7
――――――……
城の広間には、多くの貴族が集められていた。
国中から急遽呼び出された彼らは、王とその花嫁の登場を今か今かと待ち構えている。
今朝、王の成婚が発表されたばかりの城の前には、多くの民衆が花嫁を一目見ようと押し寄せていた。
「……どういうことだ、これは」
その様子を遠くから眺め、王は鋭い瞳を男へ向ける。
その威圧に多少気圧されながらも、男はその軽い口を開いた。
「陛下のご結婚を祝いに、多くの人々が詰めかけているのです」
「俺が、いつ、だれと結婚すると言った?」
「城中ならず貴族連中にまで噂は広まっていますよ、陛下が聖女アリーシャ様とご結婚なさると」
「くだらぬ、ただの噂だろう」
「しかしただの噂も、ここまできてしまえば現実とせずにはいられますまい」
男はにたりと口角を上げた。
「聖女だとか名乗っていた女は、真実の水鏡に取り込まれそうになっていたとか。立派な反逆者です。この話はすでに、城下町まで広まっていますよ」
「――貴様」
「いまさら、あの女とご結婚なんてできますまい。ご安心ください、アリーシャ様は今や私の義娘。家柄も申し分ありません」
「自分の権力がそれほどまでに大事か。本物の聖女を無下に扱えば、いざという時どうなることか――」
「災いが起こったとき、陛下が本物の聖女を見紛うたことに民衆は気付くのです。陛下、あなたの時代もこれで終わりですね」
「……お前」
「陛下!アリーシャ様のご準備ができました!」
「陛下のご登壇です!」
腹に一物抱えた貴族たち、そして何も知らない民衆たちの前に、国王陛下とその花嫁アリーシャは姿を現した。
―――――――――――――――……
「おめでとうございます、陛下!」
「おめでとうございます!」
「国王陛下万歳!」
煤でところどころ黒くなった服を引きずって、どうにか城の門の前まで回り込むことができた。門が開かれていたのは不幸中の幸いだったかもしれない。普段ならこうも易々と外へ出られるものではなかっただろう。そして多くの人ごみに紛れてしまえば、私はただの小汚い町娘にしか見えない。
「……王様」
城のバルコニーから見下ろしているのは、王様とアリーシャだった。
結局こういうことか。
他人に期待していた愚かな自分が、胸の中で燃えて灰になっていく。
とりあえず逃げなくては、これからどうしよう、と途方に暮れながら、どこかほっとしている自分もいた。これだけ痛い目を見れば、きっと今後私は他人に期待なんてしなくなるだろうから。
と、その人ごみから抜け出そうとしたとき。
「……」
王様と視線が重なった――気がした。
これだけ距離があって、これだけの人がいて、そんなはずはないのだけれど。
きっと気のせいに違いない、と思うのだけれど。
王様は、バルコニーの手すりに足を掛けると――周囲が止める間もなく飛び降りた。
「……!?」
叫び声が聞こえる、が、「どけ!」と王様の声も聞こえるので、無事ではあるらしい。
「……ほんとに人間?」
周囲の騒めきを、私は茫然としながら聞いていた。
まさか、王様が私を見つけてここまで来るなんて――誰が信じられるだろう。
「アヤメ」
全く息を乱さずに目の前に現れた王様は、煤で汚れた私の手を取った。
白い手袋が黒く汚れる。
「無事だな」
「……なんとか」
おそらく顔も頭も煤でめちゃくちゃだと思うので、これで無事と言っていいのかは少し疑問ではあるけれど。
「お前は、俺の妃になれるか?」
ぎゅっと強い力で手を掴まれ、高い位置から見下ろす金色の瞳はいつにも増して鋭かった。
周りの注目を一身に浴びているのがわかる。
「――なります」
私がそう答えた瞬間だった。
――どこからか飛んできた矢が、王様の胸を突き刺したのだった。
「お、王様!」
「陛下!」
「誰だ⁉」
血を流す王様の姿に、周囲は騒然となる。
地面に血が滴り落ち、王様は膝をつく。
「――毒矢か」
警備の兵は医者を呼びに走り、城の中にいた側近らも慌ててこちらへ向かってくる。
やがてやって来た救急部隊に、私と王様の手は解かれ、運ばれていく王様をただ見ていることしかできない。
「――偽聖女!、生きてたのか」
「……っ!」
そんな私のもとにやって来たのは見知らぬ男たちだったが、先ほどの奴らの仲間だろうか。
目の前に現れたかと思うと、私の首めがけて剣を振り下ろしてくる。
――殺される!
