第9話
いつも読んで頂きありがとうございます。
今回は、サイアスさん視点で進みます。
夜更けに寝室の扉がノックされ目を覚ます。扉を開けるとツイルが立っていた。
「来たか」
「はい、だいぶ辛そうですが」
私の問いにツイルは、顔を顰めて頷いた。
寝衣の上に、ガウンを羽織り執務室へと急ぐ。
「よぅ、こんな遅くに悪いな」
執務室に入ると、ジャックがソファから立ち上がり、片手を挙げて答えるが、その表情は苦痛で歪んでいる。無理もない。ハナが、死んでしまったと思うほどの崖から転落し、川に流されてしまったのだから。
しかし、ジャックは精鋭の騎士だ。相当数の危険な訓練をこなしており、身体は鍛錬されている。危機的な状況でも、どのように行動すれば自身を守れるかを熟知しているのだ。そう簡単に死ぬわけはない。
でもまぁ、今回は足を引きづり、肋骨に手を当てている。身体にかなりのダメージを受けたようだ。
「肋骨を2本やられた。足も捻っちまった。ざまぁ、ねぇぜ」
ジャックは、顔を顰めて苦笑いした。
「でも、そのくらいで済んでよかった。ハナはあなたが死んだと思ってますよ」
「あぁ、実際死ぬかと思った」
「死んだら困りますよ」
私の言葉にジャックは肩をすくめ、また苦痛表情を浮かべた。
「で、ラング伯爵は?」
「セインのところだ。奴は肋骨5本と左前腕、右大腿骨骨折だ。頭部には大きな裂傷もある」
「重傷ですね。でも、ジャックがいなかったら死んでいたはずです」
「大事な証人だ。死なせはしない」
ジャックは、表情を引き締めた。
よくもまあ、これだけのケガを負い、重傷者のラングを運ぶことができたものだ。多くの貴族は、彼が近衛の団長でいることを、身分だけで評価し、イーリアス王国の恥だと言っている。
しかし、これほどのことが出来、敵を容赦なく追い詰めようとする熱意をもった者がいるだろうか、ジャック以外に近衛団長の適任者はいないと、私は思っている。
「ところでジャック。ハナを囮に使ったというのは、本当ですか」
ジャックのことはそれなりに尊敬しているが、それとこれは別だ。
「あっ、それは・・・・」
ジャックの顔が青ざめる。
「変な化粧をさせ、幼い恰好をさせたとか」
「いや、子どもたちがどこに捕らえられているのか、怪しい屋敷が多くて決定打がなかったんだよ」
「それで、ハナを囮にして場所を特定したと・・・・」
私は、無表情でゆっくりとジャックに詰め寄った。
「あっ、いや。すまん。サイアス、変な気を発するのは止めてくれ、傷に響く」
「ほう、それは好都合。ハナが味わった恐怖と痛みをあなたにも・・・・」
「いや、悪かったって」
私がジャックを追い詰めていると、扉が小さくノックされた。
「サイアス様、ハナが久しぶりに暖炉の前で寝てしまっています」
ツイルが、自身も眠そうな顔で報告に来た。
居間に向かうと、暖炉の前で毛布にくるまって寝ているハナがいた。目元には涙の乾いた後がある。
私は、そっとハナを抱き上げた。久しぶりの温かさと重み、香りにホッとする。ハナが私の元に帰ってきたんだと、まだ異世界に帰ることはないのだと。
「サイアス、これは」
ジャックが、ハナの顔を覗き込んでいる。
「ニホンのことを思い出すと、不安になるようです。最近はなかったのですが、剣聖ダニエルに、帰る術はほとんどないと聞いたことで、不安と悲しさでどうしようもなくなったのでしょう」
「そうか・・・・」
「元気に過ごしているようでも、心の中は不安が占めているのでしょう。もっと、私たちを頼ってくれるといいんですが」
一人で耐えている彼女の姿をみるのは辛い。
私たちを家族のように思ってくれるならもっと、もっと頼ってくれていいんだ。遠慮せずに話してくれればいいのに。聞くことしかできないが、話してくれれば少しは気も楽になるだろうし、そこから何か解決策が生まれるかもしれない。
私は、ハナの部屋に向かい歩を進めた。
「で、添い寝でもするのか?」
「なっ、バカなことを言わないで下さい」
ジャックの言葉に、足が止まる。
添い寝・・・・してみたいが、いや、無理だ。理性が保てる気がしない。まったく、ジャックの思考はなんて単純なんだ。
「なんだ、違うのか」
奴は、溜め息をついた。
「ん・・・・」
ジャックの声に、ハナがうっすらと目を開いた。どうやら覚醒してしまったようだ。
