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どんっ、と松葉杖をつきながら上から見下ろすのは、片田舎出身の男爵令嬢である私。
対するは、しゅん……という音が聞こえそうな、合わせた膝に手を乗せて小さく縮こまって座る、この国の王太子であるリュシアン殿下。
あの朝の『運命的な出会い♡』作戦の後、私を肩に担いで医務室に着いた殿下は、医師の姿を確認した途端、無造作に私をその場に下ろして速攻で廊下へと消えていった。もちろん、そんな雑な降ろされ方をした私が、捻挫をさらに拗らせたのは言うまでもない。
そのため、本来ならほんの数日で治るはずだった捻挫が、固定と安静、松葉杖が必要なほどの全治半月まで悪化してしまったのだ。
治療を終え、松葉杖をついて授業に遅れて参加した時。あの現場に居合わせた人たちからの冷たい視線には、さすがに少々切ない気持ちになった。身を張ってまで依頼遂行のために頑張ったのだから、今日一日のどこかで、きっと殿下から何かしら接触があると思っていたのだが――
「…………………………」
昼休みが終わっても何もなかった。そろそろ私も、怒ってもいいのではないだろうか。
足の不便さを気遣って色々補佐してくれた、同じクラスの男爵令嬢に頭を下げ、イリオス様を呼んでもらうようお願いした。彼女と共に現れたイリオス様と一言二言交わした後、彼は静かに退出した。
その様子を眺めていた男子生徒が「あの男爵令嬢、王太子の側近を顎で使ってるぞ」と、何ともよろしくない誤解をしていたが、実際はなんのことはない。「本日も、あのサロンでの打ち合わせは、もちろんありますよね?」の念押しだった。
そうして、確認の取れたイリオス様がクラスに迎えに来てくれて、私のカバンを持ってくれたので――ここでもまた、「王太子の側近を荷物持ちさせている」と誤解されていたが――、連日通っているこのサロンに来たのだった。
ちなみに、私は別に殿下を見下ろすつもりは毛頭なかったのだが、部屋に入った時からすでに殿下はあの座り方をしていた。どうやら、イリオス様にもこっぴどく叱られていたようだった。
イリオス様、グッジョブ。
「…………とりあえず、私も座ってもよろしいでしょうか?」
一応、目下の者らしく、リュシアン殿下にお伺いを立てる。
「――あ、ああ。すまない、気が利かなかった。座ってくれ」
ビクッと肩を揺らした後、殿下は顔を上げた。でも、視線はどことなく合わない。たぶん気まずさ全開なのだろう。
「え――と……そ、その」
「殿下」
イリオス様がそっとサポートの声をかける。
「あ、ああ。分かっている。その……怪我の方はどうなのだ?」
自分のせいで怪我を拗らせたという自覚はあったようだ。思わぬ気遣いをされて、かえって毒気が抜かれてしまう。
「……そうですね。全治半月。しばらくは固定と安静のため、松葉杖を使うよう指示されました」
「そうか。それは、その……本当に、すまなかったな」
しゅん……とさらに項垂れる姿は、もはや王族の威厳のかけらもなく、叱られた大型犬そのものだった。ふと、オーレリア様の「ひんひん泣くポチ」の言葉が蘇る。思わず吹き出しそうになってしまい、慌てて口を塞いで横を向いた。危ない危ない。
リュシアン殿下が静かに上目遣いで私を見てくる。もはや、ご主人の機嫌を取ろうと悲しそうに見上げる大型犬。もう、これ以上叱りつけても良くないだろう。
「………もう怒っていませんよ、殿下」
ふぅと息を吐いてから、殿下に優しく笑いかける。
「ただ、松葉杖での生活は初めてですので、最初の数日だけでも、何かしらの形でサポートをお願いできるとありがたいのですが……」
「ああ、それはもちろんだ。イリオスにやらせよう」
「何でもお申し付けください、グリーンウッド嬢」
