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エース戦記  作者: 瑞原螢
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ウルフトラップ

 私が今のパーティーのメンバーと会ったのは、今の稼業、つまり「冒険者」と呼ばれる者を始める前ではなかったし、始めてからすぐでもなかった。キトンと出会ったのは言うまでもなくだが、その他の三人、リンクス、エルダー、ウルフトラップ達と出会ったのもそうなのだ。その三人の中で最初に会ったのはウルフトラップなのだが、それ以前の私は、全く別のパーティーに居たのだった。


 そのパーティーのメンバーはごくありふれた構成で、剣士六人とシーフ一人から成っていた。唯一珍しい点は、私を含めて(!)二人の女剣士が居た事だろう。当時の私の相棒だったそのもう一人の女剣士は、年の頃は私と同じぐらいだったが、長い金髪を三つ編みにした、青い瞳の可憐な少女だった。美少女だと言って良いだろう。剣の腕もそれなりに確かで、私と対等かあるいは上だったかも知れない。右手にやや短めのレイピア、左手にバックラーを持って戦う姿は、身のこなしの見事さとも相まって、私のそれとは対照的に優雅でさえあった。


 私がそのパーティーを失う原因となったのは、とある探索での事だった。



 私達はその日、あるゴブリンの洞窟を探索していた。勿論いつも通り、ささいな「宝物」を手に入れるという名目でだ。しかしながらそこは、やたらと罠が多く仕掛けられた洞窟だった。

 幸いな事に、私達のパーティーに居たシーフは腕の立つベテランだった。そのため、私達はそれらの罠に掛かることなく、徐々に洞窟の奥へと進んでいった。が、それは彼がある罠を解除しようとしたときに起こったのだった。


 彼は床に有ったその罠の装置を発見すると、私達を少し離れた所にしゃがませ、自分はその床の所にしゃがみ込んで、その仕掛けを解除しようと試み始めた。が、暫くしたある瞬間、私から僅かに見えていた彼の横顔に、動揺の影が走った。

 ヒョゥッ!

 私達の頭上で不気味な音が鳴った。と、次の瞬間、そのシーフは四方から飛んで来た無数の矢によって体を貫かれていた。彼は、彼自身で最大の、そして最期の失策をしたのだった。


 ただ、彼の名誉のために言っておくが、彼はその死の瞬間までプロ意識を持った誇り高いシーフだった。無数の矢を体に受けたにも関わらず、彼は一言の悲鳴も発さず、音を立てないようにゆっくりと床に倒れ、そして死んでいった。それは、私達の存在を敵であるゴブリン達に知らせないようにするためなのだ。

 紛れもなく、彼はその一生の最期の瞬間まで立派なシーフであったのだ。よく戦争では「良い斥候は死ぬ斥候」と言われるが、「冒険者」、特にシーフ達が自嘲気味に「良いシーフは死ぬシーフ」と言っているのは、こういう意味なのだ。パーティーに降り掛かってくる困難を一早く見つけ、そして、それが避けられないとしても、可能な限り仲間に被害を与えないようにする。それがシーフの最大の役目なのだ。その手の仕事はレンジャーのそれとよく混同されるのだが、決して鍵の掛かった宝箱を開ける事だけが彼らの仕事ではない。だからこそ、腕の良いシーフは、剣士のみならずパーティーのメンバー全員から尊敬されるのだ。

 しかし、私の相棒は恥知らずだった。彼の偉業を全く無駄にしてしまったのだ。


挿絵(By みてみん)

 「きゃあっ!」

 彼女はその状況を見て、反射的に悲鳴を上げていた。洞窟内に響き渡った彼女の悲鳴は、恐らくその洞窟にいたどんな難聴のゴブリンにも聞こえたことだろう。そして、その瞬間から辛うじてそのシーフの死亡を確認するだけの時間の後、私達の洞窟内からの決死の脱出が始まった。


 もしかすると、さっきの罠に何らかの通報装置が付いていたかも知れないが、そんな物より女の悲鳴の方がゴブリン達に対する警報としてははるかに有効だったのだろう。出口へと急ごうとする私達の前には、驚くほど早くゴブリン達が現れた。そして、それと対峙するようにしていると、程なく後方からもゴブリンが迫って来たのだった。


 状況にもよるが、敵に囲まれても脱出だけを目的にするなら、ただ一箇所を突破して逃げることは出来る。ただ問題なのは、この場合、洞窟の中だったということだ。突破しなければいけない方向は決まっているのだ。どこか手薄に見える所を突破すれば良いわけではない。そして、突破する必要がある場所は、相手が最も強力に守りを固めている場所なのだ。

 洞窟の中だからこそ、敵の襲いかかって来る方向も限られているという見方も出来るかも知れないが、少なくともその時は、プラスの要素よりもマイナスの要素の方が大きいとしか思えなかった。


