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追放令嬢は、化学調味料で異世界の食文化を革命する!~100%人工のうま味で背徳の日本食を広めます!~  作者: 速水静香
第一章: 追放の果てに芽生える野望

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第五話:錬金術は化学の親戚

 マリアが村へと旅立ってから、私は本格的にこの洋館の探索を開始した。彼女がうま味の素材という『弾丸』を持ち帰ってくるまでに、こちらは実験という名の『大砲』を用意しておかねばならない。研究とは、準備が九割。前世の上司が口癖のように言っていた言葉だ。もっとも、その上司は準備ばかりで一向に実験を始めず、最終的に窓際に追いやられていたけれど。


 私は反面教師として、すぐに行動を開始した。

 まずは一階からだ。玄関ホールは、蜘蛛の巣がまるで前衛芸術のように張り巡らされ、床には埃がふんわりと積もっている。追放先の館としては、実にクラシカルでよろしい。私の美的センスには合わないけれど。


「リビング、応接間、ダイニング……どこもかしこも似たようなものね」


 独り言を呟きながら、ぎし、ぎし、と鳴る床を踏みしめて進む。どの部屋も、白い布がかけられた家具が置かれているだけ。まるで、持ち主の帰りを待つことなく、静かに死んでしまった巨大な生き物の体内にいるかのようだ。空気はひんやりとして、カビと古い木の匂いがした。

 研究室として転用できそうな部屋は、残念ながら見当たらない。窓が大きく、換気が良さそうな部屋はいくつかあったが、肝心の実験台となるような頑丈な机や、水道設備のようなものが見当たらないのだ。それに、万が一にも火事や爆発が起きた場合、これら木造の部屋では被害が甚大になりかねない。


「やっぱり、水場に近い厨房が第一候補、かな」


 厨房は、この館の中では比較的マシな状態だった。おそらく、私たちが到着する前に、最低限の清掃がなされたのだろう。それでも、壁はすすで黒ずみ、石造りのかまどはひび割れている。井戸から水を汲み上げるためのポンプは、ぎい、と錆びついた悲鳴を上げた。


「うーん……悪くはないけど、良くもないわね。何より、ここはマリアの仕事場。私の実験で汚染するわけにはいかないわ」


 それに、厨房で得体のしれない液体を煮詰めたり、異臭を放つ実験を繰り返したりしていては、これから作るであろう素晴らしい料理の風味を損なう可能性がある。それは本末転倒というものだ。

 一階の探索を終え、私は中央階段で二階へと向かった。寝室や書斎が並んでいるが、こちらも状況は芳しくない。書斎にはいくつかの本が残されていたが、そのほとんどが貴族の系譜や紋章学に関するもので、私の研究の役には立ちそうもなかった。


「この辺境の動植物に関する図鑑の一つでもあれば、と思ったけど……まあ、仕方ないわね」


 マリアの情報収集能力に期待するしかない。

 そうして、館の主だった部屋を全て見て回り、結局めぼしい成果は得られなかった。

 私はため息をつきながら、一階の廊下を歩いていた。その時だった。


 こん、と。

 つま先が、床の一部に硬い感触を伝えた。

 何気なく足元を見ると、そこだけ床板の色がわずかに違う。長方形の形に、うっすらと線が入っているのが見て取れた。


「これは……床下の収納庫かな?」


 貴族の屋敷では、食料品やワインなどを保管するために、床下に貯蔵庫が設けられていることがある。私は、その床板の隙間に指をかけ、ぐっと力を込めて持ち上げてみた。

 ず、と重い音を立てて持ち上がったのは、床板ではなく、床に埋め込まれた扉だった。

 下へと続く、石造りの階段。ひんやりとした、土とカビの匂いがむわりと上がってくる。


「地下室……ね」


 私の知的好奇心が、ちりちりと音を立てて刺激されるのを感じた。こういう場所には、往々にして面白いものが眠っているものだ。前世でも、大学の古い資料室の地下で、年代物の遠心分離機を発見した時の興奮は忘れられない。


