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『戦国時代に転生したらAIまで付いてきた!これ、天下取れるんじゃね?』  作者: ユミヒロ


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第二章 清須の流れを読む

第15話 炭が減っているのに、売り物は増えていない

翌朝。店を開ける前から、昨日の商人が来た。早い。商売に熱心というより、俺が逃げる前に捕まえに来た顔をしている。

「昨日の話、考えたか」男は店先の柱にもたれたまま、いきなり本題へ入った。

親父は奥で荷札をまとめている。兄貴は聞いていないふりをして、思いきり聞いている。

「清須へ出す紙なら、見せられません」俺がそう言うと、男は眉を上げた。

「金を積んでも?」

「そこを金で変えたら、次から俺の紙を誰も信用しなくなる。たぶん、そっちの損の方が大きいです」

言いながら、ちょっと格好つけた気がした。男は笑わない。

「ずいぶん商人らしいことを言うな。昨日は謝って怒られてた小僧が」

見てたのかよ。津島、本当に怖い。

「でも、別の紙なら作れます」

今度は男が少しだけ身を起こした。

「別?」

「誰に見られても困らない話だけ。値が上がったとか、荷が入りにくいとか、どこで待たされるとか。城へ出す紙とは分けます」兄貴が荷札から顔を上げた。

「それ、俺にも売れる?」

「兄貴はまず働け」

「朝から弟に客扱いもされんのか」

「お前は客じゃない」と親父が奥から言った。兄貴が口を尖らせた。

男はしばらく俺を見ていた。

「で、いくらだ」

そこまでは考えてなかった。

「……まだ決めてません」

「商人らしい顔して二息で戻ったな」兄貴が吹き出した。

腹立つ。頭の中でAIへ聞く。

「分け方、作れる?」

『可能です。情報源、公開範囲、相手への影響、確度を分けて記録する方法を提案できます』

「難しく言わない」

『売っていい話と、売らない話を最初から別にします』

「それ」男が首を傾げた。

「何がそれだ」

「何でもないです」

危ない。親父が荷札を置いた。

「弥吉。城の話と店の商いを混ぜるな。混ぜたら、どっちも長く続かん」

「うん。だから分ける」

「口で分けるな。帳面も分けろ」

やっぱり親父の方が早い。俺は新しい薄い帳面を一冊出した。城へ出す三つは、いつもの帳面から俺だけが抜く。店で売っていい話は、最初から別にする。誰から聞いたか。

どこまで確かか。誰に言ったか。そこまで残す。

『情報の用途別台帳として――』

「長い」

『売る帳面』

「急に雑」兄貴が俺を見る。

「お前、朝から一人で忙しいな」

「兄貴も忙しくして」親父が言った。

兄貴は素直に荷を持った。男は、俺が書き始めた薄い帳面を覗き込もうとした。俺は閉じる。

「まだ一文字も売ってません」

「けち」

「商人なんで」

今度は男が笑った。

「又三郎だ」

「え?」

「名前も知らん相手に金を払うのは気持ち悪いだろ。又三郎。米と油を扱っとる」

初めて名乗った。俺も名乗る必要はない。もう向こうが知っている。

「じゃあ又三郎さん。最初の紙ができたら声かけます」

「高かったら買わんぞ」

「安くても売らんかもしれません」

「面倒な小僧だな」そう言いながら、又三郎は機嫌よく帰った。

兄貴が荷を抱えたまま寄ってくる。

「なあ。あれ、儲かると思う?」

「分からん。でも、同じ情報を城にも商人にもそのまま渡すのは嫌だ」

「何で?」

「城は城で使う。商人は儲けに使う。使い道が違うのに、同じ紙を渡したら何が起きるか分からんから」兄貴は少し考えて、肩をすくめた。

「俺なら高い方に売るけどな」

「知ってる」

「ひどくない?」

「昨日、自分で言ってたじゃん」

朝から少し笑った。そのあと。俺は昨日丸をつけた三つ目を見に行った。炭。鉄。

鍛冶屋。最初に向かったのは、町の西で農具を直している鍛冶屋だった。店の前はいつも通りだった。鎌。鍬。

小刀。増えていない。むしろ、前より少なく見える。でも裏へ回ると、炭俵が積んである。

「おい。勝手に裏見るな」

中から男が出てきた。腕が太い。顔に煤がついている。前にも鎌を直してもらったことがある。

「ごめん、源八さん。炭が増えたって聞いたから」

「聞いたから裏へ入る奴があるか。お前んとこの店で同じことされたら親父に叩き出されるぞ」

正しい。俺は一歩戻った。

「じゃあ表から聞く。最近、炭たくさん使う?」

源八は露骨に嫌な顔をした。

「何だ。今度は炭を数え始めたのか」

「数えるというか、増えてるのかなって」

「増えとるよ。見れば分かるだろ」

「なのに、店の鎌とか鍬は増えてない」

源八の目が少し細くなった。

「お前、そこまで見とるのか」

「暇なんで」

「店の仕事しろ」親父と同じことを言われた。

源八は炭俵を一つ蹴った。

「売り物を増やすために火を焚いとるんじゃねえ。頼まれた仕事がある」

「何の?」

「それを聞くなら帰れ」

早い。でも。怒ってはいない。言えないだけだ。

『注文品の可能性が高いです』

「それは俺でも分かる」頭の中で返す。

源八がこっちを見る。

「また独り言か」

「癖です」

「気味悪い癖だな。まあいい。鎌なら三日待て。今は細かい直し物が詰まっとる」

「細かい?」

「今のは忘れろ」

忘れない奴が頭の中にいる。俺は表へ戻った。次は別の鍛冶屋。そこでも炭が増えていた。鉄も買っている。

でも出来上がった農具は増えていない。三軒目。同じ。四軒目は、兄貴が知っている鍛冶屋だった。兄貴も連れていく。

「弥吉、お前、一人で聞くと取り調べみたいになるから俺が喋るわ」

「昨日まで兄貴の方が口軽かったのに?」

「口が軽いから喋れるんだよ」

自慢するな。四軒目の男は、兄貴を見るなり笑った。

「新吉、お前んとこの弟どうなっとる。最近、町じゅうで物の数聞いて回っとるぞ」

「俺も分からん。昔から変だけど、最近ひどくなった」

「紹介の仕方!」

二人で笑う。でも、その笑いのおかげで空気が軽くなった。兄貴は炉の前にしゃがみ込んだ。

「なあ、炭の値上がった?」

「少しな。買う奴が増えた」

「ここも?」

「増やした。火を落とす暇がない日がある」兄貴が自然に聞く。

「そんなに鎌売れるの?」男は鼻で笑った。

「鎌なら楽なんだがな。同じようなのを、何十もって言われる方が面倒だ」俺は兄貴を見る。

兄貴も俺を見た。同じようなの。何十も。

「何を?」俺が聞いた瞬間。

男は口を閉じた。しまった。兄貴が横から笑ってごまかす。

「弥吉、そこ聞いたら俺が連れてきた意味ないだろ。こいつ今、炭がどれくらい要るか知りたいだけだから」

「お前も十分怪しいわ」男は笑ったが、もう品物の話はしなかった。

店を出る。俺は小声で言う。

「兄貴、うまいな」

「だろ?」

「腹立つくらい」

「褒め方を覚えろ」頭の中でAIが整理を出す。

『四軒中四軒で炭使用量が増加。三軒で鉄仕入れ増。完成した一般販売品の在庫増加は確認できません。二軒で納期圧力、一軒で同種品の複数注文を示す発言がありました』

「武器?」

『候補です。ただし、現時点では断定できません』

「農具をまとめて頼んでる可能性もある」

『はい。建築金物、船具、馬具の金具、道具の修理なども除外できません』

ちゃんと強い。一つに飛びつかない。

「次、何見れば分かる?」

『完成品ではなく、同時に増える材料と受け取り手です』

「材料は炭と鉄」

『加工後に組み合わせる別の部材があるなら、そちらにも需要が出る可能性があります』俺は歩きながら考える。

鉄だけで完成する物。木と組み合わせる物。革と組み合わせる物。縄と組み合わせる物。兄貴が横から俺の顔を覗く。

「その顔、また何か始まったな」

「何が?」

「人の話聞かなくなる顔」

「今、聞いてる」

「じゃあ俺がさっき何言った」

「……何か言った?」兄貴が頭を抱えた。

夕方。炭屋へ行った。ここ二日で誰が買ったかを全部教えてくれ、なんて言わない。言ったら追い出される。だから普通に聞いた。

「炭、最近よく出る?」

「出るな。鍛冶屋が持ってく」

「いつもの人?」

「いつものもいるし、使いも来る」

「清須から?」

炭屋の男が俺を見た。

「お前、それ知ってどうする」

「まだ決めてない」

「一番怖い答えだな」

笑われた。店を出ると。荷を担いだ若い男とすれ違った。炭ではない。細長い包み。

二十本くらい。同じ長さ。俺は振り返る。男は鍛冶屋の方へ入っていった。

「木?」

『外観から材質は確定できません』

「でも同じ長さ」

『はい』俺は追わなかった。

追ったら怪しい。もう十分怪しいけど。頭の中に一つだけ残った。炭。鉄。

同じ物を何十。そして。同じ長さの、細長い何か。売り物は増えていない。でも。

町の中では、何かが作られている。

第16話 鉄より先に、まっすぐな木が消えた

次の日。俺は木を見始めた。兄貴に言ったら、最初は笑われた。

「昨日は炭で、今日は木か。明日は土でも数えるのか?」

「必要なら数える」

「真顔で返すなよ。こっちが冗談言ったみたいになるだろ」

「冗談じゃないの?」

「冗談だよ!」

朝から兄貴の声が大きい。親父が店の奥から顔を出した。

「騒ぐなら外でやれ。客が来る前から疲れる」

「弥吉が木を数えるって」

「お前も昨日、縄を数えとっただろ」

「俺まで変な側に入れないでよ」親父はもう聞いていなかった。

俺は昨日見た細長い包みを思い出す。同じ長さ。鍛冶屋へ入った。鉄と組み合わせるなら。柄。

棒。枠。取っ手。いろいろある。

「候補、多すぎるな」

『絞れます』

「どうやって?」

『需要が増えた木材の形状、長さ、太さ、加工状態を確認します。鍛冶屋側で同一品を複数作っているなら、組み合わせる部材側でも規格の偏りが出る可能性があります』

「規格って言葉、俺が外で使ったら変な顔されるからな」

『同じ長さ、同じ太さで結構です』

「最初からそれで言って」

最初に材木を扱う店へ行った。太い柱材はある。板もある。俺が欲しいのは細くて長い物だ。店の男に聞く。

「最近、長くて真っすぐな木、よく出る?」男は顔をしかめた。

「それだけじゃ木は売れん。何に使う」

「それを知りたい」

「帰れ」

早い。こういうとき兄貴が便利だ。でも今日は店番だ。仕方なく言い方を変える。

「じゃあ、今すぐ十本欲しいって言ったら揃う?」

「太さは」

手で示す。

「このくらい」

「長さは」

昨日の包みを思い出して示す。男は少し考えた。

「十なら何とか。二十は待て」

「前なら?」

「二十でも出した」

来た。

「何で減った?」

「買われたからだよ。お前、俺に商売教わりに来たのか」

「誰が?」

「そこまで言うか」

やっぱり言わない。でも十分だ。次の店。同じ太さ。同じくらいの長さ。

在庫が少ない。三軒目。

「昨日まとめて出た」と言われた。

『偏りが確認できました』

「鉄より木の方が先に足りなくなる?」

『現時点の観測範囲では、該当形状の木材の在庫減少が明確です。鉄材全体はまだ代替調達先があります』

「つまり、作る側じゃなくて組み立てる側で詰まる?」

『可能性があります』

面白い。鉄を見ていたら。鉄が足りないと思う。でも。鉄だけでは完成しない物なら。

別の部材が先に止まる。俺は昨日の鍛冶屋へ戻った。源八のところではない。兄貴と行った四軒目だ。男は俺を見るなり顔をしかめた。

「今日は何を数えに来た」

「木」

「鍛冶屋で木を数えるな」

「だよね。でも昨日、同じ長さの細い包みが入ってきたじゃん」男の顔が止まった。

言いすぎた。

「お前、どこで見とった」

「道」

「道?」

「普通に歩いてたら見えた」男は嫌そうに俺を見る。

「お前みたいなのが近所におると、隠し事できんな」

「隠してるんだ」

「言葉尻取るな」

少し怒っている。俺は一歩引いた。

「ごめん。注文主の名前はいらない。何を作ってるかも、言えないなら言わなくていい」男が怪訝な顔をする。

「じゃあ何しに来た」

「木が足りなくなりそうだから。もし木待ちで仕事が止まるなら、別の店にまだある」

今度は男が黙った。

「どこに」

「それを言うなら、一つ聞いていい?」

「何だ」

「欲しいのは、昨日の包みと同じくらいの長さ?」男はしばらく俺を見た。

炉の音がする。奥で誰かが鉄を打っている。やがて男が、ため息をついた。

「同じくらいだ。太さは少し違ってもいい。節が少なくて、真っすぐならな」

十分。

「十本なら、南の材木屋にある。二十だと足りないかも」

「何でお前がそんなこと知っとる」

「今、聞いてきたから」

「お前、暇なのか忙しいのか分からんな」俺もそう思う。

男は若い衆を呼んだ。

「走って見てこい。あるなら押さえろ。値は聞いてからだぞ」若い衆が出ていく。

俺は帰ろうとした。

「待て」

呼び止められた。振り返る。男は炉の方を見てから、声を落とした。

「お前が昨日聞いた、同じようなのを何十もって話な」

「うん」

「穂先だ」

やっぱり。でも口には出さない。

「槍?」

「声がでかい」

小さく言われた。俺も小さくする。

「清須から?」

「そこは聞くな。俺も全部は知らん。ただ、形を揃えろ、数を揃えろ、早くしろ。そればっかりだ」

「長い木は柄か」

「そうだ。鉄よりそっちが遅れとる。穂だけ出来ても、棒がなきゃただの危ない小刀だ」男は笑った。

俺も少し笑った。何か、急に普通の仕事の話に聞こえた。戦の道具も。作る側からすれば納期と材料だ。

「誰にも言うなよ」男が念を押す。

「名前は出さない」

「物もだ」

「それは困る」

「おい」

「清須に出す紙に、鍛冶仕事が増えてることは書く。でも、誰の店かは書かない。槍って決めつけるかは、もう少し見てからにする」男は俺をじっと見た。

「何でそこまで面倒な書き方する」

「間違えたら、その店が困るから」

自分で言って。少し前の俺なら、こんなこと考えなかった気がした。AIがいる。覚えられる。つなげられる。

だからこそ。雑に決めたら、雑な間違いまで強くなる。

『その理解は適切です』

「急に褒めるな」男が眉を寄せる。

「また独り言か」

「本当に癖なんです」

店を出る。若い衆が走って戻ってきた。

「十一本ある! 一本だけ少し曲がっとる!」男がすぐ返す。

「十本でいい。曲がっとるのはいらん。値を聞いて、今日のうちに持ってこい」俺はそのやり取りを聞きながら歩く。

十本。昨日までなら。ただ木が十本動いた。それで終わりだった。今は違う。

鍛冶屋の火が強くなる。炭が減る。鉄が小口で集まる。同じ形の穂先が増える。柄になる木が減る。

一つずつなら、ただの商売だ。でも。つなげると。誰かが、同じ物を揃えようとしている。

「なあ」

『はい』

「これ、何本くらい作ってるか出せる?」

『現時点の観測だけでは正確な本数は出せません。ただし、炭消費、鉄仕入れ、木材在庫、複数工房の稼働状況から範囲推定は可能です』

「やって」

『前提を明示した概算になります』

「それでいい」

少し待つ。頭の中に数字が並ぶ。一つの答えではない。少ない場合。多い場合。

分からない部分。前より、こういう出し方が好きになった。

『少なくとも数十。観測できていない工房を含めれば、それ以上の可能性があります。百を超えるかどうかは追加観測が必要です』

「数十か」

思ったより多い。でも。兵が数十人増える。とは限らない。古い槍を直すのかもしれない。

予備かもしれない。誰かへ渡すのかもしれない。

『その通りです』

「今、何も言ってないけど」

『直前の思考傾向から確認しました』

「それ、ちょっと怖い」

夕方。店へ戻ると、又三郎がいた。早すぎる。

「できたか」

「まだ一日も経ってません」

「一日あれば商売は変わる」

それは分かる。俺は薄い帳面を開く。今日、売ってもいいと思うものを一つだけ選ぶ。長くて真っすぐな細材が減っている。清須周辺で急ぎの需要がある。

ただし用途は書かない。鍛冶屋の話も書かない。

「これなら」

又三郎へ見せる。男は読んで、俺を見る。

「値は」

「銭一枚」

「安いな」

「最初だから」

「じゃあ十枚買う」

「同じ紙十枚買ってどうするの」

又三郎が笑った。

「お前、まだ商人半分だな」そう言って銭を一枚置いた。

初めて。物じゃなく。俺たちが見つけた変化に、値段がついた。でも。その紙の裏には。

書かなかったことの方が多かった。

第17話 五日に一枚、三つだけ書け

五日目の朝。俺は三枚の紙を前にしていた。三枚じゃない。本当はもっとある。書き直した紙が七枚。

捨てた候補が十二。帳面には、さらにその何倍もある。それを。三つにする。

「無理だろ」俺は机へ突っ伏した。

兄貴が横から一枚取る。

「これでいいじゃん。塩の値が上がった」

「上総介様、それ見て何するの」

「知らん。買わない?」

「城が今日の夕飯の塩を買う話じゃないんだぞ」

「じゃあ馬。空の馬が減った」

「それは候補」

「鍛冶屋」

「それも候補」兄貴が紙をめくる。

「お前、もう三つあるじゃん」

「俵の量り方が変わって、店で出所を聞く人が増えた」

「四つ」

「川の船が半日遅れた」

「五つ」

「昨日、油のまとめ買いもあった」

「六つ。お前、三つって意味分かってる?」

「だから困ってるんだよ」兄貴が笑う。

親父は向こうで帳面を書いている。ずっと黙っていたが、とうとう口を挟んだ。

「弥吉。お前、その紙を誰に見せる」

「上総介様」

「じゃあ、上総介様がもう知っとる話を書いてどうする」

手が止まった。兄貴も止まる。親父は顔を上げない。

「城が槍を作らせとるなら、槍を作っとることは城が一番よく知っとる」

その通りだ。

「じゃあ鍛冶屋の話、いらない?」

「俺に聞くな。お前が何を見つけたか考えろ」

またそれ。でも。前より腹は立たなかった。俺は紙を見る。鍛冶屋が忙しい。

それ自体は。信長が知っているかもしれない。でも。鉄より先に、真っすぐな木が減った。工房ごとに別々に作っていても。

同じ長さ。似た太さ。材料の流れが、一つの注文へ寄っている。そして。木が足りないせいで、鉄の仕事まで止まりかけた。

「……作ってることじゃない」兄貴が俺を見る。

「何が?」

「どこで詰まるかを書く」頭の中でAIがすぐ反応する。

『有用性が高いです。発注側が把握しているのは数量や納期でも、複数供給者を横断した共通ボトルネックは把握していない可能性があります』

「簡単に」

『槍を作れと言った人でも、木が足りないことまでは知らないかもしれません』

「それ」兄貴が俺をじっと見る。

「お前さ。その『それ』って誰と話してんの?」

空気が止まった。やばい。親父の筆も、一瞬だけ止まった気がする。

「自分」

「自分と会話してんの?」

「考えがまとまる」兄貴は少し引いた。

「昔から変だとは思ってたけど、最近ほんとに心配になってきた」

「心配するなら紙選ぶの手伝って」

「都合いいな」

何とか流れた。一つ目。清須向けの空荷の馬が減っている。ただし。

「馬が減った」だけでは書かない。

帰りの馬まで押さえられている。同じ馬が一日に何度も動く。運ぶ物が増えたというより。荷を動かす速さが上がっている。二つ目。

俵の出所を聞く店が増えた。城で一部を量り始めた話が、津島側の受け入れ方まで変えた。面倒が増えた店もある。逆に、量を揃えて売る店が「うちは間違いない」と言い始めた。一つの決め事が。