 時間が経てば経つほど状況が不利になるだろうと判断した私達は、即座に強行突破を決めた。六人の剣士が必死に剣を振り、血路を切り開こうとした。勿論、相手の攻撃は正面からだけではない。私達は突破口を開こうとすると同時に、後から襲いかかってくるゴブリン達を食い止める必要もあった。

 私達のパーティは良く戦ったと思う。私も、少なくとも何体かのゴブリンを倒し、別の何体かには戦闘不能になるような傷を負わせたと思う。しかし、私達を取り囲んでいるゴブリンは、一向に減ったようには思えなかった。私が一生の内に見たい数以上のゴブリンがいたかどうかは分からないが、少なくとも一度の探索で見たい数以上はいただろう。確かに良く戦ってはいたのだが、その終わりの見えない戦闘の中で、私達のパーティーは少しずつ傷ついていった。そして、その与えられた傷の内いくつかは、致命傷になったのだ。


 まさに奇跡的な話だが、私達はなんとか脱出することが出来た。辛うじて、ゴブリンの包囲を突破し、追撃を振り切ったのだ。ただ、その奇跡は私達のパーティー全員には起こらなかった。罠で死んだシーフ以外の剣士六人の内、二人は脱出前に戦死し、もう二人はひどい怪我を負っていた。私と相棒は本当に奇跡的にかすり傷程度しか受けていなかったが、味方の血を浴びた血ダルマの状態で、負傷した二人を引きずるようにして脱出してきたのだった。

 行きに洞窟を進んでいく内に私達のシーフが通り道の罠を全て解除しておいてくれたお陰で、帰りは罠を気にする事無く戻れたのだが、もし罠が残っていたとしたら、私達はいとも簡単に全滅していたかも知れなかった。


 私と相棒はすぐに街の病院へと負傷者を担ぎ込んだ。血まみれの人間が血まみれの怪我人を担ぎ込んだのだから、そこの医者もギョッとしただろうが、私達の方はそんな事を気にしていられるような余裕は無かった。

 残念な事に、怪我人の片方は手当ての甲斐なく息を引き取った。が、もう片方は、数日間に渡って生死の境を彷徨っていたものの、なんとか一命を取り止めた。


 その怪我人が充分に回復するまで、私と相棒はその街に留まる必要が有ったので、私達は些細な仕事をこなして宿泊費などを始めとした生活費を賄っていた。その間、相棒は自分のしでかした失敗の大きさが分かっていただけに、ひどく落ち込んだきりだったが、私もその失敗が導いた結果の重大さが分かっていただけに、慰める言葉も見つからなかった。

 しかし、かと言って彼女を責めようという気も起きなかった。彼女の失敗は私達なら誰もが起こし得る失敗でもあったからだ。それを、今回はたまたま彼女が引き起こしてしまったのかも知れない。

 だが私は、前に言った「私の相棒は恥知らずだった」という言葉を撤回するつもりは無い。彼女には可哀相かも知れないが、その言葉自体が、私のそういった失敗に対する恐怖の現れであり、また、「冒険者」という者を続ける上で、自分自身に対する戒めでもあるからだ。


 怪我人の回復にはかなりの時間が掛かった。それは、私達の精神面に少なからず悪影響を与えたように思える。というのも、時間を持て余し気味だったからなのだ。

 起きていては、今回の失敗の事や「冒険者」を続ける事の意義に関するとりとめの無い考えが頭の中を巡り、床についてからも、それらの事を一度考え出すとなかなか寝つけず、眠りに入れたとしても、あの時の光景が文字通り悪夢となって現れてうなされる事になったのだ。私は、そんな状況が嫌でたまらなく、仕方無く、昼の間はわざと忙しく仕事を探して働き、夜になっても、夢を見る余裕が無いほどに疲れてから――余り疲れていない場合は、剣の素振りなどをして疲れてから――眠るようにしていた。


 私は敢えて、これからの事を彼らに聞かないようにしていたのだが、ついに、それを聞かなければならない日が来た。辛うじて命を取り止めたその剣士が、充分と思われるほどまでに回復したからだ。

 彼らの答えは実に簡単だった。「冒険者」をやめるという事だったのだ。私の相棒の方は前回の探索の直後からそう考えていたそうだが、怪我から回復した彼は、その回復に掛かった長い時間の中で私と同じような悩みや悪夢にさいなまれ、結局、「冒険者」を続けていく自信が無くなったのだと私に告白した。

 私はその答えが残念で仕方が無かったが、引き止めようともしなかった。私も、相棒と以前と同じように接する事は出来そうになかったし、もう一人の剣士と同じく、「冒険者」を続けていく自信も無かったからだ。


