5
――というわけで、王様は今、私の部屋にいる。
なにがなんだか分からないけれど、私自身も少し疲れて押し問答をする気力がなかった。
私の部屋のベッドはダブルサイズくらいはあるけれど、絶対王様の部屋のベッドの方がふかふかだし大きさもあると思う。そちらの方が眠りやすいだろうに。
濡れた服を着替えている間に、王様はすでにベッドに横になっていた。
さすがに、人のベッドに勝手に寝るなんて、と文句も言いたいところだけれど、ここはそもそも私の部屋ではないし、それに相手は王様だ。
お城では何をしても許されるのだろう。
着替えてきた私を、薄眼を開けてみた王様は、すぐにその目を閉じてとんでもないことを言った。
「……お前の匂いがする」
「へ」
「……なんだ」
「か、嗅がないでください」
さすがに、これは抗議せざるを得ない。
「仕方ないだろう。不可抗力だ」。
シーツを変えたばかりならまだしも、先ほどまで私が寝ていたベッドである。
そりゃ、多少……匂いも移っているかもしれな……いや、何も言うまい。
「……やっぱり、ご自分の部屋に戻った方が……」
「うるさい」
「……」
王様は完全にここで眠りにつく気らしい。
さすがに、目を閉じたままなにも言わなくなってしまった王様を叩き出す気にはなれず、私はソファに自らの身体を横たえた。
あまり眠れる気はしないけれど、ベッドでだってどうせ眠れなかったのだからさほど相違はないだろう。
「おい、何してる」
王様は目すら開けずに問いかけてくる。
「……私もそろそろ寝ようかと」
「ならば早く来い」
「え」
「早く」
よくよく見ると、王様はベッドの端に寄っている。まさか私に隣に寝ろということだろうか。
「いえ、私はソファーで寝るので」
「お前は俺を寝かせる責任がある」
「いや、でも……」
「眠い。早くしろ」
どこまでも傍若無人な王様である。
私はしぶしぶ、ベッドに近付いた。
ベッドライトの明かりが陰になって気付いたのか、王様が薄眼を開けてこちらに視線を向ける。眠い眠いと言っているわりには、その視線はいつもどおり鋭い。
急かされている気がして、いろいそとベッドにもぐりこんだ。
先に王様が寝ていたので、少し温かい。――この温かささえ、ちょっと恥ずかしいのは仕方ないと思う。王様の方を向くことなんてできなくて、私は真上の天井を見上げる形になった。絶対寝返りなんて打てない。というか眠れる気がしない。さきほどよりもずいぶん目が冴えているし、王様が隣にいることの緊張で心臓はバクバクしていた。
「お前のそのどうでもいいことをグタグタと明後日の方向に考え込む性格は、大概面倒だが――」
となりで王様がなにやらぶつぶつ言っている。
「こういうときには、まあ良いものだな」
何が言いたいのかよく分からないけれど、私を馬鹿にしているのは伝わった。
こういう小さなことを、私は結構根に持つタイプなのだ。――どうせ面倒な性格ですよ。
「寝るぞ」
王様の腕が見えたかと思うと、そのままその胸に引き込まれる。
「え、ちょっと、あの……」
「うるさい。寝ろ」
「……」
この体制で寝られるほど神経は図太くない。
王様は私を抱き枕代わりにでも使うつもりなのだろうか。
王様は王様なんだから、きっと高級な抱き枕を持っていそうなものなのに。
「――お前の匂いがする」
また。
頭上から聞こえる声に、思わず顔を上げた。
すると思ったより近くに王様の顔があって、慌てて戻す。
目が合ってしまった。
人にはうるさいと言っておいて、本当に傍若無人な王様だ。
「だから嗅がないでください」
「不可抗力だ。息をするなというのか?」
「しないでください」
「断る」
「……眠ってください」
「フン」
フンじゃない。
就寝前ですら偉そうな態度の王様は、口角を上げて機嫌よさそうに瞳を閉じた。
そんなわがままな王様をあきれ果てた気持ちで眺めながら、私もいつしか眠りについていた。
――翌朝目覚めると、王様はすでにいなかった。
寝ていた場所はすでに冷たくなっているので、ずいぶん前に自分の部屋にでも戻ったようだ。さすがに、私の部屋で朝を迎えるのはいろいろとマズイのだろう。
寝不足の目をこすって、無理矢理起き上がる。
今日も今日とて、役に立つのかわからない勉強をしなければならない。
寝不足で頭が少しボーっとするけれど、これはアリーシャや王様も同じだろうか。
それにしても、大騒ぎにならなくてよかった。
自分の左手をちらりと眺める。この腕ごと、井戸に吸い込まれていたら――私はどうなっていたんだろう。――先代の聖女の力で作られた水鏡。
やはり聖女様は大層な力を持っている人らしい。
少しだけ羨ましい。
私なんて家族も友達もいないのだから、ちょっとくらいなにかあってもいいと思うのだけれど。
残念な自分にため息を吐いて、朝食の席に着いた。
――昼頃、勉強がひと段落したところで、バタンと扉が開かれた。
食後の休憩でのんびりしていた私は驚いた。
ノックもせずに扉を開くような人物は、恐らく一人しかいない。が、今日は昼食を一緒にとる約束はしていなかったはずだ。
「――お前のせいで寝不足だ。寝かせろ」
来るなりそう言うと、王様はソファーに横になって、勝手にその頭を私の膝に乗せる。更には腕で私の腰をがっちりと囲ってしまった。