城の中だけで終わらず、商売のやり方を変え始めている。三つ目。炭。鉄。鍛冶屋。

真っすぐな木。注文そのものではなく。共通して詰まり始めた材料を書く。

「これで三つ」兄貴が数える。

「珍しく本当に三つだな」

「褒めてる?」

「かなり」親父が立ち上がった。

「清須へ行くなら、昼の荷と一緒に行け。紙一枚だけ持って歩くのは商人らしくない」

「俺、もう十分変な商人じゃない?」

「だから少しでも普通に見せろ」

ひどい。清須へ向かう。道は前より混んでいた。荷駄。人。

馬。俺はいつものように数える。でも今日は。全部は記録しない。

「今の材木、長いの十二」

『記録候補です』

「候補だけ。紙にはまだ入れない」

『了解しました』

少し成長した気がする。清須へ着く。前と同じ部屋。信長はいた。今日は立っていた。

窓の外を見ながら、誰かの話を聞いている。俺たちは少し待った。話が終わる。信長がこっちを見る。

「五日経ったな」

覚えてる。当たり前か。

「はい」

紙を出す。信長は受け取る。俺の顔を見ない。やっぱり紙を見る。一つ目。

馬。二つ目。俵。三つ目。鍛冶。

目が三つ目で止まった。

「槍と書かんのか」

知ってる。やっぱり知ってる。

「上総介様が作らせてるなら、作ってることを書いても意味ないと思って」

部屋の空気が少し変わった。墨の親指の男がこっちを見る。信長は紙から目を上げた。

「では何を書いた」

「作るのに必要な木が先に減ってます。鉄はまだ他から入れられる。でも、同じ長さで真っすぐな木は、近い店から先に消えてる。鍛冶屋によっては、穂ができても柄待ちになる」

「どれほど遅れる」

来た。

俺はそこを数字にしてきた。

「今見えてる分だと、十本、二十本なら何とかなる店があります。でも何十、百って一気に揃えるなら、同じところから取ろうとすると止まります」信長の目が細くなる。

「百?」

「百作ってるって言ってません。俺が見えてない鍛冶屋もあるから、全部の数は分からない。だから、百を超えるならもっと木を広く探した方がいいって意味です」

言い切らない。でも逃げない。今分かるところまで。信長が墨の親指の男を見る。男が小さく頷いた。

何か、別の帳面と合ったらしい。信長は次を見る。

「馬は」

「空で戻る馬まで押さえられてます。同じ馬を一日で何度も使う話も増えた。荷の量より、回す速さが上がってます」

「誰が回しとる」

「そこまでは分かりません。清須へ入る分だけじゃなく、出る方も増えてる」信長は何も言わない。

三つ目ではなく。二つ目。俵の話へ指が動く。

「これは俺が命じたことの後だな」

「はい」

「何が面白い」

怖い聞き方。

「城で少し量り始めただけなのに、津島で『どこから来た俵か』を聞く店が増えました。嫌がる店もあるし、逆に『うちは量が揃ってる』って売り方をする店も出てる」

「だから?」

また来た。俺は紙を見る。ここはAIへ聞かない。自分で決める。

「城の中のやり方を一つ変えると、城の外の商売まで変わることがあります。だから、変えるならその先も見た方がいい」

言った。二十一歳の織田信長に。お前が変えたら町も変わるぞ、と。口にしてから怖くなる。信長は少し黙った。

それから。笑った。

「お前、俺に気をつけろと言っとるのか」

「……そう聞こえました?」

墨の親指の男が顔を伏せた。笑ってる。親父は動かない。俺だけ逃げたい。信長は紙をもう一度見る。

「悪くない」

息が戻った。

「次も五日だ」

「また三つ?」

「三つだ」

「増えない?」

「増やしたいのか」

「増やしたくないです」

思わず即答した。信長が笑う。

「なら三つでいい」俺は頭を下げた。

これで終わり。そう思った。

「弥吉」

「はい」

呼び止められる。信長は紙の一つ目。馬のところを指で叩いた。

「次は、道を見ろ」

「道?」

「馬が増えた。荷が増えた。人が増えた。なら、次に困るのはどこだ」俺は一瞬、答えかけた。

でもやめた。橋。渡し。狭い道。泥。

宿。いろいろある。

「見てから答えます」信長の口元が上がった。

「それでいい」

城を出る。親父と並んで歩く。しばらくして、親父が言った。

「今日は余計なことを言わんかったな」

「最後、かなり余計だったと思うけど」

「前のお前なら、道と聞いた瞬間に答えとった」

あ。そうかもしれない。AIがいる。答えはすぐ作れる。でも。

現地を見ない答えは。前より、気持ち悪くなった。

「なあ」

『はい』

「道を見るなら、何から?」

『候補を出しますか』

少し考える。

「出して。でも決めるのは、見てから」

『了解しました』

清須の城下を出る。目の前には。津島へ続く道がある。今まで何度も歩いた道だ。でも次は。

道そのものが。俺たちの帳面になる。

第18話 道は、壊れているところより止まるところで詰まる

次の朝。俺は店の荷を一つも持たずに、津島から清須へ向かう道へ出た。兄貴が戸口で呆れた顔をしていた。

「本当に道だけ見に行くのか。昨日まで炭だ木だって言ってたのに、今日は地面かよ」

「上総介様に道を見ろって言われたからね。兄貴も来る?」

そう誘うと、新吉は一瞬だけ迷ってから、親父の顔を見た。親父は帳面から顔も上げずに言った。

「店の荷を一つ清須へ出す。遊びに行くなら置いていくぞ」

「仕事なら行く」兄貴の返事だけは早い。

結局。俺。兄貴。そして馬方の藤兵衛。三人で清須へ向かうことになった。

藤兵衛は、話を聞いた瞬間から嫌そうだった。

「道を見たいなら勝手に見ろ。俺まで連れてくる必要あるか?」

「ある。俺が道を見ても、馬が何で止まるか分からない」俺がそう言うと、藤兵衛は少しだけ機嫌を直した。

「最初からそう言え。お前、最近何でも一人で分かった顔するから腹立つんだ」

横で兄貴が大きく頷いた。

「それ。俺もずっと思ってた」

「二人で仲良くならないで」

朝の道は、すでに荷が多かった。清須へ向かう馬。津島へ戻る馬。人が背負う荷。空の馬。

木。油。俵。俺は歩きながら、見えたものを頭の中でAIへ渡していく。

「清須向き、馬三。向こうから二。後ろに人足四」

『記録しました』

「今のところ、詰まってない」

『はい。交通量は増えていますが、現在地点では停止は発生していません』兄貴が横から覗き込む。

「お前、その独り言、本当に直す気ないだろ」

「最近もう諦めてる」

「こっちが諦めてるんだよ」

少し歩く。道が細くなった。左右は低い田。その先に、盛り土された細い道が伸びている。二頭並べば、片方が嫌がるくらいの幅。

俺は足を止めた。

「ここだろ」藤兵衛が鼻で笑った。

「まだ早い。細いから詰まると思ったか?」

「違うの?」

「見てろ」

清須側から三頭来た。津島側からも二頭来る。俺は身構えた。ぶつかる。と思ったら。

津島側の馬方が、かなり手前で馬を脇へ寄せた。草の少ない場所を選んで、一列に止める。清須側の三頭が通り過ぎた。それから津島側が動く。ほとんど止まらない。

「慣れてる」俺が言うと、藤兵衛が頷いた。

「ここは皆、狭いって知っとる。だから手前で譲る。馬も慣れとる」

『狭窄区間そのものの停止時間は短い可能性があります』

「一番細いのに?」

『狭いことが共有されているため、事前調整が働いています』

なるほど。悪いところが。必ず一番遅いわけじゃない。兄貴が肩をすくめた。

「道も人と同じだな。面倒な奴って分かってる奴には、最初からみんな気をつける」

「兄貴の話?」

「何で俺を見るんだよ」

その先へ進む。しばらくは何もない。荷は流れている。でも。ある曲がりで、急に馬が止まった。

五頭。六頭。その後ろに人。反対側にも三頭。

「ここ?」藤兵衛は答えず、列の先を見た。

道はさっきより広い。馬同士ならすれ違える。地面も悪くない。壊れてもいない。なのに進まない。

列の先で、男たちが怒鳴っていた。

「先に入ったのはこっちだ!」

「こっちは坂の途中だぞ! 下がれるか!」

「一頭ずつ通せばいいだろ!」

「お前の馬が横向いてるんだよ!」

なるほど。道じゃない。人が止めてる。俺たちは荷を道脇へ寄せた。藤兵衛がため息をつく。

「ここはよくある」

「何で?」

「向こうが見えん」

曲がりの先。少し盛り上がった土手。木。そこから先が見えない。

「入ってから、向こうも入ってきたって分かる?」

「そういうことだ。しかも今みたいに荷が増えると、後ろがどんどん付く。先頭が下がりたくても下がれん」兄貴が列を見て、眉を寄せた。

「じゃあ、誰か先に見に行けばいいじゃん」藤兵衛が兄貴を見る。

「毎回か?」

「……面倒だな」

「だから皆、行けそうなら入る。ぶつかったら揉める」

現実的だった。頭の中でAIが言う。

『現在の問題は道路幅より、進入前に対向交通を確認できないことです』

「それは分かる。どうする?」

『複数案があります。見張りを置く。合図を設ける。片方向ずつ一定数を通す。進入側を時間帯で分ける。ただし現地の運用負荷を確認すべきです』

「運用負荷って」

『誰が立つのか。誰が従うのか。誰が費用を負担するのか、です』

そこまで言われると。急に商売の話になる。兄貴が俺の顔を見た。

「また何か思いついた顔してる」

「見張り置いたら早いかなって」

「誰が?」

同じ質問だった。藤兵衛も笑った。

「ほらな。道だけ見ても分からんだろ」

列がようやく動き始めた。先頭同士が怒鳴り合った末。片方の荷を二人で少し持ち上げ。馬を斜めに寄せ。何とか一頭ずつ通している。

俺は数える。一頭。二頭。三頭。その間にも後ろが増える。

「これ、朝だけ?」藤兵衛に聞く。

「前はたまにだった。最近は多い。清須から戻るのを急がせる奴と、清須へ急いで入れたい奴が同じ頃にここで会う」

「どっちも急いでるから譲らない」

「そういうことだな。昔なら腰を下ろして待ったんだが」兄貴が笑った。

「藤兵衛さん、今も待つとき普通に寝てるじゃん」

「馬方は寝られるときに寝るんだ」

二人の会話を聞きながら。俺は列を見る。人が多いから遅い。ではない。急ぐ人が増えたから。

譲る余裕が減っている。AIへ聞く。

「今まで見た三か所、整理して」

『一つ目。広い区間。交通量は多いが流れています。二つ目。最狭区間。利用者が事前に譲るため停止は少ない。三つ目。見通しの悪い曲がり。道路幅は二つ目より広いものの、対向流の同時進入で停止が繰り返されています』