 「すまんな。だが、今の俺じゃ足手まといにこそなれ、君の力にはなれないんだ」

 「分かってるわ。仕方の無い事……」

 それが、その剣士と私の交わした最後の会話だった。彼は申し訳無さそうにしながらも、背を向けると振り返る事無く去っていった。

 「あなたにも、死んだ仲間にも悪いけど……」

 私が相棒から聞いた最後の言葉はそれだった。私は、そう言って去っていく彼女の背中に向かって言葉を発することは出来なかった。


 こうして私はパーティーを失ったのだった。

 それでも「冒険者」をやめる気にならなかったのは、何故だかはっきりしない。それは、私の体を流れる血に由来するのかも知れないし、あるいは単に、その程度の決断さえ出来ない程に精神的にまいっていたのかも知れない。ただ、いずれにせよ、私がこの時点で「冒険者」をやめなかったという事実だけは残ったのである。



 しかし、冒険者をやめなかったと言っても、単に私本人がやめなかったと言っているのに過ぎない。いくら私が精神的にまいっていようが、一人で探索をするほど無謀ではないし、いくら私が頭は良くないと言っても、一人で探索が出来ると思うほど馬鹿でもない。果たして、探索をしない冒険者の事を「冒険者」と呼べるだろうか? もし、羽の代わりに腕が生えていて、空を飛ぶことも出来ず、物を掠め取ることもしないハーピーの事を「ハーピー」と呼ぶことが出来るなら、それでもいいだろう。ただ、その場合の「冒険者」も「ハーピー」も、その名の持つ意味を全うできる者ではないのだ。


 「冒険者」たる冒険者としてそれを続けるために、私は新しいパーティーを見つける必要があった。いや、厳密には、私を必要としてくれるパーティーに出会うことが必要だった。そのために、私は街に留まる事にした。その街は、質はともかくとして、通りかかる冒険者の数は多かったからだ。


 ただ、街に留まるためには、当然、それなりの金が必要だった。そう多くではないにせよ、なんらかの稼ぎが必要だったのだ。

 冒険者向きの、かつ、一人で出来る仕事など、そう多くは存在しない。賞金首狩りなどは数少ないそれらの内の一つだが、そもそも、賞金首などそう沢山いるわけではないし、一人でそうそう簡単に捕まえられるものではない。もしそうだったら賞金首になどなり得ないのだから。

 そんな訳で私は、冒険者向きではない(そして、私向きでもない)些細な仕事もするなどして最低限の稼ぎを得つつ、この街に留まる事にした。

 酒など殆ど飲まない(飲めない訳ではないが……)私が毎日のように酒場に通っていたのも、勿論、私を必要としてくれるパーティーを待つためだった。


 こういう言い方は好きではないのだが、事実として、女の冒険者は「女である」という事だけで仲間を集めにくい。それは、男の冒険者達にとって、女の冒険者は扱いにくい存在だと思われているからだ。ある面でそれは事実ではある。多くの場合、冒険者としては女の方が男より能力的に劣っているのだ。その多くは生まれつきの事で、男の方が力があるとか、女の方が体調が不安定(月経によるものなども含む)なのでパーティーのスケジュールに影響を与え易いとかいう事だ。勿論、部分的に女の方が優れている点も無い訳ではないが、総合的、そして一般的には、女の冒険者は男の冒険者よりも劣っていると思われているのだ。

 あるパーティーにとって能力的に劣った者を仲間にするという事は、それだけ自分達の身を危険に曝すことになる。そういった面から見れば、(一般的には)女の冒険者を仲間にしたがらない理由も納得できる。勿論、その手の「女冒険者嫌い」には、かなりの偏見が入っている事も少なくないが、私としてはそんな事に関して論戦を繰り広げてまでパーティーに入ろうとは思わない。そういった「女冒険者嫌い」の連中は先入観念でそう思っている事が多く、そういった輩に対して説得を試みても、巧く行かないどころかかえって感情を逆なですることになる方が多いからだ。

 そんなわけで、私はもっぱら受動的に、必要としてくれるパーティーを待っていたのだ。しかし、ただ酒場にいるだけでは待っている事にはならない。女が一人で酒場にいるだけでは、それこそ売春婦などに間違えられかねない(もっとも、こんなに色気も飾り気もない女を売春婦だと思うようなイカレた輩がいたとしての話だが……)。それなりの自己主張、つまり、いかにも冒険者だと分かるような格好――探索に出る時程ではないにせよ、それなりの武器や防具を装備した格好。幸いな事にその街は、ある程度までなら武器をぶら下げて街中を歩いていても罰せられる事の無い法律を施行していたのだ――をして酒場にいたのだ。


 しかし、売春婦に間違えられる事は無かったものの、いわゆる「ひやかし」に遭う事は度々あった。最初からパーティーに加えるつもりなど無いにも関わらず、その(少なくともこの地方では)珍しい「女冒険者」にちょっかいを出してくるのだ。本来、そういった連中には関わらないのが良いのだが、無視したら無視したでかえって逆上してつっかかってくる事も少なくない。なので、適当にからかわれているふりをしておくのが一番無難なのだが、私の性格だとそれもなかなか難しいらしく、時折、ちょっとしたもめ事に発展したりもした。

