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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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6.廃墟の脱走兵②

「俺はフェオドール。皇国軍の十人隊長だった。見ての通り、今は違う」

 

 悄然と俯いて名乗った士官の少年は、ベッドの傍に転がっていた樽に腰掛けて両手で顔を覆う。張り詰めいていた糸が切れたかのように脱力した彼は、ベッドの上で横たわる少女の方を力無く見た。

 

「……ドーリア軍が攻め込んできた夜、俺の隊は城壁外で見回りをやってた。ロスペールは皇国の領内だし、ドーリア方面で一番戦力が集まってる城だったんだ。敵が来るなんて誰も思っちゃいなかった。なのに、気付いたら俺達は城が半分吹っ飛ぶのをアホみたいに見上げてたんだぜ。笑えるよ」

 

 皇国内に限らない話だが、城や砦などには幾重にも魔法障壁が敷設してあるものだ。

 遠くから魔法が撃ち込まれるのは戦争の大前提であり、それに耐えうる建築物でなければ拠点としての機能が果たせない。聞く限り、かなりの規模を持っていたロスペール城塞にも障壁はあっただろう。それも、かなり強力な障壁だった筈だ。

 それを一瞬で突破し、城塞そのものを致命的に破壊してしまうとなれば、もはや人類種が行使できる魔法の限界を超えている。

 

 仮にドーリア側に魔術師が万単位いたとしても、実現するかは怪しい。魔法というものは基本的には防ぐ側が有利だからだ。故に、この世界の戦争において拠点を早期に攻略する場合は、攻城兵器などを用いて侵入し、白兵戦で内部を占領する以外に道がない。

 力技で拠点を吹っ飛ばすなんて真似はそもそも想像の埒外なのだ。

 

「もう、滅茶苦茶さ。城門も城壁も同じようにぶっ壊された。そのお釣りだけで大半の兵士が死んだってのに、頼りの騎士様たちも殆どが城と一緒に吹っ飛んだんだからな。戦えるわけがねえ。外に居た俺の隊は運が良かったよ。それでも、ドーリアの包囲網を抜ける時に部下は全員死んだがな」

「城下の民はどうしたのだ」

「さあ。城と一緒に街も大半が吹っ飛んじまったからな。生き残りを一人抱えて逃げるだけで精一杯だったよ。その子がそうだ。ロスペールから転移街(ポート)オークス、アズルを経由してきたが、どの街の医者も匙を投げた。たぶん、もう長くない」

 

 ぎり、とマリーが歯噛みする音が聞こえる。

 

 石化症の治療法は存在しないわけではないが、何せ千年近く前のことだ。俺は覚えていないし、仮に覚えていたとしても医術に関して門外漢の俺に施せる治療法ではないだろう。

 俺の持つ《剣の福音》も、当然ながら石化症に対しては無力だ。

 ここに他の往還者――例えば、知識を司る《叡智の福音》や、命を操る《生命の福音》を持っている者達が居れば話は大きく変わってくる。だが、どちらも行方が知れないまま数百年が経っている。連絡を取る手段もない。

 

 明確に居場所が分かる往還者は、今はカタリナとこの国の皇帝だけだ。カタリナが福音を獲得したかどうかは分からないし、そんな話は聞かされていない。仮に獲得していたとしてもどういった権能を持つ福音か不明である以上、確実性に欠く。

 皇帝に至っては論外だ。

 

 今、俺達にこの少女を救う術はない。

 沈黙が降りる中、瞑目して話を吟味していたミラベルが片目を開いて少年に問うた。

 

「恐らく意図的に省いたのだと思いますが……フェオドールさん、あなたはロスペールを破壊した何か(・・)を見ていますね?」

「……ああ、見たよ。見たが、話したって信じないだろうからな」

「いえ、おおよその見当はついています。話していただけますか」

 

 フェオドールは憔悴しきった顔をしかめ、目を伏せる。

 

「馬鹿でかい翼竜(ワイバーン)さ。城よりでかいくらいのな。あんな大きさのは見たことがねえ」

 

 決定的だ。

 俺はマリーとミラベルに目配せをしてから、溜息と共に言葉を紡いだ。

 

「フェオドール、その生物は何匹居た。体表は何色だった」

「一匹だけだ。色は……わかんねえよ。夜だったからな。お前ら、なんでそんな事を聞きたがる。ウィリデの親父のことを気にしてるだけなら……」

「あ、それ嘘なんです。ごめんなさいね」

 

