5.廃墟の脱走兵①
名もない村で迎えた二日目の早朝、のそのそと起き出して間近に見える山々などの雄大な自然風景を満喫していた俺は、唐突に村長の家に招かれていた。
村民の数も三十に満たないこの村では、長である老人も裕福な暮らしをしているというわけでなく、邸宅も他のものと変わりない一般的な木造である。宿として提供された空家との違いは家具の数くらいだ。
鹿に似た獣の剥製が飾られている暖炉の前で、テーブルを挟んで向かい合った村長は笑顔で尋ねてきた。
「昨夜はよくお休みになれましたかの」
「おかげさまでぐっすりですよ。飯も旨かったです。ありがとうございます」
「なんのなんの。こんな村では他にもてなしようもないでな。剣士殿さえよければいくらでも留まってもらって構わんのじゃが」
「ありがたい話ですが、お気持ちだけ頂いておきます。明後日には皇都に着く予定なので」
イノシシ狩りでロスした時間を考えれば、予定よりも三割は遅れているだろうか。少々急がなければならない。
皇都での用事は火急というほど逼迫しているわけでもないのだが、あまり長くセントレアを空けるのは正直、不安だ。カタリナ達を全面的に信用してはいるが、往還門に関しては何が起きるか予想のつかない部分がある。誰かが誤って触れてしまうかもしれないし、可能性は殆どないだろうが、誰かがやってくる事だって完全にあり得ないとは言い切れない。
村長の善意の申し出は嬉しいことだが、この旅はなるべく早く済ませたい、というのが俺の本音だ。
「残念じゃが仕方ないのう。山を越えてアズルに向かうのじゃな」
「はい。すぐ発ちます」
結構な高地に存在するこの村を出て、すぐ向かいの山を越えると転移街アズル、あるいは単にアズルと呼ばれている大きな街がある。皇国北西部の果てに位置するこの辺境で、転移門が設置されている唯一の街だ。
アズルの転移門からはいくつかの転移門を中継して皇都や他の地方に向かうことができる。まさに交通の要衝と言えるだろう。
「山中では用心なされ。数日前から古い砦に流れ者が居着いておるようでな」
「流れ者?」
「姿を見た者は兵隊くずれじゃろうと言っておったが詳しい事は分からん。身を隠しておるようでな。恐らくは脱走兵じゃろうて。砦には近寄らぬ方がよいじゃろう」
脱走兵と聞き、俺の脳裏にミラベルから聞かされた話が過ぎった。
数日前、隣国のドーリアと接していた城塞都市が攻め落とされている。守備にあたっていた皇国軍は敗走したらしい。
ドーリアとの国境は皇国の東側なのでここからはかなり遠いが、アズルには転移門がある。敗残兵が転移門を通ってここまで逃げてきたという線は十分にある。
村長に砦の場所を聞き、礼を述べて邸宅を辞した俺は向かいの山へと伸びる山道を見やった。
セントレアの番兵という、一応は軍の流れを汲む官憲の端くれである俺だが、街の外では何の権限もない一般人に過ぎない。本来であれば遠い戦場から逃げてきた脱走兵に関わる理由など毛ほどもない。
しかし、今回は確かめねばならないことがある。
■
小さな村を発った俺と皇女二人は、通常の往来に使われる大きな山道から外れた古い道を馬で進んでいた。
馬車は壊れたものの、幸い二頭の馬は無事だった。俺と皇女姉妹で分かれて馬に乗っているのだが、起伏の激しい山道、それも整備の行き届いていない旧道では優雅な乗馬というわけにはいかない。
「……つまり、その……脱走兵とやらに……話を聞きに行くのだな……?」
「ああ。戦争そのものに興味はないが、ドーリアが盛り返した原因が気になる」
手綱を握るミラベルの背中に、すこぶる気分が悪そうな顔のマリーが貼り付いている。乗り物酔いするタイプなのだろう。
