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「どうも、最近貴族がきな臭い」

私の部屋に勝手にに入ってきた王様は、開口一番そう言った。


「しばらくここには来られないかもしれない。非常に面倒だが、名家の貴族を俺の一存で切って捨てるわけにはいかないからな」

「……そうですか」


心なしか自分の声に覇気がないのは気のせいだ。


「寂しいのだろう」

「いいえ」


食い気味に答えてしまった。これでは墓穴を掘っているようなものだ。

「アヤメ。覚えておけ。お前は俺の妻にする。誰が何と言おうと、だ」

「え……」


過去の王様の言葉が脳裏によみがえる。

「でも、私では……」

「いいか、次聞かれたら必ず王妃になると言え。俺に愛されたければ」

「な、なにを……」

「俺はもう行く。今日は時間がない。お前はなるべくこの部屋から出るな。侍女と俺以外をこの部屋に入れるな。分かったか?」

「え、でも王妃教育は」

「しばらく中止だ。勉強はしておけ。後で困るのはお前だ」

「は、はい……」

まるで学校の先生のような台詞を残し、王様は急ぎ足でこの部屋を出た。

本当に時間がなかったのだろう。


困惑と同時に、胸の内に込み上げるくすぐったい淡いなにか。

こんなに温かい気持ちになったことなんてなくて、なぜか涙が出そうになってしまった。

瞬きをしてなんとか押しとどめる。

――ああ、自分を必要としてくれる人が存在するって、こんな気持ちなんだ。


それから本当に、ぱったりと王様は来なくなってしまった。

教師も来ない。

毎日、食べて眠るだけの日々。


温かい気持ちなんてとうに消え失せて、窓ばかり眺めて過ごすようになってしまった。

勉強のために渡されていた歴史の本を読むくらいしかやることがなくて息が詰まりそうだったけれど、それでも外に出なかったのは王様が出るなと言ったからだ。

王様が何をしているのか分からないし、外でなにが起こっているのかも分からない。

私にできるのは王様の言う事に従うことだけで、誰が味方で誰が敵か未だによく分からないこの世界では、それしか生き抜く術はない。


――それに、また王様がこの部屋に来たときに、私が迎えなければ機嫌を損ねるかもしれないし。

そんな都合のいい言い訳を重ねている間に、この部屋の外では刻一刻と時間は過ぎて行っているのに、私は本当に能天気だった。


――王様が来なくなってから2週間後、王様と聖女アリーシャの結婚が発表された。


私がその話を聞いたのは、侍女の口からだった。

「――ですので、申し訳ございませんが、聖女ではない方はこのお部屋から出て行ってもらわねばなりません」

「……はあ」

ここへ来てからずっと近くにいたけれど、初めてに近いくらいに口を開いた彼女は、冷たい声音でそう言ったのだった。

出て行くとっても、私はここをでたとて行くあてがない。


「えーと、元の世界に戻してもらえるんですか?」

「いいえ。他の世界からいらっしゃるのは聖女様のみ。あなたは聖女様ではありませんので、そのようなことは必要ありません」

「ひ、必要ありません……?」


随分断定的な言い方をするものだな、と思った。

現に私は、他の世界から来たんだけれど……。


「こちらへ」


開けられたままのドアから、兵士が二人入り込んできていた。


「え……?」

「ここはじきに聖女様――アリーシャ様のお部屋となります。すぐに支度をしなければなりませんので、あなたはこの者と共に別の部屋へ移動してください」

「え、ちょっとまって、荷物が」

せめて私がここに来たときに着ていた服だとか靴だとかは持っておきたくて、慌てて取りに向かおうとした。

「時間がありません、向かいます」

背後から兵士に腕を掴まれてしまい、そのまま引き摺られるように部屋を離れることになってしまった。


「あ、あのう」

屈強な兵士二人に片腕ずつ掴まれている私は、まさか逃げられるはずもなく。むしろこれは、体を拘束されているといってもいいのかもしれない。

