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追放令嬢は、化学調味料で異世界の食文化を革命する!~100%人工のうま味で背徳の日本食を広めます!~  作者: 速水静香
第二章: うま味への旅

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第八話:机上の空論

 古びた洋館はどんどん遠くに遠ざかっていく。

 やがて、私たちは第一の目的地である『嘆きの森』へと足を踏み入れた。革の鎧はまだ身体に馴染まず、少しぎこちない。

 けれど、窮屈なドレスから解放された身体は驚くほど軽く、これから始まる冒険への期待に私の足取りは自然と弾んでいた。


「見て、マリア! この土壌! 腐葉土が豊かで、適度な湿り気と粘り気があるわ。植物の生育には最適な環境ね。きっと美味しいきのこがたくさん生えているに違いないわ!」


 私は道端の土をひとつまみ指でこねながら、目を輝かせて言った。公爵令嬢が見せるべき姿ではないかもしれないけれど、今はそんなことどうでもいい。私の内なる研究者の血が、未知のフィールドを前にして騒いでいるのだ。


「はい、お嬢様。ですが、食用に適さないものも多いかと。ご注意ください」

「分かっているわよ。まずは、私たちの第一目標、ボアビーストの痕跡を探すのが先決ね」


 森の中は、想像していたよりもずっと静かだった。木漏れ日がまだら模様を地面に描き、時折、名前も知らない鳥の鳴き声が聞こえてくるだけ。鬱蒼とした木々が、外界の喧騒を全て遮断してしまっているかのようだった。


「それにしても、見事な森ね。生態系のバランスが、非常に高いレベルで保たれているのが分かるわ。食物連鎖の頂点に、あのボアビーストが君臨しているのでしょうね」


 私が感心したように言うと、マリアは周囲への警戒を一切解くことなく、私の数歩後ろを静かについてきていた。彼女のその姿は、メイドというよりは熟練の護衛騎士のそれに近い。


「お嬢様。ボアビーストは極めて獰猛な魔物です。決して、油断はなさいませんように」

「ふふ、大丈夫よ、マリア。私にだって、考えがあるんだから」


 私は自信たっぷりに微笑んでみせた。そう、ただ闇雲に森の中をさまようつもりなど、毛頭ない。私には、前世で培った科学知識という、最強の武器があるのだから。

 私たちはしばらく、森の奥へと慎重に進んでいった。すると、不意にマリアがぴたりと足を止めた。


「お嬢様。あれを」


 彼女が指し示した先を見ると、地面に巨大な獣の足跡が、くっきりと残されていた。蹄の形。その大きさは、私の顔よりも大きい。


「間違いないわ……! ボアビーストの足跡よ!」


 私は、まるで貴重な化石でも発見した考古学者のように、その足跡の前にしゃがみ込んだ。


「素晴らしいわ、マリア! これは、情報の宝庫よ!」

「……足跡が、でございますか」

「そうよ! 見て、この足跡の深さ!それから、歩幅!土の硬度から逆算すれば、この個体のおおよその体重と、移動速度が算出できるのよ!」


 私は懐から羊皮紙と炭の芯を取り出すと、その場で何やら複雑な計算式を書き殴り始めた。


「ええと、足跡の面積がこれくらいで、土の反発係数を……仮に0.8とすると……ふむふむ、なるほど。このボアビーストの推定体重は、約800キログラム。時速40キロメートルで突進してきた場合、その衝撃力は……乗用車が壁に激突するのと、ほぼ同じくらいのエネルギーになるわね!」

「……じょうようしゃ?」

「あ、いえ、気にしないで。とにかく、とてつもない破壊力だということよ」


 私は計算結果に満足げに頷くと、今度は足跡の周りの植生に目を移した。近くの木の幹には、巨大な牙で削られたような、生々しい傷跡が残っている。


「それから、この食み跡を見るに、この個体の主食は、この森に自生している『ドングリダケ』という、栄養価の高いきのこのようね。そして、この牙の跡の高さから、体高は約1.8メートル。行動範囲は、このドングリダケの群生地を中心に、半径5キロメートル圏内と推定できるわ」


 次々と導き出される科学的な分析結果に、私は興奮を隠せなかった。まるで、犯人が残した証拠品から、その人物像をプロファイリングしていく名探偵のようだわ!