イリオスも頭を下げて続けた。
「ありがとうございます、リュシアン殿下、ヴァンガード様」
私も小さく頭を下げて、感謝を伝える。
「――さて。そろそろ気持ちを切り替えて、今後の相談をしましょう」
いつまでも謝罪ばかり繰り返しても仕方ない。本番はこれからなのだから。
「とりあえず、どんな形にせよ、殿下と私との出会いの場は完了しました。ですから、これから少しずつ関係性を深めて、『恋人同士』に見えるまで進めていかなければなりません」
「そうだな。それで、どうするんだ?」
やはり丸投げ。このポンコツめ。
「そうですね……例えば、授業の合間の休み時間は短いので、AクラスからDクラスとの移動を考えると、クラス間を通うのは少し厳しいかと思います。移動教室の場合もありますしね」
「そうなると、ちょうど良いのは昼食時でしょうか」
イリオス様も作戦立案に参戦してきた。リュシアン殿下はソファにどっしり腰を据えてきたので、もはや聞き役に徹すると決めたのかもしれない。
今朝みたいなことがあってはたまらない。後でちゃんとイリオス様に、殿下への復習予習のお願いをしておこう。
「殿下は今、昼食はどちらでお召し上がりですか?」
「王族といえど、私も今はいち生徒だからな。他の生徒との交流も兼ねて、私も食堂を利用している」
「そうですか。では、話は早いですね。例えばですが、殿下が昼前の授業を終えた後、殿下かヴァンガード様が私のクラスに来て、一緒に食堂に向かうのはいかがでしょうか?」
「なぜ私が、お前を迎えに行かないといけないのだ?」
リュシアン殿下はきょとん、とした顔で答えた。
「はい?」
「殿下。グリーンウッド嬢は今、『恋人役』として殿下との交流を深めるため、殿下と昼食を取ることを提案されています」
「そうか。しかし、私は昼食はオーレリアと取っているので、お前を迎えには行けないぞ?」
「はいっ!? お、オーレリア様と食事されているのですか!?」
「そうだ。婚約者同士だからな」
ふんすっ、と鼻息が聞こえそうな勢いで、リュシアン殿下は言い放った。
「……そんな風に昼食を一緒に取られているなら、もう、早くオーレリア様に好意を伝えてくださいよ」
「ばっ――、そ、そんな、できるわけがないと言ってるだろうっ!」
「グリーンウッド嬢。殿下はランツベルグ公爵令嬢とのお食事中は、嬉し恥ずかしすぎて逆に仏頂面になられておいでです」
「はあ!? 何ですかそれ!!」
婚約者に対して好意を持っていて、さらには毎日昼食まで一緒に取っているのに、恥ずかしすぎて仏頂面!?
「ちょっ――、殿下はオーレリア様と、おいくつの時に婚約者になられたのですか?」
「六歳だ」
「六歳!? それで、いつからオーレリア様に好意を?」
「ふん、聞いて驚くな。初対面で一目惚れだ」
「はぁ!?」
「殿下は六歳の婚約前の交流会の時から現在の十五歳になられるまで、ランツベルグ公爵令嬢への想いを拗らせ続けております」
「おい! 拗らせていると言うな! 純粋なる好意だ!!」
「拗らせているでしょう! 私に恋人役を頼んで嫉妬心を煽りたいだなんて、拗らせるにもほどがありますよ!!」
「うるさい! と、とにかくお前は、私の『恋人役』に協力すればいいのだ!」
「何ですか偉そうに! 早く『好き』とか『愛してる』とか言ってくださいよ!!」
……この後はギャーギャー叫び合いが続いてしまったため、思ったより話が進まなかったのだった。
*****
「……………………………」
顔を扇で隠したオーレリア様が、とうとう馬車の座席へ完全に突っ伏し、肩を震わせていた。
朝の出会いの場を直接目撃し、その後の話し合いの様子まで全て包み隠さず報告したのだ。今までの彼女の様子からして、限界突破してしまったのかもしれない。
