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追放令嬢は、化学調味料で異世界の食文化を革命する!~100%人工のうま味で背徳の日本食を広めます!~  作者: 速水静香
第二章: うま味への旅

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第七話:科学と魔法の融合

 壮大な冒険計画を前に、私の心は沸騰したフラスコの中身のようにぐつぐつと煮え立っていた。獰猛な魔物に、翼を持つ海竜、そして古代の罠が待ち受ける迷宮。どれもこれも、私のまだ見ぬうま味成分への探求心を、ちりちりと焦げるほどに刺激する、魅力的な研究フィールドだ。

 しかし、と。

 リビングのソファの上で、一人高揚感に浸っていた私は、ふと、ある極めて初歩的かつ致命的な問題点に思い至った。


「……待って」


 ぽつりと、誰に言うでもなく呟きが漏れる。

 先ほどまでの熱に浮かされたような興奮が、すうっと冷たい水を浴びせられたかのように沈静化していくのを感じた。


「ボアビーストを狩る? ワイバーンを撃退する? ……どうやって?」


 そうだ。計画を立てるのはいい。目標を設定するのも結構。しかし、その計画を実行するための具体的な『手段』が、今の私たちには何一つとして存在しないではないか。

 私とマリア。二人とも、か弱い女性である。いや、マリアが『か弱い』かどうかについては、先ほどの扉破壊事件を鑑みるに、少々疑問符が付くところではあるが、少なくとも私は、公爵令嬢として蝶よ花よと育てられた、非力な存在だ。

 そんな私たちが、どうやって岩をも砕くという猪の魔物に立ち向かうというのだろう。ドレスの裾を翻して「おやめなさい!」とでも叫べば、魔物が恐れおののいて逃げ出してくれるとでも? そんなわけがない。一撃で、ミンチよりひどい状態にされておしまいだ。


「武器も、防具も、何も持っていないじゃない……」


 それだけではない。断崖絶壁に群生するというグルンブを採取するには、当然、崖を登り降りするための専門的な道具が必要になる。丈夫なロープや、岩に打ち込むための杭、体を支えるためのハーネスのようなもの。そんなものが、この古びた洋館のどこを探したって、あるはずがなかった。


「……計画、立案早々に頓挫かしら」


 私はがっくりと肩を落とし、テーブルの上に広げられたマリア作の精密な地図を、力なく見つめた。そこには、これから私たちが巡るはずだった、夢とロマンと、そしてうま味に満ちた冒険のルートが、無情にもくっきりと描かれている。

 ああ、なんということだ。最高の素材は、すぐそこに見えているというのに、それに手を伸ばすための脚立すらない、というこのもどかしさ。研究者として、これほどの屈辱があるだろうか。