「どう、マリア? これだけのデータがあれば、狩猟計画を立てるのは、簡単なことでしょう?」

「……はあ。左様でございますか」


 マリアの返事は、いつも通り平坦だった。彼女のその無表情の奥で、果たして私のこの素晴らしい推理を理解してくれているのだろうか。まあ、いいわ。今は、私の独壇場なのだから。


「いい? これから、私たちの取るべき作戦を説明するわ。名付けて、『熱力学第二法則と運動量保存の法則を利用した、超効率的ボアビースト捕獲作戦』よ!」

「……大変、長ったらしい作戦名でございますね」

「要点を簡潔に表現した結果よ! まず、私たちはこの先の、地形が少し開けた谷間へと、ボアビーストを誘導するわ」


 私は、マリアが作ってくれた地図を広げ、ある一点を指さした。


「この谷は、入り口が広く、奥に行くほど狭くなっている、いわゆる漏斗状の地形。ここに誘い込めば、ボアビーストの動きを、ある程度制限することができるわ」

「はい」

「そして、私が谷の入り口で、陽動を行う。私の『科学魔法』で、派手な音や光を出して、ボアビーストの注意をこちらに引きつけるの。獰猛な性格なら、必ずや私に向かって、一直線に突進してくるはずよ」

「……お嬢様が、囮に?」


 マリアの黒い瞳が、ほんのわずかに、私を咎めるように細められた気がした。


「もちろん、ただ突っ立っているわけじゃないわ。ちゃんと計算しているんだから。ボアビーストの最高速度と、谷の入り口までの距離から、私が安全に回避できるタイミングは、簡単に割り出せるわ。その誤差は、だいたいプラスマイナス0.5秒以内よ」

「……」

「そして、ボアビーストが私を追いかけて、谷の最も狭いポイントを通過する、その瞬間! マリア、あなたの出番よ!」

「私の、でございますか」

「ええ。あなたは、谷の側面の崖の上、ここに隠れて待機していてちょうだい。そして、ボアビーストが真下を通過するタイミングで、これを落とすの!」


 私がそう言って、背嚢から取り出したのは、マリアが用意してくれた、あの太くて丈夫な麻のロープだった。


「これは、ただのロープじゃないわ。私が、特殊な結び方を施した、特製の『拘束用ネット』よ!確実に対象の動きを封じるための完璧な罠なの!」

「……」

「ボアビーストの巨体と突進力をもってすれば、普通の罠など、たやすく引きちぎられてしまうでしょう。でも、このネットは違う。結び目の一つ一つが、かかる力を分散させ、全体で衝撃を受け止めるように設計されているの。理論上は、これで数秒間、動きを止めることができるはずよ」

「……数秒間、でございますか」

「その数秒が、勝負を決めるわ! 動きを止められたボアビーストは、一瞬だけ、その巨大な頭を無防備に晒すことになる。そこを、私が狙うの!」


 私は、腰に下げたナイフの柄を、ぱん、と叩いた。


「いいえ、こんな小さなナイフじゃないわ。私の、とっておきの『科学魔法』で、とどめを刺すのよ! 例の『ウォーターカッター』を、最大出力で、眉間に叩き込んでやるわ!」