 私は、壁にかかっていた燭台から蝋燭を一本拝借すると、火を灯し、その薄暗い階段を慎重に下りていった。

 階段は十数段ほどで終わり、石で舗装された床にたどり着く。蝋燭の頼りない光が照らし出したのは、だだっ広い、がらんとした空間だった。壁際には、空になった木箱や樽が、無作に積み上げられている。やはり、ただの物置だったか、と少しがっかりした、その時。


 奥の方に、もう一つ扉があるのが見えた。

 重厚な、木の扉だ。

 私は、そちらへゆっくりと歩を進めた。扉には、錆びついた鉄の格子窓がはまっている。そこから中を覗き込むと――。


「……まあ!」


 私は、思わず歓喜の声を上げた。

 そこに広がっていたのは、まさしく宝の山だった。


 部屋の中央には、レンガで組まれた大きな炉。そこから伸びる煙突は、天井を突き抜けている。壁一面に作り付けられた棚には、大小さまざまなガラス器具が、埃をかぶってずらりと並んでいた。

 丸底のフラスコ、首の長いレトルト、天秤、乳鉢、そして、複雑な形状のガラス管がいくつも組み合わされた、巨大な蒸留装置。

 床には、何かの鉱石や、干からびた植物の束が散乱している。壁には、理解不能な記号や図形が描かれた、羊皮紙のチャートが何枚も貼られていた。

 独特の、薬品と硫黄の匂いが、部屋に満ちている。


「これは……錬金術工房ね!」


 間違いない。かつてこの館に住んでいた誰かが、人知れずここで研究に没頭していたのだろう。

 この世界の錬金術がどのような理論体系に基づいているのか、私は詳しく知らない。四大元素がどうとか、賢者の石がどうとか、そういった神秘主義的な思想が中心である、という程度の認識だ。

 しかし、そんなことは、今の私にとってはどうでもいい。


「見て、この素晴らしい器具の数々を!」


 私は、誰に言うでもなく、興奮に声を弾ませた。

 埃まみれのフラスコを、そっと手に取る。優美な曲線を描くそのフォルムは、前世で使っていた無機質な工業製品とは、また違った趣がある。


「確かに、精度や耐久性はお粗末なものでしょうけど、分離、精製、合成という化学の基本操作を行うには、これで十分事足りるわ!」


 そうだ。

 錬金術とは、いわば化学の親戚のようなもの。

 目指すゴールが『黄金』や『不老不死の霊薬』といった、非科学的なものであるだけで、その過程で行われている操作は、物質を理解し、その性質を変化させようとする、極めて化学的なアプローチなのだ。

 こんな素晴らしい研究室が、手付かずの状態で残っていたなんて!

 もはや、この追放は神の思し召しとしか思えない。私に、この地で化学の福音を広めよ、という天啓なのだ!


「ふふ、ふふふ……ああ、素晴らしい! なんて素晴らしいのかしら!」


 私は、工房の中をスキップするように歩き回った。ドレスの裾が、床の埃を舞い上げるのもお構いなしだ。

 ああ、早く実験がしたい!