「一番悪そうな道じゃなくて、一番先が見えないところが詰まってる」

『現在の観測では、その理解が適切です』

面白い。道路を直さなくても。見えるようにするだけで変わるかもしれない。俺は道の端へ寄った。曲がりの手前から。

先が見える場所まで歩く。そんなに遠くない。走ればすぐだ。

「兄貴」

「嫌な予感する」

「ちょっと向こう立って」

「ほら来た」

「一回だけ」

「お前の一回、最近長いんだよ」

文句を言いながら。新吉は向こう側へ歩いていった。藤兵衛が笑う。

「兄弟って便利だな」

「ただで使うと後が高い」

しばらくして。兄貴が向こう側へ着いた。俺は手を上げる。兄貴も上げる。見える。

声も、頑張れば届く。ちょうど清須側から二頭来た。俺は手を横に出して止める。馬方の男が怪訝な顔をした。

「何だ」

「向こうから三頭来てる。先に通すから、少しだけ待って」

「何でお前に言われなきゃならん」

当然。俺は一瞬詰まった。その横から藤兵衛が口を出した。

「待っとけ。向こう三つ通したらすぐだ。今入ったらまた詰まるぞ」男は藤兵衛を見る。

知り合いらしい。

「本当か?」

「新吉が向こうに立っとる。嘘ならあいつを蹴れ」

遠くで兄貴が叫んだ。

「聞こえてるぞ!」男が笑った。

「じゃあ待つ」

向こうから三頭が来る。通る。兄貴が大きく手を振った。今度はこちら。二頭を通す。

何も起きない。怒鳴り声もない。

「……これだけ?」兄貴が戻ってきて言った。

息が少し上がっている。

「今のところは」

「道直してないぞ」

「うん」藤兵衛が馬の鼻面を撫でながら言う。

「道を直すより、人を一人置く方が安いことはある。だがな」

「だが?」

「人は腹が減る」

現実。兄貴がすぐ乗る。

「しかも文句も言う」

「兄貴みたいに?」

「今日は手伝ってるだろ」俺は笑った。

でも。頭の中では別のことを考える。見張りが必要なのは。朝の混む時間だけかもしれない。毎日一日中じゃない。

誰でもいいわけでもない。馬方が言うことを聞く相手。そこまで分かれば。費用はもっと小さくできる。

「藤兵衛」

「何だ」

「明日の朝、もう一回来てくれる?」藤兵衛は露骨に嫌な顔をした。

「金になるか?」

「まだならない」

「じゃあ嫌だ」

「うちの荷、一つ頼む」

「それなら話は別だ」商人より商人だ。

帰り道。俺は三つだけ帳面に残した。狭い道。見通しの悪い曲がり。止まる人。

信長に言われた。道を見ろ。でも。道だけ見ても。道が詰まる理由は分からなかった。

そして。今日一番長く止まった場所は。一番壊れた場所でも。一番狭い場所でもなかった。向こうが見えない。

それだけだった。

第19話 三頭ずつなら、誰も怒鳴らなかった

翌朝。藤兵衛は来た。来たけど、ものすごく眠そうだった。

「弥吉。先に言っとくが、昨日の場所で一日立つ気はないぞ」

「一日じゃない。朝の混むところだけ見たい」

「朝の混むところに連れてこられた時点で、俺はもう働いとる」藤兵衛は欠伸を噛み殺しながら、うちの荷を二頭へ分けた。

兄貴もいる。今日は親父に言われて来た。

「お前一人だと、道端で知らん奴に命令し始めそうだから見張れってさ」

「親父、俺のこと何だと思ってるの」

「最近ちょっと危ない十五歳」

否定しにくい。昨日の曲がりへ着く。まだ朝が早い。それでも清須向きが五頭。津島向きが三頭。

昨日ほどではない。俺は道脇に立った。

「まず、何もしないで見る」兄貴が少し意外そうな顔をした。

「お前が?」

「失礼だな」藤兵衛が鼻で笑った。

「いいから黙って見ろ。昨日一回うまくいっただけで、自分が道の神様になったと思うな」

そこまで思ってない。たぶん。最初の一組。問題なく通る。次。

向こうから一頭。こちらから二頭。片方が手前で待つ。これも大丈夫。

「普通に流れてる」俺が言うと、藤兵衛は肩をすくめた。

「だから毎回詰まるわけじゃない」

それから。清須側へ向かう四頭が来た。反対から。六頭。しかも後ろに人足がついている。

先頭同士が曲がりへ入った。止まった。すぐ後ろも止まる。さらに後ろが付く。

「来た」兄貴が言う。

昨日と同じ。怒鳴り声が始まる。

「こっちはもう半分入っとる!」

「六頭下げろって言うのか!」

「先に寄れ!」

「荷が倒れるわ!」俺は動こうとした。

藤兵衛に腕を掴まれる。

「待て」

「でも詰まってる」

「今お前が入ったら、ただの小僧が怒鳴られて終わる」

「じゃあどうする」藤兵衛は前へ出た。

大声ではない。でも馬方に届く声で言った。

「清須側、三つだけ通せ。そこで止めろ。向こうも三つ。残りはそのあとだ」

先頭の男が振り返る。

「何で三つだ」

「全部通そうとするから揉めるんだろ。三つなら後ろが下がれる。向こうも三つだけなら待てる」男は少し考えた。

向こう側からも声が飛ぶ。

「こっちは六だぞ!」藤兵衛が返す。

「分かっとる。三つ通したら止めろ。次はこっちだ。そのあと残り三つだ」

「面倒くせえな!」

「今よりは早い」

最後の一言が効いた。清須側の三頭。通る。止まる。向こうの三頭。

通る。止まる。残り。通る。昨日よりずっと静かだった。

兄貴が感心した顔をする。

「藤兵衛さん、普通に仕切れるじゃん」

「馬方同士だから聞くんだよ」藤兵衛は俺を指した。

「こいつが言っても聞かん」

「ひどい」

「事実だ。お前、馬の尻もまともに見分けられんだろ」

「それ関係ある?」

「ある。道で人を動かすなら、その道で食っとる奴の言葉じゃないと通らん」AIが頭の中で言う。

『信頼される調整者が必要です』

「それ、昨日の見張りより大事かも」兄貴が俺を見る。

「また独り言?」

「考え事」

「もういい。続けて」

諦めが早くなった。次の組。今度は俺が藤兵衛の横へ立つ。清須向きが二頭。向こうが四頭。

「二頭だから、先にこっち全部通していい?」俺が聞くと、藤兵衛は道を見る。

「向こうの後ろにもう二つ来とる。今こっち入れたら、向こう六になる」

見えてなかった。

「じゃあ向こう三、こっち二、向こう残り?」

「それでいい」

「三頭って決まりじゃないんだ」

「当たり前だろ。道見て決めろ」AIが即座に補足する。

『固定ルールより、待機数と後続数を見て調整した方が効率は上がります』

「簡単に」

『三頭ずつは便利ですが、毎回三頭が正解ではありません』

分かりやすい。兄貴が道の反対側へ移動する。昨日より自然に。今日は自分から行った。

「向こう、あと二頭来るぞ!」新吉が手を振る。

こちらで藤兵衛が返す。

「先にそっち三つ! 残りは待たせろ!」兄貴が向こうの馬方へ説明する。

最初は怪訝な顔をされた。でも。昨日よりすぐ通る。一度。二度。

三度。同じことを繰り返した。俺は道の脇で。何頭待ったか。どちらから来たか。

何回揉めたか。それだけを覚える。いや。覚えさせる。

『昨日の同程度の混雑時より、停止の連鎖が短くなっています』

「何回?」

『昨日は観測した四回中三回で、後続が曲がりの外まで滞留しました。本日はこれまで五回中一回です』

一回。その一回も。原因は別だった。馬が一頭。途中で急に動かなくなった。

「何で止まった?」俺が近づくと、藤兵衛がすぐ手を出した。

「前へ出るな。蹴られるぞ」

先頭の馬方が、馬の口元を見ている。

「腹じゃない。荷だ」

縄がずれていた。片側だけ下がっている。藤兵衛が兄貴と一緒に荷を持ち上げた。結び直す。馬はすぐ動いた。

AIが言う。

『今の停止は対向交通ではなく荷崩れです』

「道が止まる理由も一個じゃないな」

『はい。原因を分けないと、対策を誤ります』

その言葉が残った。

昼前。混み方が少し落ち着く。藤兵衛が座り込んだ。

「もういいだろ。腹減った」兄貴もその場にしゃがむ。

「俺も。道って見るだけで疲れるな」

「立ってただけじゃん」

「お前の代わりに向こうで知らん馬方に説明してたんだぞ。『弟が道を数えたがってまして』って。何回恥ずかしかったと思ってる」

「その言い方したの?」

「他にどう言うんだよ」藤兵衛が笑った。

俺も笑う。三人で持ってきた握り飯を食べる。その途中。見覚えのある商人が来た。又三郎だった。

馬はいない。歩きだ。

「お前、今度は道端で商売始めたのか」

「違う」

又三郎は曲がりを見る。ちょうど兄貴が向こうへ手を上げ。藤兵衛がこちらを止めた。二頭が通る。それを見て。

又三郎の顔が変わった。

「これ、誰がやっとる」

「俺たち」

「金取っとる?」

「取ってない」

「馬鹿だな」

開口一番それだった。兄貴が笑う。

「俺もそう思う」

「兄貴は黙って」

又三郎は道脇へしゃがみ込んだ。

「これで早くなるなら、荷を急がせたい商人は払うぞ。少なくとも俺は払う」

「でも、払った人だけ先に通したら、また揉める」

「そこまで考えたか」

「今考えた」

又三郎が鼻で笑った。

「お前、前よりは商人になったな」藤兵衛が口を挟む。

「金を取るなら、俺は半分もらうぞ」

「何で半分?」

「道で聞くのは俺の言葉だからだ」

「そこは本当なんだよな」俺が認めると。

藤兵衛は少し驚いた顔をした。

「素直に認めると気持ち悪いな」

「どうしろっていうの」

又三郎は笑いながら立つ。

「金の話は後でいい。まず城に見せろ。城が使うなら勝手に金取れんだろ」

確かに。俺は少し黙った。又三郎が俺の顔を見る。

「何だ」

「又三郎さん、たまにまともだなって」

「失礼すぎるだろ」

また笑いが起きた。帰る前。俺はもう一度だけ曲がりを見る。道は昨日と同じだ。幅も。

土も。木も。何も変えていない。変えたのは。入る前に。

向こうを見ること。一度に全部通そうとしないこと。そして。誰の言葉なら皆が聞くか。そこだった。

AIへ聞く。

「今日ので、清須に出せる?」

『「道を直さずに改善できる可能性がある」という報告はできます。ただし、本日の運用は藤兵衛さんと新吉さんの協力、顔見知りの馬方が多かった条件に依存しています』

「知らない人ばかりだと?」

『従わない可能性が上がります』

「じゃあ仕組みだけじゃ足りない」

『はい。人の信用も仕組みの一部です』

それ。すごく戦国っぽい。前世なら。標識。信号。

決まり。誰が立っていても同じように動く。でも今は。誰が言うかで。同じ言葉の重さが変わる。

俺は帳面に書いた。見通し。待ち数。荷崩れ。そして。

信用。道の帳面に。初めて。人の名前を書いた。

第20話 道を直さず、城の荷が早く着いた

その日から三日。俺は道を見た。ずっと同じ場所に立っていたわけじゃない。そんなことをしたら親父に店から追い出される。朝は荷を出すついで。

昼は仕入れのついで。夕方は藤兵衛や兄貴から話を聞く。それでも。前より道の見え方が変わった。一つ目。

昨日の曲がり。見通しが悪い。対向する荷が同時に入ると止まる。二つ目。少し先の低い場所。

雨が降っていなくても、荷を積んだ馬が同じ轍を避けて端へ寄る。そこで一頭が遅くなると、後ろが全部詰まる。三つ目。小さな橋の手前。橋そのものは狭い。

でも一番時間を食っていたのは、渡る直前に縄を締め直す馬だった。藤兵衛にそれを言うと。

「橋の上で荷がずれたら、落とすからな。皆、手前で見る」

「じゃあ、もっと前で見ればいいじゃん」

「荷は歩けばずれる」

「でも橋の直前で全員やる必要ある?」藤兵衛は少し考えた。

それから。

「……広いところで一度見て、怪しい奴だけ橋の前で見るなら、少しは減るな」兄貴が横から言う。

「弥吉、お前最近、道の嫌われ役みたいになってるぞ。『ここで止まるな』『そこで荷見るな』って」

「俺だって好きで言ってない」

「顔は楽しそうだけど」

楽しい。かなり。物が足りない。人が足りない。道が狭い。

普通なら。足りないものを増やす。広げる。作る。でも。

その前に。今あるものの使い方で変わる部分がある。AIはそこを。とんでもなく見つけやすい。三日目の夜。

俺は帳面を前にしていた。五日に一枚。三つだけ。前回より。少し楽だった。

「道で三つある」兄貴が飯を食べながら笑う。

「上総介様に『全部道じゃねえか』って怒られない?」

「言い方を変える」親父が湯を飲みながら聞く。

「どう変える」俺は紙を指で叩いた。

「一つ目は、見えないから止まる場所。二つ目は、荷がずれるから止まる場所。三つ目は、道が悪いんじゃなくて、皆が同じところで同じことするから止まる場所」兄貴が箸を止めた。