「お嬢様」


 私が一人、絶望の淵に沈みかけていた、その時だった。

 いつの間にか部屋に戻ってきていたマリアが、静かな声で私の名を呼んだ。その手には、お茶のお代わりが入ったティーポットが握られている。


「どうかなさいましたか。何か、お悩み事で?」

「マリア……」


 私は、藁にもすがる思いで彼女の顔を見上げた。


「大変よ! 私たちの計画には、重大な欠陥があったわ!」

「と、申しますと」

「戦う力も、崖を登る道具もない! これじゃあ、森に入った途端に、私たちはただの遭難者になってしまうわ! いえ、それ以前に、魔物の餌になっておしまいよ!」


 私の悲痛な訴えを聞いても、マリアの表情は柳に風。一切動じることなく、こぽこぽと優雅な手つきで私のカップにお茶を注いでいく。


「……その件でしたら、ご心配には及びません」

「え?」

「お嬢様には、そのための『力』が、すでにおありかと存じます」

「私の、力……?」


 きょとん、として聞き返す私に、マリアはこくりと頷いた。


「お忘れですか。お嬢様は、貴族の嗜みとして、幼い頃より『魔法』の訓練を受けてこられたではございませんか」

「……魔法」


 その単語を聞いて、私は、はっ、とした。

 そうだ。

 すっかり忘れていた。

 この世界には、科学とは異なる、もう一つの法則が存在する。

 魔法。

 それは、術者の意思の力、いわゆる『魔力』を源として、自然界の事象に直接干渉し、ありえない現象を引き起こす奇跡の技術。

 貴族の家に生まれた者は、程度の差こそあれ、誰もがその素養を持っており、私も幼い頃から家庭教師について、その基礎を学ばされていたのだ。


「……確かに、そうだったわね。火を起こしたり、水を操ったり……簡単なことなら、私にもできたはず」


 しかし、と私は首をひねる。

 貴族の教養として教えられていた魔法は、あくまで生活を便利にするための、ささやかなものばかりだ。燭台に火を灯したり、花瓶の水をきれいにしたり。そんなお遊びのような魔法が、獰猛な魔物相手に通用するとは、到底思えなかった。


「でも、私が使えるのは、本当に初歩的な魔法だけよ。攻撃に転用できるような、大層なものではないわ」

「……左様でございますか」


 マリアは、それ以上は何も言わなかった。

 だが、その沈黙が、逆に私の思考に火をつけた。

 本当に、そうだろうか?

 私が知っている魔法は、本当に『初歩的』なだけで、何の役にも立たないものなのだろうか?


(待って。よく考えてみるのよ)


 私は、目を閉じ、前世の研究者としての思考回路を、フル回転させた。

 この世界の魔法の理論体系。それは、極めて曖昧で、感覚的なものだ。


 『強くイメージすること』

 『世界との調和を感じること』


 家庭教師は、いつもそんな曖昧な言葉ばかりを口にしていた。炎を出すなら、燃え盛る炎そのものを心に描き、水を生むなら、清らかな泉の流れを想像する。全ては、術者のイメージの力に依存する、と。

 科学者からすれば、噴飯ものの理論だ。再現性が低く、個人の才能に大きく左右される。そんなものは、技術とは呼べない。ただのオカルトだ。


(……でも、もし)


 もし、その曖昧な『イメージの力』という入力装置に、私の持つ、前世の『科学知識』という、具体的で体系化された学問の知識を導入したら、どうなる?

 現象を、ただ漠然とイメージするのではない。

 その現象が、どのような『物理法則』に基づいて発生するのかを、分子レベルで正確に理解し、そのプロセスそのものを、魔力で再構築するのだ。

 それは、既存の魔法体系とは、全く異なるアプローチ。

 いわば、魔法と科学の融合。

 私が、今この場で新たに生み出す、全く新しい技術体系。


「……『科学魔法』……!」


 私の口から、思わずその名がこぼれ落ちた。


「かがく、まほう……でございますか?」


 聞き慣れない単語に、マリアがわずかに首をかしげる。

 私は、ばっと目を開けると、彼女に向き直った。その瞳は、新しい実験のアイデアを思いついた時の、狂気じみた輝きに満ちていたに違いない。


「マリア! 少し、私の実験に付き合ってちょうだい! 今、とんでもない仮説を思いついたの!」

「……かしこまりました。して、どのような実験を?」

「場所を移すわよ! 外に出るわ!」


 私はマリアの手を引っぱるようにして、リビングを飛び出した。向かうは、館の裏手にある、だだっ広い中庭だ。幸い、天気は良い。絶好の実験日和と言えるだろう。



「いい、マリア? まずは、火よ。火を起こす、という現象を、科学的に分解してみましょう」


 中庭に出た私は、まるで大学の講義でも始めるかのように、マリアを前にして語り始めた。足元には、枯れ葉や小枝を、適当に集めて山にしてある。


「物が燃えるためには、三つの要素が必要なの。これを『燃焼の三要素』と呼ぶわ。一つは、燃えるもの、つまり『可燃物』。この枯れ葉がそうね。二つ目は、燃えるのを助けるもの、『酸素』。これは、この空気中にたくさん含まれているわ。そして、三つ目が、『発火点以上の熱』。可燃物が、燃え始めるために必要な、最初の火種よ」


 私は、指を一本一本折りながら、丁寧に説明する。マリアは、いつものように無表情で、こくこくと頷いていた。


「普通の火の魔法は、術者の魔力で、この『熱』を、何もない空間から直接生み出そうとする。でも、それだと魔力の消費が激しいし、コントロールも難しい。だから、私は違うアプローチを取るわ」