 ウルフトラップと私が最初に会った時の、彼の私に対する最初の態度も、やはりからかい半分だったと言えるだろう。そしてその時は、パーティーを組む事になるとは思ってもいなかったのだ。



 私は、それ以前の数日と同じように酒場にいた。前日に他の客と些細なもめ事を起こしたせいも有って(もっとも、悪いのは私の方では無いのだが。それを店の人も認めてくれたから、出入り禁止にならずに済んだのだ)、私の周りには他の冒険者は寄って来ず、結果として、私は自分の前の(四人が食事できる程度の大きさの)テーブルを一人で占領していた。こんな状態では、よほどの物好きしか寄っては来ない。その物好きがあの男だった。


 テーブルを挟んだ私の向かい側の椅子に座った彼もまた、明らかに冒険者と分かる格好をしていた。

 「よぉ、姉ちゃん」

 それが彼の私に対する最初の言葉だった。そしてそれは、私が彼の事をありふれたちょっかい男だと思うのに十分な台詞だった。

 「いや、お嬢ちゃんか。そんな格好して冒険者ごっこかい?」

 その頃の私は、今よりもかなり喧嘩っ早かったかも知れない。脳味噌が考えるよりも先に言葉が出ていた。

 「坊やこそ、こんな所に来てる場合じゃないでしょ? ママからおっぱいを貰う時間じゃないの?」

 言ってしまってから「しまった!」と思ったものだった。また今日もやってしまったと。まぁ、後悔というのは、えてしてそんな風にして起きるものだが。そして案の定、私の台詞は彼を怒らせる事になった。彼は瞬時に立ち上がり、それと同時に鮮やかな手さばきで左腰に下げていた短剣を右手で引き抜くと、素早く私の顔の前に横にした(そして、刃が私の方を向いた状態の)その短剣をかざした。

 「いいか、お嬢ちゃん。冒険者って稼業は、おままごとじゃねぇんだ。毎度、命懸けで……、ん……!」

 彼の台詞はそこで止まった。彼が、私の右手に持たれたスローイング・ナイフの先が彼の喉の寸前で正確にその喉の方を指しているのに気が付いたからだった。そして、私と彼はその状態のまま全く動かず、暫くにらみ合ったままだった。酒場内の客も、その異様な状況に気が付いた人間が徐々に増えていき、さっきまで騒がしかった店の中が、やがて水を打ったように静かになった。そんな中、店のマスターのみが私の視界の隅でおろおろとしていた。「まずいよ、また騒ぎを起こしたら……」と、心の中で私は呟いたが、努めて表情は変えないようにしていた。

挿絵(By みてみん)


 「へぇ!」

 どれぐらいの間があったのか正確には分からないが、店ごとの沈黙を破った彼の台詞はそれだった。ひどく感心したような声を上げたのだ。

 「こいつぁ驚いたな。俺はまた、『女に向かって暴力をふるう気?』とか言うのかと思ったんだがな」

 まだ表情はそう緩んではいなかったが、彼はそう言った。私もまだ表情を変えないようにしながら答えた。

 「冒険者の価値は、男か女かなんていう事で決まる訳じゃないでしょ?」

 「そうだな。……うん、そりゃそうだ。いや、俺の負けだ」

 彼は左手を自分の顔の横まで挙げてから開いて降参の意志を示すと、同じく敵意が無い事を示すためにゆっくりと短剣を引き、そこから再び鮮やかな手さばきで鞘へと収めた。それを見た私も、スローイング・ナイフを鞘へと収めた。