私と目が合うと、彼女は身じろぎもせず、その黒い瞳で見上げてくる。
「うわっ、サイアス様! ごめんなさい」
ハナは状況を理解すると、慌てて私の腕の中から飛び降りた。腕から温かみが消えていく。ジャックの声量が抑えられていれば、もう少しハナを堪能できたのに。
「えっ、団長!」
「おう、心配かけたな」
ハナはこれ以上ないくらい、眼を見開いてジャックをみている。そうだろう、死んだと思った人間が元気に現れたんだからな。
「なんで、生きてるの! すごい! すご過ぎるよ!」
「まぁな、日ごろの鍛錬の賜物だ」
「良かったぁ」
ハナはそう言うとジャックに抱き着いた。んっ、抱き着いて・・・・いる。
「すごく、すごく怖かった。団長が眼の前で、死んだと思ったから。でも、良かったぁ、よがっだですうぅぅ」
ハナは、ジャックに抱き着いたまま、泣き出してしまった。
ハナが、ジャックを抱きしめて、ジャックのために泣いている。なんてことだ・・・。つい、ジャックを睨むように見てしまう。
「俺はな、お前が思ってるほどやわじゃねーんだよ」
「でも、でも」
「なんだ、ハナ。いつも俺に軽口叩いてるじゃねーか。それでも泣いてくれるってことは、俺のこと好きなのか」
ジャックは、私の方を見てニヤニヤしている。まったく、底意地の悪い。
「当たり前じゃないですか。団長は気が利かなくて、がさつで・・・でも、少しはいいところもあって・・・私の中では、親戚のオジサンのようなもので・・・・」
あぁ、もういいだろう。私は、ハナの身体をジャックから引きはがし、抱き上げた。
「サ、サイアス様?」
「寒いからベットに戻ろう」
「だっ、大丈夫です。自分で歩いて戻りますから」
「足が冷える」
私は、ハナの足先を毛布で包み込む。
「ははっ、ハナ。おとなしくサイアスの言葉に従え。はーっ、面白れぇ」
「面白い?」
ジャックの言葉に、ハナはキョトンとしている。
「サイアス、俺は暫く身を隠す。その方が動きやすいからな。連絡はいつもの手段をとる。あとは頼んだぞ」
「わかりました。無理はしないでください」
「わかってるよ。じゃあな、ハナ。そういうことだ、俺は死んだものと思って、振舞ってくれ。周囲の者に知られないようにな」
ジャックは、ハナの頭をぐりぐりと撫でて笑っている。
あまり、触れてほしくないんだが。
「はい」
ハナが頷くと、ジャックは頷き、ツイルの案内で部屋から出て行った。
「すごい。ちゃんと歩いてる」
ハナは、ジャックが足を引き釣りながらも歩く様子をみて驚いている。
私は、ハナの部屋に向かい歩き始めた。腕の中には、真っ赤な顔をして俯くハナがいる。あぁ、可愛い。寝顔もいいが、真っ赤なハナもとても可愛い。
このまま、朝まで一緒にいたいが、それはまだかなわない。
「ハナ、君の世界では男との距離はそう問題ではなかったのかもしれないが、ここでは違う。気安く自分から抱き着いたりしてはダメだ」
「うっ、はい。団長の元気な顔をみたらつい」
「まぁ、今日のは仕方ない。嬉しかったんだろう」
「はい! 死んじゃったと思ってたから」
「ジャックは殺しても死なない」
「えっ、本当に? 不死身なの?」
「奴の伝説は腐るほどある。まずは、騎士学校の時に・・・・」
私は、ジャックがいかに強靭な身体と精神力を持っているのかを示す、数々の逸話を話した。ハナは、それの一つ一つに目を丸くしている。
「おやすみ」
ハナを部屋の前で降ろす。
彼女が礼を言い、扉の方を向いた瞬間、その腕を取り、私の方を向かせる。
驚いた表情を浮かべている彼女の頬に、軽く口付けた。
「う、ぎゃぁーっ!」
ハナは目を丸くして、頬に手を当て真っ赤になり、慌てて寝室の扉を開けて中に入ってしまった。
キスしてあんな反応を返されたのは初めてだ。やっぱりハナは可愛くて、面白い。
「サイアス様・・・・。一体なぜ」
後を追って来ていたツイルに、一部始終を見られていたようだ。
「ジャックが生きていたことを知った喜びの中で眠りについたら、ジャックの夢を見てしまうかもしれないだろう。ちょっと癪だったからな。私の夢をみてほしいと思ったんだよ」
私は、自室に戻るべく踵を返した。なんだか、気分がいい。今日はよく眠れそうだ。
「夢って・・・・あれじゃ、ハナは眠れませんよ」
遠くにツイルの溜め息が聞えた。




