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空が青い。

窓から上を見上げて、ボーっとそんなことを考える。

昨日までは、一日中みっちり王妃となるためのお勉強が詰め込まれていたけれど、それもなくなれば、これといってすることはない。

もしかしたら、結局これは夢で、次瞬きをして目をあけた瞬間にまた元の世界に戻っているんじゃないか、なんて。


「――おい、何をしている」


いきなり背後から肩を掴まれて、私は飛び上がった。

振り返れば、そこには王様がいた。


「勉強をサボるな」

「え……?」

「教師を呼んでくる」

「……え」


ちょっと待ってください、と私が言う前に、王様は踵を返してしまった。

私は確かに、メイドから王妃教育はないと聞いている。

……サボるなって言ったって、私が勉強したって意味がないのに。

――私じゃない人を王妃候補にするって言ったのは王様なのに。


「――それでは、今日はここまで」


重い本を、今日も閉じる。

結局、いつもどおり勉強させられた。

拒否権などない。

私が今から勉強をがんばったところで、どうなるというのだろう。

私に足りないのは、「聖女の力」なのに。


「あの」

「はい?」

「明日もあるんですか?」

「陛下からは特に中止の指示はいただいておりません」

「……そうですか」


無表情で私を見下ろす教師は、授業が終わるといそいそと部屋を後にした。


きっと私は明日も王様の指示通り、意味のない勉強を続けるのだろう。

そうしてそのまま、あの赤毛の少女が王妃様になるのを見送って――そのあと、私はどうなるのだろう。きっとお城にはいられないだろう。


元の世界での私は死んでいるらしいし。まあ、もし生きていたとしても帰りたいとう感情はない。


なにもないのだ、私は。

結局どこへ行っても、たとえ世界が変わろうとも。


――ほとほと自分に嫌気が差していた。

それでも、一つ一つを諦めて、色々な感情を引き摺って進む歩き方を、私は知っている気がした。



―――――――――――――――――……


――眠れない。

城中が眠っている、深夜。

早い時間からベッドに入っているのに、全く眠れなかった。

元々眠りは浅い方ではある。でも、ここまで目が冴えてしまうのは、きっと自分がこれからどうなるのか怖くて仕方がないからだ。

のろのろと体を起こして、窓から外を見下ろす。

遠くには、ぽつりぽつりとオレンジ色の明かりが見えた。

あそこの家で暮らす人たちは、幸せに生きているのだろうか。

視線を下に向けると、窓の真下には小さな噴水があった。

どうせ部屋にいても眠れないので、私は外に出てみることにした。

聖女ではなくなった私の部屋の前には、護衛などいない。

お蔭で誰にも会わずに外に出ることができた。


「……さむ」


日中は過ごしやすい温度だけれど、夜は冷えるらしい。

そう言えば、この世界にも四季はあるらしい。

今はどの季節なんだろう。

花が咲いているから春だろうか。


ざくざくと草を踏みしめながら進むと、窓から見えた小さな噴水があった。

ちょろちょろと控えめに水を流している。

見た目は洋風だけど、造りは神社の手水舎みたいだ。


のぞき込んでみると、薄暗い街灯に照らされた自分の顔がぼんやりと映る。

私の顔はゆらゆらしていて、揺れる水の黒い影に溶け込みそうだった。


水面を撫でれば、波紋が広がって、僅かのあいだ自分の顔が消える。

このまま私ごと消えてしまえば楽なのに。

そう考えるのは、いけないことなのだろうか。


「死にたいの?」


誰かに肩を掴まれて、驚いて振り返る。

そこには、赤毛の少女が立っていた。


「早く腕、出して」



え、と自分の左手を見ると、なぜか肘のあたりまで水に浸かっていた。

途端に、水の冷たい感覚を肌に感じる。


「なんで……」


慌てて腕を引き抜いて、冷たくなった左手を右手で温めた。


「これは、真理の水鏡よ」

「真理の水鏡……?」

「映した者の存在を測るの。普通の人が見るとただの水なんだけど、魂の存在が淡い人が映ると、魂ごと吸い込んでしまう」

「た、魂ごと?」

「吸い込まれたら最後、その者の存在は最初からなかったことになる――とされているわ。死ぬのではなく、生きていたという事実自体が消えてしまう」


そんな恐ろしいものが、なんでこんな無造作に置かれているのだろうか。

冷たい水滴が滴る左手をぎゅっと握り絞める。


改めて、私は目の前の少女に目を向ける。赤毛の少女――アリーシャ・グランド。

なぜ彼女は私を助けてくれたのだろう。


「あの、ありがとうございます。助けていただいて」

「本当にそう思ってる?」

「え?」


彼女は不機嫌そうな顔をしていた。


「この水鏡に、魂の存在が淡い、と判断されてしまう人って、嘘を吐きすぎている人って言われてるのよ」

「嘘?ですか。でも私はだれにも――」

「誰かにじゃないの。自分に」


思わず次の言葉に詰まってしまった。


「自分が理解している真実と、自分が発する言葉が矛盾していたり、本当は正しいと思う事と逆の行動をとったり、そういうのって、誰にばれなくても自分自身は嘘と知っているでしょ?」

