第2話 元カノとの再会は白ワニの記憶と共に
――――――――――6月6日 6:50
本格的な登山を想定して、俺は登山用の装備を着て姫子との待ち合わせ場所へと向かう事にした。
目的地までは電車などを乗り継いで、二時間ほどかかる。
電車の中では時間を持て余すだろうから寝ていようかと思ったのだが、生憎、席が空いておらず、立ったまま電車に揺られる事となった。
スマホでぽちぽちとゲームをして時間を潰すもありかと思ったが、最近、錦屋いなりと五十嵐麗子とが言っていた白ワニ事件云々が頭の片隅にこびりついてしまっていたので、その事を考えて時間を潰そうかと思った。
どうして、俺があの白ワニ事件に首を突っ込む事になったのか。
あの頃を回想しようかと思い始めた矢先、懐かしいような視線を感じて、俺は思考の海に潜れなくなった。
「……」
姫子と乗り合わせたか?
そう思いながら、視線がどこから届いているのかを探るように車内を見回す。
「……ふぅ」
車内には姫子の姿はなく、俺の勘違いかと思って、胸をなで下ろそうかとした。
だが、まだ視線が俺に向けられている気配があった。
そうなると知り合いか。でも、俺を見つめるような奴なんているのだろうか。
白ワニ事件のせいで、俺に関わろうとする者は瀬名以外いなくなり、俺の友達は瀬名だけになったようなものだった。
そんな俺に視線を送るような奴がいるはずもない。
もう一度確かめるように車内を見回すと、とある少女で俺の目は射すくめられたように動かすことができなくなった。
そばかす。
そして、どこか見覚えのある、薄幸そうな笑み。
目を口元からその少女の目へと移すと、俺と視線が交わった。
俺を見つめていたのは、紛れもなく、どこかの高校のセーラー服に身を包んだこの少女であった。
少女は昔と変わらず幸薄そうに微笑みかけてくる。
昔はショートカットだったが、今は腰の辺りまであるしっとりとした黒髪が目を見張る。
その笑みは紛れもなく、古城有紀の笑顔であった。
白ワニ事件の関係者で、白ワニに選ばれ、いじめの罪をその身に背負わされて一週間の停学処分を受けた後、誰にも告げずに近くの公立に転校していった少女であり、俺が三ヶ月間付き合った元カノでもある。
白ワニ事件。
それは俺が古城有紀を救えなかった物語でもある。
「面影が残っていたからそうなのかな? って思って見つめていたの。やっぱり月くんだったんだ」
揺れる車内を、足を取られながらもなんとか歩いて俺の前まで来ると、古城有紀は薄幸そうな笑みを浮かべて、懐かしげに俺の顔をのぞき込んでくる。
「お、おう……」
俺はなんと返していいのか迷い、そんな言葉しか出せなかった。
有紀は一週間の停学の後、近くの公立中学に転校していったのだが、その事は俺にも告げてはいなかった。
ある意味、俺と有紀はわずか三ヶ月で自然消滅したようなものなのだ。
「月くんは、ハイキングにでも行くの?」
俺の全身を睨め付け回すように見つめた後、俺の目を見つめながら、そう問いかけてくる。
服装が登山向けだから、そう思ってしまったようだ。
「登山かもしれない。いや、たぶんハイキングみたいなものだ」
姫子が指定した場所で何をやりたいのかは分からない。
思い出の場所でもあるから、デートと称してまた俺と一緒に登りたいのかもしれない。
「その言い方だと、一人じゃないよね?」
「ああ、現地で待ち合わせだ」
「お友達?」
「どうだろうな。友達以上恋人未満……かもな」
「ふ~ん、女の子なんだ。デート?」
有紀の瞳に嫉妬の色が宿ったように見えた。
「向こうが誘ってきたからデートだろうな」
「でも、付き合ってないの?」
「まあね。俺が彼女とみとめる事を保留している」
「……傷なんだ。優しいね、月くんは」
有紀は感慨深くそう呟いた。
「どういう意味で?」
「元カノ……三ヶ月だけの付き合いだったけど、その子に会ってみたい」
嫉妬の光は有紀の目に宿ったままであった。
何か悪巧みを考えているのか、姫子とは違う悪戯っぽい笑みを浮かべた。だが、有紀の笑みはどんな意味があろうが、薄幸そうにしか見えない。
「……あいつがどう思うかな」
当然、姫子は歓迎しないだろう。
それが分かるだけに、拒否したいのだが……。
「月くんが選んだ人がどんな人か知りたいから、断られても付いていく」
俺の知らない間に、有紀はすっかり強情になってしまったようだ。昔の有紀ならば、引き下がったような気がする。
「しかしだな……」
「絶対に付いていく」
嫉妬なのか、それとも、別の感情なのか、今の有紀を突き動かしている正体が俺には見えなかった。
「……分かった。好きにしろ。でも、学校はいいのか?」
「月くんを優先したいかな? だから、さぼる。月くんがどうなっているのか知りたいし、彼女も見てみたいし」
有紀は微笑んだ。相変わらず薄幸そうに見えてしまう笑みで。
「どこでデートなの?」
「高尾山の駅前だ」
『599m
35度37分30.5993秒
139度14分37.0013秒
この場所の駅前に午前11時集合!!!