「最後、二つ目と同じじゃない?」

「違う」

「俺には同じに聞こえる」

「だから今まとめてるんだよ」親父が小さく笑った。

「上総介様に出す前に、新吉で分からんなら書き直せ」

「何で俺が馬鹿の基準なんだよ」

「分かりやすさの基準だ」

「もっとひどいだろ」俺は笑いながら紙を直した。

一つ。向こうが見えず、互いに入って詰まる。二つ。荷崩れで一頭が止まり、後ろまで止まる。三つ。

橋の直前で皆が荷を確認するため、通れる橋が空いていても列ができる。それぞれ。道を広げる前に試せることも書く。一つ目。混むときだけ両側に人を置く。

数頭ずつ通す。二つ目。轍を避ける場所を先に決める。三つ目。荷の確認を橋より手前の広い場所で先にやる。

書き終えて。俺は紙を見る。

「……すげえ地味」兄貴が吹き出した。

「自分で言うなよ」

「天下取る話、どこ行ったんだろ」親父が茶碗を置いた。

「道で馬が止まっとるのに天下へ行けるか」

前にも同じようなことを言われた気がした。

次の日。清須へ行く。今回は藤兵衛も一緒だった。

「何で俺まで城なんだ」

「道のこと、俺より藤兵衛の方が分かるから」

「城の侍に聞かれたら、お前が答えろよ。俺は馬の話しかしないぞ」

「それでいい」

「あと、変なこと言って首飛んでも知らん」

「朝からやめて」兄貴は店番だ。

本人は来たがった。親父が止めた。

「一人余計に連れていけば、一人余計なことを言う」兄貴は怒っていた。

清須。前と同じ部屋。信長は紙を読む。今日は墨の親指の男。そして蔵番の甚兵衛もいた。

藤兵衛は俺の少し後ろで。明らかに帰りたそうな顔をしている。信長が紙の一つ目を指した。

「ここは知っとる」

「止まることを?」

「揉めると聞いとる」

「なら、道を広げますか」俺が聞くと。

信長が顔を上げた。

「お前は広げた方がいいと思うのか」

試されてる。たぶん。俺は藤兵衛を見る。藤兵衛は小さく首を振った。答えを教える気はないらしい。

「今すぐは、広げなくてもいいと思います。混むときだけ、向こうが入ってるか分かればかなり減るから」

「誰が立つ」

来た。

ここが一番難しい。

「馬方が言うことを聞く人」

部屋が少し静かになる。信長の眉が動いた。

「城の者なら聞くぞ」

「聞くと思います。でも、馬が何で止まるか分からない人が立つと、違うことで止まったとき困る」藤兵衛が後ろで息を止めた気がした。

俺も今。かなり偉そうなことを言った。信長は怒らない。

「では、誰ならいい」

「藤兵衛みたいな馬方と、城の人を一人ずつ」藤兵衛が小声で言った。

「おい」

遅い。信長が藤兵衛を見る。

「お前か」藤兵衛は観念したように頭を下げた。

「馬のことなら分かります。ただ、道で人を止める役なら、城の名前があった方が揉めません」

上手い。俺よりずっと上手い。信長が笑った。

「小僧より話が早いな」

「小僧よりは長く馬を引いてますから」藤兵衛が答える。

俺の方を見ない。絶対あとで言うつもりだ。信長は紙へ戻った。

「一日やれ」

「え」俺と藤兵衛の声が重なった。

信長は気にしない。

「朝から荷が増える間だけだ。城の者を一人付ける。道を掘るな。広げるな。まず人だけでどこまで変わるか見ろ」藤兵衛が俺の肩を肘で小さく押した。

お前のせいだぞ。そう言っている。

「分かりました」俺は答えた。

翌朝。昨日の曲がり。藤兵衛。俺。そして城から来た若い足軽が一人。

名は市松。思ったより若い。

「俺、何をすればいい」

市松は開口一番そう聞いた。

「止める」

「誰を」

「馬」

「どうやって」

知らないんかい。藤兵衛が頭を抱えた。

「弥吉。城の人ってだけで選んだだろ」

「俺が選んでない」

市松が少しむっとする。

「馬くらい止められる」

その直後。一頭に近づきすぎて。馬が首を振った。市松が飛び退く。藤兵衛がため息をついた。

「馬の前へ真っすぐ立つな。横から声かけろ。手綱持っとる奴に言え。馬に命令するな、人に言え」

「最初に言ってくれ」

「今言った」

二人とも。思ったより相性がいいかもしれない。最初の混雑が来る。清須向き四。反対二。

藤兵衛が見る。

「向こう二つ、先」

市松が大きく手を上げる。

「向こう二頭を先に通す! こちらは待て!」声が通る。

文句は出た。

「こっちは急ぎだぞ!」

市松が言い返そうとする。藤兵衛が先に止めた。

「二つ通ればすぐだ。怒鳴って馬を驚かせる方が遅くなるぞ」男は舌打ちした。

でも待った。二頭。通る。こちら四。通る。

止まらない。次。こちら七。向こう一。

「一を先」

「こっち七だぞ」

「だからだ。七入れたら向こう一頭がずっと待つ。先に一を出せば、後は七まとめて行ける」藤兵衛が説明する。

男は納得した。市松が笑う。

「俺、今の分かった」

「分からんかったら困る」藤兵衛の口が悪い。

昼近く。城の荷が来た。草鞋。縄。小さな俵。

前なら。この曲がりで止まる可能性があった。今日は。手前で一度待っただけ。向こうを二頭通し。

城の荷はまとまって抜けた。市松が後ろ姿を見ながら言う。

「本当に道、何もしてないな」

「土、一つ動かしてない」俺が答えると。

藤兵衛は腰を伸ばした。

「人は動かしたけどな」

そこだ。道を直していない。でも。人は立った。藤兵衛は仕事を止めた。

市松も城から出た。無料じゃない。何も使ってないわけじゃない。AIが頭の中で言う。

『改善の費用は道路工事ではなく、調整する人員です』

「うん。それも書く」

できたことだけ書いたら駄目だ。何を使ったか。誰が必要か。そこまで。

夕方。清須へ戻る。信長本人には会わなかった。墨の親指の男へ紙を渡す。男はざっと読んで。

藤兵衛を見る。

「朝だけなら、明日もできるか」藤兵衛は即答しなかった。

「俺にも荷があります。毎日は無理です。やるなら、ここを使う馬方で回した方がいい」男が頷く。

「銭は」藤兵衛の目が変わった。

「その話を先にしてください」俺は吹き出しそうになった。

城を出てから。藤兵衛が俺の肩を叩く。

「弥吉」

「何」

「道を見る仕事、悪くないな」

「朝は嫌がってたじゃん」

「城が銭を出すなら話は変わる」

やっぱり商人より商人だ。津島へ戻る道。昨日の曲がりを通る。見張りはいない。少し混んでいる。

でも。朝にやっていたのを見たらしい馬方が。自分たちで言い合っていた。

「そっち二つ先! そのあとこっちだ!」

「三つじゃないのか?」

「今は二つでいいだろ!」

完全には同じじゃない。でも。真似されている。俺は足を止めた。

「なあ」

『はい』

「これ、もう俺らいらない?」

『一部は自律的に再現されています。ただし、混雑条件が変われば再び調整が必要になる可能性があります』

「じゃあ、やり方を覚えたんじゃなくて、考え方が伝わり始めた?」

『その表現が近いと思います』

少し嬉しかった。そのとき。清須の方から。見覚えのない荷列が来た。六頭。

荷は軽そうなのに。歩みが速い。藤兵衛が見る。

「今日はあっちが増えたな」

「あっち?」

「清須から北へ抜ける奴だ。朝も二組見た」俺は足を止めた。

北。今まで。清須へ入る荷ばかり見ていた。でも。道は入るだけじゃない。

出る。分かれる。別の道へつながる。

「AI」

『はい』

「この五日、清須から出た荷。方向別に残ってる?」

少し間。

『あなたが確認した範囲なら整理できます。ただし北方面は観測数が少なく、結論には不足しています』

「じゃあ結論は出さない」俺は荷列を見る。

六頭は。曲がりを抜け。そのまま北へ続く道の方へ消えた。

「次は、出ていく方を見る」

道を直さず。城の荷は少し早く動いた。そのせいで。俺の帳面には。今まで見ていなかった道が。

一本増えた。

第21話 北へ出る荷は、帰りが空だった

北へ出ていく荷を見る。そう決めてから、最初の二日は拍子抜けするほど何も分からなかった。清須から北へ向かう馬は確かに増えている。でも、荷はばらばらだった。塩。

油。布。縄。小さな木箱。中身の見えない包み。

人だけ乗せていく馬もいる。

「これ、数えて何になるんだ?」

隣で兄貴が欠伸を噛み殺した。今日は仕入れの帰りに付き合ってもらっている。俺は道の脇へ寄り、さっき通った三頭を帳面に足した。

「それを今から考えるんだよ。北へ行くのが増えたのは分かった。でも、何が増えたのかはまだ分からん」

「何がって、今見たじゃん。塩と布と、たぶん酒。あの樽、酒だろ」

「たぶんを帳面に入れたらAIに怒られる」

『推定として分離すれば記録可能です』兄貴が俺を見る。

「今、また頭の中のやつと喋った?」

「喋ってない。ちょっと考えてただけ」兄貴は疑わしそうに俺の顔を覗いた。

「いや、間があった。お前の考える顔、最近すぐ分かるぞ」

嫌な能力を身につけられた。俺は北へ消える荷列を見送った。

「AI。今までの北向き、荷の種類じゃなくて別の分け方ない?」

『可能です。馬の頭数、積載の見た目、護衛人数、出発時刻、同一と思われる馬の再出現までの時間などで分類できます』

「再出現?」

『同じ馬が戻ってきているか、です』俺は一瞬止まった。

兄貴が眉を寄せる。

「何だよ。急に変な顔して」

「行く方ばっか見てた。帰ってくる方も見ないと駄目だ」

「そりゃ北へ行く荷を見るって言ったからな。……でも、確かに帰りもあるわな」兄貴がしばらく俺を見てから、道へ顔を戻した。

「……それ、今気づいたの? 俺、二日付き合ってるんだけど」

「今気づいた。だから助かったってことにしてくれ」

「そういう言い方で誤魔化すの、親父に似てきたぞ」

店へ戻って、前の帳面をひっくり返した。AIに、俺が見た馬の特徴を拾わせる。毛色。額の白。鞍の傷。

尾の長さ。馬方の顔。完全に同じだと言い切れないものは、候補として分ける。三十七組。そのうち、同じ日か翌日に清須側へ戻ったと見られるものが十一。

「思ったより少ないな。見落としてる分もある?」

『観測できていない可能性があります。別の道を使った場合も含みます』

「それでもいい。確認できた十一だけだと、帰りはどうなってる?」

『七組が空荷、二組が軽い荷、二組は確認不能です』俺は帳面を見た。

行きは積んでいる。帰りは空。

「それ、かなりもったいなくない? 行きで荷を運べる馬が、帰りは何も運ばず戻ってるってことだろ」

『輸送能力という観点では、未使用の容量です』

「言い方が固いけど、まあ同じ意味だな」

『はい』

夕飯のとき、俺はその話をした。親父は汁を飲んでから、すぐには答えなかった。兄貴が先に口を開く。

「俺は分かるぞ。北へ荷を持ってって、帰りに別の荷を持ってくれば二度おいしいって話だろ」

「そう。空で戻るなら、帰りに清須か津島へ来る荷を拾えばいい」

「じゃあ皆そうすればいいじゃん」兄貴が簡単に言った。

親父が鼻で笑う。

「新吉。お前、明日から知らん奴の荷を何でも積むか?」

「何でもは嫌だな。壊れ物とか面倒だし」

「誰の荷か分からん。着いても相手がおらん。銭を払うと言って払わん。荷が減ったと言われる。雨に濡れたら弁償しろと言われる。それでも積むか?」兄貴の箸が止まった。

兄貴は少し考えてから、露骨に嫌そうな顔をした。

「……それは嫌だな。空いてるからって、知らん荷を何でも積むのは無理だわ」

「だろ」と親父が言った。俺も箸を止めた。

ただ空いているから積めばいい。そんな単純じゃない。

「じゃあ、逆に何が揃ってれば積める?」親父は俺を見る。

「知っとる相手。行き先が大きく外れんこと。待たされんこと。何かあった時に、誰が話をつけるか分かること」

「四つあるんだな」

「すぐ数えるな。話を最後まで聞け」兄貴が笑う。

親父は続けた。

「それと、馬方にも都合がある。帰りは早く戻って休ませたい奴もおる。空だから使える、とは限らんぞ」

『重要です。空荷と利用可能は別です』

「今、自分でも同じこと考えてた」親父が怪訝そうに見る。

「自分で自分に言っとるのか。器用だな」

「そういうことにしといて」兄貴が吹き出した。

次の日。俺は藤兵衛に聞いた。朝から機嫌が悪かった。

「帰りに荷を積む? 弥吉、お前また馬方の仕事増やそうとしてるだろ」藤兵衛は手綱を直しながら、露骨に嫌そうな顔をした。

「増やすんじゃなくて、帰りに空いてるなら――」

「そこが違うんだ。荷台が空いてても、馬も人も暇とは限らん」親父と同じだ。

藤兵衛は馬の腹を軽く叩きながら続けた。

「荷を降ろしたら、馬も人も帰りたいんだよ。知らん店で待って、知らん荷を積んで、着いた先でまた待つなら、空で帰った方が早い」

「じゃあ、待たなくてよくて、知ってる相手の荷で、帰り道から外れなかったら?」

「そこまで揃えば、あとは物と銭だな。油みたいに揉めやすい荷は嫌がる奴が多い」

「何かあった時、うちが間に入るなら?」藤兵衛の手が止まった。

「……何で最後だけ急に話が重くなるんだ。そこまで背負う気か?」

「そこがないと、知らん荷は怖いって親父が」

「お前の親父、たまに正しいこと言うな」

「たまにって言ったの、本人の前で言ってよ」

「嫌だよ」藤兵衛は少し考えた。

「まあ、帰り道に寄るだけで、荷が待ってて、銭も先に決まってるなら考える奴はいる。毎回じゃない。でもいる」

「何頭くらい?」

「また数かよ」

「だって必要だろ」藤兵衛は笑いながら、近くにいた馬方二人へ声をかけた。

「おい。こいつが帰りの空馬に荷を積みたいらしい。お前らならどうする」

一人がすぐ答えた。

「帰り道ならやる。寄り道は嫌だ」

もう一人は首を振る。

「俺は荷によるな。油は嫌だ。漏れたら揉める」

「じゃあ縄は?」

「縄ならいい。木も長すぎなきゃいい」

話が具体的になった。俺一人で考えていた時より、ずっと早い。

『条件が形成されています』AIが言う。

俺も分かる。空馬を探すんじゃない。帰り道。待ち時間。荷の種類。

銭。責任。それが合う馬を探す。昼までに七人へ聞いた。

「北から戻る日だけなら」

「清須までなら」

「津島は遠回りだから嫌だ」

「荷が先にまとまってるなら」

「銭がその場なら」

似ている。でも全部同じじゃない。

その夜。俺は帳面に、新しい欄を作った。名前。北へ行く日。戻る道。

空きがあるか。積める物。待てる時間。

「何それ」兄貴が覗き込む。

「帰りの空き」

「とうとう馬の帰り道まで帳面にし始めたな」

「使えるかもしれんだろ」

「馬方に嫌われても知らんぞ」親父が奥から言う。

「嫌われる前に、銭の取り方を決めろ」俺と兄貴が同時に振り返った。

「銭?」

「人を探して、荷を合わせて、揉めたら間に入るんだろ。仕事なら銭を取れ。無料で始めると、やめる時に揉める」俺は少し考えた。

「でも、まだ使えるか分からない」

「なら最初の一回は試しでいい。二回目から決めろ。続く仕事を、善意だけで回すな」兄貴が俺の肩を小突いた。

「天下より先に口銭だってさ」

「うるさい」

でも。たぶん親父が正しい。AIが道を見つける。人が条件を決める。商いにするなら。

続く形にしないと意味がない。

翌朝。俺たちの店へ。佐七が飛び込んできた。縄屋の佐七だ。

「弥吉、お前、北から空で戻る馬を探しとるって本当か?」

「昨日から探し始めたばっかだけど、何で佐七まで知ってるの?」

「藤兵衛が喋った。馬方の話は馬方の方が広まるの早いぞ」

早い。佐七は息を整えながら言う。

「岩倉の手前から、槍の柄に使える木を持ってくる話がある。荷はある。だが向こうへ空馬を出すと、その分だけ銭が食う」俺は立ち上がった。

少し前にも、似た感覚があった。鉄より先に消えた。まっすぐな木。

「何本?」

「まず四十。太さは見て選ぶ。向こうの持ち主も、まとめてなら出すと言っとる」頭の中で。

昨日の空き馬が並ぶ。北へ行く。帰りが空。木なら積める。帰り道も大きく外れない。

「AI」

『候補は三組あります。ただし、本日の北行き予定は未確認です』

「よし」俺は佐七を見る。

「まだ約束できない。でも、今日北へ行く馬方を当たる。条件が合えば、空で戻る馬に木を乗せられる」

佐七が笑った。

「それで十分だ。あと、できるなら今日中に頼む」兄貴が横から口を挟む。

「今日中って簡単に言うなよ。こいつ、頼まれると全部今日やろうとするんだから」

「新吉、手伝って」

「ほら来た」

北へ出る荷を見ていたら。俺が先に見つけたのは。北へ行く物じゃなかった。帰り道に。

まだ何も乗っていない馬だった。

第22話 空荷の馬に、槍の木が乗った

佐七の頼みは。思ったより面倒だった。

「今日北へ行くのは二組だけだな」藤兵衛が言った。

朝の道端。俺。兄貴。藤兵衛。佐七。

昨日なら絶対に集まらない組み合わせだ。藤兵衛が指を二本立てる。

「一つは六頭。ただし戻りは明日。もう一つは三頭で、昼過ぎには戻る。でも三頭の方は布を積む約束がある」

「三頭とも埋まってるの?」

「一頭分だけ空くかもしれん。だが、そこへ四十本は無理だぞ」

佐七が眉を寄せた。

「長さ次第だな。束にしても、馬の左右へ分けるなら限界がある」俺は聞く。

「じゃあ六頭の方を明日待つ?」

佐七は首を振った。

「木を押さえたのが今日までなんだ。向こうも他に話を回しとる」兄貴が俺を見る。

「弥吉。こういう時、お前すぐ別の馬探しに走る顔してるぞ」

「でも必要なんだろ。なら他も探せば――」

「必要でも、ない馬は出てこないって。昨日、自分でそれ覚えたばっかだろ」

痛い。

『新吉さんの指摘は妥当です』

「二対一で正論ぶつけるのやめてくれる?」藤兵衛が笑った。

「何の話か知らんが、お前が勝手に負けてるだけだろ」

「何でもない。続けて」俺は一度、帳面を閉じた。

馬を増やす。そればかり考えるから詰まる。昨日。空荷と利用可能は別だと教わったばかりだ。

「佐七。その四十本、全部今日持ってこないと駄目?」

「そりゃ四十全部欲しい。あるって聞いたら、全部持って帰りたいに決まってる」

「欲しいじゃなくて、今日全部ないと仕事が止まるのかって聞いてる」

佐七は黙った。少し考えてから、鼻の横を掻く。

「……二十でも、先に来れば仕事は止まらん。残りは明日でいい」

「それ最初に言ってよ。俺、四十を今日全部運ぶ前提で頭使ってたんだけど」

「四十あるなら四十欲しいだろ。商人なら分かるだろ、それくらい」

「分かるけど、必要な数と欲しい数は分けてくれ」兄貴が笑う。

「弥吉。人は帳面みたいに最初から必要数と最低数を分けて喋ってくれんぞ」

本当にそうだ。俺は頭の中でAIへ言う。

「今の、今後の聞き方に入れといて」

『「希望量」と「作業停止を避ける最低量」を分離して確認します』

「それだ。今後、最初にそこを聞く」藤兵衛が俺をじっと見る。

「また考える顔してたな。口が止まるから分かるぞ」

「最近、皆それ言うんだけど。そんなに分かりやすい?」

一頭で二十本。残り二十は明日。それなら。昼に戻る三頭のうち、一頭の空きで足りるかもしれない。問題は。

その馬方が受けるか。清須の北側。荷を降ろす場所で待った。昼を少し過ぎて。三頭が来た。

馬方は顔見知りだった。藤兵衛が先に声をかける。

「喜八。帰り、一頭分くらい空くか? こいつらが木を積みたいらしい」

喜八と呼ばれた男は、荷縄をほどきながら俺たちを見た。

「何だ、その人数。借金取りかと思ったぞ。木って、どこの木だ?」俺が言うと。

喜八はすぐには返事をしなかった。佐七を見る。俺を見る。最後に藤兵衛を見る。俺が答える前に佐七が前へ出た。

「俺の荷だ。槍の柄に使う木で、積むのはこの先から少し東へ入ったところ。道から大きくは外れん」

喜八は道を頭の中でなぞっているらしい。

「少し東だな。寄るだけならいいが、そこで待たされるのは嫌だぞ」

「どのくらい?」俺が聞く。

「半刻は増えん。だが、積むのに待たされるなら嫌だ」

佐七がすぐ言う。

「束にはしてある。太さを見るのは俺が今から先に行ってやる。お前が着く頃には積める形にする」

喜八の目が少し変わった。

「で、銭はいくら出す?」

佐七が額を言う。喜八は首を傾げた。

「その額じゃ安い。帰り道でも、馬は働くんだぞ」

佐七もすぐには引かない。

「帰り道だから頼んでるんだ。新しく馬を出すよりは安くしてくれ」

二人が始めた。俺は口を挟まない。ここは俺が決める話じゃない。佐七が少し上げる。喜八がまだ渋る。

藤兵衛が横から言った。

「木なら油より楽だ。待ちなしなら、そのくらいでいいだろ。今日空で帰っても銭は増えんぞ」

喜八が藤兵衛を見る。

「お前、どっちの味方なんだよ」

「馬方の味方だよ。だから待たされるなら帰れって言うし、待ちなしなら銭になる方を勧める」

佐七が笑った。

「じゃあ待たせん。これでどうだ」

決まった。俺は思わず息を吐いた。喜八がこっちを見る。

「弥吉。お前が銭取るって聞いたぞ」

「まだ取ってない」

「何だ。無料か」親父の声が頭に蘇る。

無料で始めると、やめる時に揉める。

「今回は試し。でも次から、馬を探して条件まで合わせるなら少しもらう」

喜八が笑う。

「十五の小僧が、もう口銭の心配か」兄貴が横で肩をすくめる。

「こいつ、天下取る前に帳面屋になるらしい」

「誰が帳面屋だよ」

少しして。佐七は先に北へ向かった。俺たちは喜八の荷下ろしを手伝った。布の束。一つ。

二つ。三つ。三頭のうち二頭は帰りも荷がある。最後の一頭だけ。鞍の左右が空いた。

それを見た時。ただの空きだったはずなのに。銭に見えた。物を運べる時間に見えた。

「AI」

『はい』

「これ、町中でやったらどのくらい増える?」

『観測が不足しています。現在の範囲では推計値の誤差が大きくなります』

「夢くらい見せてくれてもいいのに」

『夢と推計は分けることを推奨します』

「分かったよ」

夕方前。喜八が戻ってきた。一頭の左右に。まっすぐな木の束が乗っていた。佐七も一緒だ。

「二十二本取れた!」

店先まで聞こえる声だった。

「二十じゃなかったの?」

「二本は細い。柄には短いかもしれんが、別に使える」

佐七が馬の横へ回り、束を叩く。嬉しそうだ。その顔を見たら。俺も嬉しくなった。新しく馬を出していない。

北へ行く荷も変えていない。帰りに空いていた一頭へ。木を乗せただけ。それでも。前に止まりかけた仕事が一日早く動く。

『本件では、新規の馬を追加せず輸送が成立しました』

「うん」

『ただし、喜八さんの帰着は通常より遅れています』

「それも書く」

いいことだけじゃない。馬は働いた。喜八も働いた。寄り道した。時間も使った。

全部ある。店へ戻ると。親父は木より先に俺を見た。

「銭はどうした」

「佐七と喜八の間で決めた。うちはまだ取ってない」

「まだ?」

「次から取る」親父が少し笑った。

「ならいい」兄貴が木の束を見ながら言う。

「親父、普通そこは『人助けできてよかったな』とかじゃないの?」

「人助けだけで店は続かん」

「夢がないなあ」

「お前の飯代は夢じゃ払えん」兄貴が黙った。

強い。

次の日。残りの木は六頭の帰りに分けて届いた。今度は俺たちが全部探したわけじゃない。藤兵衛が二人。喜八が一人。

昨日の話を聞いた馬方が、自分から声をかけた。

「帰り空くけど、何かあるか」

最初は一件。その次は二件。昼には。親父が帳場の横へ、小さな板を立てた。墨で書く。

北。清須。津島。馬の数。戻る日。

積める物。客の名前も。値段も。書かない。兄貴が板を見て首を傾げた。

「何で名前書かないんだ?」親父が答える。

「誰がどこへ何を出すか、全部見える板なんぞ店先に置けるか。商いの中身まで見せる必要はない」俺ははっとした。

情報。便利だから集めればいい。そう思っていた。でも。集めたら。

見える。見えたら。使える。自分たちだけじゃない。

『情報の公開範囲を分離する必要があります』

「うん」俺は板の端に。

見せるもの。帳面だけに残すもの。それぞれ印をつけた。兄貴がまた俺を見る。

「今度は何考えた?」

「見せていい情報と、見せたら駄目な情報」

「やっと商人っぽくなってきたじゃん」

「前から商人だよ」

「天下取るって言ってた商人な」

「言ってない。無双できるかもって言っただけ」

「大して変わらん」

夕方。佐七が来た。木が届いた礼かと思った。違った。佐七は店の板を見て。

少し声を落とした。

「弥吉。北で妙なこと聞かれたぞ」

「何?」

「昨日、木を積んだところの近くでな。清須の荷を最近うまく回しとる小僧がいるって話になった」俺は笑いかけた。

そこで。佐七の顔が笑っていないことに気づいた。

「それで?」

「名前を聞かれた」

店の中が。少し静かになった。

「誰に?」

佐七は首を振る。

「知らん。商人のなりだった。でも岩倉の方から来た奴だ」

岩倉。その地名だけで。頭の中のAIが反応した。

『史実情報との照合が必要です』俺は。

届いたばかりの。まっすぐな木を見た。空荷だった馬に。木を乗せただけだった。それなのに。

俺の名前まで。北へ運ばれていた。

第23話 岩倉で、俺の名前を聞いた奴がいる

佐七が帰ったあと。親父はすぐ戸を閉めなかった。客はまだ来る。商いは続く。いつも通りに見えるように。

いつも通りにしていた。でも。店の奥へ入った瞬間。顔が変わった。

「弥吉。最初から聞く。佐七に、岩倉の誰と話したかまでは聞いてないな?」

「聞いてない。向こうも知らないって」

「見た目は何か聞いた?」

「商人のなりだったってだけ。佐七も顔は知らんと言ってた」兄貴が腕を組む。

「それ、ただ噂になってるだけじゃないの? 最近、弥吉あちこちで紙出してるし。馬方も喋るだろ」

「その可能性はある。名前を聞かれただけで、敵だと決めるのは早い」俺は答えた。

そう。名前を聞かれた。それだけだ。敵。間者。

危険。そこまで飛ぶのは早い。十五年前の俺なら。いや前世の俺でも。戦国時代。

岩倉。信長。その三つを並べて、すぐ大事件にしたかもしれない。今は。頭の中に。

そういう飛躍を止める奴がいる。

「AI。まず史実だけ確認させて。岩倉と信長は、この先どうなる?」

『弘治元年、現在は一五五五年です。史実上、岩倉城の織田伊勢守家と織田信長の対立は続き、永禄元年、一五五八年に浮野の戦い、翌一五五九年に岩倉城が落城します』

「浮野が三年後か。思ってたより近いな」

『はい。ただし、あなたが存在する現在が史実と同一の経過をたどる保証はありません』

そこが。最近一番怖い。未来を知っている。でも。変え始めている。

知っていた未来を、自分で少しずつ壊している。兄貴が俺の顔を覗き込む。

「また考え込んでる。悪い方?」

「分からん。分からんから、今は悪い方に決めない」親父が頷く。

「それでいい。分からん相手を勝手に敵にすると、こっちから喧嘩を作る」兄貴が少し声を落とした。

「じゃあ、敵と決めないなら何もしないの? それはそれで怖くない?」親父は首を振る。

「何もしないとは言っとらん。分からんからこそ、先に余計なものを見せんようにする」親父は店先の板を指した。

北。清須。津島。空き馬の数。戻る日。

「今日から、外へ出す情報はあれだけにしろ。誰が何を運ぶか。城へ何を出したか。誰から頼まれたか。そういう話は店の外で喋るな」兄貴が自分の胸を指した。

「俺も気をつけるの? 俺、城の話なんて大して知らんぞ」

「お前が一番気をつけろ。知っとる量じゃなくて、口が軽い」

「軽くないって。話がうまいだけだ」

「そう思っとる奴が一番危ない」俺は笑いそうになった。

こういう時でも。兄貴は兄貴だ。でも。親父の言うことは重い。今まで。

俺は情報を集める側だった。相手も。集める。当たり前なのに。自分が集められる側になって、初めて実感した。

その日の午後。藤兵衛にも話した。

「岩倉でお前の名を? それで、誰が聞いたかまでは分からんのか」藤兵衛は驚いたあと、すぐ顔をしかめた。

「分からん。商人のなりだった、それだけ」

「なら馬方に『喋るな』って言っても無駄だぞ。何を喋ったら駄目か分からんからな」

「じゃあ、馬方にはどう言えばいい? 何も喋るなじゃ、たぶん守れんよな」

「だから逆だ。喋っていいことを先に決めろ」親父と似ている。

藤兵衛は手綱を束ねながら続けた。

「帰りに荷を積む話は、広まった方が仕事になる。そこは喋る。けど『城の何を運んだ』は喋らん。『弥吉が信長様に紙を出しとる』も、わざわざ言う必要ない」

「俺が城へ紙を出してること自体は、もう結構知られてると思う」

「なら今から増やさんだけでも違う。消せん噂まで追いかけるな」

現実的だ。全部隠す。全部公開する。その二つじゃない。分ける。

AIが言う。

『情報を、公開・取引関係者のみ・非公開の三段階に分離できます』

「三つくらいでいいかな。増やしすぎたら、俺でも間違えそう」

『現時点では運用可能性が高いです。細分化しすぎると、人が守れません』

それもそうだ。店へ戻り。帳面の端に印を増やした。丸。三角。

墨点。丸は見せていい。三角は関係者だけ。墨点は外へ出さない。兄貴が横で見ていた。

「何で字にしないで印にするんだ?」

「遠目で見ても分かるし、ぱっと判断できるから」兄貴は呆れた顔をした。

「いや、それなら余計に外から見えるだろ。隠す話してたんじゃないのか?」

止まった。

「……確かに。それ、完全に逆だわ」兄貴が笑い出す。

「AIより先に俺が勝った」

『新吉さんの指摘は妥当です』

「今、絶対あいつも兄貴の味方した」

「ほら。俺、たまには使えるだろ」

たまには。と言ったら喧嘩になるので黙った。結局。帳面の内側にだけ小さな印を入れた。見せる板には。

必要なことだけ。北へ行く。何頭。いつ戻る。積める物。

それだけ。二日後。五日に一枚の紙を書く日が来た。いつもなら。物が増えた。

減った。人が動いた。その三つから選ぶ。今回は。どうしても一つ外せなかった。

岩倉で。俺の名前を聞いた奴がいる。

「それ、上総介様に出すの?」兄貴が聞く。

「出す」

「名前聞かれただけだろ」

「だから、そのまま書く。怪しい奴がいた、とかは書かない」親父が紙を取って読む。

「『岩倉方面から来た商人風の男が、佐七に弥吉の名を尋ねた。身元・目的は不明』」

「うん」

「いい。余計なことがない」兄貴が横から覗く。

「でも、これだけだと何で大事なのか分からなくない?」

そこだった。俺は次の一行を書く。

『北向きの荷と空馬の組み合わせが広まり始め、誰が荷を回しているかという話も一緒に広がっている可能性がある。』親父は少し考える。

「城の話は」

「書かない。城の荷をどうしたとか、どこへ何を送ったとかは別」

「ならいい」

翌朝。清須へ行った。今日は親父と二人。兄貴は最後まで来たがった。

「岩倉の話なら俺も聞きたい」

「お前は店だ」

「俺だけ歴史から外されてない?」親父に追い返された。

清須。前と同じ部屋。信長。墨の親指の男。甚兵衛はいない。

代わりに市松が壁際にいた。俺を見ると、少しだけ口元を上げる。道で一日一緒だっただけなのに。知ってる顔がいると、ちょっと安心する。信長は紙を読む。

一枚目。北へ出る荷。空で戻る馬。二枚目。空馬へ木を乗せて、柄木が一日早く届いたこと。

三枚目。岩倉で。俺の名前を聞いた男。信長の指が止まった。

「誰だ」

「分かりません」

「佐七という男は」

「縄屋です。前から取引があります。嘘をつく理由は、今のところ思いつきません。でも、聞いた相手が誰かは本人も知らない」信長は俺を見る。

「お前はどう思う」

昔なら。答えを当てにいった。今は。違う。

「まだ、ただの商人かもしれません。俺らのやり方が少し珍しくて、名前を聞いただけかもしれない」

「それだけか」

「もう一つあります」俺は紙を指した。

「俺が北へ行く荷を見て、木が減ったとか、馬が空で戻るとか分かるなら。向こうから見ても、清須で何が増えたかは分かると思います」

部屋が静かになった。信長の目が変わる。俺は続けた。

「草鞋が急に増えた。縄が増えた。飼葉が増えた。槍の柄に使う木が動いた。俺はそれを見て、兵の用意かもしれないって考えた」

墨の親指の男がこちらを見る。信長は何も言わない。

「たぶん、俺じゃなくてもできます。毎日見てる商人や馬方なら、もっと早く気づくこともある」

言ってから。ちょっと怖くなった。俺。今。信長に。

城の動き、外から見えてますよ。と言った。前にも似たことを言った気がする。学習してないのは俺かもしれない。信長は紙を置いた。

「では隠せばいいか」

質問。俺はすぐ答えない。AIへ聞く。

「全部隠したら?」

『商流を阻害する可能性があります。また、完全な秘匿は現実的ではありません。重要なのは、相手が何を推定できるかを理解した上で、公開する情報と動かし方を選ぶことです』

