弥生02 リセット
「……なんで?」
アリスは自分の目を何度も疑ったが、やはり変わらない。
スマホのバッテリー残量が、98%になっている。
……これ、絶対おかしいでしょ。
確か、60%ぐらいまで充電は落ちていたはずだ。
一ヶ月以上、充電していないのに、バッテリーの持ちが良すぎる事をレンも気にしていた。
だから、アリスも時々チェックしていた。
それが、充電していないのに回復している。
こんな事、あるわけない。
伊太郎のスマホが不気味に思えてきた時、ブルッとスマホが震えた。
【レン】どうした、なにかあったのか?
レンだった。
その途端に、アリスは色々な事を思い出す。
そうだ。
レンはまだ、何も知らない。
……あたし、多分、もう。
外では、まだ誰かが何かを叫んでいる。
聞き取れない言葉が飛び交い、ときおり足音も近づいては遠ざかっていく。
ここはもう、ハニャさん達がいない場所だ。
アリスは目元をこすり、震える指で文字を打ち始める。
【アリス】ごめん。
【アリス】また落ちちゃった。
返事はすぐに返ってきた。
【レン】落ちた?
【レン】何があった?
【アリス】……また、知らない場所みたい。
【レン】……今度はどこだ?
アリスは、知らないよと首を振る。
それでも、レンにちゃんと情報を送らないと。
【アリス】ここ、坊主頭の人ばっかり。
【アリス】瓦があって、そこに落ちて、鬼って言われて逃げてるところ。
【レン】おい、まて。よくわからん
アリスにだって、わからない。
なんで、またなの。
……お兄ちゃん。
アリスはまた、震える指を動かして、メッセージを返す。
【アリス】カマッタリって人が、助けてくれた。
【レン】また勝手にあだ名つけたのか。
【レン】……少しずつ理解していくしかないな。
【レン】タイムカプセルは?
その一文に、アリスの指が止まる。
砕け散る壺が、アリスの瞼の裏に蘇る。
必死に伸ばしたハニャさんの手も、少年の顔も、今もはっきり覚えている。
……もう、届かない。
胸の奥へ押し込めていた景色に耐えられず、頬を涙が伝う。
それでもアリスは小さく息を吸い、ゴシゴシと涙を拭った。
この話だけは、ちゃんとレンに伝えなきゃいけない。
【アリス】タイムカプセルなんだけど……
【レン】ああ。
【アリス】雷が落ちて、割れちゃった。
【レン】雷?
アリスの喉から小さい嗚咽が漏れるが、歯を食いしばる。
……ちゃんと、伝えなきゃ。
【アリス】お兄ちゃん。
【アリス】あたし、失敗しちゃったの。
……全部だめだった。
あれだけ、ハニャさんもおじいちゃんも頑張って作り上げた大きな壺。
そこに、潜ませたレンにしか伝わらないAマーク。
あの、黒い雲が、雷を落として……。
レンへ説明を終えたあと、しばらく返事は返ってこなかった。
レンも驚いているのだろう。
スマホを握る手が震えた。
【レン】……ちょっと待て。
【レン】なんだ、その雷は。
【レン】まるで……
「……?」
続きが来ない。
何を書こうとしたんだろう。
少し気になったものの、他にもまだ伝えなくちゃいけない事があった。
【アリス】あと、スマホがおかしいの。
【レン】ん? スマホ? 大丈夫なのか?
【アリス】バッテリーが98%なの。おかしいよね?
レンの返信が、わずかに遅れて返ってくる。
【レン】充電してないよな? そんなわけあるはずないだろ。
【アリス】本当だよ、お兄ちゃん。
そこでアリスは、別の違和感に気づく。
ライメッセのトーク画面がおかしい。
毎日やり取りしているはずなのに、履歴が……少ない。
「あれ……?」
指で画面をスワイプさせる。
レンと交わしてきたライメッセが、どこにもない。
「え……」
更に操作してみると、貼り付けた画像も消えている。
どれもない。
写真アプリを開く。
そこにも、何もなかった。
「……うそ」
残っていたのは、父伊太郎とレンとの単純な昔のやりとりだけだった。
伊太郎が使っていたとばかりの履歴しか、残っていない。
高床倉庫。
田んぼ。
大きな古墳。
須恵器。
シマエナガ埴輪。
――それらの画像は、一つ残らず消えていた。
指先の震えが大きくなる。
……なに、これ?
全部、消えてる。
これって、普通じゃない。
「……どうして?」
なおも画面を遡る。
そして、指が止まった。
森の中で撮った星空の写真。
どんぐりたちの村で、お兄ちゃんへ初めて送った、あの夜空の写真だった。
……これだけ?
残っていたのは、それだけだった。
アリスは呆然と画面を見つめる。
まるで、自分だけ時間を巻き戻されたようだった。
あの日々が、本当にあったのかさえ分からない。
「なんで……」
スマホが震える。
レンからだ。
【レン】その状態は普通じゃない。
【レン】そもそも、スマホのバッテリーは持って数日なんだ。そのスマホ、おかしいぞ。
やっぱり、だよね。
【アリス】お兄ちゃん。
【アリス】あたし、夢でも見てたのかな?
【レン】は? どうした?
【アリス】全部、データが消えてるの。
【アリス】ライメッセも、写真も。
【アリス】全部、夢だったのかも。
どんぐりや女の子と過ごした怖い夜。
おばあちゃんがくれたおかゆ。
ハニャさんやおじいちゃんと笑いながら作った須恵器。
全部、夢だったのかな。
……じゃあ。
ハニャさん達も。
あの子も。
あたしのこと、忘れちゃったのかな。
「あの子に、謝りたかったなぁ……」
視界がゆがみ、ぽたり、と涙が画面へ落ちた。
その時、小さくスマホが震える。
【レン】俺の方には全部残ってるぞ。
アリスは涙をぬぐう事も忘れ、その一文を見つめた。
すぐに、次のライメッセが届く。
【レン】写真も。
【レン】ライメッセも。
【レン】全部残ってる。
もう一度、画面が震えた。
【レン】俺も全部覚えてるから、夢ではないな。
その一言を読んだ瞬間、張り詰めていたものが、音もなくほどけていく。
「……っ」
唇を噛んでも、涙は止まらなかった。
声を漏らさないよう両手で口を押さえる。
それでも肩は小刻みに震え、頬を伝った涙がぽたぽたと膝へ落ちていく。
【レン】「リセット」されてるかもしれないな。
【レン】理由はわからない。スマホだけが、ある時点まで巻き戻ったと考えると、今の状況が説明できる。
【レン】そして、充電は元に戻り、データが消えた……かもしれない。
リセット?
スマホだけが?
【レン】星空の写真だけ残ってるんだな?
【アリス】うん。
【レン】星空。あの時……か。
返ってくる言葉は、いつものお兄ちゃんだった。
アリスは、泣きながらくしゃりと笑った。
【レン】それでも、絶対、スマホは離すなよ。
……分かっている。
これだけが、レンとの、繋がりなのだから。
その時、戸が静かに開いた。
戻ってきたカマッタリは、泣いているアリスの姿を見つけると、戸口で足を止めた。




