第28話 かわるもの
柔らかな朝日の中、青年は畑の脇を流れる細い灌漑用水から水を汲み、まだまだ成長過程で、文字通り青臭い野菜たちにかけてやる。
ルカがこの村に来てから、すでに十日ほどが経っていた。
託された密書を届けるため、可及的速やかに本国へ帰還しなければならないのに。
(……本当に重要な、それこそ国の運命に関わるような内容なら俺だけじゃなくて別ルートでも報告しているはず……)
そんな自分にとって都合の良いことを考えると、ルカは少しずつ大きくなってきた野菜たちを眺め、目を細くする。
そして少し先に見えるぴょこぴょこと畑の中を動く少女に声をかけた。
「……魔物がいないか見回りをしてくる」
「はい ! お気をつけて ! 」
ピシッという音が聞こえそうな程に背筋を伸ばして、ボナが笑顔で言った。
ルカは少しだけ表情を緩めると、畑に背を向けて森へと向かっていく。
昨日も歩いた道にもならない踏み跡を行くと、一昨日にはなかったものがある。
彼が始末した魔物の死骸だ。
国の各機関が通常通りに運営されているならば、国内で定期的に魔物の駆除が行われるためこれほど村の近くに出現することはないはずの存在。
それがこの国が非常時で、戦時中であることを端的に示していた。
ルカは己の戦果を無感動に通り過ぎ、歩を進める。
そして開けた場所に出る。
何かが森の樹々のお気に召さなかったのか、そこは直径三十メートルほどの空地。
背の低い草だけが生えていた。
彼はその中心に立つと、スラリと腰の短剣を抜く。
そして、舞う。
いや舞踏ではない。
だがそれはまるで円舞のように流麗で、力強かった。
華麗で小刻みな足さばきによる円運動が攻撃を回避し、そのまま反撃へと途切れずに続くのであろう。
ルカの故郷の伝統的な剣術だった。
『さすがだな……。型は俺よりも上手いよ。ルカは ! 』
頭の中で懐かしい声が響く。
『……でも……それじゃダメだ……』
「……うるせえ」
『……わかってるだろ…… ? 見てたんだから……』
「うるせえって言ってるだろ ! 黙れ ! 」
『……見てただろ ? 見てただけだろ ? お前は……あの時……』
ルカはまるで目を回してしまったかのようにふらふらと回りながら倒れ込んだ。
「クソ…… ! どうすりゃ良かったって言うんだ !? どうやったって……剣術じゃ……剣じゃ……勝てねえよ……」
仰向けとなり、滲む青い空を見上げると、細長い雲が動いている。
風が強いようだ。
その風が臭いを運んできた。
何かが燃える臭いだ。
「村の方から…… !? 」
ルカは急いで起き上がると、来た道を駆け戻る。
途中、あの音が聞こえた。
びくりと金縛りにでもかかってしまったかのように彼の脚は止まった。
「そんな……どうして…… !? 」
あの音がしたいうことは、ボナの身が限りなく危険に近づいているということだ。
ルカの頭はそれを嫌というほどわかっていたが、脚は震えて動かない。
『……また見捨てるのか ? 』
声がした。
「……無理だ……わかってるだろ……」
『今お前が行かなければ、あの子は死ぬ』
「俺が行ったって一緒だ ! 死人が一人増えるだけだ ! 」
『ならば行って死ね。それがお前の……贖罪だ』
声との会話を終え、ルカはふらふらと再び走り出す。
罪悪感が震える脚を無理矢理に動かしたのだ。
混乱する頭は、声の違和感に気づかない。
ルカはボナの畑に帰りつく。
少女が丹精込めて育てている作物は、やがて収穫され、人の命を育むもの。
そんな生命力に溢れた畑を死が覆っていた。
村から追い立てられたのだろう。
見知った村人たちが体に空いた穴から血を流し、畑の緑を補色の赤で強調していた。
ルカはその中に、先ほどまできびきびと動き回っていた少女を見つけ、恐怖も忘れて駆け寄った。
「ボナ ! 」
少女はよく肥えた黒い土に体から流れ出す真っ赤な血を染み込ませながら、ゆっくりと眼を開けた。
「……ルカ……逃げて……危ないから……」
「しっかりしろ ! 今、血を止めるから ! 」
「……いいの。もう……体が……冷たくて……痛いとかも……なくて……父様が……亡くなる前……そう言ってたから……私も……もう……」
「しゃべるな ! 」
ルカは必死でボナの体に空いた穴を両手で圧迫し、止血を試みる。
「……私が天に昇って……ニルダ様にお会いできたら……すぐに……あなたを……助けてくださるよう……お願いするから……きっと……大丈夫……」
ボナは血の泡のついた口角をほんの少しだけあげた。
「しゃべるなって言ってるだろ ! 」
ルカは怒鳴る。
血は止まらない。
それは細い用水路の水量よりも少ないのに、どうしてか大河の激流を素手で堰き止めねばならぬほどの絶望があった。