「もし件の脱走兵が陥落したロスペールから逃げてきたのであれば、例の空を飛ぶ巨大な生物を見ている可能性が高いですものね。私も騎士団に調べさせてはいますが、直接話を聞けるのであればそれに越した事はありません」
一方のミラベルは涼しい顔で馬を進めている。もはや意外でも何でもない。皇女だの聖職者だのとか弱そうな肩書きを持つ割に、彼女は色々とタフなのだ。
悪路程度ではびくともしない。
「空を飛ぶ生物といえば……鳥の類か、翼竜しか思い当たりませんが……」
「大きな鳥が参戦したからといって戦力になるとは思えないし、翼竜でもよほどの数が居ないと城塞を落とすのは無理ね。そもそも、北の連峰の辺りに引き篭もっている生物だからドーリア側には居ないわ」
「……それで姉上は……竜種とやらを……疑っているのですね」
そろそろ吐きそうな顔色になってきたマリーが、姉の背中に顔をくっつけたままこちらを見た。
俺は頭を振る。
「竜種は滅びたよ。間違いない」
「そうか。やった本人が言うのだから間違いはないのだろうが……そもそも、竜種とやらはどんな生き物なのだ? 翼竜とは違うものなのか?」
古い記憶を探り、かつて対峙していたこの世界の旧支配者達のことを思い返す。
当然ながら良い記憶はない。
「そうだな……竜種に比べると、翼竜は子猫みたいなもんだ」
「子猫とな」
マリーの動揺も無理もない。
翼竜でさえ、退治するには騎士団を動員して数日がかりになるのだ。
「まず大きさが違う。翼竜はせいぜい十三フィートくらいなもんだけど、竜種は中型でその十倍。デカい奴になると二百フィート強ってところだったか」
「なんだそれは。そんな生き物が存在するものか」
「……それほどですか」
これにはさすがのミラベルも顔をしかめる。
既に発見されている竜種の骨よりも、更に一回り大きいからだろう。
二百フィート強といえば、およそ七十メートル近い。これは現世の高層ビルに匹敵する大きさだ。単一の生命体でこれほどの大きさに達するものは、現界でも異界でも他に例はない。
「しかも硬い鱗に覆われて刃は通らないし、通っても図体がデカいから大してダメージにならない。連中からすれば蚊に刺されたようなもんだな。魔力も尋常じゃない。自然体で魔力障壁を張ってるし、息吹に含まれる魔素だけで城壁が消し飛ぶ。おまけに知能も人間並にはあるから姑息な戦術も躊躇なく使ってくるんだ」
すらすらと述べると、皇女二人の顔色がみるみる青くなった。
どのような想像が行われているのかは分からないが、現実はもっと悪かったと断言できる。巨大な翼をも備えていた竜種は、この世界の空を自在に飛び回り、まるで菓子でもつまむかのような気軽さで人類種を食い荒らしていたのだ。
さすがに大型は滅多に出なかったが、中型以下の竜種は珍しくもない存在だった。連中の腹を満たすには人類種のみではまるで足りない。
亜人も動植物も、鳥も魚も。連中はあらゆる生命を貪っていた。そこには純粋な魔素で構成される生命である精霊や魔族すら含まれる。
竜種の強大さを考えれば、
やがて他の種が滅ぼし尽くされるのは時間の問題と見えるほどだった。
しかし、連中は個々の種が絶えない程度に喰らい、数が増えたらまた喰らうというサイクルだけは絶対に遵守した。その為に自分達の個体数を厳格に管理してすらいたのだ。
それ故に彼らが飢えることはなかったし他種族が滅びるということもなかったのだが、捕食される側から見れば生き地獄以外の何物でもない。
往還者がピリオドを打つまでに、どれだけのサイクルがこの世界で繰り返されたのかは分からない。
だが、俺達が目の当たりにした部分だけでも竜種は滅ぶのが相応と思えるほどの惨状だったのだけは確かだ。
