第4話 割れたガラスと彼女の嘘
えん罪であった古城有紀が処分を受けたままなのにも関わらず、真犯人の一条銀次が何ら処分を受けていない事に俺は不満を抱いていた。
拷問に近い聞き取り調査でえん罪を作り出した担任の藤沼善治郎との対決を目論んでいた。
そう思ってしまっていたのは、もしかすると有紀の敵討ちがしたいと思っていたからなのかもしれない。
もちろん力による対決ではなく、強硬な手段に出ていた事を糾弾する意味での対決であった。
密室での一対一では分が悪い。
女子にでさえあれだけの暴力を振るえる男である以上、俺が一人で正面から向かっていっても、言葉ではなく暴力で返事をされる可能性が高い事が危惧された。
ならば、どうすべきか?
衆目のある場所、しかも、藤沼が下手に暴力を振るえない状況下が望ましい。
考えて考え抜いた末、決戦場は職員会議だと定めた。
だが、一介の生徒がのこのこと職員会議に出席しようとしても追い出されるのがオチである。
そこで、例の写真で問題提起するという事で潜り込めやしないかと思い、尼子美羅に相談を持ちかけたのである。
「……あの証拠写真を貸して欲しいですって?」
尼子美羅は当然のように難色を示した。
「藤沼善治郎とやり合うのに必要なんだ。差し違えてでもあいつだけはなんとかしたい」
「お父様と相談しますわ。少々お時間をください」
しばらく思案した後、尼子は即答を避けたものの、数日後に写真を渡してきただけではなく、職員会議での『教師による過度な体罰』という議題の際、証言者として出席を取り付けてきたのであった。
後で知った事だが、尼子美羅の父親である尼子宗大が藤沼の暴行によって文字通り『傷物』にされた事に激怒していた。
尼子宗大は茜色学院の創設に美羅の祖父が関わっていた事もあってか、いくつかのルートで学院側に藤沼善治郎の解任、あるいは、解雇の圧力をかけていたそうだ。
そんな中、俺がそう動いていたものだから『鉄砲玉』として使えないかと思ったのか、裏で手を回していたようであった。
まんまと利用されていたのだが、俺としては願ったり叶ったりであった。
職員会議当日。
『教師による過度な体罰』という議題になった時、俺の出番と相成った。
「過度な暴力があったと複数の生徒から訴えがありました。その生徒の代理として、彼が証言します」
進行役の先生がそう紹介したので、俺は職員会議の会場へと入り、一礼をした。
「先日……いえ、一ヶ月以上前の話です。この職員会議に出席しているとある先生が、とある件で九人の女子生徒に聞き取り調査を行いました」
俺は他の先生には目もくれず、席に腰掛けて漫然としている藤沼善治郎を睨み付けた。
当の藤沼はそんな俺の視線などどこ吹く風といった調子であくびまでしていた。
「聞き取り調査は四回にわたり行われ、そのうち、二回の聞き取り調査で過度な暴力が振るわれました。その証拠というべきか、暴力の結果がこの写真です。とある生徒の保護者が被害に遭った生徒の痣が残った箇所の写真を撮って証拠として残したそうです。もしかしたら、診断書まであるかもしれませんが、俺はそこまでは知りません」
尼子美羅から借りた写真を取り出し、会議に出席している先生方に回し見してもらった。
ここまでの痣が残る暴力が行われた事を知ってか、それとも、あまりにも生々しい痣のためなのか、写真を見た先生が息を呑むのが分かった。
「名指しするのもやむを得ないと思いますが、この体罰は藤沼善治郎先生の手によって行われました」
名指しで言えば、どよめきが起こると想像していたのだが、そうはならなかった。
この流れは、決まっていたものだったのかもしれない。
藤沼に手を焼いている勢力、あるいは、尼子の圧力に耐えきれないと思っていた勢力がこの流れを望んでいたのかもしれない。
「はぁぁぁぁぁぁ?」
藤沼が露骨に敵愾心を俺に向けてきた。