 ウインクのような表情のままでミラベルは言う。

 呆気に取られるフェオドールに、まだ幼さの残る顔に苦渋の色を滲ませたマリーが重い口調でフォローする。

 

「わたしはマリ……マリアだ。故あって姉のウィリデと旅をしているが、皇帝家の縁者だ。貴殿に話を聞いているのは公務の一環だと思ってもらえればよい」

「……回りくどいことを。つまり高貴なご身分ってわけだ。じゃあ、そっちの兄ちゃんはやっぱり騎士か?」

「あ、いや、違うって言っただろ。俺はタカナシ。ただの門番だよ」

 

 マリーが咄嗟に名乗っただろう偽名――ミドルネームなので完全な偽名とは言い難い――に感じるものがあって呆けていた俺は、フェオドールの言葉で現実に引き戻されて首を振った。

 マリア。

 俺のかつての仲間であり、最も信頼し、好意を寄せていた魔法剣士の名と同じだ。

 さすがに偶然の一致だろうが、縁のような何かを感じざるを得ない。

 

 改めて考えてみれば、皇女らの名前は少々首を傾げる部分がある。ミドルネームの規則もよく分からないが、ラストネームが《スルーブレイス》なのも奇妙だ。

 実際には縁者どころか皇女である彼女らのラストネームは《ウッドランド》であるはずだ。何か理由があるのだろうか。

 

「フェオドール殿。貴殿はその娘を連れて逃げているようだが、行くあてはあるのか」

「あったらこんな所にはいないぜ。なるべくドーリアから離れてるだけだ。東側の街はじきにロスペールと同じ目に遭うだろうからな。俺はまだ死にたくねえ」

「ふむ」

 

 フェオドールの返事を聞き僅かに黙考したマリーは、やがて腕組みをして言った。

 

「であれば、この娘は我々に任せてもらいたい」

「……何?」

「病状が悪化しているのだろう。我々はこれから皇都に向かうが、この娘を皇都の医者や術師に診せる余裕くらいはある。助かる可能性は低いかもしれんが、このまま貴殿と共に居ては可能性すらない」

 

 碧眼を狼狽する少年に真っ直ぐ向け、マリーは言い切る。

 石化に蝕まれている少女は意識こそあるらしいが、首以外は自力で動かす事もできない様子だ。恐らくは喋れもしないのだろう。無言のまま、悲しげにフェオドールの方を見ている。

 この若き士官は事も無げに少女を抱えて逃げたと言うが、その道程は苦難の連続だったことだろう。密かに軍を抜け、自力で立つこともできない少女を抱えて医者を回り、遠路を踏破してこの平和な地方まで逃げてきたのだ。

 そうまでした相手と別れることに、思うところがないわけがない。

 

「ああ……そうだな」

 

 それでも彼は、理性的に首を縦に振った。

 少なからぬ無念を秘めた面持ちでも、確かに頷いたのだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 朽ちかけた砦の見張り台に立ち、眼前に広がる殺風景な山を眺めながら思案に耽る。

 

 竜種が生きていたという線は、やはり有り得ない。

 裏切った竜種のうちの一体から全ての個体の情報を得ていた俺達は、本当に一匹の漏れもなく竜種を狩り尽くしたからだ。

 彼らが自らの種の個体数を厳格に管理していたのが仇となったわけだ。そこに漏れや抜けがあったとは考え難い。千年近く前の話だが、この点は疑っていない。

 情報をくれた竜種は信頼できる。

 

 では、なぜ今になって竜種の影がちらつくのだろうか。

 

 水筒の水を口に含む。喉を通った水は低い外気温のお陰でぬるくはなかったが、いまいち思考を研ぎ澄ませてくれそうにはない。

 こういう時にはカフェインが恋しい。無意味な現代人ぶりを発揮する脳に恨み言の一つでも言いたくなる。セントレアの詰め所には粉末コーヒーが常備してあるが、さすがにこの旅にまで持ってきてはいなかった。

 

「どうぞ」

 

 すっと鼻先にティーカップとソーサーが差し出され、俺は苦笑する。

 まるで読心術でも使っているかのようなタイミングだ。カップとソーサーを受け取って振り返ると、銀髪の皇女が茶目っ気のある笑顔を浮かべて立っていた。

 