「お、王様」
「うるさい」
その端正な顔を、私のお腹に押し付けて来るから、くすぐったくてしかたない。
身動きが取れないので、持っていたティーカップを、なんとか腕を伸ばしてサイドテーブルの上に置いた。
王様の目の下には、うっすらとクマがある。……それを見ていると申し訳ない気持ちになってきたので、しばらくは大人しくこの状態を我慢することにした。王様のことは、もし用があればだれかが呼びに来るだろう。
そっと、彼の灰色の髪に触れる。ゆるく一つに結ばれているその髪は、今日はいつもよりしも少し乱れていた。顔に掛かる髪をそっと掬って後ろに流す。
――と、閉じていたまぶたが開いた。
起こしてしまったのだろうか。
「――お前、唇が赤いな」
「さっきまで温かいお茶を飲んでいたからだと思います」
「……美味そうだ」
「え?」
寝惚けているのだろうか、と彼の顔をまじまじと見るも、王様の目は完全に捕食者のそれだった。今の今まで寝ていたはずなのに。
彼を乗せている膝にじわりと緊張が走る。
「あの、目が覚めたのなら――」
「黙れ」
「――っ」
――唇と唇が重なっていた。
触れたと思えばすぐ離れたので一瞬だったけれど、確かに。
「な、なにするんですか」
「甘い。やはりお前は花だ」
「――ん」
また重ねられる。今度は王様の腕が、私の頭に回っていた。
なにがなんだか分からなくて、王様のシャツを掴むと、心なしか腕に力が入ったような気がする。
「……」
おそらく真っ赤な私の顔を見ながら、王様はペロリと唇を舐めた。
流し目でこちらを捉え、見せつけるような姿はとても扇情的で、見ていられなかった。
「……え、えと、あの」
「――寝る」
――寝る!?
王様は持ち上げていた腕を下ろすと、目を閉じてしまった。
「え、あの、ちょっと」
「……」
「え、ね、ここで眠るんですか?」
どうしよう。行動が突飛すぎて理解が追いつかない。
え、私はここでどう反応すればいいのだろう。
そして、どうしてこの人はこんなにも平然としているのだろうか。
「あの、王様」
私の戸惑いなどまるで無視の王様は、本当のそのまま寝息を立て始めてしまった。
「嘘でしょ……」
王様の頭を膝に乗せたまま、私はその後数十分、動くことができなかった。
――それから度々、私の周りに誰もいない隙を見計らっては、王様がやってきて、私はその度に強制的に膝を差し出すことになった。
眠いのだろうからすぐ寝ればいいのに、膝の上に横になった王様は大抵その鋭い目でこちらを見て、そして。
「――甘いな」
「……そういうの、いらないです」
「何がだ」
「その、感想、みたいなの」
私の頭を大きな手でがっしりと掴んでいる王様は、私の決死の訴えにも耳を貸さず、――また唇を重ねた。
「――」
恥ずかしい。なぜこんなことになっているのだろう。死ぬほど恥ずかしい。
「どうしてこう、お前は甘く感じるのだろうな」
知ったことか。こちらが聞きたい。
ただ面と向かって話すことさえ、未だに少し緊張してしまう王様である。
この近すぎる距離では、私はもう降参だった。
「だから、やめてくださいって……」
「聞かせているわけじゃない、ただの独り言だ。しかし、勝手に赤面しているお前を見るのは愉快だな」
私も醜態を見て笑っている王様が容易に想像できて、顔を両手で隠す。
このまま目も開けたくない。現実を見ることを目が拒否している。
「――お前が慌てれば慌てるほど、俺はよく眠れる」
とすん、と膝に重みを感じた。
王様が、頭を横たえたらしい。
どんな神経していれば、人が困っている目の前で寝られるのだろうか。鋼の神経である。
「もしかすると、これが聖女の力なのかもしれないな。――甘くて、俺が眠れる力だ」
「そんなわけ」
「冗談だが、可能性は全くゼロというわけではない。聖女の力は、そのときその国に一番必要な力だと言われている。俺を喜ばせるものであってもおかしくない。俺ほどこの国の命運を左右する人間はいないからな」
「……王様は、真面目に不思議なことを言いますね……」
この人が背負う責任。その重さを感じて恐ろしくなる。
せめてこの手が、あなたに少しばかりの安らぎを感じさせるものであればいい。
「――寝ましょう、王様」
そう願って、そっと額に手を当てた。
王様は、存外素直に目を閉じた。
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「まだあの聖女の成り損ないは居座っているのか」
ふう、と紫煙をくゆらせながら、イライラと机を指で叩くのは、この国の貴族であり、もうすぐアリーシャを養女に迎える予定のサマリー侯爵である。
「――なんでも、陛下がずいぶん入れあげて通っているとか」
答えたのは、侯爵と同じ派閥の伯爵だった。
「フン、陛下も堕ちたものよ。しかし面倒だ。アリーシャが妃になり皇子を産めば、もはやこの国は私の物だというのに」
「実は私、見てしまいましてね。あの偽聖女、水鏡に取り込まれそうになっていましたよ」
「―――ほほう。それはそれは。あれは反逆者を映す真実の鏡。大問題、王妃なぞとんでもないですな」
「やはりアリーシャ様と早く結婚を」
「陛下は騙されていらっしゃるのだ。我々のみで穏便に事を運ばなければ」




