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「オーレリア・ランツベルグ!!」
王太子リュシアン・ローエングラム、十六歳の誕生日を祝う夜会。静かな弦楽の調べと、着飾った招待客たちの談笑に満ちた大広間を、鋭い声が切り裂いた。
一瞬、音楽さえ止まったかと思うほどの静寂が広がる。招待客たちがざっと左右に割れ、その先にはリュシアンと、彼の隣に寄り添う淡い金色のドレスを身に纏った、男爵令嬢ミリアーナ・グリーンウッドの姿があった。
傍から見れば、仲睦まじい恋人同士そのものだ。しかし、よく見れば二人の口元はわずかに引きつり、リュシアンのこめかみを一筋の汗が伝っている。その違和感に気付いている者は、この場でただ一人だけだった。
正面には、公爵令嬢オーレリア・ランツベルグが、深いミッドナイトブルーのドレスを纏い、静かに佇んでいた。穏やかな表情のまま、手にした扇で口元をそっと隠している。
「貴様がミリアーナ嬢に行ってきた数々の非道、私は全て把握している!」
リュシアンの声が広間に響き渡る。
「教科書を引き裂き、心無い言葉を浴びせ、あまつさえ階段から突き落とすなどと――貴様にはもはや、我が婚約者としての資格はない!」
会場中の視線が、オーレリアに突き刺さる。
それでも彼女は表情ひとつ変えず、ただ静かにリュシアンを見つめ返していた。
「よって! 貴様との婚約は破棄し、私はこのミリアーナ・グリーンウッド男爵令嬢とけ―――」
突如として、リュシアンの言葉が途切れた。
「け?」
誰かの困惑した呟きが漏れる。
「け――け、け、けけ……け…」
「けけ……?」
誰もが困惑する中、リュシアンの唇は、その一音から先へ進めなくなっていた。
対するオーレリアは、目を細めながら、そんな彼の様子を静かに見つめている。
そして、次の瞬間。
「嫌だ―――っ!! オーレリアと婚約破棄なんて、絶対に嫌だ―――っ!!」
盛大な号泣とともに、王太子はその場に崩れ落ちた。そして、オーレリアへ縋りつくように、その腰に腕を回した。
会場は水を打ったように静まり返る。
ただ一人、縋りつかれたオーレリアだけが、目元を恍惚とさせながらその金色の髪を優しく撫でていた。
(終わったわ……)
つい先程まで恋人役を演じていた場所で、ミリアーナは心の中で静かに呟く。
脳裏に浮かぶのは、これから積み上がるであろう金貨の山。一枚、また一枚と音を立てて積み重なっていく。
ミリアーナは、誰にも気づかれないよう、口元だけでそっと笑みを浮かべた。
*****
「え? 恋人役ですか?」
ローエングラム王立学園への入学式を終えたばかりの私、ミリアーナ・グリーンウッドは、突然、高位貴族専用のサロンへ呼び出された。一通りの話を聞いた後、思わずそう聞き返す。
目の前で偉そうに足を組み、ふんぞり返る相手は、この国の王太子、リュシアン・ローエングラム殿下だ。
「そうだ。君にはこれからの学園生活で恋人役を演じ、私の婚約者であるオーレリア・ランツベルグ公爵令嬢の嫉妬心を掻き立ててもらいたい」
間違ったことは何一つ言っていないという表情で、殿下はそう言い放つ。つい隣に立つ側近のイリオス・ヴァンガード伯爵令息を見たが、乳兄弟として幼い頃から共に過ごしてきた彼は、目を閉じ、静かに顔を横へ振った。
「あの……」
「なんだ」
「一応、確認してもよろしいでしょうか? 『恋人役』とは、一体何のためにするのでしょうか?」
リュシアン殿下はハッと馬鹿にするように笑った。
「先程も言っただろう。オーレリアの嫉妬心を掻き立てるためだ」
「いえ、それは先程も伺いました。ただ、なぜ嫉妬心を掻き立てなければならないのか、と思いまして」
「ふんっ。そんなもの、彼女が幼い頃から私にずっと塩対応してくるからに決まっているだろう」
さも当然とばかりに言う殿下。しかし、私には全く当然ではない。冷たくされるには、それなりの理由があるはずだ。
私はどこか頭が痛くなるような感覚を覚え、そっとこめかみを押さえた。
「えーっと……つまり殿下は、ランツベルグ公爵令嬢に好意を持っている。しかし、幼い頃から冷たい対応をされているため、嫉妬させることで彼女の気持ちを確かめたい――そういうことでしょうか?」
「よく分かったな。その通りだ」
意外そうにこちらを見ないでほしい。イリオス様はもはや遠い目をしていた。
「ちなみに、もう一つ質問ですが」
「なんだ」
「殿下はその……公爵令嬢には、ご自分が令嬢に対して好意を抱いていると伝えられたことはありますか?」
「言うわけないだろう」
即答だった。
「彼女は常に私の先を行き、周囲からも優秀だと見立てられている。そんな彼女より秀でてもいない私が好意を伝えるなど、情けなくて出来るはずがない」
自らの口で、一度も想いを伝えたことがない……
何ということだ。私はふ――っと、少し長めに息を吐いた。
「あの……失礼を承知で発言してもよろしいでしょうか」
