第7話
「あーっ、どこだろうここ」
私は、アリシア皇女の指示で医務室まで薬を取りに行き、部屋までの帰り道に迷っていた。
王城で働き始めて2週間も経つのに、まだ迷うなんて情けなさすぎる。
そう、もう2週間も経ったのです。
もう、毎日が大変。
朝は早起きして、ツイルさん、ガルト君と一緒に空手の鍛錬。
そして、王城に出勤してアリシア皇女の侍女として護衛も兼ての業務。
業務中は、ロビィとイライザの嫌味に我慢し、嫌がらせをうまく躱している。嫌がらせって言っても他愛のないことばかり。躓かせようと足を出してきたり、お茶の箱に虫が入っていたり・・・・小学生かっていうの! 差し出された足は思いきり踏んでやり、虫には冷静に対処している。
思うようにならないから、二人は悔しがってるみたい。メイやラリッサには「ハナは強いね」って笑って呆れられている。そうかなぁ。
アリシア皇女は、改造暖炉で調理師が料理することで、だいぶ安心したのか食事が摂れるようになってきている。頬や唇の色が、メイクなんかで誤魔化さなくても、良くなってきているのがわかる。それに、よく笑うようになってきた気がする。
そうそう、ラインシート家にも暖炉を改造してもらった部屋があって、私は時々そこで魚を焼いたり、コメに似た穀物を炊いて練ったものを焼いたりしている。楽しくて、美味しくて、日本を思い出して切なくなる。けれど、暖炉料理を作る時にはサイアスさんやマリーネさん、使用人の皆がいてくれるから、大泣きすることなく済んでいる。大泣きするとなかなか浮上できないから、とても助かる。みんなそれに気付いてて、傍にいてくれるんだと思う。優しいなぁ、家族みたいに見守ってくれて、本当に嬉しい。
近衛への訓練にはまだ参加できていない。女性騎士レイラさんが完治するまで、あと少しみたいだから、それまで私がアリシア様の傍にいようと思うんだ。アリシア様は「ストレス発散してきなさい」って笑うけど、ロビィやイライザの足を思いきり踏むのも、結構ストレス解消になっているから大丈夫。
勤務が終わったら時々、メイやラリッサさんとお茶してる。メイは度々私にあの焼き菓子とか王都で有名なお店のお菓子をくれる。でも、あんまり美味しくないんだよね。ラインシート家の料理長トリスさんの作るお菓子の方が数倍美味しい気がする。まぁ、日本の物の方が、トリスさんの作るのより更に美味しいんだけどね。
それから、ラインシート家に帰ってお勉強。結構、読み書きできるようになったけど、サイアスさんはまだまだって言っている。サイアスさんは私に、どこまでのレベルを求めてるのでしょう・・・・。
毎日が忙しく過ぎて、ナナとの入れ替わりの手かがりも掴めないまま時間が過ぎていく。あまり日本のことばかり考えなくて済むのはいいことなのかもしれない。
でも、時々なんだけど、怖くて眠れなくなることがある。そんな時は、毛布を持って食堂の暖炉の前のソファでボンヤリすることにしている。みんな眠っているから静かでちょっと寂しいけど、食堂の暖炉は火勢を弱めてずっと点いている。パチパチと燃える火を見ていると段々落ち着いてくるんだ。そうしているうちに、寝落ちしちゃうみたいで、気付くといつもベットの上なんだよね。多分ツイルさんが、運んでくれていると思うんだけど、お礼を言うといつも苦笑いして溜め息をつくの。「まったく、なんで気付かないんですか」って。ツイルさんじゃなくて、ガルト君なのかな。
あぁ、それにしてもここはどこ。王城は大きくて入り組んでいるから全然わからない。
きょろきょろしながら歩を進めていると、なんだか広い庭に面した回廊に出た。でも人気がなくて、誰も通りかからない。うーっ、ここがどこなのか聞けないよぉ。
「おやめください。ロダン様」
んっ、なんだ。庭と回廊の柱の間で声がするぞ。やっと、帰り道が聞けるかも。
私は、声の方に向かった。
「いやっ、止めてください」
「いいじゃないか。お前の家は、伯爵家とはいえ位は下の方だし、おまけに次女だろう。私のところに来れば何不自由なく暮らせるぞ」
ちらりと柱の陰から声の方を見ると、すごい脂ぎってブヨブヨしたおっさんが侍女に迫っているようだった。
王城の庭では、侍女や騎士、貴族なんかの逢引があるって聞いたけど、これはなんか違うな。私はもっと身を乗り出して、侍女とおっさんを見た。
げっ! ロビィだ! ロビィが、壁ドンしたおっさんの両手に囲まれて逃げ場をなくしている。
あぁ、おっさんがロビィにキスしようとしている! あんな脂ぎってブヨブヨのおっさんのされるがままになっちゃうの! ロビィ! 私に嫌がらせする時みたいに反撃しなよ!