 店内にも徐々に騒がしさが戻ってきた。

 「さっきは済まなかったな。俺が悪かった」

 「気にしてないわ。良くある事だから」

 実際に大して気にしていなかったが、むしろ、また一もめしなかった事の方に安堵していたし、彼が素直に謝っている事の方に驚いていた。

 「良くある事……か。大変だな、女冒険者ってヤツも。……いや、男も女も関係無かったな。冒険者には」

 その台詞を聞いてついクスリと笑ってしまった私に対して、彼も相好を崩した。

 「どうだい、酒でも。さっきのお詫びに一杯奢るぜ」

 「ありがとう。でも私、お酒は飲まないの。……そうね、牛乳なら奢って貰うけど」

 「牛乳? ……そう、そりゃいいな。……おぉい! 姉ちゃん、酒と牛乳を一つずつくれや!」

 彼はウェイトレスに向かって注文すると、再び私の方へと向き直って話を続けた。

 「そうそう、折角だから自己紹介しておかないとな。俺はウルフトラップって、呼ばれてる」

 冒険者が他の冒険者に対して渾名で自己紹介するという事は、相手の事を冒険者として認めたという事を意味しているのだ。

 「私はエースって呼ばれてたわ。……ウルフトラップ? 狼を捕るための罠? それとも、狼が仕掛けた罠?」

 「へへへ……、さぁ、どうなんだかなぁ。そもそも俺が付けたわけじゃないからな。もっとも、良く意味が分からないあたりが俺らしいんだろうけどな」

 ウルフトラップは愉快そうに笑いながらそう言い、さらに話を続けた。

 「……エースか。いい名前だ。……いや、似合ってるというべきかな?」

 「褒め過ぎじゃない? 初対面で……」

 私が苦笑しながらそう言うと、彼は笑顔のままながらも少々真面目な口調で答えた。

 「俺は、人を見る目は結構確かなんだぜ。あんたは剣士だろうけど、俺達シーフの間でも、あれ程のナイフさばきが出来るヤツはそんなにはいないぜ」

 「そう? お世辞だと分かっていても本職にそう言われると嬉しいわね。その言葉、ありがたく頂戴しておくわ」

 その答えに、今度は彼の方が苦笑する番だった。

 「お世辞なんてガラじゃないのは、見ただけで分かるだろう。……それはそうと、あんた、誰かと待ち合わせしてるのかい?」

 「いいえ。残念ながら、そうじゃないの」

 「そうかい。いや、テーブル一つを一人で占領してるから、俺はてっきり……」

 彼がそこまで言ったところで、ウェイトレスが私達のテーブルに二つのコップを持ってきた。そして、酒の入った方のコップを彼の前、牛乳の入った方のコップを私の前に置いた。

 「……あ!」

 周りの様子を気にしながらしゃべっていた彼が、突然妙な声を上げた。周りの客が、牛乳の入ったコップが置かれた私達のテーブルから、意識的に視線をそらそうとしているのに気が付いたらしかった。それは、実ははっきりした事だった。普通なら、こういった荒くれ者が集まる酒場で酒以外の飲み物を注文すると、それだけで彼らの冷やかしの種になるものだ。しかし、そんな事も無く、それどころか逆に視線をそらされるという事態から、それより前に何か騒動を起こしたのだろうと推測する事は至極簡単な事なのだ。

 「……あんた、俺より前にも騒動起こしたな?」

 彼が少しばかり小声で言った。再び、私が苦笑する番になった。そして、うなずいた私を見て、彼は愉快そうに言った。

 「大したもんだ。大の男どもを黙らせちまうなんざ……」

 「……連中が変にプライドが高いだけでしょ。『万が一、女に負けたら恥だ』って」

 私も少しばかり愉快な気分になってはいたが、わざと皮肉っぽく言い放った。

 「それにしたって大したもんだ。……ところで、さっき待ち合わせじゃないって言ったよな? という事は、今はパーティーにいないのか?」

 この話の展開の仕方は、私としても興味のある展開だったが、まだ核心が見えてこないので、極力表情を変えないようにしながら答える事にした。

 「不本意ながら、そういう事ね」

 それを聞くと、彼は今度は身を乗り出して話を続けた。

 「じゃあ話は早い。単刀直入に言おう。……俺と組んでみないか?」

 悪い話ではなかった。彼の剣さばきは先程一瞬見ただけだったが、私の推測が正しければ、彼の腕前はそれなりに――少なくとも、今この酒場にいる他の腰抜けどもよりは――確かなはずだ。ただ、一つだけ気になる点が有った私は、それを無意識の内に聞き返していた。

 「『俺と』?」

 「ん? ……あぁ。実はな、今、俺もパーティーにいないんだ」

 その答えによって、私の疑問は別の形に変わっていた。何故、彼ほどの腕前の持ち主が、今現在パーティーにいないのかという事に変わったのだった。しかし、それについて問い返すことはしなかった。私がこうなった理由も理由なので、私が逆に同じ質問をされたら、それはあまり嬉しい質問ではないだろうと思ったからだ。

 「ずいぶんと色気の無い口説き方ね」

 私が笑みを浮かべながら言うと、彼もとぼけたような笑みを浮かべながら答えた。

 「あんまり色気の有る口説き方はお嫌いかと思ってね」

 「……そうね、悪くないわ」

 実際の所、私の腹は殆ど決まっていたのだが、私が何気なくそう言って間を置いていたら、彼の方が気を使って、苦笑しながらもう一言付け加えた。

 「……いや、勿論、仕事……というか、冒険者としてだ。……寝室まで一緒にしろとは言わないさ」

 「一緒にしたなら、何かする気……いえ、出来る気?」

 私も思わず苦笑していた。



 ひとまず、私は(そして、ウルフトラップも、だが)仲間が全くいない状態からは抜け出すことになった。が、たかだか二人組の冒険者では、探索に出るための充分な戦力を持っているとは言えない。その事は私達も十分に分かっていた。そこで私達は、それぞれ一人の頃から比べれば多少冒険者向きな、それでもやはり些細な仕事で喰い繋ぎながら、探索が可能な冒険者集団――つまり、それこそが「パーティー」なのだ――となるための仲間を探し続けることになった。