「もし……そんなものがまだ生き残っていて、ドーリアと共に攻め入ってくるのだとしたら……この国は」
マリーは色々な意味で真っ青になっている。
だが、俺はその点について全く心配していない。
「それほどの脅威だからこそ逆にあり得ないんだよ。考えてもみてくれ。いくら現界が広いとはいえ、そんなデカくて凶悪な生き物が何百年も人目につかずに生き延びられるわけがない」
「む、言われてみれば……確かに」
竜種を根絶した俺としては、保証したっていいくらいだ。
正確には一体の例外が存在するが、その例外は俺に自らを封印させて地の底で眠り続けている。その縛めが解かれればすぐに分かるが、今のところその徴候はない。
この先も永遠にないだろう。
「何であれ、まずは話を聞いてみないことには始まらない」
「ですね」
山腹に見えてきた古い砦に視線を向ける。
恐らくは現在進行形で悲惨な目に遭っているだろう脱走兵が、見ず知らずの俺達と話をしてくれるかどうかは疑問だが、駄目でもその時はその時である。
俺は僅かに気を揉みながら、ゆっくりと馬を進めた。
■
魔素を操る素質は基本的には遺伝する。
親に素質があれば高確率で子にも素質は受け継がれるというわけだ。
剣士の子は剣士になれる。魔術師の子は魔術師になれる。
だがそれは、持たざる者達にとっての絶望的な現実でもある。
なれない者は、どれだけ研鑽しようが一生なれないという事なのだから。
血筋に関係なく、突然変異的に素質が発現することもあるにはあるが、稀な例だ。
簡単な魔法は扱えるし、肉体の力のみで剣を振るう事もできる。
だが、その力量は魔力を扱う者に比べると遥かに劣る。当然、扱いにも差が生じる。
素質ある者が騎士として華々しく活躍する一方で、大多数を占める素質のない者達は軍に入隊し、果てることのない戦争に兵として駆り出される。
俺の目の前で片手剣を構える少年もその一人だろう。感知できるほどの魔力を感じない。くたびれたボロボロの軍服を着た彼は、年のころ十五ほどと見える。
若く線が細い印象だが、構えに隙はない。
「なんだお前達は! 盗賊の類か!」
苔むした古砦の中、少年の鋭い声が響いた。
こんな湿度の高い空気がこもった不健康な場所で暮らしている割には元気そうだ。
「ふむ。まさか子供とはな」
「マリアージュ、たぶんあなたの方が年下よ」
「な、なんですと!?」
「緊張感ねえな……おい、君。俺達は単なる通りすがりの門番だ。盗賊じゃない」
姉妹のやり取りを流し、こちらにショートソードを向ける少年に語りかけた。
一瞬毒気を抜かれた顔をしていた少年は、すぐに気を取り直して敵意を向けてくる。
「はっ! 正直に盗賊と名乗る盗賊がいるものか!」
「ごもっともだな。ただまあ、君が盗るようなものを持っているとは俺には思えないし、素寒貧を子連れで襲うような盗賊がいるとも思わないがね」
「子供連れ」の部分でマリーが眉をひそめるが気にしない。
少年も少しは納得してくれたのか、顔をしかめながらも僅かに剣先を下げる。
「……通りすがりの門番とやらがこんな場所に何の用だ」
山腹に築かれたこの砦は、遥か昔に放棄されたものだ。
この地方が皇国に飲み込まれる前――まだ独立した国家であった頃の名残のひとつだ。人々の記憶からも薄れ、もはや麓の村の住人くらいしか覚えてもいない廃墟である。
一般人が立ち入るような場所とは言い難い。少年が訝るのも当然だ。
「少し話を聞かせて欲しいだけだ。剣を収めてくれないか」
「話だと?」
少年は警戒心丸出しの声音で反芻する。
これ以上態度が軟化するのは期待しない方がよさそうだ。
一歩前に歩み出たミラベルが、軽く会釈をしながら口を開く。