ロビィは、思いきりおっさんから顔を逸らしたけど、おっさんはロビィの顎をグイッと掴んだ。ロビィの顔が苦し気に歪む。
「止めなよ!」
あ、思わず出ちゃった。
「なんだ、子供は向こうへ行け」
おっさんは私を一瞥すると、すぐにロビィに視線を戻す。私のことなんか、何とも思ってないみたいだ。何もできないと思っているんだな。
すたすたとおっさんに近づいて、ロビィの顎を掴んでいる手を捻り上げた。
「何をする小娘。私を侯爵と知っての狼藉か!」
おっさんは私の手を振り払うと、自分の腕を擦りながら喚き始めた。こんなのが侯爵ねぇ。
「身分のことなんか、知らない。女性に対してあんな風に乱暴に迫るなんて、人間として最低だよね」
私はロビィの手を取り、この場から去ろうとした。
「まっ、待て。小娘」
背後でおっさんが剣を抜いたのがわかった。
「ハナ・・・・」
「うん、ロビィは危ないから、回廊の陰の方にいてね」
そういいながら、ロビィの背を押しやって、おっさんに向き合った。
「ほう、度胸があるじゃないか。このロダンに歯向かって生きていられると思うなよ」
おっさんは剣を手に目をギラギラさせて私を睨みつけているけど、デブだからあまり迫力がない。
「どこからでもかかってきなよ。あんたみたいなのに、負ける気しないから」
まずは防御の型を取る。
「こっ、この」
おっさんは、剣を闇雲に振り回して近づいてくる。剣は少し怖いけど、おっさんの動きは鈍くてすぐに見切れた。剣を躱し、おっさんの背後回りこむ。隙だらけだ。後頚部に手刀を当て、腰部に思いきり蹴りを入れると、おっさんは蛙みたいに地面に倒れこんだ。剣を握るおっさんの手首を思いきり踏みつけて、剣を取り上げる。
「小娘! 一体なんの権限があって、こんなことを」
おっさんは私に手首と腰を踏まれて動けないでいる。
「うーん、王城内で剣なんか振り回しちゃいけないですよね。この剣は没収しますね。私の上司は近衛のダフル団長ですので、剣は彼に預けます。それから、私への苦情は彼にお願いしますね。ちなみに、私を侍女として採用したのはガレル国王とウィル皇子ですので、その辺の苦情も国王へどうぞ」
へへっ、みんなの名前借りちゃった。
「!!」
おっさんは驚きの表情を浮かべると、悔しそうに顔を歪めて無言で走り去っていった。効いたなぁ、権威ある方々の名前。
「ハナ・・・・」
ロビィが柱の陰から現れた。
「ロビィ、大丈夫」
「なんで助けて・・・・」
ロビィはそこまで言って俯いた。
「なんでって、困ってたでしょう。いくらなんでもあれは見過ごせないよ」
「でも、私いつもあなたのこと・・・・その・・・・」
「うん。いじめているよね。でも、あのくらい全然たいしたことないし。それより、あのおっさんは」
「ロダン侯爵。高位の貴族よ。私に愛妾になれって付き纏っているの。あの人にはもう5人の愛妾がいるのよ。とんでもない話だわ。でも、爵位が上だし、機嫌を損ねたらと思うとハッキリとした態度がとれなくて・・・・」
ロビィはきつく唇を噛んでいる。
「ふーん。ロビィ綺麗だもんね。でも、ロビィも身分が上の人には何も言えないんだね。嫌な思いをしてるのに」
「それは・・・・」
私の言葉にロビィは言葉を濁した。少しは、ナナやメイ、ラリッサの気持ちを分かってくれるといいんだけど。
「そうね。嫌な思いはしたくないわね・・・・」
ロビィが呟いた。でも、その先に言葉は続かない。そう簡単に気持ちは変わらないか。
「まぁ、いいや。帰ろう。私、帰り道が分からなくなっちゃったんだ」
「まだ、覚えてないの!」
「だって、方向音痴だもの」
私が口を尖らすと
「仕方ないわね。こっちよ」
ロビィは私の手を取ってアリシア皇女の部屋まで歩き始めた。
途中で、イライザがたくさんの本を抱えて、アリシア皇女の部屋に向かっているのに出会った。
「重いでしょ。手伝うよ」
私はイライザから、本の半分を受け取った。
「あっ、ありがとう。いつも、助かるわ」
イライザは言い終わらないうちに、私の背後にいるロビィに気付いた。イライザは驚いて、気まずそうにしている。きっと、私にお礼を言ったことが彼女の気に障ったらどうしようって考えたんだろうな。
でも、ロビィは黙ったままだった。