 二人という少人数で出来る冒険者向きの仕事も、やはり多くはない。ただ、一人の場合に比べれば格段に、やり易い仕事は多くなる。賞金首狩りに関してもそうだ。しかしながら、賞金首狩りという仕事には欠点がある。賞金首が居なければ、賞金首狩りが出来ないという事だ。当たり前の事なのだが、これは重要な点だ。というのは、これは、この仕事による収入は極めて不安定であるという事を意味しているからだ。つまりは、生活費としての最低限の稼ぎが保証されないという事で、パーティーの仲間を集める事を目的にしてこの街に留まっている私達にしてみれば、重大な障害でもあった。

 この街にも、決して多い数ではないにせよ賞金首は居た。それは領主が賞金を掛けたもの、有力貴族が掛けたもの、自治会が掛けたものなどと様々だったが、どれも捕まえるのが困難そうだったり、時間が掛かりそうだったりに見えた。それ故にそれなりの金額の賞金が掛けられている訳なのだが。


 街角で賞金首の一覧が貼り出されている掲示板を眺めていた時、隣で同じくそれを眺めていたウルフトラップが、ある賞金首の貼り紙を指差して言ったのだった。

 「こいつ、狙おうぜ」

 彼が示した貼り紙を見ると、それは二人組の強盗の手配書だった。

 「酒場強盗……?」


 そういえば、噂は聞いた事があった。ここの所、立て続けにこのあたり(とは言っても、それほど狭い地域ではないのだが……)の酒場が強盗に遭っているという話だ。閉店間際などで客がいないか少ないところを狙って、店員を脅すのだそうだ。酒場には用心棒が居る事も少なくはないが、そういったのは大抵、店で喧嘩などの騒動が起きた時のために居る訳で、用心棒を呼ぶ暇も無いこういった強盗に対しては殆ど意味を持たない。というか、脅されている状態でうっかり用心棒を呼ぼうものなら、その場で殺されてしまう事になるだろう。実際に、そうして刺された店員(店主らしいが)もいたらしい。その時は、店の金は無事だったが店員は重傷を負ったそうだ。これでは確かに意味が無い。

 この街ではある程度までの武器の携帯は許されていると言ったが、さすがに店が開いている間中、店員が武器をぶら下げている訳にもいかないだろうし、ある程度訓練されていないと、武器という物はかえって邪魔にさえなるものだ。いきなり襲ってくる強盗相手にまともに闘えるほど訓練された酒場の店員など、そうそういるものでもないだろう。うっかり抵抗しようものなら、武器を手にする前に命を落とすかも知れない。

 強盗に入られて嬉しい酒場など無い訳で、これらの強盗が発生してからというもの、店を早目に閉める酒場が増えたのだった。しかし、酒場にとっては一般の商店が閉店してから一杯やりに来る連中も重要な収入源の一つで、早目に店を閉めるという事はこの収入をみすみす捨てているような訳で、この連続強盗は酒場を経営している人間にとっては実に頭の痛い問題なのだった。

 やがて、この二人組の強盗が同一犯らしいという事が判明したところで、酒場の組合などが中心となって、この強盗を捕まえることに対して賞金が掛けられたのだった。強盗を捕まえるためなら賞金を払っても良いほど、酒場にとっては深刻な問題だという事だろう。

 さて、実際に捕まえようと考えた場合はどうだろうか? これが、実は結構大変なのだ。というのは、その二人組の隠れ家はおろか、素性さえ分かっていないからだ。確かに被害者らの多少の目撃証言はあるが、それはあくまで参考にしかならない程度で、実際に捕まえてみてから、実際にその犯人かどうかが分かるだろうといった状況なのだ。つまり、強盗の現場に居合せない限り、その二人組を捕まえる事は不可能だという事になる。


 「酒場強盗を捕まえるって……。ねぇ、ウルフトラップ。そんな時間の掛かりそうな賞金首をわざわざ……」

 私がいぶかしがってたずねると、彼はニヤリと笑って言った。

 「なぁに、どの道、二人だけのパーティーじゃロクな探索にも出られないだろ。だからさ……」

 「えっ? それって、まさか……」

 「へへへ……、多分、御名察だな。仲間を集めるにはまだ大分時間が掛かるだろう。その間、最低でも生活費の分だけは稼がなきゃならん。でも、賞金首狩りだけじゃ最低限の稼ぎが保証出来ない事になる。そこで、生活費を稼ぎながら賞金首を待ち伏せする事が出来るって考えは悪くないと思うんだがな」

 「酒場で働くって事?」

 私が言うと、彼はニヤリ笑いのままうなずいた。続けた私の声はうわずっていた事だろう。

 「冗談でしょ? あなたは、……まぁ、ともかく、私は客商売には向いてないのよ。付き合いが浅いっていっても、私の性格は大体想像が付くでしょ?」

 「なぁに、やってみれば出来るって。問題無いさ」

 「でも……」

 ウルフトラップが余りにも簡単に言い切ってしまったので、私はがっくりときて反論する気も失せてしまった。思えば、私にこう思わせるのが彼の作戦で、それにまんまとはまってしまったのかも知れない。