 どうだ、と言わんばかりに胸を張る私を、マリアは、やはり何の感情も浮かべない顔で、じっと見つめていた。


「……以上が、私の立てた計画の全貌よ。何か、質問は?」

「……一つ、よろしいでしょうか」

「何かしら?」

「まことに僭越ながら申し上げますと、机上の空論、という言葉を、ご存知で?」

「……えっ?」


 予想外の、あまりにも辛辣な返答に、私は思わず聞き返してしまった。


「いえ。お嬢様の計画は、寸分の狂いもなく、完璧なものであると、感服いたしました。このマリア、お嬢様の指示通りに、動かせていただきます」

「そ、そうね……。それなら、いいのだけれど……」


 どうにも、釈然としない。マリアの言葉には、棘があるどころか、もはや氷のような鋭さがあったような気がする。

 しかし、私の計画に、一点の曇りもないことは事実だ。

 あらゆるリスクを想定し、物理法則に基づいて導き出した、最も合理的で、最も安全な狩猟計画。

 これ以上、何を望むというのだろうか、いやない。


「……まあ、いいわ。百聞は一見にしかず、よ。私の理論が、いかに正しいか。これから、その身をもって、証明してあげるわ!」


 私は、ぷい、とそっぽを向くと、地図に記した谷間へと、ずんずんと歩き出した。

 私の後ろを、マリアが、ため息ともつかない、小さな息を吐きながら、ついてくる気配がした。



 計画の実行場所である谷間に到着した私たちは、早速、準備に取り掛かった。マリアは、驚くべき身軽さで、高さ10メートルはあろうかという崖を、すいすいと登っていく。ロープも何も使わずに。もはや、人間というよりは、猿か何かのようだ。

 崖の上、私が指定したポイントに身を潜めた彼女が、小さく合図を送ってくるのを確認し、私は、ごくり、と喉を鳴らした。


「さて、と……。いよいよ、作戦開始ね」


 私の役目は、陽動。

 この谷の入り口で、ボアビーストをおびき寄せることだ。

 私は、深呼吸を一つすると、意識を集中させた。

 まずは、派手な音で、こちらの存在を知らせる。


「空気中の窒素と酸素を、この一点に圧縮して……急激に解放! 衝撃波を生み出す! 『ソニックブーム』!」


 私が右手を前に突き出した瞬間、パンッ! という、空気が破裂するような、けたたましい音が、森全体に響き渡った。木々がざわめき、鳥が一斉に飛び立っていく。

 よし、これだけ派手な音を立てれば、近くにいれば、必ずや気づくはずだ。

 私は、じっと、森の奥に意識を集中させる。


 来た。


 地面が、ごくかすかに、揺れている。

 遠くで、木が、ばきばきとへし折られる音が聞こえる。

 間違いない。こちらに向かってきている!

 私の計算通りだわ!


 ずうん、ずうん、という地響きは、どんどん大きくなっていく。

 やがて、森の木々の向こうに、巨大な黒い影が、その姿を現した。


「……うそ」


 思わず、私の口から、間抜けな声が漏れた。

 そこにいたのは、猪だった。

 確かに、猪ではあった。

 しかし、その大きさは、私の計算を、はるかに、はるかーーーーーに、上回っていた。

 体高は、1.8メートルどころではない。3メートルは優に超えている。推定体重800キロ? 冗談じゃない。その倍、いや、三倍はありそうだ。まるで、小さな家が、こちらに向かって突進してくるかのようだ。

 真っ赤に血走った目が、憎悪に燃えて、まっすぐに私を捉えている。象の牙のように、巨大で湾曲した二本の牙が、土を抉りながら、きらりと光った。


「け、計算が合わない……! なんで……!? あの足跡は、何だったのよ!?」


 パニックに陥る私の脳裏に、一つの可能性が浮かんだ。

 あれは、子供の足跡だった……?

 だとしたら、今、私の目の前にいる、この巨大な個体は……。


 母親、か。


 自分の子供が縄張りを荒らされたと勘違いして、怒り狂っている、と。

 最悪のシナリオだった。

 これでは、計画の前提が、全て根底から覆ってしまう。


「ひっ……!」


 私の思考が停止した、その一瞬。

 ボアビーストは、もはや目と鼻の先まで、迫っていた。

 ドガガガガガガッ! という、もはや地響きというよりは、地震に近い轟音と共に、その巨体が、私めがけて突っ込んでくる。


「ま、待って! 計画では、ここで私が華麗に回避するはず……!」


 しかし、身体が動かない。

 あまりの恐怖と、圧倒的な質量を前にして、体がまったく動かせないのだ。

 迫りくる、死の塊。

 牙が、私の身体を貫くまでの時間が、やけにゆっくりと感じられた。


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