「私はウィリデといいます。襟元の徽章……十人隊長のものですね」
「分かるのか」
「一通りは。ドーリア方面の師団に所属しているとお見受けしますが、皇国軍の十人隊長が、持ち場を離れてこのようなところで何をなさっているのでしょう。ロスペールが陥落したことと関係がおありでしょうか」
「……逃げてきたんだよ。あっちの皇国軍はもう駄目だ」
十人隊長といえば、小隊長といったところか。
つまりこの少年は曲がりなりにも下士官であるということになる。
皇国軍では平民出でも腕の立つ者なら士官になれると聞く。何の苦労もなく士官になる貴族階級と比べるのは酷だが、中世的価値観の強いこの世界にしては比較的実力主義であると言っていいだろう。この少年も骨のある兵士だったに違いない。
その彼が逃げ出したとなれば、余程のことだろう。
「まさかお前ら、ロスペールの話が聞きたいのか? あそこが落ちたなんて話、一般市民には伝わってないはずだが……」
「父がドーリア方面に所属している兵士なのです。戦況については父の伝手から聞きました。父の安否が知りたいのです。どうかロスペールでの出来事を教えていただけませんか?」
真顔のまま、流れるように嘘をつくミラベル。俺はただ感心するしかない。
情に訴えられた若い士官は、苦い顔で視線を漂わせた。少々違和感のある反応だ。戸惑うのは分かるが、ただ話をするだけなら葛藤が生じるような事柄ではない。
俺が疑問を口にしようとした時、意外なところから言葉が飛んだ。
「話の腰を折ってすまないが、奥を改めさせてもらう」
今まで黙っていたマリーは突然そう言うと、早足で廃墟の奥の部屋へ進んでいく。
俺もミラベルも、あまりに唐突な彼女の行動に反応できなかった。少年士官も虚を突かれたように硬直するが、すぐに我に返った様子で追いながら叫ぶ。
「おい、やめろ! その部屋は!」
十分に聞こえているだろうにまるで構わず、マリーは朽ちかけた鉄扉を蹴破る。
いくら腕が立ちそうとはいえ魔力を扱えない士官の少年では、今のマリーを害する事はできない。とはいえ、抜き身の剣をぶら下げている人間を近付けるのは護衛としては問題があるだろう。
少年に倍する速度で移動した俺は、回り込んで彼の前に立ち塞がって手で制した。向かい合う俺と少年の傍をミラベルが駆けていくが、俺の動きを目の当たりにした士官の少年は驚愕の眼差しで俺の顔を見るのみだ。
「お前、騎士か……!」
「違う」
短く答え、マリーが蹴破った扉の向こうを振り返る。
部屋に入り込んだ二人の皇女は中にあるベッドの前で立ち尽くしていた。
俺は一瞬、ベッドの上に寝かされていた人物を人間だと認識できなかった。
弱々しく顔だけを持ち上げたその少女の手足が、灰色をした硬質の肌を曝していたからだ。まるで石のようなそれを――俺は遥か昔に見た経験がある。
慄然とする俺の前で士官の少年が俯く。彼はただ、少女の今の姿を人目に晒したくなかっただけなのだろう。
「何なのだ、この症状は」
答える声はない。
様々な伝承に明るく、治癒術にも長けているミラベルでさえ沈黙している。
「石化だ」
ようやく搾り出した俺の言葉に皇女二人が同時に振り返った。二人とも既に察しがついているのか、表情が暗い。
俺だけが知る知識というものが何を指すかを、もう理解してしまっているのだ。
石化症。
肉体が徐々に鉱物に変質していく病だ。変化の速度は個体差があり一定ではないが、放置すれば間違いなく死に至る点だけは変わらない。恐るべき病である。
しかし、この病の名は何百年も前に人々の間から忘れ去れている。それこそ千年に届きそうなほどの太古にだ。
なぜなら、この病は――特定の竜種が吐く息吹を受けた人間だけが罹患する病だからだ。