 それ以降も度々、数日間に渡って、私はウルフトラップのアイディアに対して拒否の姿勢を示したが、彼を説得することは出来なかった。原因は簡単で、私が彼のそれ以上のアイディアを思い付かなかったからだった。

 結局、いやいやながらも、私は彼の案に乗らされることになってしまった。そう決まった日、ウルフトラップは早速、その時点では珍しくなってしまった、深夜まで営業している酒場の一つに働き口を見つけ、ついでに私の働き口まで予約(!)してきた。さらには、賞金首の待ち伏せも兼ねてで、それは秘密にしておいて欲しいという事まで店主に納得させてきたとのことだった。

 私の方は、それまで生活費稼ぎにやっていた些細な仕事を辞めるにあたって、その後任への引き継ぎに数日間が必要だったので、その後に酒場で働くことになった。いや、まぁ、経過はともかく、とにかく、私は酒場で働くことになってしまったのだ。私にとってはその事が一番重要な事で、また、一番心配な事でもあった。



 酒場強盗の待ち伏せという目的も有るので、私達は夕方から深夜までの時間帯で働くことになっていた。そのため、前の日は遅目にベッドに入ったのだが、柄にもなく緊張していたのか、なかなか寝付くことが出来なかった。仕方ないので、夜中にゴソゴソと起きて、剣の素振りをしたものだった。ある程度体が疲れてからベッドへと戻ると、今度はなんとか眠ることが出来た。昼頃に起きるまで全く夢を見なかったので、ひどく短い時間しか寝ていなかったような気がしたが、それでも充分なだけの時間は寝ていたようだった。


 ついに、私が酒場で働く日がやってきてしまった。私が起きてからずっと緊張気味だったのに比べて、ウルフトラップの方はひどく上機嫌だった。というか、私が緊張している様子を面白がっているようでもあった。全く不愉快な話なのだが、今日は私にとっては酒場で働く初日ということで、彼に色々と教えて貰わなければいけない事も有るだろうと思い、彼に対して当たりたいのを我慢していた。

 そもそも、彼の方が数日とはいえ酒場で働き始めたのは先なのだし、それ以前に、性格的にどう考えても彼の方が私よりも客商売に向いていると思える訳で、今になって思えば、初対面の時に彼をやり込めたのを、体良く仕返しされたのではないかと思えるのだった。

 起きてから実際に酒場に向かうまでの間の時間さえも、私にとってはかなりの苦痛だった。今まで経験したことが無いほどの落ち着かない時間がゆっくりと過ぎ、やがて、私とウルフトラップはその酒場へと足を向けた。その道中でもウルフトラップは妙にニヤニヤしながら私の表情をうかがったり、恐らく彼のイメージの中の私とは大きく懸け離れているだろうスカート姿の私を観察していたりした。あるいは彼は意識して挑発的にしているのかも知れないと私は思い、極力気にかけていない風を装っていた。もっとも、傍から見たら、私の表情は引きつって見えたかも知れないが。


 酒場の店主は、恐らくかなり怖い顔をしていただろう私に対しても、ひどく親切に接してくれた。まぁ、店の方としても、働き手兼用心棒みたいな我々は歓迎すべき働き手だったという事もあるのだろうが。


 まず私は、それこそ単純な作業から仕事を始める事になった。それは、酒場で働いた事など無くても分かりそうなほどに単純な仕事、つまり、食器洗いや、料理の下ごしらえといった事だった。

 私のイメージではないのだろうが、冒険者になる前、まだ家にいた頃には、それなりに炊事を含む家事をこなしていたし、冒険者になってからも、探索中のキャンプや、宿での自炊等の炊事はしていた。しかし、だからといって、酒場での仕事がすんなりとこなせるという訳でもなかった。なにしろ、一つ一つの仕事の量が違うのだ。普通なら食事は、多くても自分と家族、もしくは仲間の分、つまり数人分を作ればいいのだが、ここでは違う。芋の皮剥きが始まったら、何十個分ものそれが続くのだ。食器洗いだって同じだ。自分達の使った分だけではない、ひどく沢山の食器が、流し台の脇にうずたかく積まれたら、ひたすらそれを洗い続けなければならないのだ。そうした単調な作業が延々と続くのがこの仕事だった。


 芋の皮剥きを始めた。最初の何個かは問題無く綺麗に剥けた。しかし、それを過ぎると、一向に減ったように見えない残りの芋を気にしてイライラしだし、綺麗に剥けなくなってきた。それを気にして丁寧に剥こうとするのだが、今度はそうしようとしている自分自身にイライラしだして、なかなか仕事が手早くは進まないのだった。

