エピローグ
「…………。」
俺は鏡の前で右につけていた髪飾りを左側に戻す。そう、きっと戻すが適切なのだろう。
あの後、村長さんの葬儀の後、三人で街に帰った。レイニーが女の子になってしまった件は村で少し騒ついたが、なってしまったものはもうどうしようもなかった。
シルヴィオがもう死んでいる件については俺は村人達に何も聞かなかった。ただでさえ、村長さんが亡くなって皆が動揺しているのに問題を増やしたくなかった。レイニー曰く、村人達は心のバランスを崩してしまった俺のために、皆で真実を黙ってくれていたという。
アリアンロッドは結局精霊に会えなかったことですっかりヘソを曲げていたが、ひとまずは一座に帰ると言っていた。
(責任を取らないと)
俺は今日、アリアンロッドを呼び出していた。彼女はもうそろそろこの街への滞在期間が切れる。彼女の旅立ちの前にしておかなければならないことがあった。
「アリアンロッド」
待ち合わせ場所の正午の時計台の下で立っている彼女は、やはり華やかな衣装を着ていて、周囲を行き交う人々からの視線を欲しいままにしていた。
「ヴィー、デートならもっと人目のつかないところで待ち合わせにしましょ。三人は追い払ったわ。それで…………もう大丈夫なの?」
彼女にしては珍しく人のことを心配してきた。俺は彼女の腹部を少し見て――本題に入る。
「俺は君とのことを全く覚えていないけれど、俺の記憶が信用ならないことはよくわかった。可能な限り責任は取りたい」
「じゃあ、私と――」
俺は包みを差し出した。
「こんな自分のこともわからないおかしな奴の子供として生まれる子供が可哀想だ。ここに俺がこの街で稼いだ全てのお金と身分証の片割れが入っている。養育費としては足りないかもしれないが、君がその子を産んだ先でこのお金を役立ててくれ」
「!」
身分証の片割れは本来であれば恋人や家族に預けておくものだ。この街の外でどんな役に立つかはわからないが、子供にだってどんな酷い男が父親かを知る権利はある。それと、説明はしていないが、彼女の為に守護の魔法石も入れている。
まだ、自分がシュトランであるという実感はない。しかし、俺の知るシュトランであれば絶対に自分の子供もその母親も蔑ろにはしないと考えたからだ。
「貰っておくわ」
アリアンロッドは怪訝そうな顔をしながらも、俺が差し出した餞別の袋を受け取った。彼女に別れの言葉と、身体に気を付けるよう伝える。
最後に、強い力で手を引かれた。白くて滑らかな手だった。
「あなたはどうするの?」
「さぁ」
俺は後ろを向いて、彼女に背を向ける。もう用事は済んだ。
「これから考える。もう何も信じられないんだ」
*
窓から見える石畳の端に野花が咲き始めた。
(春がやってきた)
アリアンロッドはもう出立しただろうか。
たしか、彼女の滞在の最終日はこの月の末だが、不法滞在が増えないように流人には最終月の月初には経つことが推奨されている。
「シュトラン、どうやら隣に新しい人が引っ越してくるらしいですよ」
「そう、か」
レイニーは何事もなかったかのように俺をシュトランと呼び出した。以前と同じように一緒に住んでいるが、アルトからソプラノの声になったレイニーに正直違和感がないわけではない。
(いくら幼馴染の元男とはいえ、女の子と住むわけには……)
その内、俺の方が引っ越すべきだろう。そんなことを考えていると、ひょこりと金髪の長い髪が目の前に現れた。エプロンを付けた姿は男であったときとそう変わらないはずなのに、華奢になった手足に目がうつる。
「……シュトラン」
「? どうした?」
「心が弱っているときは誤った選択をしがちなんです。この先何があってもわたしだけは傍に居ますから、ずっとお側においてくださいね?」
アリアンロッドに貯金を渡した件はレイニーには話していない。だから、何も気付かれていない――はず――。
(あまり考えないようにしてきたけれど、レイニーはシュトランの狂信者だ。シュトランが俺だということは、レイニーが好きなのは俺ということで――。いや、恋愛的な好きと偶像的な好きは違うか)
それに、他の問題もある。
「仕事次第かな」
「転職するんですか?」
俺は首肯する。
「自分がシルヴィオだと思っていたから不慣れでもこの仕事を続けていたんだ。でも、俺がシュトランであるなら――違う生き方をしなければならないんじゃないかって」
今の職場ではまだシルヴィオとして働いているが、契約が満期になったら辞めるつもりだ。シルヴィオが持っていたものを横取りするような人生は選びたくない。