分かる。でも。そのまま言うと固い。俺は自分の言葉に直す。

「全部隠したら、商いまで止まります。たぶん無理です。それより、何が見えたら何が分かるかを、こっちも知っといた方がいい」信長の口元が少し上がる。

「面白い」

また。怖い方の面白い。

「次の紙」信長が言う。

「物をどう動かすかは一つ減らせ」

「三つのうち一つ、物を動かす話を減らすってことですか」

「代わりに一つ。外から清須を見たら、何が見えるか書け」俺は固まった。

「俺が、外から清須を見た時に何が分かるか書くんですか?」

「お前が見えていると言ったんだろう。なら、見えるものを先に知れ」

そうだけど。自分で穴を掘った。親父の言葉が頭に刺さる。勢いがつくと自分で穴を掘る。完全にそれ。

信長はもう次の紙へ目を落としている。話は終わったらしい。城を出る。俺はしばらく黙っていた。親父が歩きながら言う。

「弥吉」

「何。そんなに変な顔してる?」

「顔が死んどるぞ。城へ入る時よりひどい」

「次から、敵の目で清須を見ろって言われた。自分で言い出したとはいえ、急に仕事が重い」

「お前が言い出した話だろ。上総介様は拾っただけだ」

「分かってるから余計つらいんだよ」

「ならやれ。自分で見えると言ったものを、今さら見えんとは言えんだろ」

「親父、もうちょっと息子を慰めるとかない?」

「上総介様に直接仕事を増やされた男を、どう慰めろと言うんだ」

それはそう。清須の門を出る。人。馬。荷。

店。縄。草鞋。油。木。

昨日まで。全部。役に立つ情報だった。今日から。同じものが。

漏れている情報にも見える。

『観測項目を変更しますか』

「いや」俺は道を見た。

「いや、変えない。むしろ一つ増やす」

『何を追加しますか』

「俺が見たら分かること。それを、知らない奴が見ても分かるか」

少し間。

『了解しました』

五日に一枚。三つだけ。その紙に。とうとう。物の値段でも。

在庫でも。道の詰まりでもないものが。一つ入ることになった。清須が。外から。

どう見えているか。そして。岩倉で俺の名を聞いた誰かが。

何を見ようとしているのか。

第24話 外から見た清須は、足元から喋っていた

翌朝。俺は清須の門へ入らなかった。兄貴と二人、門から少し離れた道端に立つ。城へ行く日でもないのに、こんなところで朝から荷を眺めている十五の小僧二人。かなり怪しい。

「なあ弥吉。敵の目で見ろって言われたからって、本当に外で突っ立って見るだけなの? 俺、もっとこう……忍びみたいなことするのかと思ってた」兄貴は声を落として言ったくせに、最後だけ少し楽しそうだった。

「忍びになったら目立つだろ。知らない商人が普通に見えるものだけ見るんだよ。城の中の話は使わない。知ってることも一回忘れる」

「忘れろって言われて忘れられるなら苦労せんだろ。お前、草鞋見ただけで兵がどうとか考えるじゃん」兄貴はぶつぶつ言いながらも、道の端へきちんと寄った。

「だからAIに分けてもらう。見えたことと、俺が知ってることを混ぜない」

『観測事実と既知情報を分離します。既知情報を推定根拠へ使用した場合は、その都度明示します』兄貴が俺の顔を横から見る。

「今の間、あいつに頼んだな」

「頼んだ。もう隠すの面倒になってきた」

「そこは隠せよ。少なくとも俺の前では、もう無理だけど」

朝。門へ向かう荷は多い。飼葉。薪。炭。

縄。塩。油。野菜。酒。

草鞋。ただ、並べただけなら、普通の町だ。俺は帳面を三つに分けた。見えたこと。聞いたこと。

考えたこと。前なら、全部一緒に書いていた。でも今は、それが一番危ない。

「まず何が見える?」兄貴が聞く。

「馬が多い。昨日より、じゃなくて、いつもの朝より多い気がする」

「気がする、だろ?」

「そう。だから今は書かない。数える」兄貴は肩を落とした。

「やっぱり数えるのかよ」

一刻ほど見た。北から来た馬。南から来た馬。荷車。人足。

城へ入ったもの。町へ散ったもの。AIに、前に記録した同じ時刻帯の数と比べてもらう。

『観測可能な範囲では、城方向へ向かった馬は平常記録より約二割多いです。ただし、過去記録日数が少なく、天候・市日・偶発的な荷重複の影響を除けません』

「増えてる。でも、これだけじゃ何も言えないか」

「二割って、結構増えてない?」兄貴が言った。

「増えてる。でも、何で増えたか分からん。昨日来なかった荷が今日来ただけかもしれないし」

「面倒くさ。増えたなら増えたでいいじゃん」

「敵がそれで決めてくれたら楽なんだけどな」

その直後。大きな俵を積んだ荷車が三台、続けて門へ向かった。俺は思わず身を乗り出す。

「三台。しかも同じ俵。これ、城がまとめて何か入れてるんじゃ――」

「違うぞ」兄貴が先に言った。

「何が?」

「あの先頭、昨日うちの前通った。城じゃなくて、城下の味噌屋に入ってたやつだろ。荷車に同じ欠け方あるじゃん」

見る。右側の板が一枚だけ新しい。本当だ。

「……よく見てたな」

「俺だって毎日ぼーっとしてるわけじゃないからな。お前が帳面ばっか見てる時、俺は人とか馬とか見てるんだよ」

少し悔しい。でも助かる。

『重要な訂正です。観測位置からは「門方向へ進んだ」ことと「城へ納入された」ことを分ける必要があります』

「分かった。城へ行った、じゃなくて城の方へ行った、に直す」兄貴が得意そうに鼻を鳴らす。

「AIに褒められた?」

「褒められてない。訂正された」

「同じようなもんだろ」

全然違う。でも。こういう間違いを外から見ている相手もするなら。それもまた情報だった。

昼前。草鞋を山ほど吊っている店の前で、俺は足を止めた。前に、草鞋が急に増えたのを見て兵の動きを疑った。なら外からも同じように見える。店の女将が、俺を見て眉を上げた。

「弥吉、今日は買わんのか。見てるだけなら邪魔だよ」

「お浜さん、最近、草鞋まとめて買う人増えた?」

お浜さんは束ねかけの草鞋を膝へ置いた。

「増えたよ。だから何だい。あんた今度は草鞋の商いでも始めるの?」

「城の人が多い?」

お浜さんは手を止める。一瞬だけ。それから俺の額を指で弾いた。

「その聞き方、嫌だね。誰が何足買ったかなんて客の話だよ。あんたんとこの親父に怒られなかったのかい」

痛い。兄貴が横で笑う。

「ほら。弥吉、最近なんでも聞けば教えてもらえると思ってるから」

「思ってない。今のは聞き方が悪かった」俺は言い直した。

「じゃあ、城とか関係なく、町全体で増えた理由に心当たりある?」

「それならあるよ。雨続きの後は傷んだ草鞋を替える奴が増える。それに今は田んぼから出てくる人足も多い。城の使いも来るけど、城だけじゃない」

お浜さんは新しい草鞋を束ねながら、こっちも見ずに続けた。

「一つ増えたからって、すぐ戦だ何だって言う奴が一番商売下手なんだよ。皆、理由は一つじゃない」兄貴が俺を見る。

「聞いたか?」

「聞いた。俺も今ちょうど同じこと思ってた」兄貴は鼻で笑った。

「絶対うそ」

『新吉さんの推定が妥当です』

「お前まで入ってくるな」

午後。今度は飼葉屋。その次は縄屋。油屋。馬方。

聞けば聞くほど、単純じゃなくなった。飼葉が増えたのは、城へ入る馬が増えたからかもしれない。でも、雨で道が悪くなって一泊する馬が増えただけかもしれない。縄が増えた。軍用かもしれない。

でも荷の積み替えが増えただけかもしれない。油が増えた。夜仕事かもしれない。でも祭りの灯りの準備かもしれない。

「AI。これ、何見ても二つ以上理由あるじゃん」

『はい。単一の観測から原因を一つに決めると誤判定が増えます』俺は帳面の端へ、理由を二つずつ書き足した。

「じゃあ敵も簡単には分からない?」

『簡単ではありません。ただし、複数の変化が同じ方向を示す場合、推定の確度は上がります』

そこだ。俺は帳面を見直した。草鞋。飼葉。縄。

馬。人足。時間。一つずつなら弱い。でも。

同じ時期に、同じ方向へ動いたら。

「兄貴。あそこ見て」

夕方。城下の端。飼葉を積んだ馬が二頭。その後ろから縄。少し間を置いて、同じ門へ炭。

「別々の店から来てるな」兄貴が言う。

「うん。でも全部、夕方に同じ方向へ入ってる」

「それが何?」

「今日だけなら何でもない。でも、これが何日も続いたら、外から見てる奴は『何かまとめて準備してる』って考えるかもしれない」兄貴はしばらく道を見た。

「……でもさ。弥吉。お前、今その見方を覚えたってことは、向こうも覚えるってことだよな」

「向こうが誰かは分からんけどな」

「分からん方が気味悪いわ」

その時。門から人足が三人出てきた。一人が草鞋の紐を直しながら、もう一人へ言う。

「明日も朝からだってよ。今週ずっとじゃねえか」俺と兄貴は顔を見合わせた。

たったそれだけ。何の仕事か。どこでやるのか。誰の命令か。何も分からない。

でも。

「AI」

『はい』俺は人足たちの背中が門の向こうへ消えるまで見送った。

「今のも、外から聞ける情報だよな」

『はい。物だけでなく、人の会話、疲労、出勤時刻、帰宅時刻も観測対象になります』

物だけじゃない。人も。時間も。声も。清須は。

城が何も喋らなくても。足元から。少しずつ喋っていた。帰り道。兄貴がぼそっと言った。

「これ、城に報告したら、また仕事増えるんじゃない?」

「……言うなよ」

「いや、絶対増えるって。お前、自分で穴掘るの得意だもん」

否定できなかった。

第25話 噂は帳面より速く走る

次の日。俺は物を見るのをやめた。正確には。物だけを見るのをやめた。

「今日は何数えるんだ?」

店を出るなり、兄貴が嫌そうに聞いた。

「数えない」兄貴が止まった。

「熱ある?」

「ない。今日は、人が清須をどう見てるか聞く」

「それ、もっと面倒なやつじゃん」

その通りだった。俺が見た清須。兄貴が見た清須。馬方が見た清須。商人が見た清須。

同じ町でも。たぶん違う。だから。十人に同じことを聞く。最近、清須で何か変わったと思うか。

それだけ。最初は藤兵衛。

「変わったこと? お前が面倒な帳面を増やした」

「俺じゃなくて町」藤兵衛はわざと考えるふりをして、手綱を指に巻いた。

「町なら、北へ行く荷が増えた。帰りに荷を拾う馬方も増えた。あと、お前の名前を知ってる奴が増えた」

「最後いらない」

「俺には一番大きい変化だぞ。前は『あの店の次男』だったのに、今は『あの帳面の小僧』だからな」

嫌な呼び名だ。二人目。草鞋屋のお浜さん。

「城の使いが増えた気はするね。でも、それより町の人間が城の話をしたがるようになった。上総介様が清須へ入ってから、皆、何か始まると思ってるんだろ」

三人目。油屋。

「夜に灯りが増えた。城だけじゃない。店も遅くまで開いてる。人が動けば、油は売れる」

四人目。馬方。

「北がきな臭い。岩倉の奴らも清須を見てるって聞く」

「誰から?」

「誰だったかな。昨日、酒飲んでる時だ」

弱い。五人目。米を運ぶ男。

「美濃へ出るって話だろ」

「誰が?」男は、そんなことも知らないのかという顔をした。

「上総介様が。皆そう言ってるぞ」

「何を見て、そう思ったんだ?」

そこで男は初めて黙った。さらに弱い。六人目は逆だった。

「美濃じゃない。北だ。岩倉へ行くんだろ。草鞋が増えた」

七人目は。

「何も変わってない。商人が勝手に騒いでるだけだ」

八人目。

「今川がまた来るんじゃないか。南の守りを固めるんだろ」

九人目。

「知らん。そんなことより塩が高い」

十人目。

「戦があるなら、先に教えてくれ。草鞋を仕入れる」

最後の男だけ。目的が分かりやすかった。店へ戻る頃には。俺の帳面は、見事なくらいばらばらだった。

「なあ。これ、本当に役に立つ?」兄貴が紙を覗く。

「美濃、岩倉、今川、何もない。全部違うじゃん」

「そこが役に立つんだと思う」

「どういうこと?」俺は三つの欄を指した。

見えたこと。人が言ったこと。俺が考えたこと。

「噂は、見えたことと同じじゃない。誰かが考えたことに、別の誰かの話が足されてる」

「そりゃ噂ってそういうもんだろ」

「分かってたつもりだった。でも帳面に並べると、思ったよりひどい」AIに整理させる。

『十名の回答のうち、具体的観測を根拠として挙げたのは四名です。伝聞のみは三名。根拠不明は三名。結論は複数方向へ分散しています』

「噂だけ聞いて敵の考えを読むのは無理だな」兄貴が紙の端を押さえる。風で一枚めくれかけていた。

『噂そのものから事実を確定するのは危険です。ただし、何が噂になっているかは、相手が注目している対象を知る手掛かりになります』

「それ、結構違うな」

事実を当てるためじゃない。何を気にしているかを見る。兄貴が俺の肩越しに帳面を読む。

「じゃあ、皆が草鞋の話ばっかしてたら、草鞋が増えたことより『皆が草鞋を気にしてる』方が大事ってこと?」

「そう。たぶん」兄貴はにやっとした。

「お前、たぶんって言った。最近なんでも断言する顔してるから、ちょっと安心したわ」

「まだ試してないからな」兄貴は満足そうに頷いた。

何に勝った気でいるんだ。

夕方。店先に見知らぬ男が来た。年は三十くらい。小綺麗な着物。商人に見える。

佐七が言っていた男かは分からない。顔を聞いていないから、比べようもない。男は縄を少し見て。塩の値を聞いて。最後に、何でもないような顔で言った。

「ここ、北へ戻る馬も取り次いでくれるそうだな」俺は帳場で手を止めた。

「帰り道が合えば。誰でもってわけじゃないです」男は縄の端を指先で撫でながら、何でもない調子を崩さない。

「岩倉の近くまで行く馬もあるのか?」

「日によります」

「最近、清須の城へ入る荷も増えたって聞いたが、そういう馬も使うのか」

そこで。親父が奥から出てきた。

「客人。うちは馬の空きを合わせることはあるが、他所の荷の中身まで喋る店じゃないよ」声は普通。

怒ってもいない。男もすぐ笑った。

「そりゃそうだ。変なこと聞いたな。商いがうまいと聞いて、つい気になっただけだ」

「なら、自分の荷の話をしな。何をどこまで運びたい?」親父がそう返すと。

男は少しだけ黙った。

「今日はいい。また来る」

本当に。それだけで帰った。男が見えなくなってから。兄貴が戸口へ寄り、道の左右を覗いた。

「追う?」親父が即座に言った。

「追うな。こっちが勝手に怪しいと決めて尾けたら、商売どころじゃなくなる」

「でも、また来るって言ったぞ」

「来たら客として話せ。荷を持ってきたら商いをする。質問だけなら、答える範囲を決める。それでいい」俺は頷いた。

「相手を敵にするんじゃなくて、こっちの決まりを先に決めるってことだな」親父は勘定板を指で弾く。

「お前は何でも相手を見てから考えすぎる。店の決まりがあれば、誰が来ても同じところで止められる」兄貴が小さく笑った。

「親父、今日ちょっと格好いいな」

「今日“は”みたいに言うな。働け」

いつもの親父に戻った。兄貴が外まで見送ってから戻ってくる。

「怪しくない?」

「怪しく見える。でも、今のだけじゃ分からん」俺は答えた。

前より慎重になった。

「AI。今の質問、分けて」

『公開情報として答えられる質問と、取引関係がない相手へ開示不要な質問が混在していました。特に、城へ入る荷と馬の関係を確認する質問は、相手の取引目的が示されていません』

