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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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4.回顧

 

 馬車が壊れた。

 

 

 セントレアから皇都へは馬を使って三日を要する。

 大陸の過半を占める皇国の北西部から中央部までを移動することを考えれば、これでも早過ぎるくらいだ。何の工夫もなく行けば一ヶ月ほどかかるだろうか。

 それほどの距離の移動が僅か三日で済んでしまうのは、皇国領内に配置されている転移門のおかげだ。決められた門同士の間を大規模な転移魔法で結んでいるのである。

 

 移動は一瞬。便利なものだ。

 

 ただ、転移門の設置には莫大な費用と工数がかかるらしく、皇国内でも要衝となるような大きな街にしか存在しない。セントレアから最寄の転移門がある街までにかかる期間が二日、そこから数回の転移を挟んで皇都に辿り着くまでが丸一日といったところか。

 往復で六日。皇都での用事を一日で済ませれば七日。これが今回の旅の日程だ。

 道程自体には何も難しいことがない。さっさと行ってさっさと帰るだけ。

 だというのに、初日からとんだ大問題が発生したものだ。

 

 些かオンボロだった馬車を粉砕してくれた犯人である巨大なイノシシは広場の真ん中に転がっている。山道を移動中、ヤツが獣道から飛び出してきたのだ。

 馬車は横転して木っ端微塵になったが、俺とミラベルは言わずもがなマリーも無傷だった。今の彼女の実力なら、攻撃魔法をぶっ放されでもしなければ傷一つ負わない。

 難なく暴れイノシシを仕留めた俺達は、近隣の村の住人から熱烈な歓待を受けた。なんでもあのイノシシは畑などを荒らし回っていたらしく住人達は手を焼いていたそうだ。

 

 騎士のように魔素(マナ)を操って超人的な戦闘能力を獲得できる人間は、実のところかなり少ない。限られた者だけが持つ才能なのだ。

 大多数の人類種にとっては巨大化した獣や亜人種などは相当な脅威なのである。

 成り行きで暴れイノシシを退治した俺達だったが、村人達にとっては救い主といったところだろうか。

 

 ほっこりと笑顔を浮かべた村長の老人は、宿として空き家を提供してくれた。

 

 名もない村で一泊することになったのはいいものの、いかんせん手持ち無沙汰になった俺は宿を抜け出し、こうして村の広場で何をするでもなく焚き火を眺めている。

 俺の中では、旅といえば野宿で焚き火だ。遥か昔、一時期は世界を旅して回っていたのだが、金銭的な余裕がなくいつも野宿をしていたような気がする。

 身体的にも精神的にも現代人であった頃から変わらない俺だが、木の焼ける匂いや熱などに触れると当時に染み付いた感覚からか、やはり落ち着いてしまう。

 野宿は森に限る。朝靄や深緑の香りが特に好物だ。現世に居た頃はインドア派であったというのに、今では見る影もない。

 

 ぱちぱちと燃える枝を時折思い出したように火の中央に寄せつつ呆けていると、

 かつて轡を並べた仲間達の事を少しだけ思い出せる気がする。

 色褪せて磨耗した記憶の向こう、彼らは何も知らぬ顔で笑っていた。

 

 

「聞かせてくれないか。昔のことを」

 

 俺の背後に立っていた少女が、ぽつりと呟く。

 声をかけてくるわけでもなく佇んでいた彼女は、馬車での移動中におおよその事情を姉から聞いている。不老の異世界人。その一人である、俺のことを。

 

 昨夜は結局うやむやになってしまった。

 このまま流してしまえれば、と心の何処かで思わないでもなかった情けない俺だが、ここに至って逃げ出すつもりはさすがにない。

 舞い上がっていく火の粉を目で追い、俺は言葉を選んだ。

 

「君は生きるのが嫌になったことはあるか」

「あるとも」

「そうか。俺もある。恐らく、それがそもそもの間違いだったんだろうな」

 

 遠い日を思い起こす。

 ここではない世界。日本で生きていた、高梨明人を。

 

「俺の家族はとても仲が悪くてね。帰るたび両親の罵声を聞くような家だった。毎日毎日、ヒステリックな声で罵り合うのさ。お互いのことを。君らの境遇に比べれば取る足らない話だが」

「いや」

 

 小さな少女は短く言うと、歩み寄って俺の腰掛けている丸太に座った。

 視界の端で金色の髪が揺れる。視線を感じながらも、俺はじっと焚き火を見詰めた。

 

「色々あったけど……特に父親が許せなかった。家族を守って然るべきの男が、その家族に醜く怒鳴り散らしているのがどうしても許し難かった。なまじ仲が良かった頃もあったから、余計にね」

 

 両親の不和の原因は覚えていない。ほんの些細なことだった気がする。

 気が遠くなるほどの長い精神的苦痛を味わった後で、いつの間にか我が家には誰も居なくなっていた。両親も妹も消えた。何一つ残すことなく。

 

