第7話「夢の学び舎と深まる絆」
王都での一件は、私に改めて決意させた。
もう、王宮や貴族社会のくだらない権力争いに振り回されるのはごめんだ。
私のいるべき場所は、ヴェルモント領の、あの豊かな大地なのだと。
領地に戻った私は、新たな計画に着手した。
それは、前々から温めていた構想――農業技術学校の設立だ。
私の知識と経験は、私一人のものではない。
これを多くの人々に伝え、広めていくことで、この国の農業はもっと発展するはずだ。
飢えに苦しむ人々を、一人でも多く救えるかもしれない。
それは、農学部で学んだ私にとって、純粋な夢であり、使命でもあった。
「学校を、作る?」
私の計画を聞いたカイルは、最初こそ驚いていたが、すぐにその目を輝かせた。
「面白い! 実に面白い発想だ! ただ作るだけじゃない、未来への投資か。リリアナ、お前は本当に俺を飽きさせないな!」
彼は私の計画を全面的に支持してくれた。
組合の資金と、彼個人の「ポケットマネー」と称する謎の潤沢な資金から、多額の援助を申し出てくれたのだ。
「なあに、これは先行投資さ。優秀な農業技術者が育てば、俺の商売もさらに儲かる。下心アリアリだよ」
彼はそう嘯くが、彼の目が本気でこの計画の成功を願っていることは、私には分かっていた。
学校の建設は、組合員たちの全面的な協力のもと、驚くべき速さで進んだ。
ヴェルモント領の大工や石工たちは、自分たちの未来を担う子供たちのための学び舎を作るのだと、誇らしげに腕を振るった。
そして半年後、ヴェルモントの丘の上に、質素だが頑丈で、陽光がたっぷりと差し込む木造の校舎が完成した。
「ヴェルモント農業技術学校」。
それが、私たちの夢の学び舎の名前だ。
開校日、校舎の前には、目を輝かせた若者たちが集まっていた。
組合員の子供たちだけでなく、噂を聞きつけた近隣の領地からも、多くの入学希望者がやって来たのだ。
その数、実に五十名以上。
彼らの学びたいという熱意が、ひしひしと伝わってくる。
私は初代校長兼教師として、教壇に立った。
「皆さん、ようこそ! この学校で学ぶのは、難しい学問ではありません。土に触れ、作物を育て、生きるための力を身につける、実践的な知識です。一緒に、この国を、世界を、豊かにしていきましょう!」
私の言葉に、若者たちは大きな拍手で応えてくれた。
授業は、実践が中心だった。
土壌学の基礎を教え、堆肥作りの実習を行い、魔法を使った灌漑システムの原理を説明する。
生徒たちは、私の教える全てのことを、スポンジが水を吸うように吸収していった。
彼らの真剣な眼差し、何かを理解した時の輝く笑顔を見るたびに、私はこの学校を作って本当に良かったと心から思った。
カイルも、時間が空くと学校に顔を出した。
彼は商人としての経験から、流通や販売に関する特別講義を受け持ってくれ、これが生徒たちに大人気だった。
◆ ◆ ◆
ある日の放課後、私は一人で校舎の掃除をしていた。
生徒たちが帰った後の静かな教室は、彼らの熱気と希望がまだ残っているようで、心地よかった。
「お疲れさん、先生」
ひょっこりと顔を出したのはカイルだった。
彼は私の隣に立つと、窓の外に広がる夕暮れの畑を眺めた。
「いい光景だな。お前の夢が、一つ叶ったな」
「ええ。カイルのおかげよ。本当にありがとう」
「またそれか。礼なら、もっと違う形で返してくれてもいいんだぜ?」
彼がニヤリと笑って、私の顔を覗き込む。
近すぎる距離に、心臓が大きく跳ねた。
夕日が彼の深い緑の瞳に金色の煌めきを落とし、私は思わず息を呑んだ。
「……違う形って、どんな?」
我ながら、馬鹿なことを聞いたと思う。
カイルは私の反応を楽しんでいるように、さらに顔を近づけた。
「そうだな……例えば……」
彼の唇が、私の唇に重なろうとした、その時。
「先生ー! 堆肥の発酵温度が上がりすぎてるみたいです!」
生徒の一人が、慌てた様子で教室に駆け込んできた。
「え、大変!」
私はハッと我に返り、カイルを突き飛ばすようにして教室を飛び出した。
背後で、カイルが「ちっ、惜しい……」と舌打ちするのが聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。
堆肥置き場へ走りながら、私の顔はきっと、夕日よりも赤くなっていただろう。
『危なかった……!』
でも、嫌ではなかった。
むしろ、心のどこかで、彼の唇が触れるのを待っていた自分がいなかっただろうか。
カイルとの関係は、もうただのビジネスパートナーではなかった。
お互いに惹かれ合っていることは、もう認めざるを得ない。
しかし、彼の正体はまだ謎に包まれたままだ。
しがない商人と、没落したとはいえ公爵令嬢の私。
身分の差を考えれば、この想いは許されないのかもしれない。
そんな不安が胸をよぎる。
けれど、生徒たちの明るい声と、カイルの温かい眼差しに包まれていると、そんな不安もいつしか薄れていった。
この穏やかで、希望に満ちた日常。
それが、大きな嵐の前の静けさだということに、私はまだ気づいていなかった。