「私はどこへ連れていかれるのでしょうか?」


まだお城の全体を把握できていない私でも、今向かっている先に部屋がないということくらいは分かる。

兵士は、厨房や書庫を通り過ぎ、太陽が燦燦と降り注ぐ城の門まで出てきていた。

この先にあるのは、いつも窓から見ていた景色……城下町だろうか。

行ってみたいと思ったことはあるけれど、まさかこんな形ではない。

掴まれている腕が恐怖で小刻みに震えるのは仕方ないと思う。


「黙れ偽聖女」


先ほどとは打って変わって、ずいぶんと高圧的な口調だった。

「力も持たないのに聖女だと偽って随分と甘い汁を吸っていたそうだな。安心しろ、お前がこれ以上罪を重ねられぬようにしてやる」

「え?」

言葉の意味を尋ねようと顔を上げたとき、パン!と近くで何かが破裂したような音が木霊した。

「もう始まっちまったか」

パン!パン!とその音は連鎖するように鳴りやまない。

『国王陛下と聖女アリーシャ様のご成婚の儀を執り行います!』

誰かの声がして、そのあとに響く歓声。

「こいつに邪魔されちゃたまったもんじゃない、なにかしでかそうとする前に早いとこやっちまおう」

「きゃ!」

私は、近くにあった小屋のような建物に投げ込まれた。

「っ……!」

膝を強く打って呻く。

「式が終わるまでここで大人しくしてな。まあ、そうせざるを得ないだろうけどな」

ガラララ、と重い音を立ててドアが閉ざされた。

私は膝を抑えたまま、そこにうずくまるしかない。

……結婚、王様が。

力が抜けてこつん、と頭が床についた。

私の中にあった微かな期待が、散り散りになって霧散していった。

心のどこかでは、もしかしたら王様が本当に私のことを――って思っていた。

もちろんそんなわけないって分かってもいた。

そもそも、この世界に来たのが間違いだったのだ。

こんな茶番、早く終わってしまえばいい。

――鼻につく微かな臭いがする。

そう、灯油のような――。顔を上げると、小屋の壁が燃え始めていた。

「……え」

上がり始めた煙が、みるみる辺りに立ち込めていく。




こんな感情をいだくのは、一体何度目だろう。

あの時も――あのトラックに轢かれたときも、家を追い出されたときも、やっとこれで楽になれると思った。

小屋の中が煙で満たされるに連れて、自分がどんどん死に近づいていくのがわかる。

おそらく2度目となるこの感覚。苦しくなる息とは裏腹に、だんだんと記憶に掛かっていた靄が晴れていくのを感じた。

思い出せないんじゃない。思い出したくなかったのだ。

嫌な思い出しかない記憶なんて捨ててしまいたかったし、捨てたつもりになっていた。

自分で自分の記憶に鍵をかけていただけだった。


私はアルバイトの帰りに、トラックに轢かれてここへ来た。

死ぬのだと思ったし、それでいいやと思った。


離婚して別の男性と再婚した母親に、高校卒業と同時に家を追い出され、遠い場所で一人暮らしをしていた。人見知りでバイトでも怒られてばかり、友達なんてできるはずもない。毎日を生きるのに必死で、そんな生活に疲れていた。

一度、歩道橋から落ちてみようかなと思った。

でもやっぱり怖くてできなくて、だからふと、歩いていて目の前にトラックが迫ってきたときに良かった、と思った。これでやっと終われると思った。


――視界に移る自分の周りの空気が、どんどん白んでゆく。

私はここで、本当に死ぬのだろうか。

それでもいい。別に生きていたくないはずだった。

――『アヤメ。覚えておけ。お前は俺の妻にする』

王様の声が脳裏に残っていた。

パチパチと火の燃える音がする。

ちらりと横に目を向けると、一筋、焼け落ちた壁から外の光が漏れ出ていた。


きっと期待するのは愚かなことなのかもしれない。

でも、私の期待の終焉を見届けるくらいは許されないだろうか。

私は重い体を動かすと、煤けた床を踏みしめた。

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