 マリアが帰ってくるまで、待っているなんて、とてもできそうにない。

 彼女が持ち帰ってくるであろう、一級品のうま味素材を調理する前に、まずはこの旧式の器具の性能を確かめ、使い方に慣れておく必要がある。

 そう、これは予備実験。本番を成功させるための、重要な準備段階なのだ。


 私は、自分にそう言い訳をすると、早速、手元にあるもので実験を開始することにした。

 幸い、厨房には、私たちが食べるための最低限の食料が残されている。その中から、うま味成分を抽出できそうなものを探すのだ。


 私は、再び地下室の階段を駆け上がると、意気揚々と厨房へと向かった。

 食料庫の棚を漁ると、いくつか使えそうなものが見つかった。

 一つは、干し肉。何の獣の肉かは分からないが、乾燥させることで、うまみ成分であるイノシン酸が凝縮されている可能性がある。

 もう一つは、干からびた野菜くず。玉ねぎの皮や、人参のヘタのようなものだ。これらには、グルタミン酸が含まれているかもしれない。


「上等とは言えないけど、予備実験の材料としては十分ね」


 私は、それらの材料を適当な籠に入れると、再び地下の錬金術工房へと戻った。

 まずは、工房の清掃からだ。フラスコやビーカーを、井戸水で丁寧に洗浄し、蜘蛛の巣を払う。幸い、ひび割れているものは少なく、まだまだ現役で使えそうだ。


「さて、と。それじゃあ、グルタミン酸抽出実験、第一回目を始めるわよ!」


 私は、白衣の代わりに、近くにあった汚れてもよさそうな麻布のエプロンを身につけると、ぱん、と景気づけに手を叩いた。

 まずは、材料の粉砕。乳鉢に干し肉と野菜くずを入れ、乳棒でゴリゴリとすり潰していく。貴族令嬢がやるような作業ではないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 ある程度細かくなったところで、それを大きめのフラスコに入れ、水を加えてかき混ぜる。


「うま味成分は、水溶性。まずは、水に溶かし出すことが第一歩ね」


 次に、加熱だ。

 私は、工房の隅にあった木炭を炉にくべ、火打石で火を起こした。ぱちぱち、と炎が燃え上がるのを満足げに見届けると、フラスコを金網の上に乗せ、ゆっくりと加熱を開始する。


「ここでのポイントは、沸騰させないこと。タンパク質が変性して、うま味成分がアクとして固まってしまいますからね。摂氏60度から80度あたりを、じっくりと維持するのが理想的……」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、フラスコの中の液体をガラス棒でかき混ぜる。温度計などという便利なものはないので、フラスコに触れた時の熱さや、液体の揺れ具合で、温度を推測するしかない。まさに、経験と勘が頼りの、前時代的な実験だ。

 しかし、それがまた、面白い。


 数時間後。

 フラスコの中の液体は、茶色く濁り、なんとも言えない、だしがらのような匂いを放っていた。

 私は、火から下ろしたフラスコを、布で濾して不純物を取り除く。

 濾された液体は、まだ濁ってはいるが、先ほどよりはずっと透明感のある、琥珀色をしていた。

 私は、その液体を指先に少しだけつけて、ぺろり、と舐めてみた。


「……うっすらとだけど、確かにうま味を感じるわ!」


 塩味も甘味もほとんどない、純粋なうま味の萌芽。

 それは、この世界に来て初めて感じる、懐かしい味の片鱗だった。

 成功だ!

 この方法で、グルタミン酸が抽出できることが証明された!


「ふふふ……これはいけるわ! この調子で、次は濃縮と精製よ!」


 私の研究者としての魂は、完全に火がついていた。

 次は、この抽出液から水分を飛ばし、うま味成分の濃度を高める、蒸留の工程だ。

 私は、工房で最も大きく、複雑な形状をした蒸留装置に目をつけた。冷却管が螺旋を描き、複数のフラスコが連結された、見るからに本格的な装置だ。


「これを使えば、効率的に水分を分離できるはず……!」


 私は、抽出液を蒸留用のフラスコに移し、再び炉の火力を上げた。今度は、液体を沸騰させ、蒸気にする必要がある。

 ごぽごぽ、とフラスコの中で液体が泡立ち、やがて蒸気が冷却管へと流れ込んでいく。管を伝って冷やされた蒸気は、再び液体となり、ぽたり、ぽたりと、先端の受け皿へと滴り落ち始めた。

 それは、ほとんど無味無臭の、純粋な水。

 つまり、蒸留用のフラスコの中には、うま味成分がどんどん濃縮されていっている、ということだ。


「素晴らしい! なんて効率的なシステムなのかしら!」


 私は、実験の成功を確信し、夢中になって炉に木炭をくべ続けた。

 もっと火力を上げて、もっと早く!

 一刻も早く、純粋なうま味の結晶をこの手に!

 その欲望が、冷静な科学者としての判断力を、わずかに曇らせていたのかもしれない。


 異変は、突然訪れた。


 ごぽごぽ、と沸騰していたフラスコの音が、きゅうに静かになったのだ。

 そして、代わりに、キィィン、という、ガラスが軋むような、嫌な音が聞こえ始めた。


「……あら?」


 私が、不審に思ってフラスコを覗き込んだ、その瞬間だった。

 フラスコと蒸留管を繋ぐ、ゴム栓のようなものが、ぽん、と軽い音を立てて吹き飛んだ。

 おそらく、急激な加熱によって、フラスコ内の圧力が、想定以上に高まってしまったのだろう。

 そして。


 ドガァァァァァン!!!