「やっぱり、そこか」親父が俺を見る。

「何がだ」

「荷を頼みたい人なら、自分の荷を先に言うはずなんだ。行き先も、数も、いつまでかも。なのにあの人、こっちの荷のことばっか聞いた」

「そういう奴は商人にもいる。人の商いを覗くのが好きな奴だ」親父はそれだけ言って、帳場へ戻った。

決めつけない。でも。忘れない。俺は男の特徴を書いた。背丈。

声。着物。右手の小指に古い傷。縄を触った時の持ち方。兄貴が横で覗く。

「そこまで書くの?」

「次に来た時、同じ人だって分かるように」兄貴が俺の肘を軽くつついた。

「お前、だんだん怖くなってきたな。前は荷の数しか書いてなかったのに」

「俺も自分でそう思う」

その夜。藤兵衛が酒臭い息で店へ来た。

「弥吉。面白いの聞いたぞ」藤兵衛が戸口に寄りかかったので、兄貴が露骨に一歩離れた。

「酔ってる?」

「少しだけだ。歩ける」

「その少しが信用できない」藤兵衛は俺の言葉を無視して、声を落とした。

「北の馬方の間でな。清須は近いうちに大きく兵を動かすって話が出てる」兄貴が食いつく。

「ほら。やっぱり皆そう思ってるじゃん」俺は聞いた。

「何を見てそう思ったって?」藤兵衛は笑った。

「そこが面白いんだ。理由が三人とも違った。草鞋だって奴。飼葉だって奴。城門の出入りだって奴」

「全部、俺らが昨日見たやつだ」

「しかもな。一人は『急に口が堅くなった店があるから間違いない』って言ってた」俺と親父が同時に顔を上げた。

「口が堅くなった?」

「城の話を聞いても、前より皆『知らん』って言うようになったんだと。それで逆に、何かあるって思ったらしい」兄貴が吹き出す。

「隠したら隠したでバレるじゃん」

笑い事じゃない。でも。その通りだった。全部隠せば安全。そんな単純じゃない。

急に黙る。急に荷が見えなくなる。急に門の出入りが変わる。それ自体が。変化になる。

AIが静かに言う。

『情報を隠す行動も、外部から観測される場合があります』俺は帳面に一行足した。

何を見せるか。だけじゃない。何を急に見せなくなったか。それも。外からは見えている。

噂は。帳面よりずっと雑で。ずっと間違っていて。それでも。帳面より速く。

町を走っていた。

第26話 隠したことまで、外から見えていた

五日に一枚の紙を書く日。俺は、いつもより時間がかかった。書きたいことが増えたからじゃない。逆だ。削れない。

一つ。外から見える物。二つ。町に流れている噂。三つ。

隠そうとした変化まで、噂の材料になっていること。

「三つじゃん。もうできてるじゃん」兄貴が紙を覗き込む。

「違う。このままだと全部つながってない」

「つながってるだろ。見える、噂になる、隠すともっと怪しまれる。終わり」俺は兄貴を見る。

「お前、たまにすごい簡単にまとめるな」

「簡単にしないと上総介様、読んでくれないんだろ?」

痛いところを突く。親父が向かいで勘定をしながら言った。

「新吉の言う通りだ。弥吉、お前は分かったことが増えると、全部書きたがる。読む側が欲しいのは、お前が苦労した量じゃない」

「……分かった」

結局。紙は三枚。最初の一枚には。外から見えた事実だけ。馬が増えた。

飼葉が増えた。草鞋が増えた。夕方に同じ方向へ荷が重なった。人足の帰りが遅い日が続いた。二枚目は。

町の噂。美濃へ出る。岩倉へ出る。今川に備える。何もない。

同じ物を見ても。結論は割れている。三枚目。急に口が堅くなったことまで。

「何かある」と見られている。

最後に。一行だけ足した。

『隠す物を増やすだけでは、かえって変化が目立つことがあります。普段と違う動きを減らす方が、外からは読みにくいかもしれません。』親父が読んだ。

「『かもしれません』でいいのか?」

「まだ試してないから。言い切ったら嘘になる」親父は紙を返す。

「なら、それで出せ」

清須へ行く。今日は兄貴もついてきた。親父が珍しく許した。

「何で今日はいいの?」兄貴が聞くと。

親父は即答した。

「お前が城を見たがってうるさいからだ。帰ってきたら店を二刻やれ」

「代金高くない?」

「嫌なら戻れ」兄貴は黙った。

城の中。前と同じ部屋。信長。墨の親指の男。市松。

それと今日は、見たことのない年配の男が一人。兄貴は入った瞬間から固かった。俺の袖を小さく引く。

「弥吉」

「何」兄貴は部屋へ入る直前に、ようやく声を落とした。

「俺、何も喋らん方がいい?」

「聞かれたら答えればいい。余計なことだけ言うな」

「それが一番難しいんだよ」

自覚はあるらしい。信長が紙を読む。一枚。二枚。三枚目で。

止まった。

「隠すと、見える」

「急に変えれば、です」俺は答えた。

「ずっと見せてないものなら、向こうも比べられません。でも昨日まで普通に見えてたものが急に消えたり、皆が急に同じことを言わなくなったりすると。それ自体が変わったって分かります」年配の男が初めて口を開いた。

「では何も隠すな、と言うか」

低い声だった。

「違います。見せちゃ駄目なものは隠す。ただ、全部一度に変えたら目立つって話です」

「では、どうする」

困る質問。でも。ここまで来る間に考えていた。

「普段の商いの中に混ぜます」信長の眉が少し動いた。

「混ぜる?」

「一日にまとめて百足の草鞋を買えば目立つなら、急ぎじゃない分は何日かに分ける。城へ全部同じ門から入れなくていい荷なら、普段使ってる道に散らす。飼葉も縄も、急に一つの店だけから買わない」

墨の親指の男が言う。

「銭が余計にかかる」

「かかります。店を増やしたら値も揃わないし、運ぶ手間も増えます」年配の男が膝の上で指を一度叩いた。

「なら損だ」

「全部やったら損です」俺は答えた。

「だから、外に知られたら困る時だけ。しかも、全部じゃなくて、目立つ物だけ」

部屋が静かになった。兄貴が隣で、ものすごく静かにしている。頑張っている。信長が聞く。

「何が目立つ」

「急に増えたものです。それと、前までなかった動き」

「では一つ選べ」

また来た。

「今、この城で?」

「そうだ」俺は墨の親指の男を見る。

相手も俺を見る。困る。城の中身を知らない。知らないから外から見る話をしていたのに。

「外から見た範囲なら、夕方に飼葉と縄と炭が同じ門へ重なる日です。あれは、一回なら何とも思わない。でも続いたら『何かまとめてやってる』とは思います」信長は年配の男を見る。

「次の五日。飼葉だけ変えろ」男が僅かに目を見開いた。

「どのように」

「こいつにやらせろ」俺も目を見開いた。

「俺?」

「見えると言った。見えなくなるか確かめろ」

いや。そうなる気はしてた。兄貴が横で、声を出さずに口だけ動かした。ほら。言うな。

城を出たあと。兄貴が我慢できずに笑い出した。

「だから言ったじゃん。絶対仕事増えるって!」兄貴は笑いながら俺の背中を叩いた。

「笑うなよ。今、胃が痛い」

「でも飼葉だけだろ。全部じゃないじゃん」

「そこは助かった」

後から市松が追ってきた。

「弥吉。話は聞いた。今回動かせるのは、城へ入れる飼葉の一部だけだ。量そのものは減らせん」

「いつ入れる予定?」

市松は腰の小さな木札を確かめてから答えた。

「明日と明後日。いつもは夕方にまとめて入る。店は二軒だ」

「なら、受け取れる時間も知りたい」俺は歩きながらAIへ聞く。

「条件。量は減らさない。余計な銭もできるだけ増やさない。普段から使う店だけ。これで目立ち方を減らすなら?」

『候補は、納入時刻の分散、既存取引先間での比率調整、他の通常荷と到着をずらすことです。ただし、城側の受け入れ可能時刻を確認する必要があります』俺は市松へ向き直った。

「朝でも受け取れる?」

「朝は人が足りん。昼なら一部いける」

「じゃあ全部変えない。明日の半分だけ昼。残りは夕方。明後日は逆にしてみたい」

市松は少し考える。

「店側が嫌がらなければな」

そこは。俺の仕事だ。二軒へ行く。一軒目の主人は。嫌そうな顔をした。

「昼に持ってけ? 簡単に言うな。朝の荷を出して、戻ったら束ね直すんだぞ」

「全部じゃない。明日の半分だけ。あと、早く着いた分はその場で銭が出るよう城側に頼む」

「そこまで決まるなら考える」

二軒目はもっとはっきりしていた。

「人足一人増やすならやる。銭はそっち持ちだ」

「増える分、いくら?」

値を聞く。AIに。これまでの運賃と比べさせる。高すぎない。でも無料でもない。

俺は市松へ戻す。

「少し増える。全部夕方のままなら増えない」

「上に聞く」

一刻後。通った。

翌日。俺はまた。門の外にいた。兄貴もいる。

「結局またここかよ」

「確認しないと意味ないだろ」

昼。飼葉が一部入る。

夕方。残りが入る。縄はいつも通り。炭もいつも通り。昨日までみたいに。

同じ時刻に固まらない。それだけ。次の日も。同じようにずらす。俺は道端で数え続けた。

三日目。藤兵衛に聞く。

「最近、城の荷どう見える?」藤兵衛は首を傾げた。

「どうって?」

「前、夕方に荷が増えたって言ってただろ」藤兵衛は馬の背を撫でながら門の方を見た。

「ああ。最近はそうでもないな。昼にも入ってるし」

「何か準備してるって噂は?」

「まだある。でも、前ほど皆同じ話はしてない。今朝なんか『あれは商人が勝手に騒いだだけだ』って奴もいたぞ」

消えたわけじゃない。でも。一つの強い変化は。弱くなった。AIが言う。

『観測範囲では、夕方の集中度は低下しています。一方、総量は推定可能です。情報そのものが消えたわけではありません』

「うん。十分」

全部隠す必要はない。全部隠せもしない。外から見た時。一つの答えに結びつきにくくする。それだけで。

見え方は変わる。

夕方。店へ戻ると。佐七が待っていた。

「弥吉。今度は俺じゃないぞ。北から来た馬方が話した」

「何を?」

佐七は店先を一度振り返ってから、声を落とした。

「清須の馬が何頭出たか。一日いくらで数えて教えてくれって、銭を出す男がいるらしい」兄貴の笑いが消えた。

親父も。手を止めた。

「どこで?」

「岩倉の手前だ」

名前を聞く。荷を聞く。馬を数える。向こうも。見ている。

俺は帳面を開いた。怖くないと言えば。嘘になる。でも。前みたいに。

ただ怖がるだけじゃない。

「AI」

『はい』俺は帳面の新しい頁を開いた。

「次に見るもの、決まった」

『質問を受けた人と、質問の内容ですね』

「そう」

物の流れを見ていた。人の噂を見た。次は。誰が。何を知りたがっているか。

そこを見る。俺たちが清須を外から見たように。北にも。

清須を見ている目があった。

第27話 銭を出して馬を数えさせる奴は、一人じゃなかった

翌朝。俺は店を開ける前に、昨日の頁をもう一度見た。清須から出た馬を数える。一日いくらで。岩倉の手前で。

書いてあるのは、それだけだ。兄貴が欠伸をしながら帳場へ来て、俺の肩越しに覗いた。

「まだそれ見てるのか。相手の顔も名前も分からんのに、紙に穴が開くぞ」

「顔が分からないから、聞かれた方を見る。誰が何を聞かれたかなら集められる」

「また人に聞いて回るの? 昨日も十人くらい捕まえてたじゃん。そろそろ町で『弥吉に会うと質問される』って噂になるぞ」

それは嫌だ。でも、ありそうだから笑えない。親父は戸板を外しながら言った。

「同じ奴ばかり捕まえるな。商売の邪魔をしたら、正しいことを聞いても嫌われる。聞くなら用のついでにしろ」

「分かった。今日は荷の話がある人だけに聞く」

「ならいい。あと、お前が知りたいことを先に喋るな。相手は合わせて答えるぞ」

そこまで言われて。俺は筆を止めた。確かに。

「馬を数えろって言われた?」と聞けば。

似た話まで「そうだった気がする」に変わる。AIへ条件を伝える。

『質問文を中立化します。「最近、北へ行く途中で、変わった頼まれ方をしたことはありますか」程度が適切です』

「それなら使える」兄貴が鼻を鳴らした。

「お前、とうとう聞き方まであいつに直されるようになったな」

「兄貴に直されるよりいい」

「何だと」

朝から余計な喧嘩をした。

昼。最初に来たのは藤兵衛だった。空き馬が二頭出る。北へ行く荷を一つ乗せたい客がいる。その話を詰めたあと、俺は何でもない顔で聞いた。

「そういえば、北へ行く時に変な頼まれ方したことある?」藤兵衛はすぐ答えず、縄を結び直した。

「変な、ってどのくらいだ。酒を運べと言われて着いたら酢だった、とかならあるぞ」

「それは変だけど今はいらない。荷じゃなくて、見て教えてくれみたいなやつ」

「ああ。それなら二つある」俺と兄貴が同時に顔を上げた。

藤兵衛が笑う。

「その顔だよ。だから先に答えを顔に出すなって親父さんに言われるんだ」

悔しい。藤兵衛は指を二本立てた。

「一つは、清須から出る馬が多い日を教えてくれ。もう一つは、飼葉の値が急に上がったら教えてくれ。別の場所で、別の男だ」

「銭は?」

「どっちも出すって言った。馬の方は一日分。飼葉の方は、値が上がった時だけ」兄貴の顔から笑いが消えた。

「同じ奴じゃないの?」

「知らん。顔は違った」俺は帳面へ書く。

馬。飼葉。相手は別。

午後。佐七にも聞いた。佐七は縄を納めに来たついでに、店先で腰を下ろした。

「俺が聞いたのは、お前の名だけじゃないぞ。思い出した。城の門が夜まで開いとる日が増えたか、とも聞かれた」

「それ、最初に言ってよ」

「お前が名前の話で固まったから、こっちもそこが大事だと思ったんだよ。後になって思い出した」兄貴が俺を見た。

「聞く側が驚くと、答える側も大事なところ勘違いするってことか」

「……そうなるな」

また一つ。俺の聞き方の問題。佐七は続けた。

「ただな、その男は銭を出すとは言わなかった。縄を買ったついでに聞いただけだ」

「縄は本当に買った?」

「買った。しかも値切った。あれが間者なら、ずいぶん商人らしい間者だ」

皆で少し笑った。笑えるくらいが。ちょうどいい。全部を敵に見始めたら。商いなんかできない。

夕方。昨日来た、小指に古い傷のある男がまた来た。兄貴が俺の脇腹を小さくつつく。

来た。

分かってる。男は今日は塩を見なかった。最初から俺に言った。

「昨日は変な聞き方をして悪かった。北へ戻る馬を一頭、三日後に使いたい。積みたいのは紙と油だ」俺は一瞬。

返事が遅れた。本当に荷を持ってきた。親父が横から聞く。

「どこまでだ」男は村の名を一つ言った。

岩倉より手前。

「量は?」

「紙が二束。油が小樽で三つ。急ぎじゃない。濡らしたくない」

完全に。普通の荷の話だ。昨日。俺はかなり怪しいと思った。今日。

この人は客になった。親父は普通に値を出す。男も普通に高いと文句を言う。

「昨日、人の荷を聞いてたのは何だったんです?」

商談が決まってから。俺は聞いた。男は少し困った顔をした。

「同じ道を走る馬が多いなら、帰りの値が下がると思ったんだ。城の荷が増えてるなら、馬が取られて逆に上がるかもしれん。だから聞いた」

なるほど。俺がやっていることと。同じだ。物の流れから。値を読む。

男は俺の顔を見て、少し笑った。

「変な顔するな。商人なら皆、似たようなことは考える」

「すみません。昨日、ちょっと怪しい人かと思いました」兄貴が後ろで吹き出した。

男も怒らなかった。

「そのくらいでちょうどいい。ただ、客になる前から疑われる店は勘弁だな」

「気をつけます」

本当に。気をつけないといけない。

夜。今日聞いたことを並べた。馬の数。飼葉の値。門の閉まる時刻。

どれも。城の中を直接聞いていない。でも。組み合わせれば。何かを推測できる。

AIが言う。

『質問者が一人の指揮下にいるとは限りません。商売目的、噂への関心、軍事的関心が混在している可能性があります』

「うん。顔を追ったら、たぶん間違う」兄貴が隣で湯を飲みながら言った。

「じゃあ何追うんだ?」

「質問」俺は三つの言葉に丸をつけた。

「誰が聞いたかより、何を知りたがってるか。そっちなら相手が違っても残る」親父が奥から口を挟む。

「ただし、質問されただけで意味を決めるなよ。今日の客みたいなのもいる」

「分かってる。だから理由が分かったら消すんじゃなくて、理由も横に書く」

帳面に新しい欄を作った。聞かれたこと。誰が聞かれたか。銭が出たか。理由が分かったか。

最後に。確かなことだけ。一つ残った。清須から出る馬を数えたい人間は。一人ではなかった。

そして。全員が同じ目的でもなかった。

第28話 同じ質問でも、聞く相手で答えが変わった

次の日。俺は兄貴に。怒られた。

「また数えるの? 昨日は質問を見るって言ってたじゃん」

「今日は人を数えない。答えがどれくらいズレるか見る」

「それ、結局また面倒なやつだろ」

「面倒じゃない方法を思いついたら教えて」兄貴は少し考えて。

「寝る」

「却下」親父が笑った。

今回は。城の荷は使わない。店の馬を使う。北へ戻る空き馬が三頭。もともと昼前に出す予定だった。

そのうち一頭だけ。荷の受け取りの都合で、夕方に回す。嘘はない。商いの都合もある。ただ。

その変化を。人がどう見るか確かめる。

「それで何が分かる?」兄貴が聞く。

「明日、同じ五人に『昨日、うちから北へ何頭出た?』って聞く。同じ場所を見てる人でも答えがズレるか見る」

「三頭だろ?」

「俺たちは知ってる。でも、朝だけ見た人は二頭と思うかもしれない。夕方だけ見た人は一頭。誰かから聞いた人は三頭って言うかもしれない」兄貴がようやく納得した顔をした。