「……」

「自分に嘘を吐いていると、どんどん輪郭がぼやけて、最終的には魂が消えて水鏡に吸い込まれてしまう――この国の子供ならだれでも聞いたことがある昔話よ。もっとも、信じている人がいるのかは疑問だったけど」

「……私、消えるところだったんでしょうか」

「たぶんね。ていうか、眠れなくてふと窓をみたら、なんか見覚えのある女がぼーっと水鏡を眺めているし、かと思えばどんどん飲み込まれていってるし、あたし急いでここまで来たのよ」

「なんで……」

「なんでって、自分の目の前で人が消えるなんて、寝ざめが悪いじゃない。もっとも、アンタを見るまで迷信だと思っていたわ」

「……私は嘘なんて」

「嘘つきって、みんなそう言うらしいわね。この水鏡自体も反逆者をあぶりだすために昔の聖女が作ったものらしいけど」

「反逆……」

「アンタ、見るからにボーっとしてるし、そんな大層なことを考えているとは思わないけど。頭の固い大臣に見られたら面倒なことになりかねないわ。気を付けなさいよ」

「……」


私は思わず目の前の彼女を眺めてしまう。

まさか、心配してくれているのだろうか。


「はい……気を付けます」

「あーあ、なんだか眠くなってきちゃった。あんたのせいで明日は寝不足だわ」

「……」

「なによ」


視線に気づいた彼女に軽く睨まれる。

その視線にビビリながら、私は恐る恐る尋ねた。


「いえ……私、あなたに嫌われているものだと思っていたので」

「別になんの感情もないわ。ただ、鈍そうな人だなとは思ってたけど」

「鈍い……?」

「誰?」


アリーシャがいきなり背後を振り返った。


「……誰もいないわね、猫かしら」

「あの、誰かいましたか?」

「うーん、なんだか、人の気配がしたと思ったんだけど」

「……私、何も気付きませんでした」

「やっぱりあんたって鈍いのよ。だいたい――」

「何をしている」


アリーシャの台詞を遮るように、冷たい声がこの場に響いた。

――この低い声は。


「王様」

「陛下!」


寝間着にガウンを羽織っただけの姿の、王様だった。


「こんな時間に、しかもお前たち二人で。一体なんの騒ぎだ」

「え、いえ、陛下!たまたま夜寝付けなくて散歩していたら、この子とたまたま……」

「じゃあソイツはなんで片腕がそんなに濡れているんだ」

「えっと……」


真夜中に、女が二人、しかも片方は腕がずぶぬれ。見るからに怪しいだろう。

しかし――先ほど聞いたばかりの、自分自身も信じがたい話を説明するべきだろうか……こうして逡巡している時間さえ不審に思われそうだ。


「この子がちょっとここで躓いてしまって、この水鏡に腕が突っ込んだところを、私が助けたんですよ」


アリーシャが代わりに説明してくれる。

また助けられてしまった。


「……さっさと部屋に戻れ」


王様はアリーシャの言葉を信じたかどうか分からないけれど、この場でこれ以上追及はしないらしい。


「はい、陛下、失礼します」


アリーシャは頭を下げてそそくさと踵を返す。

私も行かなければ、と背を向けた瞬間。


「お前は待て」


王様の手が私の腕を掴んでいた。


「――お前は水鏡に映ったか?」


真っ直ぐにこちらを見据える鋭い瞳に、私は口を開くことができない。


「……」

「……答えられないか。まあいい。これを」


そう言うと、王様は肩にかかっていたガウンを、私に掛けた。

180センチをゆうに超える身長の王様のガウンは大きすぎて、私の肩に掛けると裾を思いっきり地面についてしまう。


「王様、あの、いいです」


だからガウンを顔のあたりまで持ち上げて、なんとか王様に返そうとする。


「……お前は本当に小さいな」


王様はその姿を見て、呆れたようにため息を吐いた。

そしてガウンを半分に折って、今度こそ私の肩に掛けた。


「……あなたが寒くなるんじゃないですか?」

「平気だ。それよりお前」

「はい?」

「こんな時間に庭で騒いで、俺を起こした罪は重いぞ。ただでさえ眠りが浅いんだからな」

「え?」

「――責任を持って俺を寝かせろ」


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