口を尖らせてムッとしたまま黙った。
「ヒロは心配であろうが、彼は彼できっと良いように動くであろう。何かあってもそう簡単には殺されないと私は思うがね?」
「彼は弱いヒューマンタイプなのよ!」
「敵も弱いヒューマンタイプだ?彼の生体改造のデーターと訓練のデーターを見たが、普通のヒューマンタイプに嬲り殺されるような事は無いと私は思うがね。」
「そりゃ、普通のヒューマンタイプよりは強いけど…、でも、銃弾や爆弾に当たれば簡単に死ぬんですよ。我々の様な強い細胞や生命力を持っているわけでは…。」
「どちらにしても、君は任務を遂行しなさい。少しは彼を信じて…。」ブツッ!
リンザは怒ったまま通信を切った。しかし、確かにヒロを助けに行くよりここで任務を遂行した方がヒロは助かる確率が高い。それでリンザは少しの間だけ目を瞑り深呼吸をすると、いつもの冷静な表情に戻って、任務を遂行するために彼女はそのままそのビルの部屋から出ていった。