「なるほど。正しい答えより、どこ見てるかが分かるのか」

「そう」

『観測位置と観測時刻による差を確認できます』兄貴が俺を見る。

「今のは俺が先に分かったからな」

「はいはい」

「雑だな」

翌日。五人に聞いた。最初は藤兵衛。

「昨日、お前んとこから北へ出た馬? 三頭だろ。二頭は昼前、一頭は夕方」

正解。理由を聞く。

「一頭は俺の知ってる馬方だったからな。昼に二頭見て、夕方そいつが出るのも見た」

二人目。佐七。

「二頭じゃないのか? 昼に見たぞ」

三人目。草鞋屋のお浜さん。

「知らないよ。あんたんとこの馬なんか一日中見てられるかい」

正しい。知らないなら。知らない。それも大事。四人目。

北へよく行く米商人。

「三頭。いや、四頭だったかな。夕方にも出ただろ」

一頭増えた。

「四頭目は何を見た?」

「見たっていうか、酒屋で誰かが『また弥吉の馬が北へ出た』って言ってた」

人づて。五人目。飼葉屋。

「昨日は五頭だろ。最近あんたのところ、北へよく馬を回してるじゃないか」

増えすぎた。

「昨日の話です。最近じゃなくて」

「ああ、昨日だけなら知らん」兄貴が。

帰り道で。腹を抱えて笑った。

「三頭が五頭になったぞ。お前、馬増やすの上手いな」

「俺が増やしたんじゃない」

「噂の方が増やした」

それ。笑いながら言ったけど。かなり大事だ。店へ戻って。答えを並べる。

三。二。知らない。四。最近なら五くらい。

AIに聞く。

「これ、誰が一番信用できる?」

『今回の問いに対しては、藤兵衛さんの回答が最も正確です。ただし、人そのものを恒常的に高信頼と判定するのは危険です。対象・時刻・立場で精度は変わります』

「人に点数つけるんじゃなくて、答えに根拠つける方がいい?」

『はい。「直接見た」「他者から聞いた」「過去傾向から推測した」を分ける方が運用しやすいです』兄貴が筆を一本取った。

「じゃあ俺でも分かる印にしろよ。お前、また難しい字増やすだろ」

「三つだけにする。目で見た。人から聞いた。考えた」

「それなら前にもやってたじゃん」

言われて。止まる。そうだ。清須を外から見た時に作った。見えたこと。

聞いたこと。考えたこと。同じ分け方が。人の答えにも使える。

「新しいこと考えたつもりで、前と同じとこ戻ってきた」

「よくあるだろ。俺なんか毎朝『今日は真面目に働く』って思って、昼には戻ってる」

「それは戻るな」親父が奥から言った。

「戻っとる自覚があるなら働け」兄貴が黙る。

俺は笑った。

午後。もう一つ試した。今度は。同じ質問を。聞く相手を変える。

「最近、清須から北へ出る馬は増えたと思う?」

馬方。

「増えた」商人。

「荷による」

飼葉屋。

「増えた気がする。飼葉は出る」

宿の手伝い。

「泊まる馬は別に増えてない」

縄屋。

「知らん。ただ北行きの荷をまとめる話は増えた」

全部。同じ質問。答えは違う。でも。誰も嘘をついてる感じはしない。

見ている場所が違う。儲ける物が違う。困る物も違う。兄貴が帳面を覗き込む。

「これさ。誰が正しいって決めるより、皆どこから見てるか書いた方がよくない?」

「うん。たぶんその方が強い」

「また、たぶん」

「試してる途中だから」兄貴は少し笑って。

「その言い方、前より好きだわ。前のお前、当てるとすぐ全部分かった顔してたから」

痛い。でも。本当だ。前は。AIがある。

未来を知っている。それで。答えを当てにいっていた。今は。答えが一つじゃないことの方が多い。

夕方。藤兵衛が馬を引いてきた。

「弥吉。昨日の馬の話、何で聞いた?」俺は正直に話した。

答えのズレを見たかった。藤兵衛は呆れた。

「だったら先に言え。俺、何か疑われてるのかと思ったぞ」

「あ、ごめん」

「お前な。情報集めるのに夢中で、人の気分忘れる時あるぞ」

言われた瞬間。何も返せなかった。兄貴も。親父も。黙った。

これは。たぶん。一番効く指摘だ。

「悪かった。次から、商いと関係ない試しなら終わった後に説明する」藤兵衛は肩をすくめた。

「全部説明しろとは言わん。ただ、人を帳面の数字みたいに扱うな」

その夜。帳面の一番上に。一行足した。答えを見る前に。その人が。

どこで何を見て。何でそう答えたかを見る。同じ質問でも。人が違えば。見えている清須も。

違っていた。

第29話 嘘を流したら、こっちが先に壊れる

兄貴が。昼飯を食いながら。ものすごく軽い調子で言った。

「じゃあさ。逆の噂流せばいいんじゃない?」俺は味噌汁を飲む手を止めた。

「逆って?」

「北へ兵が出るって噂があるなら、『いや南だ』って言う。草鞋が増えたって言われたら、『祭りで使う』って言う。皆ばらばらになるなら、もっとばらばらにすればいいじゃん」親父が。

箸を置いた。音は小さい。でも。兄貴の背中が伸びた。

「新吉。店の客に嘘をつく話なら、その口を閉じろ」

「いや、客を騙して銭取るって話じゃないよ。噂の話」

「同じだ。商人が流した嘘は、最後に商いへ戻ってくる」兄貴は黙った。

俺も。すぐ否定はできなかった。理屈だけなら。兄貴の案は分かる。相手が情報から推測するなら。

偽の情報を混ぜればいい。AIへ聞く。

「嘘の噂を混ぜるの、効果ある?」

『短期的に相手の推定を乱す可能性はあります。一方、商取引上の誤判断、不要な買い占め、価格変動、信用低下を起こす可能性があります。誰にどこまで伝播するか制御できないため、民間商流では副作用が大きいです』親父の方が。

先に答えを知っていた。俺は兄貴を見る。

「例えば『北へ大勢出る』って嘘を流したら、飼葉屋が仕入れ増やすかもしれない。馬方が北行きに寄るかもしれない。草鞋屋も値を上げるかもしれない」兄貴の顔が少し変わる。

「で、本当は出なかったら?」

「売れない。損する。次から俺らの話を信じなくなる」親父が味噌汁をすすった。

「商いは一回の勝ち負けじゃない。明日も来てもらうから商いなんだ」

それで。決まった。少なくとも。うちから。嘘の噂は流さない。

でも。その日の午後。清須へ呼ばれた。五日の紙を出す日より早い。市松が店まで来た。

「弥吉。上総介様が、前の試しの続きを聞く」

城へ行く。前と同じ部屋。信長。墨の親指の男。年配の男。

今日は兄貴はいない。少し寂しい。少し楽。信長は、前に変えた飼葉の入り方について聞いた。

「噂は消えたか」

「消えてません。ただ、前より結論が割れました。夕方に荷が固まらなくなった分、『何か大きな準備をしてる』って言う人は減ってます」

「なら、嘘を流せばもっと割れるか」

来た。

兄貴と同じ。俺は一瞬。親父の顔を思い出した。

「できます。でも、俺は商人にはやりたくないです」年配の男が眉を寄せる。

「何故だ」

「嘘が商いに入るからです。北へ兵が出ると嘘を流したら、北向きの馬の値が上がるかもしれない。草鞋や飼葉を買い込む人も出る。あとで嘘だと分かったら、次に本当に必要な時、誰も信じなくなる」

墨の親指の男が言う。

「戦なら、相手を欺くこともある」

「相手だけに届くなら、俺には分かりません。でも町へ流す噂は、相手だけ選べません」

これは。俺の領分の話。商いの中に。嘘を入れたら。相手へ届く前に。

自分たちの足元が崩れる。信長は何も言わない。俺は続ける。

「嘘を足すより、本当の荷を普通に見せた方がいいと思います。量を減らさず、急に固めず、いつもの商いから外れない。見られても、一つの答えに決まりにくくする」

「嘘をつかずに、読ませぬか」

「はい。完全には無理です。でも、嘘より長く使えます」

少し。間があった。信長が年配の男を見る。

「次も、偽りは使うな」男が頷く。

「何を試します」

「馬」俺の胃が。

少し痛くなった。信長は俺を見る。

「北へ出る馬。城の用と商いの馬が、同じ日に偏る時があると言ったな」

「あります」

「城の分を減らさず。商人へ嘘を言わず。外から一つに見えぬようにしろ」

また。自分で仕事を増やした。城を出る。市松が横で笑う。

「顔に出てるぞ」

「最近、皆それ言う」

「上総介様の前では出すなよ」

「もう出てたと思う」

市松は声を立てて笑った。帰って。親父に話す。親父は。一番最初に。

「嘘を使うなと言われたんだな?」

そこを確認した。

「うん。俺からもそう言った」

「なら手伝う」兄貴が店の奥から出てくる。

「俺の案、上総介様まで考えたの?」

「考えた。でも使わない」

「俺、発想だけなら殿様級じゃん」親父が即答する。

「働きが足りん」兄貴が引っ込んだ。

翌日から。城の用で北へ出る馬と。普通の商いで北へ出る馬。時間。荷。

戻り。全部。もう一度見る。ただし。嘘はなし。

隠しきることもしない。普段の商いを壊さない。AIが言う。

『目標は「情報を消す」ではなく、「一つの観測から軍事目的を確定しにくくする」ことです』

「その言い方は紙に書けないな」

『弥吉さんの言葉に直してください』

「本当の荷を、本当のまま、固めすぎない」兄貴が横から言った。

「そっちの方が分かる」親父も頷いた。

難しいことを。難しく言わない。嘘を。便利だからと使わない。戦国時代でも。

商いは。明日も続く。だから。相手を騙す前に。自分たちの信用を壊さないこと。

そこだけは。AIに教えられる前から。親父が知っていた。

第30話 見えた荷と、見えなかった荷

城の馬を。隠す。わけじゃない。減らす。わけでもない。

ただ。同じ時刻に固めない。最初に決めたのは、それだけだった。市松が持ってきた予定は。北へ出る馬が六頭。

うち三頭が城の用。残り三頭は、商人の荷と帰り荷。普段なら。朝に城の三頭がまとまって出る。昼前に商いの二頭。

夕方に一頭。

「これ、城の三頭を一頭ずつにしたら駄目?」俺が聞くと。

市松は首を振った。

「一頭は急ぎ。二頭は同じところへ行く。分ければ受け取る側に手間が出る」

「じゃあ急ぎ一頭だけ朝。残り二頭は昼前。商いの二頭はいつも通り。夕方の一頭もそのまま」

市松は予定を見直す。

「それなら荷の到着は変わらん」

「追加の人足は?」

「いらん」

まず。そこ。余計な銭が増えない。次に。馬方へ。

嘘を言わない。時間が変わる二頭へは。そのまま理由を言う。受け取り側の都合で昼にする。本当だ。

兄貴が横で聞いていて。小声で言った。

「地味だな」

「地味でいいんだよ。町中に煙出して『作戦です』ってやる方が嫌だろ」

「それは見たい」

「見るな」

当日。俺と兄貴は。道の三か所に分かれた。本当は二人しかいないから。一か所は藤兵衛に頼んだ。

藤兵衛は嫌そうだった。

「俺、仕事あるんだけど。昨日も付き合っただろ」

「一刻だけ。終わったら飯出すから。見るのは道だけでいい」藤兵衛は手綱を持ったまま、少しだけ眉を上げた。

「飯が出るなら話は変わる。誰の分だ?」俺が兄貴を指すと、兄貴がすぐ振り返った。

「おい。勝手に俺の飯を交渉に使うなよ」

交渉成立。

朝。一頭。

昼前。商いの二頭。少し間を置いて。城の二頭。

夕方。一頭。総数は六。変わらない。

翌日。昨日と同じ五人に聞いた。藤兵衛は。当然知っているので除外。佐七。

「北へ? 四頭くらいじゃないか」

草鞋屋のお浜さん。

「知らないって言ってるだろ。あんた、前にも聞いたね」

怒られた。米商人。

「五頭。朝の一頭は見た。昼に四頭続いたろ」

続いてはいない。近い時間だっただけだ。飼葉屋。

「昨日は多かった。六か七」

宿の手伝い。

「泊まった馬は二頭だけ。外へ抜けた数は知らない」

答えが。割れた。でも。俺は喜べなかった。

「AI。これって成功?」

『「北へ出た馬の総数を外部から一意に把握しにくくした」という範囲では、一定の効果があります。ただし、観測地点を増やす、複数人の情報を統合する、継続観測する場合は総数を推定できます』

「だよな」兄貴が。

思ったより真面目な顔で聞く。

「じゃあ、意味ない?」

「いや。簡単には分からなくなった。でも、ずっと見てる奴には分かる」俺たちが。

ずっと見て。荷の流れを分かったように。相手も。続ければ。分かる。

昼過ぎ。北へ続く道で。見慣れない老人に声をかけられた。

「お前ら、昨日から道ばかり見とるな」俺と兄貴は。

固まった。見ているつもりが。見られていた。老人は。道端の小さな馬つなぎの前に座っている。

前にも見た気がする。

「すみません。邪魔でした?」

「邪魔じゃない。だが、同じ馬を朝と昼で二度数えた顔をしとったからな」兄貴が吹き出した。

俺は老人を見る。

「分かるんですか?」

「分かる。あの栗毛は右後ろの蹄が欠けとる。昨日朝に北へ行って、昼過ぎに一度戻った。お前ら、戻りを見てないだろ」

やられた。帳面を見る。確かに。似た栗毛を。別の馬として一度書いている。

「毎日見てるんですか?」

「ここで飼葉を売っとる。見たくなくても見る」

老人は笑った。その横には。細い木札が何枚も並んでいた。馬の名じゃない。簡単な印。

丸。線。欠け。

「それ、何です?」

「今日何束出たか。誰が後払いか。馬が何頭寄ったか。忘れるからな」

帳面。ではない。でも。記録だ。俺は。

喉が少し乾いた。

「昨日、北へ出た馬。何頭だと思います?」

老人は。嫌な顔をした。

「客でもないのに、何で教えにゃならん」

その通り。俺は頭を下げた。

「すみません」兄貴が。

小声で言う。

「お前、最近それ多いな」

「分かってる」

帰ろうとすると。老人が後ろから言った。

「六だ」

振り返る。

「ただし、城の馬か商人の馬かまでは知らん。道を通ったのが六。それだけだ」

正解。完全に。見えていた。でも。老人は。

目的を知らない。誰の荷かも。全部は知らない。俺は聞いた。

「何で教えてくれたんです?」

「聞き方を直したからだ。最初の顔は、人の帳面を盗む顔だった」兄貴がまた笑う。

今日は。笑われてばかりだ。店へ戻る。俺は。今回の結果を紙にまとめた。

時間をずらすと。一か所だけ見ている人の答えは割れる。でも。複数の場所。長い時間。

普段から記録している人。そういう人には。総数は見える。

「じゃあ何を守れる?」兄貴が聞く。

「全部は無理。だから、見えても困らないものは諦める」

「馬の数は?」

「数だけなら、見えることもある。大事なのは、その馬が何で出たか。何を運んだか。どこまで行くか。そこが全部つながらなければ、一つの答えにはなりにくい」AIが補足する。

『総量の秘匿より、意味の結合を防ぐ方が現実的です』俺は紙に。

自分の言葉で書いた。見えた荷。見えなかった荷。本当に違うのは。荷そのものじゃない。

見えていても。意味まで見えるかどうか。だった。

第31話 相手の顔を追うより、質問の形を追え

北へ行く道には。帳面が多かった。紙の帳面だけじゃない。飼葉屋の木札。宿の宿帳。

馬方の覚え書き。縄屋の後払いの印。酒屋のつけ。誰も。清須を探るために書いていない。

自分の商いのため。忘れないため。損しないため。でも。そこには。

馬が何頭来たか。誰が泊まったか。何が売れたか。いつ値が上がったか。残っている。

兄貴が。俺の横でぼそっと言った。

「これ全部集めたら、城より町の方が何でも知ってるんじゃない?」

「全部集められたらな。でも、普通は見せてくれない」

「お前、最近見せてもらおうとして怒られてるもんな」

「言うな」

今日の目的は。帳面を見ることじゃない。誰が。何を聞かれているか。それだけ。

前に作った四つの欄を。もう少し使う。聞かれたこと。聞かれた人。銭。

理由。三日分。藤兵衛。佐七。飼葉屋。

宿。馬方二人。商人三人。草鞋屋。縄屋。

知ってる範囲だけ。聞いた。無理には聞かない。嫌そうならやめる。これ。

前の俺なら。

「あと一つだけ」と追っていた。藤兵衛に怒られて。

少し学習した。結果。質問は。ばらばらに見えて。三つへ寄った。

一つ。馬。何頭出た。どこへ行った。いつ戻った。

二つ。まとめ買い。草鞋。飼葉。縄。

炭。油。三つ。時間。門が遅くまで開いた。

人足が早く集まった。夜の灯りが増えた。兄貴が紙を見て。眉を寄せた。

「質問する奴、毎回違うんだよな?」

「分かる範囲では違う。商人っぽいのも、馬方っぽいのもいる」

「じゃあ、やっぱり皆が勝手に聞いてるだけじゃない?」

「それもあると思う。でも、銭が出る質問だけ見ると、馬と時間が多い」AIが言う。

『質問者の同一性より、継続して価値が付与されている観測対象に注目する方が有効です』兄貴が。

顔をしかめる。

「翻訳して」

「誰の命令か分からなくても、銭を払ってまで知りたいものは分かるってこと」

「最初からそう言え」AIに怒るな。

夕方。店に。また小指に傷のある男が来た。今日は。荷の確認。

三日後に出す紙と油。ちゃんと客だ。男は親父と話したあと。俺の帳面を見て笑った。

「また何か数えてるのか」

「最近は、数より質問を集めてます」

「質問?」

言ってから。少し迷った。でも。この人は客になった。公開していい範囲なら。

話してもいい。

「北へ行く人が、何を聞かれてるかです。馬の数とか、値段とか」男は少し考えた。

「それなら俺も聞かれたぞ」兄貴がすぐ寄ってくる。

「何を?」

「お前は近い」男に笑われて。

兄貴が一歩下がる。

「すみません」

「清須で、油が急に売れた店を知らんか。二日前だ」俺は。

男の顔を見る。油。また。まとめ買い。

「誰に?」

「紙を売ってる男だ。顔は知ってる。名前は知らん。銭は出ない。世間話みたいなもんだ」

「何て答えました?」

「知らん、と。俺は油を買う側だ。どこの店が売れたかまでは分からん」

正しい。自分の見える範囲だけ。この男。最初は。俺が怪しいと思った人。

今は。かなりまともな答えをする。人を。最初の印象だけで。固定しない。

それも。帳面に必要かもしれない。

夜。親父が紙を読んだ。

「これを城へ出すのか?」

「次の五日の紙で出す。『誰が怪しい』じゃなくて、『何を聞かれてるか』だけ」

「それならいい。ただ、名前は要らんぞ。商人の名前を勝手に城へ並べたら、うちが客を売る店になる」

「分かってる。よほど危ないことがなければ、名前は出さない」親父はそこで。

少しだけ表情を緩めた。

「なら続けろ」兄貴が。

急に真面目な声で言った。

「なあ弥吉。相手の顔が分からないなら、ずっと分からないままかもしれないんだよな」

「うん」

「怖くない?」

怖い。誰が。何のために。清須を見ているか。分からない。

でも。前より。怖さの形が違う。

「顔が分からなくても、聞いてることは見える。俺らが止められるのは、たぶんそこから先だ」

「質問された人に、何を答えていいか決める?」

「そう。あと、城も町も、何が外から見えるか知っとく」兄貴はしばらく考えて。

「相手を捕まえる話じゃないんだな」

「俺は商人だからな」

捕まえるのは。俺の仕事じゃない。俺ができるのは。流れを見る。変化を見る。

何が知りたがられているかを見る。相手の顔を追えば。一人見失ったら終わる。でも。質問の形なら。

人が変わっても。残る。俺は。五日の紙の三枚目に。こう書いた。

『北側で銭を払ってまで求められている話は、馬の出入りと、門・人足の動く時刻に偏っています。質問者は複数で、目的は一つとは限りません。』

その下に。一行。

『相手を一人と決めず、繰り返される質問を見る方がよさそうです。』

書いて。少し笑った。最初。俺は。岩倉で自分の名前を聞いた男を。

探そうとしていた。今は。名前より。問いの方が。はっきり見えていた。

第32話 清須の外に、もう一つの帳面があった

五日の紙を。持って。清須へ行く。今日は。親父と兄貴。

三人。兄貴は朝から落ち着かない。

「前は黙ってればいいって言われたけど、今日も?」

「聞かれたら答えろ。余計なことを先に言うな」

「それ、前も聞いた。俺、成長してないみたいじゃん」親父が横から言う。

「成長したなら聞くな」兄貴が黙った。

清須。同じ部屋。信長。墨の親指の男。年配の男。

市松。俺は。三枚置く。一枚目。馬の出る時刻を散らした結果。

一か所だけ見ている人の答えは割れた。長く見ている人には。総数は分かった。二枚目。町の人間が持つ記録。

飼葉。宿。後払い。馬。値。

城を見るためじゃなくても。流れは残る。三枚目。北で。繰り返し値が付く質問。

馬の数。門の時刻。人足の動き。信長は。二枚目で。

長く止まった。

「町の帳面で、城が見えるか」

「全部は見えません。でも、何日も集めたら、動きはかなり分かると思います」年配の男が言う。

「なら、その帳面を押さえるか」親父の肩が。

ほんの少し動いた。俺は。先に答えた。

「やめた方がいいです」

部屋が。静かになる。言ってから。胃が縮む。でも。

ここは。言わないと駄目だ。

「何故だ」信長が聞く。

「商いに必要だからです。飼葉屋が売った数を覚えないと仕入れられない。宿が泊まった馬を覚えないと銭を取り損ねる。そこを止めたら、城を隠す前に町が回らなくなります」

墨の親指の男が。少し笑った。

「では、見られるままか」

「見られる物は、見られる前提にします」

「何を守る」

「つながりです」俺は。

一枚目を指す。

「馬が六頭出た。それだけなら見えてもいい。飼葉が増えた。それも見える。人足が遅く帰った。それも聞かれる。でも、その三つが同じ用で、同じ日に、同じ場所へ向かうってつながった時に、初めて意味が強くなる」年配の男が。