「と、申しますと」

「熱を、自然界にすでに存在するエネルギーから、拝借するのよ」


 私は、にやり、と笑って、空を指さした。

 さんさんと輝く、太陽。

 あれは、巨大な核融合炉だ。この星に、絶え間なく膨大な熱エネルギーを、放射し続けている。

 この、ありふれた、しかし最強のエネルギー源を、利用しない手はない。


「小学生の頃、理科の実験でやったでしょう? 虫眼鏡で太陽の光を集めて、黒い紙を燃やす、っていう、アレよ」

「……申し訳ございません。私は、しょうがっこう、なるものに通った経験がございませんので」

「あ、ご、ごめんなさい……」


 うっかり、前世の常識で話を進めてしまった。

 私は、ごほん、と一つ咳払いをして、仕切り直した。


「い、いい? 要するに、レンズよ、レンズ! 光を一点に集めて、熱エネルギーの密度を高めるための、光学機器! それを、魔法で作るの!」


 私は、枯れ葉の山から少し離れた場所に立つと、右手をすっと前に突き出した。

 そして、意識を集中させる。

 イメージするのは、ただの『水』ではない。

 空気中に含まれる、目には見えない無数の水蒸気。その分子一つ一つが、私の意思に従って集合し、特定の形状を形成していく、そのプロセスそのものだ。


「空気中の水分を、ここに集めて……形状は、片面が平らで、もう片面が緩やかなカーブを描く、『凸レンズ』の形に……!」


 私の手のひらの上に、何もない空間から、じんわりと水滴が生まれ始めた。最初は小さな露のようだったものが、次々と集まり、一つにまとまっていく。

 ぷるん、とした、直径10センチほどの、完全に透明な水の塊。それは、重力に逆らって、私の手のひらの上で、完璧なレンズの形を保ったまま、静かに浮かんでいた。


「……おお」


 我ながら、見事な出来栄えに、感嘆の声が漏れた。

 太陽の光が、この『ウォーターレンズ』を通過し、その先にある枯れ葉の山の一点に、きゅっと集束していくのが、はっきりと見えた。

 最初は、ただ明るい光の点だったものが、数秒後には、ちりちりと、小さな煙を上げ始めた。


「……焦げてきたわ……! 発火点まで、あと少し……!」


 私は、レンズの角度を微調整し、最も効率よく光が集まるポイントを探る。

 そして。


 ぽっ、と。


 小さな、本当に小さな音を立てて、枯れ葉の先端に、オレンジ色の炎が灯った。

 それは、あっという間に周りの枯れ葉に燃え移り、ぱちぱちと音を立てながら、勢いを増していく。


「……成功よ! マリア、見て! これが、私の『科学魔法』第一号、『太陽光集束式発火法ソーラー・イグニッション』よ!」


 私は、興奮して振り返り、マリアに同意を求めた。

 しかし、彼女は、私が作り出した炎ではなく、その少し横……私が立っていた場所の、すぐ後ろを、その黒い瞳で、じっと見つめていた。


「……お嬢様」

「な、何?」

「お召し物が」

「え?」


 言われて、私は自分のドレスの裾に目をやった。

 そこには、直径5センチほどの、黒い焦げ跡が、ぽっかりと空いていた。


「……あ」


 どうやら、実験に夢中になるあまり、レンズの焦点が、一瞬だけ、自分の足元にずれていたらしい。

 公爵令嬢のドレスに、穴を開けてしまった。

 ……まあ、このドレスも、もはや追放された身の私には、何の価値もない遺物のようなものだけれど。


「……次からは、もう少し、周りに注意を払います」

「それが、よろしいかと」


 マリアの、どこまでも平坦な声が、私の浮かれた心に、冷静さを取り戻させてくれた。


「さて、と! 火の次は、水よ、水!」


 私は、気を取り直して、次の実験へと移ることにした。

 先ほど起こした火は、マリアが、いつの間にか用意していたバケツの水で、手際よく消し止められていた。本当に、仕事の早いメイドだ。


「いい、マリア? 普通の水の魔法は、こうやって、水の塊を飛ばすだけ。これじゃあ、魔物をちょっと濡らして、不快にさせるくらいしかできないわ」


 私は、実演とばかりに、手のひらの上に水の玉を作り出し、それを近くの木の幹に向かって、ぽい、と投げつけた。

 ばしゃん、と情けない音を立てて、水は木の幹を濡らしただけで、だらりと地面に流れ落ちていく。何の威力もない。


「これでは、武器にはならない。でも、ここに『圧力』という概念を導入すれば、話は変わってくるのよ」

「……あつりょく」

「ええ。同じ量の水でも、それを細く、鋭く、そして高速で射出すれば、岩をも断ち切る、恐ろしい刃物になるの。前世では『ウォータージェットカッター』と呼ばれて、工業分野で広く利用されていた技術よ」