「……最後に……一つだけ……お願い……この畑を……世話をして……護って……ずっとじゃなくていい……でも……兄様が帰ってくるまで……私まで死んで……誰も兄様を迎えてあげられないけど……畑があれば……母様も……父様も……私も……ここに……いるから……」
絞り出すように言うと、ボナは瞳を閉じた。
「おい ! ダメだ ! 眼をあけろ ! ボナ ! 」
ルカの呼びかけが虚しく響いた。
(ああ、まただ……また……奪われた……)
彼は力なく立ち上がると、この村を襲った悲劇の因となったモノを見やる。
それはグラン・ドラグゥーン・アマリオ国が受け継いできた、人を美しく彩る彫金の技を惜しげもなく使い、美ではなく死を削り出したもの。
L字型のそれは、真鍮製なのか、鈍く黄金色に輝いていた。
「……あーあ、お前のせいでトドメがさせなくて、無駄に苦しめちゃったじゃないか」
その使い手が、揶揄うように言う。
濃いグリーンを基調とし、所々にはグラン・ドラグゥーン・アマリオ国を象徴する黄色が刺繍された軍服。
どうしてか、その上には鎧を着用していない。
その詰襟の軍服を纏う男は異様に細い腕を、ひらひらを振る。
脇にはマネキンのように無表情な従者が控えていた。
「……エラルド ! 貴様 ! どういうことだ ! なぜこの村を襲った !? 」
ルカは見知った顔の男に向かって怒鳴る。
「これも作戦の一つさ ! 敵国の兵站を少しでも削るのが兵法においては重要なんだよ ! 」
エラルドは爛々と輝く瞳で言い放つ。
「敵国だと !? バカを言うな ! まだ宣戦布告はなされていないはずだろ !? 貴様はその武器の力に陶酔していた !! だから他国の人間を殺すためにここまで来たんだろ ! 」
「陶酔 ? ああ、そうかもしれない ! この力は……稀人様が授けてくださったこの武器は最高さ ! 私のように弱き者が……長い年月をかけて肉体を鍛えに鍛えた者を、ほんの少し指を動かすだけで殺すことができたんだから ! 」
エラルドは愛おしそうに、手の中の武器を、地球では「拳銃」と呼ばれるそれを見つめた。
「あいつらは稀人じゃない……『魔王』なんだぞ ! どうして貴様も……国王様も……わからないんだ !? 」
ルカは拳を握りしめ、吐き出すように問う。
「わかっているさ ! よくわかっている ! あの方々がもたらす利益も、損失も ! それらを天秤に載せて、国王様は決断されたのだ ! 」
エラルドは両手を広げ、天を仰ぐように上を向いた。
「……私が『勇者』を殺してみせた時から ! ロクな恩寵も授けてくれない女神ニルダよりも『魔王』を崇めることを ! 」
その場面を思い出したのか、ルカは唇を噛みしめた。
彼自身も「勇者」が殺され、女神への不信を極めた身ではある。
それでも、もし本当に女神が存在しないとしても、女神への純朴な信仰を拠り所として、過酷な日々を懸命に生きていた少女を否定された気がして、どうしてかそれが許せなかった。
「わかっていた……貴様は悪魔に……『魔王』に魂を売ったのだ。……ようやく決心がついた……」
ルカは噛みしめすぎて切れた唇から血を垂らしながら、絞り出すように言う。
怒りが、恐怖を封じ込めた。
それはきっと生き物としては不適切なことなのだろう。
だが、生き延びること以上に成さねばならないことがあるなら、この場面なら、有効なことであった。
「ほう ? なんの決心だ ? 」
小ばかにしたように、エラルドが問う。
「我が友、勇者マウロに代わって……俺がこの場で貴様を討つ ! 」
スラリと腰の短剣を抜くと、その切先をエラルドに、魔王の使徒に向けてから、ルカは走り出す。
先ほどの円運動を基本とした剣術の型とは違い、直線に、愚直に、まっすぐに。
エラルドは静かに右手を上げ、引き金を引く。
パンッと乾いた炸裂音がして、ルカのくすんだ金色の髪を引きちぎりながら、弾丸が視認できない速度で飛びさっていく。
(俺があの時のマウロよりも有利な点があるとすれば、あの武器の仕組みを知っていることだ)
エラルドの人差し指が動く。
その瞬間、ルカは拳銃の先端の延長線から、射線からわずかに身を逸らす。
炸裂音と共に、彼の肩の肉が少しだけ抉られた。
それでもルカは止まらない。
そんな状況なのに、エラルドは片頬を嫌らしく上げる。
そして今まで伸ばしていた右腕をわずかに曲げて引くと、空いていた左手を右手の前にかぶせた。
(……ッ !? 引き金を引く動作で発射のタイミングを読まれるのは想定していたか !? だがもう……止まれない ! )
エラルドまでの距離はあと三歩ほど。
