君と心を奪われて 1
夏休みが終わっても、夏の暑さが残るこの季節。本村花菜は学校に向かっていた。
教室に入って、時間割を見た。『軍結団式』と、午後の授業のところに書かれてあった。
花菜はそれを見て嘆息を吐いた。運動と暑さが嫌いな彼女にとって、体育祭というのは地獄に等しい。どうして周りは楽しみだと言えるのか、花菜にとって小学校の運動会の時から疑問であった。
友達なんて居ない花菜にとって、青春の体育祭とは言え難いことだった。
午前の授業が終わり、始まった軍結団式。たくさんの人がぎゅうぎゅうに入っていて、更にエアコンも無い体育館なので暑苦しい。
今年の体育祭の形式について話を聞いた後、花菜の軍は会議室に向かった。会議室はエアコンがついていて、とても涼しい。
「団長の加藤翼です。みんなで最高の楽しい体育祭にしましょう」
一通り応援リーダーの自己紹介を聞いた。因みに花菜のクラスの応援リーダーは栞奈と陽太らしい。そんなの花菜にはどうでもいいことだ。
適当に声出しをしていた。やる気なんて最初から無いのだから。そんな花菜を翼はちゃんと捉えていた。
「そこの子、声出して!」
翼は声を上げたが、本人には届いていなかった。花菜はつまらなそうにため息を吐く。目が死んだ魚のようになっている。
「じゃあ……時間が余ってるので、じゃんけん列車をしよう!」
翼はそう提案した。これであの子は笑ってくれるだろう。そう思ったが、花菜はさらに深いため息を吐いた。
皆がじゃんけんをして列車になっていく中、花菜だけが孤立していた。そんな彼女に最前列の翼は声を掛けた。
「じゃんけんしよう。最初はグー、じゃんけんポンッ!」
翼はグーで、花菜はパーだった。翼は花菜の肩に掴まった。花菜はそれでも真顔だった。
花菜は勝ち続け、ずっと最前列を貫いた。花菜はそんな自分に驚いていた。
「最前列の子、起立」
翼がそう言うと、気だるそうに花菜は立ち上がった。
「最前列の子に拍手を!」
花菜と同学年の子はコソコソと話しながら嫌そうに拍手をしていた。翼はそんな様子に違和感を覚えた。
そして、軍結団式は終わり、それぞれの教室に戻って行く。花菜はまた嘆息を吐いた。
「いいなぁ、団長に話しかけられて。よりによって、何であの女なんだよ。ふざけんな」
「孤独女はさっさと消えてくれって。イケメンと話してるの見てるだけで吐き気がする」
そんな女子の話が聞こえて、花菜は早足で教室に向かった。翼もその話を聞いていて、立ち尽くしていた。
「翼、何してんだよ。さっさと戻るぞ」
「あっ、うん……」
消えたいなぁ。みんなが嫌がる私が居たら、もっとみんなは嫌がるんだろうな。さっさと消えてやろうかな。
この人生をもう一度繰り返すと言われたら私は全力で否定するよ。私はこの世界が大嫌いだ。
花菜は小さな湖のところに来ていた。ここは木で囲まれていて、まるで別世界に居るような気分になれる。
「消えるって、どうすればいいんだろう」
花菜はそう呟いて時、急に激しい雨が降り出した。花菜は適当に近くの空き家みたいなところに入った。すると、中は真っ暗だった。
「誰だ?」
男の声が聞こえて、花菜はビクッと肩を震わせた。人ん家に入ってしまったみたいだ。
「すみません。雨宿りで入ってしまったんです」
「ああ、電気つけるか」
電気をつけた瞬間、花菜は目を見開いた。目の前の人も驚いている。
「団長さん?」
「君は……」
花菜の目の前には翼が居た。驚いている花菜に翼は思い出した。ずっと無表情の子だと。
「俺は白軍団長の加藤翼。君は?」
「私は本村花菜です」
「ふーん。ここは俺の秘密基地さ。誰にも言わないでね」
ベッドも水道も電気もあるこの一軒家が秘密基地には思えない。花菜が何も言えずに固まっていると、翼は言った。
「花菜、俺のことは先輩扱いしないでよ。翼って普通に呼んでくれて構わないよ。もっと笑ったら?」
「えっ?」
「もう、笑えって!花菜は可愛いから大丈夫だよ!」
ジャンプをしながら声を上げる翼に花菜はクスッと笑い出し、大爆笑になっていった。翼は嬉しそうに花菜の笑っている顔を見ていた。
「ほら、笑えるじゃん」
「いやぁ、家では笑えるけど……」