 私は、再び右手を前に突き出した。

 今度は、先ほどよりも、もっと繊細なコントロールが必要だ。

 イメージするのは、注射器。ピストンで液体に圧力をかけ、先端の細い針から、勢いよく噴出させる、あの原理だ。


「まず、手のひらの内部に、密閉された水の空間を生成する……。そして、その後ろから、魔力で作った見えないピストンで、一気に、この水を押し出す! 射出口は、針の先端のように、極限まで細く絞って……!」


 私の手のひらに、再び水が集まってくる。しかし、今度は球体ではない。ごく微量な水が、私の人差し指の先端、その一点に、ぎゅっと凝縮されていくのが、魔力を通して感じられた。


「……いくわよ! 『高圧水流ウォーターカッター』!」


 私が叫んだ瞬間。

 人差し指の先端から、シュッ! という、鋭い音と共に、ほとんど目に見えないほどの、細い水の線が、一直線に射出された。

 その線の先。

 10メートルほど離れた場所にあった、先ほどの木の幹に。


 すぱん、と。


 まるで、熱したナイフでバターを切るかのように、綺麗な、一直線の切れ込みが、深々と刻み込まれた。

 数秒後、その木は、ぎぎぎ、と嫌な音を立てて傾き始め、やがて、どしん、という重い音を立てて、地面に倒れたのだった。


「……」

「……」


 私とマリアは、しばし、その光景を、無言で見つめていた。

 直径30センチはあろうかという木が、一瞬で、切断されてしまった。

 これは……。


「……ちょっと、威力が高すぎた、かしら……」


 私の予想を、はるかに上回る結果だった。

 これなら、ボアビーストの硬い皮も容易に切り裂くことができるだろう。いや、下手をすれば、真っ二つにしてしまうかもしれない。


「……お嬢様」

「は、はい」

「今後は、威力は加減してお使いください」

「……はい。肝に銘じます」


 マリアの、静かだが、有無を言わせぬ忠告に、私は、こくこくと頷くことしかできなかった。



「ふぅ……。これで、攻撃手段の目処は立ったわね」


 私は、額の汗を拭いながら、満足げに呟いた。

 私の『科学魔法』は、見事にその有効性を証明してみせたのだ。これなら、魔物相手にも、十分に渡り合えるだろう。

 しかし、と。

 そこで、私は、またしても、ある問題点に気がついた。


「……でも、これって、あくまで攻撃手段よね。魔物の攻撃を防ぐための、防具はどうするの? それに、崖を登るための道具は……」


 結局、問題は、振り出しに戻ってしまった。

 私の魔法は、あくまで『力』を生み出すものであって、『物』そのものを生み出すことはできない。

 革の鎧や、丈夫なロープを、魔法でぽんと作り出すなんて、そんな都合の良いことは、できそうになかった。


「……どうしましょう、マリア。やっぱり、私たちの冒険は、ここで終わりなのかしら……」


 私が、再びがっくりと肩を落として、メイドに泣きついた、その時だった。


「ご心配には及びません、お嬢様」


 マリアは、どこまでも落ち着き払った声で、そう言った。


「冒険の準備でしたら、すでに整っております」

「……え?」


 私が、ぽかん、として彼女の顔を見つめていると、彼女は、すっ、と、館の玄関の方を、その指で示した。


「こちらへ」


 言われるがままに、私はマリアの後について、玄関ホールへと向かった。

 そして、そこに広がっていた光景に、私は、本日三度目となる、驚愕の声を上げることになる。


「な……な……!?」


 玄関ホールの、埃っぽかったはずの床の上に。

 そこには、まるで、これからキャラバンでも出発するのか、というほどの、大量の冒険道具一式が、整然と並べられていたのだ。


 身体のサイズに合わせて作られたであろう、動きやすそうな革の鎧が、二着。

 腰に下げるための、鋭く研がれたナイフと、その鞘が、二組。

 何十メートルもありそうな、太くしなやかな麻のロープ。

 岩の割れ目に打ち込むための、ピトンと思わしき、鉄製の杭と、それを叩くための金槌。