 という、鼓膜を突き破るような轟音と共に、私の視界は、真っ白な光と、衝撃波に塗りつぶされた。


 ◇


「……う……ん……」


 意識が、ゆっくりと浮上してくる。

 全身が、じんじんと痺れているようだ。

 鼻をつく、焦げ臭い匂い。

 目を開けると、視界はもうもうと立ち込める黒い煙で、ほとんど何も見えなかった。


「……ごほっ、ごほっ……!」


 私は、激しく咳き込みながら、なんとか身を起こした。

 どうやら、爆風で壁際に吹き飛ばされたらしい。幸い、近くにあった木箱の山がクッションになったようで、大きな怪我はなさそうだ。

 しかし、問題はそこではない。


「あ……ああ……私の、私の研究室が……!」


 煙が少し晴れてくると、目の前に広がる惨状に、私は愕然とした。

 あれほど美しいと思っていた錬金術工房は、見るも無残な姿に成り果てていた。

 中央の炉は半壊し、壁の棚から落ちたガラス器具は、粉々に砕け散っている。あの立派な蒸留装置も、爆発の中心にあったらしく、見る影もない。

 壁のチャートは焼け焦げ、床には、得体のしれない茶色い液体が、べったりと広がっていた。


 実験は失敗だ。

 それも、大失敗。

 私は、しばし、その場に呆然と座り込んでいた。


 その時だった。


 ごとん、と。

 頭上から、何かが落ちてくる音がした。

 そして、がらがら、という派手な音と共に、地下室へと続く扉が、外側から吹き飛んだのだ。


「……お嬢様?」


 煙の向こう側、階段の上から、聞き慣れた、平坦な声がした。


「ご無事で、いらっしゃいますか」


 その声の主は、黒いメイド服に、少しも汚れ一つない姿で、そこに立っていた。

 その手には、猪のような獣の足と、巨大な海藻の束、そして、いくつかのきのこが入った籠を提げている。


「……マリア……」


 どうやら彼女は、村から帰ってきたらしい。

 そして、地下室の扉が固く閉ざされているのを不審に思い、扉ごと蹴破って、中に入ってきた、と。

 そういうことなのだろう。

 彼女なら、やりかねない。


 マリアは、目の前の惨状と、すすまみれで座り込んでいる私の姿を、その感情の読めない黒い瞳で、じっと見下ろしていた。

 そして、数秒間の沈黙の後、静かに、本当に静かに、口を開いた。


「……おひとりでお留守番も、ろくにできないのでございますか」


 その言葉には、非難の色も、呆れの色もなかった。

 ただ、純粋な事実だけを、淡々と告げている。

 それが、逆に私の胸にぐさりと突き刺さった。


 しかし、私は、このまま黙って説教されるような、ただの令嬢ではない。

 転んでも、ただでは起きない。

 それが、研究者という生き物なのだ。


 私は、おもむろに立ち上がると、黒煙の中から、にこりと、満面の笑みを彼女に向けてみせた。

 そして、爆心地の近くに転がっていた、奇跡的に割れずに残っていた小さなフラスコを、高々と掲げてみせた。

 フラスコの中には、焦げ付いて炭のようになった、何かの残骸がこびりついている。


「マリア! 見て!」

「……はあ」

「実験は、成功よ! この焦げ付きこそが! この部屋の惨状こそが、その証! 私は、ついに突き止めたの! この世界の物質から、グルタミン酸を抽出することに、成功したの!」


 私の、あまりにも晴れやかな、勝利宣言。

 それを聞いたマリアは、その美しい顔を、一切の表情を浮かべないまま、ゆっくりと天に向けた。


「……分からない」


 その小さな呟きが、黒煙の中に虚しく消えていくのを、私は確かに、この耳で聞いた。


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