被弾覚悟で、ルカは突進する。
『避けろ ! 』
声に従って咄嗟に身を低くすると、そのすぐ上の空気を引き裂きながら、弾丸が飛びさっていく。
それは裂帛の気合だったのか、叫びだったのか、慟哭だったのか、わからない。
ルカは大声を上げながら、短剣を振り上げた。
ギンッと金属同士がぶつかる硬質な音がして、晴れ渡る青空に黄金色の拳銃が舞った。
端から裂けてしまいそうなほどに大きく両目と口を開けたエラルドに向かって、ルカは振り上げた短剣を振り下ろそうとして、吹き飛んだ。
最初に感じたのは衝撃、そして熱さ、それから激痛。
「エラルド様 ! ご無事ですか !? 」
村の方から数人の男が、上官の身を案じながら、駆け寄ってくる。
その手には、弾丸を発射し、先端から煙が出たままの鈍色の拳銃が握られていた。
エラルドはそんな自らの命を救った部下の呼びかけに応えることもせず、這いつくばるようにして、弾き飛ばされた拳銃の元へ向かう。
そしてそれを両手で抱きしめるように拾いあげると、ようやく落ち着いたようだ。
「……驚かせやがって…… ! だが……この武器は手にした者を誰でも『勇者』以上の兵士にしてくれる ! 『勇者』の軍隊だ ! 」
自分に言い聞かせるように言うと、エラルドは嗤う。
「……届かなかったか……マウロ……仇を討てなくて……すまない……ボナ……最後の願いを叶えてやれなくて……すまない……」
ルカは大地の上に仰向けとなり、青い空を眺めた。
『いや……届いた ! お前の剣は届いた ! よくやった ! 』
勇者の、マウロの声がする。
「何言ってる……あいつの体を……切ることができなかったんだぞ……」
『お前があの時、無抵抗なら即座に頭を撃ち抜かれて死んでいた。あの少女とともに。だけど……今回、ようやく俺の声に応えて、お前はあいつに立ち向かってくれた ! だから間に合った ! 良かった ! 本当に良かった ! 恐らくこれが最後だから…… ! もう……繰り返しはないから…… ! 』
「……マウロ ? 一体…… ? 」
熱病のように熱かった身体は流れる血の量が多くなるにつれて、冷えていく。
そんな状況で、ルカははっきりしない頭で、ようやくおかしなことに気づく。
「マウロ……本当のお前なのか ? 俺の……思い出の中のお前じゃなく……」
頭の中に響く声と、会話が成り立っている。
過去の会話の再生などというレベル以上に。
それについ先ほど、ルカの視界から隠された引き金が引かれた瞬間を教えてくれた。
『ああ、そうだ ! ずっとお前を……お前達を見ていた』
「マウロ…… ! 俺は……俺は…… ! 」
言いたいことが溢れてくるのに、それは言葉にならない。
すでに呼吸すら、ままならないのだから。
『いいんだ……。それよりこの後のことを手短に話すぞ ! 俺の『勇者』の役割はお前に託す ! この世界の『勇者』として、この世界を救え ! 』
「な… ? 」
もう俺も死ぬのに、という当然の疑問に関わらず、マウロの声は続く。
『間にあったんだよ ! 救援が ! 助けが来る ! 』
ルカが頭をわずかに上げると、何か大きな塊がエラルド達の一団に突っ込んでいくところであった。
それは彼の霞む瞳には大地の一部が盛り上がり、彼らを蹴散らしたようにも映った。
「……大地の力…… ? ニルダ……様……」
『……ルカ、俺はもう行かなければならない……。元気でな…… ! お前達を解放できて……本当に良かった ! 』
「マウロ…… ! 待って……」
ルカは思わず動かない手を天に伸ばそうとする。
そして、霞む視界が、さらに滲んだ。
バタンッと重い音がした。
酉井達が土色にカラーリングされた車のドアを閉めた音だ。
「……もし俺がヒーローなら、車を降りたこの場面で颯爽と変身でもしたい所だな」
「ひひ、酉井さん、変身できずともあなたはすでに変えましたよ ! 」
「不審者」が酉井の独白に応えて言った。
「何をだ ? 」
「それは……死を定められた人達の運命ですよぉ ! 」
フッと二人は笑い合う。
「何を名シーンみたいな空気出してんだよ ! あんたが変えたのは新車の SUV 車を事故車に変えただけだろ ! それよりも本当に車で轢いても良い人達だったんだろうね !? 」
零は大地に横たわるエラルド達を見やる。
「なんて恐ろしいことを言うんですかぁ !? 轢いても良い人間なんて存在しませんよぉ ! 」
うるせぇ ! という零の怒号を聞きながら、マルガリータは酉井に自国の民の救護を急かした。
そして、運命は変わっていく。
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