人間関係が崩れてしまえば、学校なんて生き地獄でしかない。あんな抑圧された空間で生きていれば、笑顔も難しくなってきていた。
翼は彼女の言われ様を思い出した。あんなこと言われていれば、笑えなくなるのは当たり前だ。
「もう遅いだろうし、俺が送って行くよ」
「でも……」
「レディファーストって言うじゃん」
花菜は翼の冗談に笑った。女の子扱いされることがないので、なんだかくすぐったい。
秘密基地の外に出ると、雨は上がっていた。二人は暗くなった町を歩き出した。
「花菜。翼って言ってみてよ」
「えっ、君付けじゃダメなの?」
「ダメ!」
翼の我が儘に花菜は苦笑した。先輩だから言いづらいのだ。
「翼……」
「おお!サンキューです!」
「えっ……」
翼のノリに花菜は苦笑いをした。翼のテンションの高さに花菜は付いて行けなくなっている。
そんな他愛ない話をしていると、花菜の家に着いた。普通の一軒家という感じだ。
「じゃあな、花菜。また明日」
「うん、またね。翼」
家に入って行く花菜を見届けた後、翼はため息をついた。久しぶりに家に帰るか。
しばらく歩くと、翼の家が見えた。外観は普通に普通の一軒家だ。
「ただいま……」
「翼、今まで何してたんだよ」
「ちょっと、貴方!」
父親は翼の頭を叩いた。翼は痛みで動けず、玄関に座り込んでしまった。
「この馬鹿が……」
父親はそう言い捨てて、自室に入って行った。母親はため息を吐いた。
「あの人ったら……。翼、ご飯食べようか」
「うん……」
お母さんはちゃんと分かってくれている。俺が家に帰らないのは、お父さんに暴力を振るわれないためだ。
翼はご飯を食べ終えた後、自室にこもっていた。ベッドにバタッと倒れ込んだ。
早く会いたい。早く花菜に会いに行きたい。
次の日の朝。花菜は早く身支度を整えて外に出た。すると、翼が待っていたのだ。
「翼!」
「花菜、おはよう」
隣に居る花菜の母親はあまりのことに絶句している。それは無理もない。花菜に男が居るなんて誰も想像出来ない。
「行ってきます!」
「あっ、行ってらっしゃい……」
花菜と翼は歩き出した。近所の老人達も花菜が男を連れて来ていることに驚いていた。
「朝から来るなんてビックリした」
「会いたかっただけなんだよ。お母さんを驚かせたのは謝るよ」
「私も、そうだけどさ……」
花菜と翼は他愛ない話をしながら学校に向かった。好奇の目で見られているのはなんとなく分かっていた。
玄関で靴を履き替え、二階の階段で別れた。そして、それぞれの教室に向かった。
「あの女、加藤先輩を虜にしちゃったんだって。ヤバいよね」
「気持ち悪っ」
こんなこと言われるのは仕方ない。私が翼と一緒に居るなんて似合わないから。
翼は教室に入ると、女の子が駆け寄って来た。なんとなく分かっていた。
「あの……」
「ごめん。俺には好きな人がいる」
「あっ……」
そう言い捨て、俺は自分の席に座った。前の席の優樹が振り返った。
「またフったんだな。やっぱり、そんなに茜が好きか?」
茜とは、翼の幼なじみである。それ以上でもそれ以下でもない。兄妹の存在だ。
「そんなわけねぇだろ。俺にだって好きな子は居るんだ」
「へぇーそうなんだ。じゃあ、昨日のじゃんけん列車で孤立してた子!」
たぶん、彼は冗談で言ったのだろう。しかし、それはしっかりと意を射ている。黙っている翼を見て、優樹は目を丸くした。
「えっ、嘘だろ……」
「ご名答」
「お前ら、何があったんだよ?」
「教えるわけねぇだろ」
早く授業が終わらないかな。早く花菜に会いたいなぁ。
そして、午後の授業である応援練習が始まった。翼は花菜を見つけて駆け寄った。
「花菜!」
「えっ!」
翼は驚いている花菜の頭を撫でた。花菜を顔を真っ赤にさせていた。
「今日も可愛い」
「可愛くない、です……」
花菜は照れて顔を反らした。イケメンにそんなことを言われたら、どんな女子でも「死ぬ」と答えるだろう。花菜もそんな状態だ。
「白軍団長の加藤さん!早く移動して下さい!」
「あっ、やべっ……」
翼は花菜といじり過ぎて、応援練習のことを忘れていた。翼は花菜の腕を掴んで、走り出した。
「今日も頑張ろうな」
「うん!」
二人の顔はとても輝いていた。