「おっと、まだ駄目だよ」
ゆらりゆらりと薄く微笑んだ魔術師が、相手の剣を止めていた。
「僕はまだ、聖女の力を見せてもらってないんだ」
相変わらず真っ黒のローブに身を包んだ魔術師は、茫然とする私に得体のしれない笑みを浮かべる。
「きみは、こっち」
浮遊感とともに酷い眩暈を感じ、次に瞬きをしたときには見知らぬ部屋に移されていた。
「転移。きみは初めてかな」
黒い壁紙に黒いカーテン、本棚には分厚い専門書が所狭しと並んでいる。
「あなたの部屋ですか?」
「そう」
「……どうして私をここへ?」
「偽聖女さん、今日は自分から喋ってくれるんだね」
「……」
魔術師の薄ら笑いから察するに、きっと私を助けようと思っているわけではないだろう。
「僕は聖女の力が見てみたい」
「聖女様というのは、アリーシャさんでは?」
「あんなの、偽物に決まってるじゃん」
「……え?」
「きみが中々力を現さないっていうから、ライバルが現れたらどうかなと思ったんだけど」
「でも、私は聖女じゃ……」
「聖女はきみだよ、異世界から来たんだから。あの赤毛の娘は、幻覚を使って僕が操ってただけ。植物が早く成長したように見える幻覚だよ」
「操ってたって、あなたにそんなことできるんですか?」
「できるよ」
こともなげに魔術師は言う。
「名前さえ知っていれば、僕は他人を操ることができる」
「名前……」
「だから、一番最初にきみの名前を聞いておきたかったのに、教えてくれないから」
ここへきてすぐに、私の元へやってきた魔術師。
名前を聞いて呪うつもりか、なんて王様は言っていたけれど、あれは冗談じゃなかったらしい。
「名前を聞いて、私を操ってどうするつもりだったんでうすか」
「もちろん、聖女の力を使わせるんだよ。百年に一度だよ?それに立ち会えるなんて、ぼくはとても幸運な時代に生まれたと思ったのに、きみは中々見せてくれないし。アーサーに聞いてもきみの名前を教えてくれないし」
「……操ったところで、私に力なんてないかもしれませんよ」
「そうかなあ」
魔術師は、大きな茶色のソファに腰掛ける。
きみも座りなよ、と言われたので、キノコのような形をした少々怪しげな椅子に腰を下ろした。
「あの、矢を射ったのは」
「さあ、誰だろうね」
言いながら、魔術師が指を振ると、フラスコとビーカーが現れた。フラスコにはボコボコと沸騰した液体が入っている。
その怪しげな液体を、魔術師は慣れた様子で飲み干した。
「赤毛の娘が王妃候補に祀り上げられるまでは予想できたんだけど、貴族連中がそれを利用して王家を乗っ取ろうとするとは思わなかったな。――ああ、きみもお茶、いる?」
私はすかさず首を振った。
「アーサーはその辺いつもうまくやるから、まさかあんなに簡単に毒矢を受けるなんてね。しかもあの毒矢、ただの毒じゃなくて呪いが掛かってる」
「……呪い?」
「どこの国の魔術師に頼んだんだか、厄介な呪いだよ。医者には治せないだろうな」
まるで他人事のように言う魔術師とは裏腹に、私の中には焦りが募る。
「王様は大丈夫なんですか?」
「さあね。死んだらそれまでさ」
「魔術師さんには治せないんですか?」
「無理だよ。呪いは掛けた本人にしか解けない」
「そんな……」
「普通なら、ね」
そこで魔術師はその瞳を私に向けた。
「きみ、賭けてみる?」
***
深夜2時。多くの人が寝静まっている、本来なら静かな夜。
しかしこの国の最重要人物が倒れたとあれば、その治療は昼夜関係なく行われる。
「こんな呪いは見たことがない……。医学ではどうにもならない」
「しかし、ここで諦めるわけには……」
「そうだよね、じゃないとアーサー死んじゃうもんね」
王様を囲む医者の中に、魔術師はひらりと降り立った。
「あなたは……」
「でも、ちょっと黙ってて、動かないで」
そっと空を指でなぞると、医者も看護師もメイドも警備兵もみな、ぴたりと動きを止めた。
「本当は殺しちゃってもいいんだけど、アーサーが怒るかもしれないし、証人は必要だしね。――さあ、聖女様、見せてよ」
風もないのにぶわりと舞い上がった黒いローブの内側から、そっと私は抜け出した。
目の前には、驚愕に目を見開いている医者らと、目を閉じ眠る王様。
胸に巻かれた包帯からは、赤い血が滲んでいる。
魔術師は言った。
聖女の力に賭けてみないか、と。
どうせ身寄りもお金も能力もなく市井に放り出されれば、数日後には野垂れ死ぬしかない命だ。
それならば、賭けに負けて切り殺されるのも同じ。
だから私は、一も二もなく頷いた。
躊躇しない私に、魔術師は僅かに黒い瞳を見開いていた。
「……王様」
そっと手に触れる。暖かくも冷たくもない。
それは王様の命が残り少ないことを物語っていた。
血のにじむ包帯の上に、手を当ててみる。
やり方なんてわからないし、力なんてあるか知らない。
ただ、私の手から溢れるものがあるとすれば、積もり積もった哀しみだった。