「驚きましたか?」

「少しな。茶器を持ってきてたのか」

 

 ミラベルは首を横に振ると、人差し指で自らの唇をつついた。

 そこから、滑らかに指を横に動かす。つい最近、見た覚えのある仕草だ。

 すると、たちまち空中に銀の魔素(マナ)が集まってティーカップを形作った。

 物質転換術だ。生成された銀のカップを手に取り、もう片方の手に持っていた同じく銀のティーポットで紅茶を注ぐ。

 

「本当に……魔法使いってのはとんでもないな。ウェイターがそんな給仕をする店があったら、きっと繁盛するだろう」

「光栄です」

 

 ミラベルはふわりと微笑んでカップを口に運ぶ。

 倣って俺も紅茶をいただくが、相変わらず俺の安い舌では味がよく分からない。

 

 硝子の持ち手を備えた銀のティーカップは、即席とは思えないほどに精巧な作りをしている。どういうイマジネーションを備えていれば虚空からこれを作り出せるのか、魔法の素質にも想像力にも欠く俺には理解不能だ。

 ミラベルは恐らく鉱物に関する魔法に適性があるのだろう。銀弓(アルギュロトクソス)鏡楯(アエギス)といった魔法を使っているのを見た事がある。というか、食らった事がある。どちらも鉱物に関する魔法である。

 

 目を細めて紅茶を嗜んでいたミラベルの長い睫毛が、僅かに持ち上がった。

 彼女は翡翠の瞳で俺を見上げ、おずおずと口を開く。

 

「やはり……竜種なのでしょうか」

「分からない。状況証拠は揃ってるが……そんなはずはないんだ」

 

 憂いを帯びる問いかけに、俺は不確かな言葉を返す。

 

「もしドーリアが本当に何らかの手段で竜種を戦争に投入したのだとすれば、城塞の一つじゃ済まない。とっくに皇国中が火の海になっていても何もおかしくはないんだ」

「ですが、今のところロスペール以外の拠点が攻撃されたという情報はありません」

「つまり一晩で城塞都市を落とせる癖に、それ以上は進軍してこないってことだ。辻褄が合わない。皇国に領土を荒らされたドーリアが報復を躊躇うとも思えない」

 

 多分に推測が混じった俺の言葉にミラベルは思案顔で頷く。

 

「確かに。何か仕掛けが隠されているのかも知れません。その仕掛けがロスペールにしか使えなかった……?」

「今はまだ何とも言えないが、皇国軍がロスペールを奪還しようとしないことを祈るしかない。同じ目に遭う可能性が高いからな」

 

 どうにか曖昧な言葉を返す。

 結論は出ないままだが、闇雲に推測を捏ね回していても仕方がない。

 殺風景な山肌に視線を戻すと、不意に肩に重みを感じた。

 見やれば、銀髪の皇女の頭がある。一瞬どきりとするが、また何かの戯れだろうと思い直して注意しようと言葉を選ぶ。

 しかし、額を俺の肩に押し当てたミラベルは、吐息と共に掠れた呟きを漏らした。

 

「もし……本当に竜種だとしたら……」

 

 まるで怯える子供のような声音だった。

 ミラベルは竜種を調べていたドネットの後援者でもある。まさか御伽噺に怯えて竜種を調べていたわけではないだろうが――彼女もまた、年若い少女であるには違いない。

 

 なまじ能力がある分、立場以上の余計なものを背負い込んでいるようにも思える。

 そうやって一人で抱え込んだ果てに、彼女はかつて道を踏み外してしまった。

 二度とあってはならないことだ。誰でもない。ミラベル自身のために。

 

「だとしても大丈夫だ。なんとかするさ」

 

 またも無計画に言い放って紅茶をすする俺に、肩にかかった重みが苦笑の気配と共に少し揺れた気がした。俺の強がりはまたも見抜かれたと考えていいだろう。

 だが、決して不快な空気ではない。

 

 その感覚を正しく表現する言葉を探していると、中身を飲み干して空になったティーカップが銀の魔素に解け、弾けた。どうやら飲み終えると消える仕掛けのようだ。

 やがてそれらが光の粒になって青い空に舞い上がっていくのを、俺は結局、ただ黙って見上げていた。

 

 今は、それでいい気がした。

 

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