 唐突に取り残された空間で、俺は思ったのだ。

 

 俺一人だけが残るのはおかしい。

 俺もどこかに行くべきだ。俺だけが救われないだなんて、絶対におかしい。

 ここは間違っている(・・・・・・・・・)

 

「はは、くだらない」

 

 笑って言う俺に、少女は色々な感情が混じった顔をした。

 視界の端に映るそのひとつひとつを読み解こうとはせず、俺は焚き火を向く。

 

「気が付いたら、俺は酷く姿が曖昧な奴の前に立たされてた。意思の疎通もとれないそいつは何も説明しないまま、俺に力と剣だけを渡してこの世界に落とした。君らが現界(セフィロト)と呼んでいる、ここに」

「……曖昧な奴?」

「俺達はそいつを《不定形の神》と呼んでいた。奴が何だったのかは今でも分からない。ああ、俺達っていうのは、俺と、同じように落とされた八人のことだ」

「知っている。この国に住む者なら誰もが知っているだろう。一度は寝物語に聞かされる御伽噺だ。悪しき神々を討ち滅ぼし、皇国を拓いた古の神……そして、神の御使いとされる者達」

「よしてくれ。俺達が戦ったのは竜種(ドラゴン)……でかいトカゲだ。悪しき神々なんてもんは居なかったし、国教会が主神としている初代皇帝はリーダー的存在でもなければ、竜種との決戦には参加すらしていない。まさに嘘八百ってやつだな」

「ふふ、わたしもさすがに自分が神の末裔だとは思っていないよ、タカナシ殿」

 

 ようやく笑みを見せた少女は、地面に落ちていた小枝を拾って弄びながら言った。

 

「しかし、貴殿らが神の類でなかったとしても……この世界の人々を救ったのが事実であるなら、その行いは賞賛されるべきことではないか。なのに貴殿は誇るどころか、過去の行いを嫌悪しているようにすら見える」

「そうだな。汚点だ」

「なぜ」

 

 ぱち、と焼け落ちる枝を見やる。

 

「俺達は方法を間違えた。与えられた力に酔って、まるで当然みたいに一つの種を悪と断じて滅ぼしたんだ。正しい行いだったとは到底思えない」

「だが、救われた命もあったのではないか?」

「仮にそうだとしても、もっと他にやりようがあった筈だ」

 

 他にどうしようもなかったと言えるほど、真摯に向き合っていたわけでもない。

 往還者は全員、似たような経緯でこの世界にやって来た。

 国籍も境遇もバラバラだったが、全員が何らかの形で現世に絶望し、ここではないどこかを求めていた。その願い通りになったのだ。浮かれないはずがない。

 少なくとも、俺は喜んだ。自分の居場所はここだ。そう、強く確信した。

 突き詰めてしまえば、戦った動機はたったそれだけだ。この世界を救うのだと息巻いてはいても、結局は自分のためだった。自分が救われたかっただけだ。

 

「わたしは小娘だが、その言葉が傲慢だということはわかる。あなたは自分が守ってきたものをちゃんと見るべきだ」

「見てるさ」

「いいや、見ていない。手始めに、ちゃんとこちらを向くがいい」

 

 機嫌を損ねたかのような言葉とは裏腹に、その声音は優しいものだ。

 俺は初めて、少女――マリーの方を向いた。

 

「竜種とやらが滅びていなければ……わたしだけでなく、この世界の人々の大半は存在していなかったかもしれん」

「それは可能性の話だ」

「タカナシ殿の言っていることも同じだろう。もっと良い解決法があったのではないか、という話も可能性に過ぎない。全ての可能性の中から最善を選べていたはずだ、などと考えているのであれば、それはやはり傲慢だよ。あなたは神ではないのだから」

 

 そこで俺は言葉に詰まった。

 返す言葉がない。

 マリーの言う通り、俺には権能を持つ身としての思い上がりがある。

 

「何を以って善悪とするかも、あなただけが決めることではない。きっとそれは、皆で考え、目指して行かねばならないことなのだ。わたしには、うまく言えないが……」

 

 もごもごと口の中で言葉を転がすマリー。

 

「いや、何となく分かるというか……身に染みたよ。ああ」

 

 もどかしそうにする彼女とは裏腹に、俺は腑に落ちるものを感じていた。

 アルビレオとの戦いでも、一人で戦おうとして失敗した。

 あの時と同じ轍を踏んでいるに違いない。

 

「ありがとう。君がいてくれてよかった」

 

 靄のような何かが少しだけ晴れた気がして、俺はごく自然に言葉を発していた。

 マリーは小さく口を開けて呆けた顔をする。まるで珍獣でも発見したかのようなその表情が可笑しくて、俺はたまらず破顔した。

 何か変なことを言っただろうか。

 

「……も」

「も?」

 

 マリーは呆然としたまま、指を一本立てる。

 

 

「……もう一回言ってくれてもいい」

 

 

 言わなかった。

 

 


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