第13話
「ハナをですか?」
「あぁ、ハナだ。彼女は強い。動きはいいし、勘もよさそうだ。それに素直で優しい。そうではないか」
ウィル皇子は昼間のハナの体術を見てひらめいたのだろうが、彼女を侍女として皇女の傍に上げるのは、屋敷での行動を考えると無理な気がする。
「サイアス」
ウィル皇子が、黙ったままの私に答えを求める。
「は、ハナは、まだ監視期間中ですので・・・・」
そうだ、ハナはイーリアス王国に来てまだ2週間しか経っていないではないか。彼女は異世界人だ。監視期間を解除するには早すぎる。
「彼女に王国に対する害意はない。今日、私のために賊を排除したことで証明されるだろう。国王に進言すれば彼女を侍女にすることは可能だ。どうだろう、ハナを王城で預からせてくれないだろうか」
皇子の言葉に心音が早まる。ハナを王城が預かる?・・・・彼女の身柄が王城に移るということか。ハナが屋敷からいなくなる。それは・・・・困る。
困る? なぜだ。
彼女が屋敷からいなくなるかもしれないという可能性を突き付けられて、自分が抱いた感情に驚いた。
「サイアス?」
皇子をはじめ、皆が黙り込んでいる私に視線を向ける。
「しかし、彼女はこの世界の習慣に慣れず、立ち振る舞いや行儀作法も十分ではありません。とても皇女の侍女が務まるとは・・・・」
「別に構わない。王城内でいくらでも教育できる」
私の言葉を遮るようにウィル皇子が返す。確かに、教育なら王城のほうが良い教師を揃えることができる。十分すぎる教育を受けることができるだろう。しかし、それがハナにとって良いことなのか。
「急に彼女の環境を変えるのは良くないかと・・・・」
やっと屋敷やこの世界に慣れてきたところだ。王城に移ったら、また新たな環境に順応しなくてはならないだろう。王城は人も多すぎるし、彼女にとってマリーネのような存在がいるだろうか。ハナの寂しそうな顔や涙は見たくない。
「王城で手厚く対応するが」
皇子は憮然と返してくる。私がはっきりとした返答をしないことを苛立ちを感じているのだろう。
それがわかっても、なぜかハナを王城に移すのは嫌だった。彼女には驚かされ、困らせられてばかりなのに、なぜなのだろう。
「しかし、ハナは屋敷の使用人たちと仲がよくて・・・・」
「ではハナに意思を確認しよう。彼女が嫌がるようなら無理強いはしない。明日、彼女と登城してくれ」
皇子はついにハナに直接確認を取ることを決めたようだ。
「はい・・・」
釈然としない気持ちで返答する。
ハナはなんと言うだろう。彼女のことだ、頼まれたら嫌とは言わないかもしれない。屋敷を去ってしまうのだろうか。ハナのいない屋敷は元通り静かになるのだろう。静かで穏やかな生活、以前はそれが当たり前だった。それが今では、ハナのせいで賑やかで慌ただしいものとなっている。しかし、それは決して不快ではなく、むしろ楽しみとなっている部分もある。元の静かで穏やかな生活は、今となっては味気ないと感じるかもしれない。
すっきりしない気持ちを抱いて、ジャックと執務室に向かった。
「どうした、サイアス。お前がウィル皇子にあんなに抵抗するなんて」
ジャックが苦笑いしながら話しかけてくる。
「そうですね」
「王城に引き取ってもらえよ。厄介払いできていいじゃないか」
「厄介なんかじゃ!・・・・ないです」
つい、ハナを厄介者扱いされ声が荒くなった。ジャックが目を見開いて驚いている。
「ふーん、わかった。まあ、屋敷に帰ってよく考えるんだな。小娘一人のことで、皇子の不興を買うこともないだろう」
ジャックは呆れた表情を浮かべている。
「えぇ、そうですね」
馬に乗ると身体が重いことに気付く。今日は疲れた。ため息をついて、目を閉じるとハナの笑顔が浮かんできた。あぁ、早く帰ってハナと夕食を摂ろう。
今日はどんな話が聞けるだろう。彼女が満面の笑顔で一日の出来事を話してくれる夕食の時間が、毎日楽しみだった。今日はことのほか、その時間が待ち遠しい。
馬に軽く鞭をあて、馬足の速度を上げた。