「ここは学園内だ。ある程度なら不敬は許そう」
よし、言質は取った。
「あなた――馬鹿なんですか?」
「何だと貴様!!」
怒りに椅子から立ち上がろうとする殿下の肩を、イリオス様が押さえ、再び椅子へ座らせる。一瞬焦ったものの、先程自分で言った言葉を彼も覚えていたらしい。
「殿下が公爵令嬢に『好き』や『愛している』と伝えれば、一発で終わる話なのに、なぜ私を巻き込んで嫉妬心を掻き立てるという、回りくどいことをするのです?」
「ぐ……し、しかし――そんな、す、すすす……好きとか……あ、あああ、あい……とかなんて、言えるわけが………」
顔を真っ赤にして両手の指をつんつんさせる殿下。先程までの威厳は、もはや見る影もない。
「それに、私が恋人役を演じるとしましょう。例え演技だとしても、周囲から見れば『田舎者の芋娘が、公爵令嬢という立派な婚約者のいる王太子に横恋慕した』ということになります」
私は一度言葉を切る。
「そうなれば、私だけではなく我が家の評判も落ちます。その責任は、どう取って頂けるのでしょうか?」
「いや……まぁ、その……確かに、その通りなのだが……」
「恐らく、殿下が私を選んだ理由は、王都から遠く離れた片田舎の貧乏男爵家で、王族からの願い出なら断れないと見越してのことでしょう」
「…………」
「ですが、私にも守るべき領地と領民がおります。もしこの依頼が領民の生活を脅かすことになるのであれば、私とてお断りせざるを得ません」
正論を浴びせすぎたのか、殿下はしょんぼりと肩を落とした。
「グリーンウッド男爵令嬢」
今まで無言を貫いていたイリオス様が口を開く。
「殿下はこのようなことをおっしゃっていますが、最近では大変努力を重ねられ、大臣や高位貴族からの信頼も厚く、確かな実力を身につけられております」
私はふむふむと頷く。
「しかし――ご覧のように、恋愛ごとになると、とんでもない『ポンコツ』へと変貌なさいます」
「おい、貴様! とんでもないポンコツとはなんだ!!」
殿下の抗議も、イリオス様はどこ吹く風だ。さすがは乳兄弟。
「殿下は表現こそ不器用ですが、ランツベルグ公爵令嬢を心から大切に想っておられます。どうか、お二人の仲を取り持つご協力をして頂けないでしょうか」
丁寧なお願いの形をとりながらも、断ることを許さない圧を感じる。どうやら、選択肢は最初から一つしかなかったようだ。
それに、我が男爵家には『お偉いさんには逆らわない』という家訓がある。何とも弱気な家訓ではあるけれど、そのお陰で細々とではあっても血筋を繋いでこられたのも事実だった。
「……かしこまりました」
リュシアン殿下に諾の意を伝えると、殿下の表情がぱっと明るくなった。
「本当か!」
「ただし――ご依頼をお受けする以上、条件がございます」
私はにっこりと笑った。
「条件?」
「ええ。もちろんです」
ここからは交渉の時間である。
「殿下の恋人役を演じるということは、私自身の評判や、我が家の信用にも関わるということです。その責任を負う以上、ただお手伝いするだけでは、対価として不十分ですわ」
「……つまり、報酬か」
「はい」
迷いなく頷く。
「まずは前金。そして、学園内で恋人役を演じた日ごとの報酬。最後に、お二人の仲を取り持つことに成功した場合の成功報酬を頂きたいと思います」
「そこまで……」
「当然ですわ」
私は微笑んだ。
「入学前から楽しみにしていた学園生活を、殿下の『恋人役』という大役のために費やすのですもの。それ相応の対価は必要ではありませんか?」
「……いくらだ」
状況を理解した殿下が尋ねる。
私はざっと試算した金額を提示すると、イリオス様の目線の温度が下がった。
「グリーンウッド嬢」
「はい、なんでしょう?」
「令嬢は、我が国の通貨事情をご存知でしょうか」
「ええ、もちろん存じておりますわ」
「ならばお分かりでしょう。その金額は承諾できません」
「―――チッ」
残念。さすがに高額すぎたようで却下されてしまった。
「おい、この女、今舌打ちしたぞ」
「うふふ、気のせいですわ、殿下」
「……今さらだが、本当に頼む相手を間違えた気がする」
「あら、ようやくお気づきになられまして?」
うふふと笑う私を見て、殿下が深いため息を吐いた。しかし、ここまで話してしまったのだ。もう後戻りはできまい。
「……条件を改めましょう。金額はこれくらいでいかがでしょうか?」
「よっし、これで屋根の修理代ゲット!」
イリオス様の提示した金額に、思わずガッツポーズをする。私は寮生活だからいいけど、故郷の屋敷は雨漏りが酷いと聞いていたのだ。
「………本当に困窮しているんだな、この女」
「ええ、そうみたいですね。ですが、その分、役目はしっかり果たしてくれるでしょう」
「そうだといいのだが……」
不安そうにヒソヒソ話をする二人を他所に、私はこれから懐に入るであろう報酬を想像し、顔がにやけるのを止められなかった。