(それで良いんだよな――シルヴィオ)
兵職を選ぶなら今と同じような生活は出来ないだろう。
シルヴィオではない、シュトランにもなりきれない中途半端な自分をまだ持て余している。何か言いたげなレイニーの顔はもう何度見たかわからない。
「外の空気を吸ってくる」
「いってらっしゃい、シュトラン」
*
外に出ると、華やかな花の香りがした。領主がそこかしこに植えた花壇からだ。中でもカラフルなマーガレットのような花が目立つ。確か名前は――オステオスペルマム。
この街、ローズクォーツの名前は宝石ではなく花の品種から来ているとレイニーが言っていた。園芸の好きな領主が好きな花の品種の名前をと思って付けたが、実は花の品種の名前も宝石から来ているらしいので、何が何だかという風になったのだとか。
(いや、名前なんてどうでも良いか)
どんな由来があって、どんな風に呼ばれようと田舎町ペトランから見たここは少し都会の街なのだ。
咲き誇る桃色の花の中、目の前の美しい茶髪に目を奪われる。春のような香りはもう、どこからしているのかわからないほど街中に広まっている。気の強そうな目が、キッとこちらに向けられた。
「なんで……」
「間違えてるみたいだから、直しに来てあげたの」
アリアンロッドは俺の髪飾りをそっと左から抜き取ると、右に付け直した。左はシュトラン、右はシルヴィオの定位置だ。シルヴィオでない自分は左にしなければならないと思っていた。右側の髪飾りはきっと――間違いだ。
「言ったでしょ。生きるためにしなければならなかったことは、間違いなんかじゃないって。ヴィーだって、シュトランだって、そうしないと生きていけなかった。そうでしょ?」
シュトランであることをやめて、シルヴィオのふりをすることでしかシュトランの身体を守ることができなかった。この身体と心はあまりにも歪だ。
「ヴィーはヴィーのままで居ていいの」
その言葉は少しささくれていた心にはしみる程のうるおいで、思わずこう叫んだ。
「僕が居たってもうどうしようもないんだぞ! シルヴィオはもう死んでるし、シュトランはダンマリなんだ!」
「じゃあ、なんとかなるまであなたが面白おかしく過ごせば良いじゃない」
アリアンロッドらしい自分勝手で楽観的なコメントだ。人の気も知らないで。
(僕が、僕であることをどれだけ悩んだと思っているんだ)
でも、そんなことは本当にアリアンロッドにも、この世界にも関係がないのだ。
「私、この街に住むことにしたの。お友達が居ないと不安だわ」
「おい、僕はまだ入国管理事務所の人間だぞ。不法滞在は許さない」
「あら。私はちゃんと街の市民になったわ」
嫌な予感がした。
とても、とても嫌な予感だ。
「おい。待て。渡した養育費はどうしたんだ?」
「もう無いわ」
「はぁ!?!?」
この街の市民権を得るには僕の三年分の給料が必要になる。それに身元の保証人も。即ち、それは僕が彼女に渡したお金まるまるを使って僕の身分証の片割れを証明に使ったということになるはずだ。
「お前子供のためなら母親はなんだって出来るとか言ってなかったか?」
「赤ちゃんの話は嘘っぱち。あなたのほくろも暴漢から助けてもらうときに見えただけなのよね」
「嘘……? 子供はいない……? 詐欺……? 僕の……蓄え……」
やっぱり踊り子なんかの言うことを信じたのがバカだった。もう本当に愚かで、救いようがない。この女と関係を持っていない本物のシュトランの人格は無罪だし、僕だって無罪だ。
アリアンロッドはめいっぱいの上目遣いで僕に擦り寄った。しかもこの荷物、引っ越しだ。もう本当に嫌な予感しかしない。
「ねぇ、でも良いでしょ? こんなに魅力的な女が隣に住んであげるんだから。ロマンス小説の主人公みたいじゃない」
僕は自分が悩んでいるのが馬鹿らしくなった。
世の中にはふてぶてしく、強欲で、我儘に生きている奴がいる。そんな事実だけで不完全で曖昧な僕がちょこんと世界の隅に存在するのの何が悪いのかという気持ちにすらなる。
(アホくさ。本当、馬鹿みたいだ)
春風のように何もかもが吹き飛ばされていって、悪くはない気持ちだ。
「そうだ。身分証の片割れがあったら結婚証明書も出せるらしいの。これから一緒に出しに行きましょ?」
「市民一代目は税率も高いし市民権の剥奪があり得るからな。だが、婚姻があれば別」
「あら、愛ゆえよ。ね、良いでしょ?」
全くもってわざとらしい。
僕は大きく息を吸い込んで春風よりも鋭い勢いで口を開く。
「良いわけないだろーー!」
ーーおわり