屋敷に着くと、使用人たちの後方にハナとツイルが落ち着かない様子で控えていた。市場での出来事を気にしているのだろう。二人して顔色が悪いことに、つい吹き出しそうになる。
「サイアス様、ハナさんを罰しないで下さい。保護期間中であることは私も知っていたのに、ついハナさんにこの国を楽しんでほしくて、市場行きを勧めてしまいました。今回のことは私が悪いのです。罰なら私が受けます」
マリーネが進み出て、私に頭を下げる。
それを見て、ハナが慌ててマリーネに並び立った。
「違う、違う。違います。私が市場に行きたいって我儘言ったのが悪いんです。マリーネさんやツイルさんは悪くないです。罰なんて止めて下さい」
ハナは泣きそうな顔で私に頭を下げた。
「すみません、私がハナさんを連れ出しました。責任はすべて私に」
ツイルまで、私に頭を下げる。
それに続いて使用人たちが「私もハナさんが市場に行くのを止めませんでした」「俺も知ってたのに、ハナさんが喜ぶだろうと思って、市場行きを止めなかった」「ハナさんは悪くない。どこにも連れて行かないで下さい」などと次々に口にしている。
「お前たち、いつの間に・・・・」
ハナが使用人たちに好かれていることには気付いていたが、これほどとは思っていなかった。
ツイルからの報告では、ハナには身分制度に対する意識が殆どなく、使用人たちが困っていればすぐに手を貸し、気さくに声を掛けていたという。その積み重ねが、この結果なのだろう。
「大丈夫。ハナとツイルは罰されないし、私も罰など与えない。ウィル皇子からは、ハナの監視を解いて良いとの許しも出た。異例の速さだが、市場での出来事が効を奏したようだ」
私の言葉にみんながホッとした様子でため息をついた。
「サイアス様。 本当、本当にいいの!? 私、自由に行動していいの?」
ハナが不安な様子で聞いてくる。頷いて返すと、
「ヤッター! マリーネさん! ツイルさん! みんな! 自由だって!」
ハナはその場で跳ね始め、頭上に両手を挙げたマリーネやツイル、使用人たちの手に、自分の手を当てて軽く打っていく。『ハイタッチ』というらしい。嬉しい時や物事がうまく行った時にするものだと、ハナが説明してくれた。
「はい、サイアス様も」
ハナの言葉に両腕を上げると、彼女は飛び跳ねて私の手の平を軽く打った。周囲に小気味よい音が響いた。
「ハナ。喜んでいるところ悪いが、明日国王とウィル皇子から登城命令が出た」
「へっ、王様から」
「あぁ、ハナに依頼したいことがあるそうだ」
皇子から、侍女の件は直接話すので、私の方からは伝えないようにと言われている。
「依頼したいこと? なんだろう」
ハナは小首を傾げた。侍女なんて検討もつかないだろう。
「まぁ! 王城だなんて、大変! ハナさん、衣装合わせをしますよ!」
マリーネが慌てている。
「別にこれでいいよ」
ハナは、普段着用している簡素なドレスを示した。
「いーえ、国王の御前ですもの、そういうわけにはまいりません。さぁ、食事を終えたらすぐに衣裳部屋に行きますよ。よろしいですわね。サイアス様」
「あぁ、よろしく頼む」
「えーっ! じゃあ、せめてシンプルなものにして。着飾ったって、あのジャックっていう団長に笑われるだけだよ。異世界人は、平面顔の小娘とか言ってるんだろうから。でなきゃ、皇子様が『聞いていたより可愛い』なんて言うはずないもの。一体どんな報告してるんだか」
ハナは口を尖らせている。ジャックは眠り込んでしまったハナを、可愛いと言っていなかったか? まぁ、今では厄介な小娘扱いではあるが。
「ハナ。そのままでも可愛いが、着飾ったらもっと可愛いのだから、ジャックの認識を改めさせてやるといい」
ブツブツと気乗りしない様子のハナに言葉掛ける。
私の言葉に、マリーネがこれ以上ないくらい目を丸くしている。そんなに変なことを言ったか?
マリーネさんは、サイアスさんが家族以外の女性に対して“可愛い”と言ったのを初めて聞きました。




