澄み潜む空腹:第八話
「今戻ったぞ、雪」
「あ、伊吹さん! お帰りはまだ先の予定でしたよね?」
なんとも衝撃的な出会いを果たした、その翌日。
もう日もとっぷりとくれた頃。伊吹さんが山吹堂に戻ってきた。
それにしても、よ。伊吹さんがお店に足を踏み入れた瞬間に、周囲の空気が一気に変わるような感じがするのが面白い。
今まで好き勝手にザワザワしてた商品たちが、ぴたりと黙る、というか……。
骨董品も〝鬼の居ぬ間に洗濯〟を楽しんでたのかしらね?
「買い付けであまり目ぼしいものがなくてな。早めに切り上げて帰ってきたんだ」
目ぼしいものがなかったと言いつつ、背負っている風呂敷包はかなり大きく膨らんでいる。
「まぁ、お前への土産くらいは買えたから、無駄足ではなかったのが幸いだな」
「え……こんな可愛いお茶碗……頂いてもいいんですか?」
その風呂敷の中から私に渡されたものは……鮮やかな花が描かれた小ぶりのお茶碗と黒塗りのお椀……そして、ちょっと小振りなお箸だったわ。
しかも、お茶碗もお椀も……手にした時の触り心地も、持ち重り具合も……何もかもが私の好みにぴったりの品なの!
今までは来客用のモノをお借りしてたんだけど……私専用のお茶碗とお箸をもらえるなんて!
なんだか改めて、ここに受け入れてもらった実感がわいてくるわね。
「ありがとうございます、伊吹さん!」
「喜んでもらえて良かったが…………なあ、雪。吾が店を離れている間に、何かあったのか? 随分とガキの匂いがするんだが」
「え? 子どもの匂いですか?」
私へのお土産以外の荷物を片付けながら、伊吹さんが微かに眉を顰めてそう呟く。
鼻を鳴らす伊吹さんに倣って空気の匂いをスンスン嗅いでみたけど……気になるような匂いは感じられないんだけど……。
……あ! もしかして、私が匂ってるとか……そういう話なのかしら?
「あ、いや……その〝ガキ〟ではなく、な。ジキトリ……餓鬼憑きの匂いだ」
「じき、とり……?」
「ああ。そのものの匂いというより、残り香に近いがな」
慌てて自分の匂いを嗅ぎ始めた私を制した伊吹さんが、困ったような顔で笑って言葉を続ける。
私から異臭がするわけじゃないってわかって安心したけど……伊吹さんの説明を聞いても、聞き覚えがなさすぎてさっぱりぴんと来ない。
多分、伊吹さんにもわかるくらいにキョトンとした顔をしてたんでしょうね。一つ瞬きをした伊吹さんが重ねて口を開く。
「ジキトリ……食を盗るとでも書くんだろうな。人に取り憑いて、悪さをする」
「そんなのがいるんですね。ちなみに、悪さをするっていうのはどんなことをするんですか?」
「コレに取り憑かれると、激しい空腹で身動きすら取れなくなる。昔はそいつが原因で、何人もの旅人が行き倒れたものだ」
「空腹……行き倒れ…………あ!」
いつの間にか梅さんが用意してくれていたお茶に手を伸ばす伊吹さんの説明を聞くうちに、頭の中にピンと閃くものがあった。
伊吹さんが教えてくれたその話、なんだか出会った時の虎落さんの状態にそっくりじゃない?
「あの……その餓鬼憑きを治す方法ってあるんですか?」
「米一粒でもいいから口にすれば、たちどころに祓えるそうだが……生憎と吾は憑かれたことがないからな」
「なる、ほど……」
倒れるくらいに空腹でフラフラしてたのに、甘味屋で食べたら元気になって……。
もしもこれが伊吹さんが言ってる〝ジキトリ〟とかいう餓鬼憑きのせいだったら、なんとなく辻褄が合うような……。
しかも、虎落さんが山吹堂に来たのって、症状がすっかり落ち着いた後だったでしょう?
何かを食べれば祓えるのなら、山吹堂に来た時の虎落さんからはジキトリが離れてた、ってことだし……それなら伊吹さんが〝残り香〟って言ってたのも納得できる。
「……どうした、雪? 何か思い当たる節でもあるのか?」
「え、あ……思い当たる節しかないというか……」
じいっとこちらを見る伊吹さんに、隠し事なんてできる気がしないのよねね。
……でも、お留守番を放り出して朝草に行ったこと話したら、怒られるんじゃないかしら?
不安に駆られて盗み見た先の伊吹さんからは、こちらを咎める様子は感じられないけれど……。
「ああ、その、なんだ……何かあったからと言って、お前を責めようという話じゃないんだ。ただ、何かあったかを把握しておきたくてだな……」
私の不安を感じ取ったのかしら? 慌てたような困ったような伊吹さんが言葉を尽くしてくれるけど……そもそもは私が無断で外出したのが悪いんだもの。
伊吹さんに気を遣わせるのはちょっと違うわよね。
「いえ、私の方こそ、ご報告が遅れてごめんなさい! 実は、今日、周さんと朝草に行って……」
「ずいぶん構えていたから何事かと思ったが、思ったよりも可愛い事態で安心したな。息抜きは必要だし、そのくらいで怒ったりはしないさ」
肩透かしを食らったような顔で伊吹さんが息をつくけど……本題はこれから、なのよね……。
一度話し出したら弾みがついたのか、さっきまで胸の中で渦巻いていた言葉がスルスルと口を衝いて出てくる。
梅さんのお茶をおかわりしつつ、私は昨日の出来事を洗いざらい話してしまうことにした。