鋭い眼光で俺を打ち抜くように睨み付けてくる。
ひるみそうになるが、俺はなんとか耐え抜き、勇気を振り絞って藤沼を睨み返す
「ありもしないいじめを認めさせるために暴力を振るっていたと証言しています。藤沼先生と会うのが恐怖でしかなくなり、認めなければ殺されると感じていた女子もいたそうです」
もしかしたら、俺は藤沼に止めを刺すために用意された鉄砲玉であったのかもしれない。
「つーきーさーだー!! お前分かってんのかぁ? でたらめ言ったら、どうなるのかわかってるのかぁ?」
ドスの利いた声で俺を威嚇していくる。
一部の先生が藤沼の不遜さに眉をひそめ始めたのが雰囲気で分かった。
「藤沼先生、でたらめではないですよ。証言してもいいと言っている女子がいます。それに、行き過ぎた暴行が行われた日、何人もの生徒が生徒指導室から悲鳴などを聞いたと言っています。それでも、でたらめと言うので?」
「いじめを認めて転校して行った小娘がいたろうが。たしか……ああ、古城有紀とかいう父親がおっちんで、借金抱えていたっていう小娘がよ。家庭環境がおかしくなって、いじめをしていたんだろうよ。そいつがいじめを白状したんだからよ、いじめはあったからあの聞き取り調査には意義があったんだ。分かるか? つーきーさーだー!」
人の神経を逆なですることに長けた男だと俺は感じていた。
怒り心頭になりかけて、藤沼に掴みかかりたい衝動に駆られ始めていたが、場が場だけに湧き上がる衝動をなんとか抑圧していった。
「本当にそんないじめがあったんですかね? 調査もしていないんじゃないですか?」
「いじめた張本人があったと白状していたんだからよ、あったんだよ。分かるかぁ?」
「そんないじめ、存在していなかったかもしれないって言っているんですよ。調査さえしていないんでしょ? 暴力によってありもしないいじめを認めなければ解放されないと思っての偽りの自白だったんじゃないですか?」
尼子美羅の話によれば、古城有紀がいじめをしていたと告白した人物には誰も話を聞きに行っていないとの事であった。
誰も証言の裏取りをしてはいなかったのだ。
「いじめていた奴が白状したんだ。なら、それは真実なんだろうよ」
藤沼は鼻を鳴らして、勝ち誇ったかのように不敵な笑みを浮かべた。
「……藤沼先生」
俺と藤沼のやりとりを静かに見守っていた学年主任の先生が静々厳かに口を開いた。
「はい?」
「一生徒が暴行を受けたという生徒達を代表してこの場で告発したのです。その事実を重く受け止め、我々としては必ず調査を行う。その結果如何によっては……。分かっていますね? 藤沼先生。それに、証言をした月定邦雄君」
俺の出番はここまでであった。
退出するように言われ、俺は職員会議を後にした。
その調査結果は公表される事はなかったが、その年の年度末に藤沼善治郎は退職した。
おそらくは退職を促されてのものだったのだろう。
本人は不服そうというか不満であったようで、退職するちょっと前に、憂さ晴らしをするかのように俺に突っかかってきた。
いきなり足払いをされ、俺は受け身も取れずに床に倒れていた。そんな俺に藤沼は全力の蹴りを叩きこんできて、数瞬、息ができなくなった。
「イキがってんじゃねぇぞ、ガキが!」
その現場を他の先生に目撃され、その場で厳重注意された事もあって、それ以降は俺に絡んでくることはなかった。
退職後も、藤沼はまだ茜色市にいるという話であった。
高校時代からバンド活動をしていたらしいのだが、茜色市を離れるとそのバンド活動を継続できなくなるとかで、どこぞで予備校の講師などをしながら食いつないでいるそうだ。
* * *
――――――――――6月7日 17:50
『月くん。
メール、ありがとう。たまにしかメールは確認しないので返事は遅いです。
茜色学院の近くで、短期のとあるアルバイトを始めました。もし私を見かけたら声をかけてくれると嬉しいかも。