小さく溢れる「も、もう無理……」という言葉は、もちろん私は聞いていないことにした。
「――そういう訳ですので。明日、オーレリア様がよろしければ、私も昼食の場に同席させて頂く予定です」
隣に座るアンナさんが馬車の窓をずっと見ているので、私も反対側の窓を見ながら明日の予定を告げる。失笑に耐えられずに倒れ込む公爵令嬢の姿なんて、もちろん視界に入っていない。
「………え、ええ。わ、分かったわ。一緒に食事をしましょう」
眦についた涙を指で掬い取りながら、オーレリア様が体を起こす。
「でも――その作戦には一つだけ、懸念点があるわ」
「ええっ!? ど、どんな懸念でしょうかっ?」
まさか昼食を一緒に取ることに問題があるとは。それでは一体、どこで交流を深めればいいのか。
焦る思いになった私に、オーレリア様はあっさり言った。
「目の前でポンコツ劇場を繰り広げられたら、わたくし、笑うのを我慢できなさそうだわ」
「……………………」
確かに。
今朝の『運命的な出会い』の僅かな時間でさえ、オーレリア様は途中から耐えきれなくて避難していた。昼食の時間は、今朝よりもっと長くなるはず。オーレリア様が吹き出さないといいけれど。
「……そ、そこは――まぁ。もしも我慢できなくなったら、途中退出するとか――」
「それに、昼食を取るといっても………あなた、お金の方は大丈夫なの? 学園の食事は貴族子弟も食べる分、少し高額になっていてよ?」
「あ、それはですね。一応、平民や下位貴族も気軽に食べられるメニューとして、日替わり定食があるんです。私の部屋には調理設備がないので、毎日利用してます」
寮の部屋は金額によって設備が異なっていて、私の住む部屋は一番少額である二人用の相部屋だった。部屋によって簡易キッチンも備わっているそうだが、私の部屋にはもちろんそんなものはない。
その代わり、寮生には食堂の割引サービスがあった。もちろん、一番安いメニューに限り、ではあるのだが。
「そうなの。でも、王族と高位貴族との食事に割り込もうというのだから、一番安い食事というわけにもいかないでしょう。援助してあげるから、ランクを少し上げたらいいわ」
「本当ですか!?―――って、いたたたた!」
あまりの素晴らしい提案に、捻挫を忘れて思わず身を乗り出してしまい、足の痛みに悶絶してしまう。
「ああ、ほら……怪我をしているのだから、無理をしては駄目よ」
「うう……ありがとうございます」
優しい気遣いに涙が出そう。昼食の援助といい、この方は神か? 女神様の化身か?
そんなことを密かに思っていると、オーレリア様はさらに驚くことを言った。
「あなたのクラスに、同じ男爵家のナタリーという子がいるでしょう? あの子はわたくしの家の手の者なの。しばらく、あなたを補佐するよう伝えたけど、大丈夫だったかしら?」
「え? あの、少し赤茶色の髪の女子生徒ですか?」
「そうよ。怪我もしたし、公爵令嬢のわたくしから殿下を奪い取る『恋人役』をするのだもの。しばらく、針の筵のような期間になると思ったから、誰か支えが必要かと思って。何かあれば、遠慮なく彼女を頼りなさい」
「うう〜。重ね重ね、本当にありがとうございます」
やはり、オーレリア様は女神様だったようだ。
確かに、授業に戻った後、数人からは冷たい目線で見られていた。殿下と仲を深める振りをすれば、その数はもっと増えるだろうし、嫌がらせも出てくるかもしれない。
覚悟をしていたこととは言え、誰か一人でもクラスメイトの中で味方になってくれる人がいるのは、本当に心強かった。
「私、どこまでもオーレリア様についていきます!」
「ふふふ、可愛い子ね。これからも、よろしく頼むわね」
怪我の分、上乗せされた本日の報酬を受け取り――殿下からも少しだけ多く貰った――、私は馬車を辞したのであった。