絶対に来てね、お兄さん!』
姫子はデートの待ち合わせ場所としてそんなメールを送ってきたのだが、すぐに答えは出た。
高尾山の標高は、599メートル。正確には、599.3メートルだ。
北緯は、35度37分30.5993秒
東経は、139度14分37.0013秒
姫子は高尾山の標高、そして、北緯、東経の数字のみを送ってきたのだ。
そこまでのヒントがあれば、行くべき場所は安易に特定できる。
思い出の場所でデートをしようと意図したのだろう、姫子は。
「デートで山登り?」
「たぶんな」
「結構アクティブなんだね。面白そう」
「最近は、アクティブというよりも、ディテクティブかな?」
「ディテクティブ? それって、探偵っていう意味?」
「ああ、そんなところだ」
「推理小説が好きだったから? でも、それだと違う気がするから事件を解決しているんだね。凄いんだね、月くんは」
「……半人前だが、それなりに事件は解決しているかもな」
「ふ~ん、頭がいいんだね」
「それほどでもない」
「でも、私は知ってるよ、頭が切れるって」
中等部の一年の時に、俺と有紀が付き合う事になったのは、八丁堀瀬名、一条銀次の二名が中等部一年の女子の間で人気だったため、どちらが一番人気なのかを確かめるための投票が密かに行われていた。
その人気投票で、その二人では無く、古城有紀が俺の名前を書いた事が発端となった。
俺に投票した事を知ったお節介好きの女子が俺と有紀とをくっつけようとし始め、無理矢理にデートさせられることとなった。
そして、デートが終わった後、流れ的に有紀から告白をしてきたので、なし崩し的に付き合う事になったのだ。
白ワニ事件に巻き込まれるまでは、俺と有紀の関係は良好だった。
しかし、担任の藤沼善治郎から二度目の聞き取り調査で呼び出されて以降は、関係が怪しくなり始め、三度目の呼び出しでさらに距離が出来、四度目の呼び出しで古城有紀の処分が決まって一週間の停学処分が下り、そして、転校していった。
有紀の転校でショックを受けた俺は、白ワニ事件の真相を曝くために奔走し、真実にたどり着いた。
白ワニ事件が起こった原因となった怪文書を送った人物を特定し、担任の藤沼善治郎の行き過ぎた指導という名の拷問に近い尋問を白日の下にさらした。
だが、処分が下された古城有紀の名誉挽回はかなわなかった。
署名運動までしていた俺は煙たがれ、瀬名以外の友人を失う結果となってしまった。
三ヶ月の付き合いだったとはいえ、古城有紀の事を好きになっていたのだろう、俺は。
だから、あそこまで必死になれたのだ。
「どんな子なんだろう、月くんの彼女って」
「まだ彼女じゃない。覚えているかどうか分からないが、同級生の八丁堀瀬名の妹だ」
「えっ!? 瀬名くんに妹いたんだ。意外」
「瀬名同様、ぶっ飛んだ性格をしているけどな」
「ふ~ん」
有紀は俺の知らない判然としない表情で俺を見つめていた。
当時の事を思い出させるような事は言わない方がいいのか?
担任の藤沼の事がトラウマになっているかもしれないし……。
責任問題という事もあってか、藤沼の尋問は苛烈であった。
二回目の聞き取り調査では、もう拷問に近い事が始まっていた。
『俺は男女平等主義なんだ』
藤沼は、生徒指導室に呼び出した九人の女子を一列並ばせると、一番左に並んでいた錦屋いなりの髪の毛を掴むなり、殺気だった目で睨め付けながら、ドスの利いた声でこう訊いた。
「お前がいじめたのか?」
「……いいえ、や、やっていないのです」
「嘘言ってんじゃねえよ!」
そう怒鳴るなり、いなりに足払いをして床に転倒させると、容赦なく小さな身体に蹴りを入れていた。
そんな事を他の八人にも行い、全員が床に倒れて泣きじゃくっているというのに容赦なく蹴りを入れ続け、いじめを認めさせようとしたのだ。
三回目の聞き取り調査でも同じような事が行われて、九人はこのままでは藤沼に殺されるか、全員がいじめをやっていたとされてしまうのではないかと思い始めていた。
そんな矢先、四回目の聞き取り調査が行われたのだが、古城有紀が自分がいじめを行っていたと名乗り出て、停学処分を受けたのであった。
古城有紀は進んで白ワニとなったのだ。
俺には後ろめたさがあった。
停学処分を受けていた有紀に会いに行かなかった事だ。
俺が一度でも会いに行けば、有紀は転校なんてしなかったかもしれないと後悔する事しきりだった。
その教訓からなのか、こっくりさんのお賽銭盗難事件のせいで、八丁堀姫子が引きこもったと聞くなり、有紀の罪滅ぼしをするかのように姫子に会いに行ったのだ。
最後の方は、罪滅ぼしというよりも、姫子の復帰の手伝いがしたいと思うようになっていたからというのもあるが……。