古城有紀より』
古城有紀に再会した日の夜、俺は有紀にメールを送ると、返信は今日の朝に来た。
俺はそのメールを何度も何度も読み返しながら、尼子美羅が屋上に来るのを待っていた。
放課後に、と告げたはいいが、待ち合わせ場所は指定しなかった。察しの良い尼子美羅の事だ。必ず屋上に来るだろう。
ここに来る前に美術部員に、尼子美羅が美術部員ではない事は確かめておいた。
それに、芸術作品にあまり興味が無いことも調査済みだ。
「……来たか」
屋上のドアが開いて、案の定、尼子美羅がドアの隙間から顔を覗かせた。
俺の姿を確認すると、悠然とした足取りで屋上の床を踏み、一歩一歩確認するかのように綽然と俺との距離を縮めていく。
「話って何ですの? 告白などしようものなら、あなたの頬を叩くまでですの」
尼子美羅は目を細めて、俺の顔色をうかがってくる。
今の言葉は尼子なりの冗談なのかもしれない。
「尼子美羅はいつから嘘吐きになってしまったのか訊きたくてね」
「生まれた時から私は嘘吐きですわ」
「生粋の嘘吐き……か。嘘が下手だな、尼子は」
「そうでしょうか?」
尼子は余裕綽々とばかりに微笑んだ。
「尼子美羅の嘘は曝かなければならない。そうしないと解決しない問題があるような気がするからだ」
「ふふっ、探偵の本領発揮でしょうか?」
「最近、美術室のガラス窓を割ったらしいが、最初の一枚は誰が割ったんだ?」
ガラス片の散乱が意味するところは、一枚だけ外から窓ガラスを割ったというものであった。他の五枚は、美術室内部から割られている。
木を隠すのなら森の中、という言葉が思い浮かんだ。
何者かが外から美術室の窓ガラスを割ったのを隠蔽するために、尼子美羅が美術室内部から他の五枚の窓ガラスを割ったと想像できた。
「私ですわ」
尼子美羅は何ら迷いもせずに即答した。
「では、次の質問だ。『あの白ワニ事件、何があったのか知っているぞ』と書かれたメールは受け取っていない。そうだよな?」
「その質問は二度目ですわね。受け取ってはいないですわ」
「美術部の黒板に『あの白ワニ事件、何があったのか知っているぞ』と書かれていた。そうじゃないか?」
何故、尼子美羅が美術室に出入りしていたか。
尼子美羅は美術部員でもなければ、美術が好きな芸術系少女でもない。
それなのに、美術部に何度も出入りをし、ヒステリーを起こしていたのか。
何者かに呼び出しを受けていた可能性が高い。
そのために、何度も美術室に足を運んでいたのではなかろうか。
実際、ヒステリーを起こしたとは考えにくい。
呼び出しに応じて行ってみたら、何かが壊れていたといったところではないのか。
「……はい、と答えたら、どうしますの?」
尼子美羅は頓悟したかのように大人びた顔で問い返してきた。
「誰がお前を狙っている? 知っているんだろう? 誰なのか教えて欲しい。そいつが他の奴らを襲ったかもしれないんだ」
尼子美羅はどこか物憂げな顔をして、俺から目を逸らした。
「とっくの昔に賽は投げられているんですの」
俺ではない何者かに告げるように呟いた。
古城有紀を再び白ワニにしようと画策でもしているのだろうか。
「だが、もう前門の虎、後門の狼になっている、と?」
「ふふっ、そうかもしれませんわね」
尼子美羅は不敵に笑い、口元にその笑みの残香を見せつつ、
「ああ、そうですわ。あなたに伝言がありますの。複雑怪奇な真実などありはしない、だそうよ」
「……は?」
誰の伝言だというのだろうか?
尼子美羅、お前がそう言いたいだけじゃないのか?
「それと、探偵ならば真実には自分の力でたどり着いて欲しい、とだけ言っておきますわ」
「俺自身の力でたどり着け……と? お前を美術室に呼び出した奴と白ワニ事件の関係者を襲っている人物とを?」
尼子美羅は口を閉ざしたまま、静かに頷いた。