腕を組む。

「一つ一つは隠さず、組み合わせを隠す、と?」

「隠すというより、普段の商いと同じ流れに戻す感じです。城の都合だけで急に全部同じ時刻に動かさない。急ぎじゃない物は分ける。誰にでも答えなくていい話は、店ごとに決める」信長が。

三枚目を見る。

「北で、馬と時刻に銭が付いている」

「はい。ただ、岩倉の誰かが全部やってるとは決められません。商人も同じことを知りたがります。俺も知りたいです」

「お前もか」

「馬が増えたら値が変わるので」信長が。

少し笑った。

「同じ目を持つか」

「目的が違っても、見る物は同じことがあります」

そこが。今回。一番分かったこと。敵の目。商人の目。

馬方の目。宿の目。全部。別々。でも。

同じ馬を見る。同じ道を見る。同じ値を見る。だから。誰か一人を捕まえれば終わる話じゃない。

信長は。紙を置いた。

「五日に一枚は続けろ」

「はい」

「ただし、次から三枚目は『誰が聞いた』ではなく、『何が繰り返し聞かれた』を書け」俺は。

思わず聞き返した。

「人の名前は?」

「要らぬ。必要ならこちらで調べる」親父が。

ほんの少し息を吐いた。俺も。同じだった。商人の名前を。軽々しく城へ並べなくて済む。

信長は続ける。

「お前は流れを見ろ。人を捕えるな」

「俺も、その方が助かります」年配の男が初めて。

少し笑った。

「助かる、で仕事を選ぶか」

「商人なので。捕まえる仕事まで増えたら店に帰れません」

一瞬。部屋が静かになって。市松が。先に吹き出した。墨の親指の男も。

口元を隠す。信長まで。わずかに笑った。助かった。たぶん。

怒られてはいない。城を出る。兄貴が。門を出た瞬間に。大きく息を吐いた。

「俺、今日ほとんど喋ってない」

「偉い」

「もっと褒めろ。上総介様の前で黙るって、店で二刻働くより疲れるぞ」親父が言う。

「なら帰ったら二刻働けば、疲れ方を比べられる」

「何でそうなるんだよ」

いつもの。帰り道。少しだけ。安心した。でも。

話は。終わっていない。北で。清須を数える人はいる。値を聞く人も。

時刻を聞く人も。たぶん。明日もいる。俺たちも。北を見る。

でも。誰かの帳面を奪うわけじゃない。全部を隠すわけでもない。嘘を撒くわけでもない。店へ戻ると。

小指に傷のある男が。約束の荷を持って待っていた。紙二束。油の小樽三つ。

「遅いぞ。馬は押さえてあるのか」

「あります。明日の朝に一頭。雨が来そうなら油は先に筵を二重にします」男は頷いた。

「それでいい。昨日、北の道で馬を数えてたって聞いたぞ」兄貴が。

俺を見る。俺も。兄貴を見る。もう。噂になっている。

「誰から聞いたんです?」男は笑った。

「飼葉屋の爺さんだ。『帳面小僧が今度は道で馬を数えとる』ってな」

やっぱり。町は。速い。俺は苦笑した。

「じゃあ、その話も北へ行きますね」

「行くだろうな。止めたいのか?」

少し考える。前なら。止めたかったかもしれない。今は。違う。

「いや。俺が道を見てることくらいは、見えてもいいです」

「変な奴だな」

「最近、よく言われます」親父が。

荷を確かめる。兄貴が。馬の支度をする。店は。いつも通り動く。

俺は。帳面を開いた。清須の中に。城の帳面がある。うちの帳面もある。

商人の帳面。馬方の覚え。宿の記録。飼葉屋の木札。そして。

清須の外にも。同じように。誰かの帳面がある。全部を。俺は見られない。

全部を。相手も見られない。でも。流れは。少しずつ。

互いの帳面に写る。AIが言う。

『次の観測対象を設定しますか』俺は。

店の前を通る馬を見た。前なら。すぐ次を決めた。今日は。少しだけ待った。

ここまで。俺は。物が流れる道を見た。空いている馬を見た。外から見える清須を見た。

誰かが何を知りたがるかを見た。そして。町そのものが。大きな帳面みたいなものだと知った。

「次は、まだいい」

『了解しました』

「今ある分を、一回ちゃんと読もう」兄貴が。

荷を縛りながら振り返る。

「珍しいな。お前が次に行かないなんて」

「たまには止まる」

「熱ある?」

「お前、前にもそれ言ったぞ」

笑い声が。店先に残る。その時。親父が勘定板を見ながら言った。

「止まるなら、これ見てから止まれ。北向きの飼葉、昨日から値が上がっとる」俺は顔を上げた。

荷が増えた。ではなく。値が先に動いた。清須の流れは。まだ。

俺に読めていないことを。一つ残していた。

第33話 荷が動く前に、値段が動いた

親父が見せた数字は。小さかった。飼葉一束。ほんの少し高い。一軒だけなら。

値付けの違いで終わる。でも。二軒。三軒。北へ出る道に近い店ほど。

同じように上がっていた。兄貴が。勘定板を見て首を傾げる。

「馬が増えたからじゃないの?」

「昨日見た限り、急に増えてない。少なくとも、値が上がるほどじゃない」

「じゃあ何で?」

「それを今から見る」兄貴が。

深いため息をついた。

「止まるって言った翌日にもう動くの、詐欺じゃない?」

「俺に言うな。値段に言え」

最初の飼葉屋。主人は。俺を見るなり。嫌な顔をした。最近。

俺は聞きすぎている。反省。だから。今日は先に買う。店の馬用に。

いつもの分。銭を払ってから聞いた。

「昨日より少し上がってますよね。仕入れが高くなったんですか?」

「高くなった。北へ持ってく奴が増えるって話が出たから、上で押さえられた」

「実際に増えたんじゃなくて?」

「まだだ。増えるって話」

二軒目。

「馬方が買う前に、問屋が値を上げた」

三軒目。

「岩倉の方で飼葉が要るらしい、って聞いた」

理由。全部。噂。俺は。店を出て。

道の端で止まった。

「AI。物が動く前に値段が動くって、普通にある?」

『あります。将来の需要増加を予想した買い手が先に確保する場合、実際の消費増加より前に価格が動くことがあります』

「噂だけでも?」

『噂を信じる人が実際に買えば、価格へ影響します』兄貴が。

俺の顔を見る。

「つまりさ。嘘の噂流したら駄目って話、もう答え出てるじゃん」

「うん」

昨日。親父が言った。商人が流した嘘は。最後に商いへ戻る。本当に。

戻るどころか。先に値段へ出る。

昼。藤兵衛が来た。

「飼葉高くなってるけど、北行き増えた?」俺は笑いそうになった。

今。まさに。噂が。次の噂を作っている。

「俺が聞きたい。藤兵衛は何を聞いた?」藤兵衛は飼葉の値札を見ながら答えた。

「岩倉の方で馬を集めてるって話だ。誰が集めてるかまでは知らん」

「藤兵衛自身は見てないんだよな。じゃあ、その話は誰から?」

「昨日泊まった馬方だ。酒を飲みながら言ってた」俺がもう一つ聞くと、藤兵衛はようやく顔を上げた。

「その馬方は、自分で見たって言ってた?」藤兵衛が。

そこで止まる。

「そこまでは聞いてない」兄貴が横から言った。

「ほら。また『聞いた』が二回続いた」藤兵衛は少しムッとした。

「お前ら、最近人の話に印つけすぎだろ」

「ごめん。でも、値段が上がってるから大事なんだ」藤兵衛は。

少し考えて。

「なら俺も今度から聞く。見たのか、聞いたのかくらいは」

それでいい。皆に帳面を持たせる必要はない。一つ。聞き返すだけ。

午後。親父に話す。親父は。驚かなかった。

「相場なんてそういうもんだ。雨が来ると思えば、降る前に蓑が売れる。戦が来ると思えば、始まる前に物が動く」

「じゃあ、値段を見ると噂の強さも分かる?」

「場合による。高くなったからって、皆が同じ噂を信じたとは限らん。仕入れが細っただけでも上がる」

また。一つじゃない。俺は笑った。親父が怪訝な顔をする。

「何がおかしい」

「何でも理由が二つ以上あるなって」

「一つしかないと思っとる方がおかしい」

簡単に言う。でも。その簡単なことを。俺は何度も忘れる。

夜。飼葉の値。馬の数。噂の出所。三つを並べた。

馬は。まだ増えていない。値だけ。先に動いた。情報が。

荷より先に。町を動かした。俺は。帳面の端に書いた。見えるのは。

動いた物だけじゃない。動くと思った人の。先回りも。値段に残る。

第34話 買わなかったことまで、町には見えていた

飼葉が上がった翌日。今度は。縄屋の佐七が。妙なことを言った。

「城の使い、今朝来なかったぞ」

「それがどうしたの?」

「どうしたって、いつもならこの頃に一度来る。細い縄を何束か持ってく。毎日じゃないが、三日に一度くらいだ」俺は。

手を止めた。買った。増えた。動いた。そういうものばかり見ていた。

来なかった。買わなかった。減った。それも。いつもを知る人には見える。

兄貴が。俺より先に聞く。

「たまたまじゃない? まだ昼前だし」

佐七も頷く。

「俺もそう思う。ただ、昨日酒屋で『城が急に物を買わなくなった』って話が出てな」

「何を?」

「縄と油。飼葉は逆に高いって言ってた」

ばらばら。なのに。噂になると。一つへ寄せようとする。城が何か隠している。

城が買い控えている。戦が近い。戦は遠い。皆。空いたところへ。

勝手に理由を入れる。俺は。佐七に聞いた。

「城の使い、今日来なかったこと。誰かに話した?」

佐七は。一瞬。気まずそうな顔をした。

「酒屋で言った」

「責めてない。俺も普通に言うと思う」親父が。

奥から出てきた。

「商人は、来た客の話より来なかった客の話をする時がある。売上が落ちたら気になるからな」

「じゃあ、急に買うのを止めるのも目立つ?」

「当たり前だ。毎度十買う客が、急にゼロなら理由を考える」AIが言う。

『継続観測されている取引では、欠落も情報になります』

「ないことも、あるってことか」兄貴が。

変な顔をする。

「日本語として気持ち悪い」

「俺も言っててそう思った」

でも。意味は合っている。城へ行く予定はなかった。ただ。五日の紙に入れるには。

確認したい。市松を探す。城下で見つけた。

「最近、縄と油の買い方変えた?」

市松は。すぐ答えなかった。周りを見る。俺も気づく。聞く場所が悪い。

「ごめん。場所変えよう」

少し離れ。人の少ないところへ行く。市松が言う。

「油は在庫が足りて、今週は少ない。縄は別のところから入った。それだけだ」

軍の秘密でも。大きな策でもない。ただの在庫。ただの仕入れ先変更。なのに。

外から見れば。消えた。

「佐七のところに行く量が減っただけで、城全体が買わなくなったわけじゃない?」

「そうだ」

「分かった。それ以上は聞かない」

市松が。少し笑う。

「最近、お前から『それ以上は聞かない』って言葉を聞くようになったな」

「前は聞きすぎてた?」

「かなり」

痛い。帰り。兄貴に話す。兄貴は。妙に嬉しそうだった。

「やっと周りの人間がお前を教育し始めたな」

「AIもいるんだけど」

「人間の方が効いてるだろ」

否定しにくい。

夜。紙に書く。

『いつも買う店で急に買わなくなると、それも変化として見られます。ただし、店を変えただけでも「城全体が買わなくなった」と噂になることがあります。』親父が読む。

「これならいい」

「城の仕入れ先は書かない」

「当たり前だ」兄貴が。

横から紙を見る。

「でもこれ、どうすんの? 買わない時まで買うわけにいかないだろ」

「買わない。そこは嘘にしない」

「じゃあ見えるまま?」

「見えるものは見える。ただ、一軒だけの話を町全体の話にしないように、城側も店側も『知らないことは知らない』で止める」親父が頷く。

「そこだな。佐七が悪いわけじゃない。自分の店に来なかった。それ以上を知ったふりしたら駄目だ」

買ったこと。買わなかったこと。増えたこと。減ったこと。全部。

町には残る。だから。消すんじゃない。勝手に。意味を足さない。

そこから。始めるしかなかった。

第35話 流れを読んだら、流れに読まれていた

次の五日の紙は。今までで。一番。書くことが少なかった。馬。

値。質問。買わなかった物。材料は多い。でも。

言いたいことは。一つだった。町は。見ている。しかも。

城を見ようとしていない人まで。自分の商いのために。結果として。城の動きを見ている。親父が。

三枚を読む。一枚目。馬の時刻を散らしても。長く見ている人には総数が分かった。二枚目。

飼葉は。実際に馬が増える前に。噂で値が上がった。三枚目。いつも買う店から買わなくなっただけで。

「城が物を買わなくなった」という噂になった。兄貴が。

腕を組んだ。

「これ、結局さ。何やっても見られるって話に見えない? 隠しても、止めても、今度はそこを見られるんだろ」

「半分はそう。でも、見られることと、そこから一つの答えに決められることは別だ」兄貴は帳面を指で二度叩いた。

「じゃあ、決めつけにくくする方をやるってこと?」

「そう。俺たちも知らないことを足さない。店の人にも全部黙れじゃなく、自分が知ってる範囲だけにする。城も、急に商いを変えすぎない」兄貴は。

少し考えて。

「地味」

「だから地味でいいんだって」

清須へ行く。今回は。俺と親父だけ。信長は。三枚を。

いつもより早く読んだ。

「結局、町は見る。お前の紙を読めば、隠した物まで別の形で見えると言っているようにも思える」

「はい。全部を見えなくするのは無理だと思います」信長は三枚目を指で押さえた。

「なら聞く。お前が五日ごとに書く意味は何だ」

真正面から来た。一瞬。答えに詰まる。でも。前なら。

ここで賢そうな答えを作った。今は。帳面を見る。俺が本当に分かったことだけ。

「見られないようにするためじゃないです。何が見えてるかを、こっちも知るためです」信長の目が。

少し細くなる。俺は続けた。

「馬の数が見えてるなら、見えてる前提で考える。値段が先に動いたなら、噂が広がってるって分かる。買わなかったことまで噂になるなら、急に黙ったり止めたりする方が目立つって分かる」年配の男が聞く。

「それで、敵を欺けるか」

「俺には分かりません。俺ができるのは、町を壊さずに、相手が簡単に決めつけられない状態を作るところまでです」

「勝つ話ではない、と」

「商いの流れを残す話です」

そこは。譲れない。戦のために。町を全部止めたら。勝っても。

次の日から困る。信長は。しばらく。何も言わなかった。それから。

三枚目を指で叩いた。

「五日に一枚。続けろ」

「はい」

「物が増えた減っただけでは足りぬ。値が先に動いた時。いつもの物が消えた時。繰り返し同じことを聞かれた時。それを書け」

今まで。俺が見つけたものが。そのまま。次の型になった。

「分かりました」

「ただし」信長が。

俺を見る。

「お前が町を見ていることも、町は見ている。忘れるな」

背中が。少し冷えた。飼葉屋の爺さん。小指に傷のある商人。藤兵衛。

佐七。皆。俺が何をしているか。見ていた。俺は。

流れを読んでいるつもりだった。でも。俺も。流れの中にいる。城を出る。

親父が。しばらく黙って歩いた。俺から聞く。

「何?」

「少しはましになったと思っとった」

「何が?」

「お前だ。前は何でも自分が見つけた顔をしとった。今は、自分も見られとるって分かった」

褒めてるのか。刺してるのか。分からない。

「それ、褒めてる?」

「半分な」兄貴と同じ言い方。

親子だ。店へ戻る。兄貴が。すぐ寄ってくる。

「どうだった?」

「続けろって」

「ほら。仕事減らないじゃん」

「でも、増えてもない」兄貴は。

少し考えて。

「じゃあ勝ち?」

「何にだよ」

皆で笑った。

夕方。北から。馬方が一人来た。荷はない。代わりに。

一つ。聞いてきた。

「ここなら、南へ戻る空き馬も合わせてもらえるって聞いたんだが」

北じゃない。南。俺と兄貴が。同時に顔を上げた。馬方は。

不思議そうにする。

「何だ?」

「いや。何でもないです。いつ、何頭です?」

普通に。商いをする。まず。そこから。清須から北へ。

北から清須へ。今度は。南へ。流れは。勝手に広がる。

俺は。帳面の新しい頁を開いた。AIが言う。

『新しい観測を開始しますか』俺は少しだけ笑った。

「うん。でも今度は、最初から答えを決めない」

『了解しました』

町は城より大きい。道は町より遠くまで続く。そして、俺が読んでいる帳面の外側にも、まだいくらでも流れがある。

俺は一度、頁を閉じた。次に何を見るかは、その流れが決める。

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