 その他、水筒、携帯食料、応急手当のための薬草や包帯、着火用の火打石、方位を知るための方位磁石に至るまで。

 およそ、森や崖、洞窟を冒険するのに必要と思われる、ありとあらゆる道具が、最高度のコンディションで、そこに揃えられていた。


「……マリア……。これ、は……?」


 私は、呆然としながら、その一つ一つを、指でなぞった。

 革の鎧は、なめらかで、驚くほど軽い。重要な部分は、鉄の小片で補強されており、防御力も高そうだ。ナイフの刃は、吸い込まれるように鋭く、ロープには、一筋のほつれもない。

 どれもこれも、素人が用意できるような品物ではなかった。王都の一流の職人が、長い時間をかけて作ったとしか思えない、一級品ばかりだ。


「……あなた、これを、一体どこで……?」


 私の問いに、マリアは、いつも通りの無表情で、静かに答えた。


「村へ情報収集に赴いた際に、手配いたしました」

「手配って……! こんな辺境の村に、こんな見事な装備が、そう簡単に売っているわけないでしょう!?」

「村の鍛冶屋と、革なめし職人、そして行商人の方に、少々『無理』を言って、一晩で、特別に作っていただきました」

「一晩で!?」


 もはや、常識が、マリアという存在の前で、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

 彼女は一体、どんな『無理』を言えば、職人たちに、これだけのものを、一晩で作り上げさせることができるというのだろう。

 まさか、脅迫でも……?

 いや、彼女なら、やりかねない。


「代金は、私が個人的に所持しておりました、いくつかの装飾品と、情報で」

「……情報」

「はい。鍛冶屋には、より少ない燃料で、より高い温度を生み出す、新しい炉の構造図を。革なめし職人には、なめし工程の時間を、半分に短縮できる、特殊な薬草の配合リストを」

「……」


 私は、もう、何も言う気が起きなかった。

 彼女の知識と能力は、すでに、メイドという職業の範疇を、完全に逸脱している。

 彼女は、何者なんだ。

 いや、もう、考えるのはやめよう。

 きっと、彼女は、そういう生き物なのだ。

 マリアという名の、スーパーメイドという、新種の生命体なのだ。

 そう思うことにした。


「……ありがとう、マリア」


 私が、ようやく絞り出した言葉は、ただ、その一言だけだった。


「あなたがいれば、私たちの計画は、本当に、実現できるかもしれないわ」

「当然でございます」


 マリアは、静かに、しかし、はっきりと、そう断言した。

 その黒い瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、確かな自信と、そして、私への絶対的な信頼の色が、灯ったように見えたのは、きっと、気のせいではないだろう。


「さあ、お嬢様。着替えを」


 マリアは、そう言うと、手際よく、私に革の鎧を身につけさせていく。

 窮屈なドレスを脱ぎ捨て、動きやすいシャツとズボンの上に、しなやかな革の鎧を纏う。腰には、ずしりと重いナイフ。背中には、冒険道具が詰まった背嚢を背負う。

 その姿は、もはや、アシュフォード公爵令嬢の面影など、どこにも残っていなかった。

 そこにいるのは、未知のうま味を求めて、これから危険な冒険へと旅立とうとする、一人の探求者の姿だ。

 マリアもまた、メイド服の上から、同じように革の鎧を身につけている。その姿は、驚くほど様になっており、まるで、どこかの国の特殊部隊の隊員のようだった。


「準備は、よろしいでしょうか」

「ええ。いつでも、出発できるわ」


 私たちは、顔を見合わせ、こくりと頷いた。

 そして、古びた洋館の重い扉に手をかける。


 この玄関の向こうには、最初の目的地である『嘆きの森』へと続く、険しい道が待っているはず。

 私の胸は、少しばかりの不安と、それをはるかに上回る大きな期待で、いっぱいだった。


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