 一方のウルフトラップは、私の隣でやはり芋の皮剥きをしていたが、生来の手先の器用さからか、数日分とはいえ経験の差か、あるいは、巧くいかずに戸惑っている私の様子を肴にしてか、鼻歌でも歌い始めんばかりに軽快に仕事をこなしていた。そして、その様子を見るにつけ、私のイライラは一段と募っていくのだった。


 このイライラから即座に抜け出す方法は、簡単に思いついた。店主の前に行って「済みません。もう十分堪能しました。この仕事を辞めさせてください」と言って頭を下げて、その後、頭から水でも浴びせられた野良猫のように、背を向けて一目散に逃げて行けば良いだけだ。それを実行するのは、実に簡単な事だった。たった一つの障害を除けば。

 その障害とは、自分自身の気持ちだった。人によってはそれをプライドとか呼ぶのだろうが、私にとってはもっと単純な事のように思えた。私の事を良く知っている人も、あるいは、少しだけ知っている人もそう思うかも知れないし、私自身もそう思っているように、私は「負けず嫌い」なのだ。この場合、それがたとえ勝負事ではないと分かっていても(むしろ単なる勝負事ではないからかも知れないが……)、負け犬(いや、猫か)のように逃げ出す事の方が私にとっては屈辱的で、よりイライラの原因になるのではないかと感じていたのだ。そして、私の性格では、そっちのイライラを解消する方法が見つからないのではないかとも思えたのだ。目の前のイライラから逃げ出す事が、その後により大きなイライラの原因になる可能性があるとしたら、果たしてそれは正しい選択なのか?

 結論から言うと、私の答えはノーだった。いや、結論どころか、特にこれといった理由も無くノーなのだった。敢えて理由を述べるなら、それは私の「負けず嫌い」に由来しているとしか説明のしようが無い。その設問自体が、既に答えになってしまっていたのだ。結果、私はこの仕事を続けることを選んだのだった。もっとも、そのあたりの葛藤や決断は、他の人が知ったり、気が付いたりする事では無かったのだろうが。


 最初は私がイライラしている様子を面白がっていたように見えたウルフトラップだったが、よほど傍から見た私のイライラ具合がひどくなっていたのか、やがて、私の事を心配するようなそぶりを見せ始めた。

 「なぁ、そんなに根をつめて仕事しなくても……」

 ウルフトラップがそう言って私の顔を覗き込んだ。私は無言で彼の顔を見つめ返したのだが、彼は言葉を続けることはせず、少々怯えたような顔になると、再び前に向き直って自分の仕事を再開した。

 実際には、私の気持ちはウルフトラップの一言でそこそこ楽になってはいたのだが、その時の私はひどく怖い顔をして彼を睨んだように見えたのだろう。


 恐らくギリギリの所でイライラを押さえつつ、私はなんとかその単調な仕事を一段落させた。そして一息つくかつかないかのタイミングで、次の仕事が店主から言い渡された。ある程度予想していたとはいえ、死刑宣告されたとしてもこれほど嫌な気分にならなかったであろうその仕事とは、「お運び」だった。いわゆる、「ウェイトレス」というヤツだ。

 とはいえ、本当に客の注文を取り、食べ物や飲み物を客に出したり、食器を下げるだけなら大した問題は無い。客や注文の状態によってはひどく忙しかったりという事は有るだろうが、よほどのドジでもない限り、それで大きな失敗をする事は無いだろう。でも、「ウェイトレス」の仕事はそれだけでは無い。客に近づく以上、多少なりとも接客をしなければならない。これが私にとっては大問題なのだった。相手が客である以上、多少タチの悪い客に対してでも、愛想を使う必要が有る。しかし、私はその性格からして、人に愛想を振り撒いたりするのは苦手中の苦手なのだ。


 その仕事を始めてほどなく、懸念の事態は起きた。驚いた事に私の事を女だと認識したとある客が、酒を運びつつ通り掛かった私の尻を手で触ったのだ。私も「ウェイトレス」をしている以上、自分は女としてその仕事をしているのだという意識が少なからず有ったので、不愉快な事に違いなかった。要領の良いウェイトレスならば、少々甲高い悲鳴でも発して、可愛らしく嫌がるそぶりでもして見せるのだろうが、私に限ってはそんな事が出来る訳は無かった。

 私は、目的地ではない最寄りのテーブルに、両手に持っていた酒のコップを置いた。そして、私の尻を触った客の顔を見据えた。ニヤニヤと笑うヒゲ男の顔がはっきりと目に入った次の瞬間、その男は床の上で伸びており、私の右の拳は少しだけ痛くなっていた。

挿絵(By みてみん)

 ウェイトレスの尻を触った男がその娘に平手でひっぱたかれたぐらいなら、店の客はドッと湧いて盛り上がりもするのだろうが、この場合はいきなり拳で殴られた挙げ句に男が完全に伸びてしまったのだから、店中の客が静まり返る事になった。ふと見ると、店主はカウンターの内側で口をあんぐりとしており、騒ぎを聞いて厨房からカウンターへと出てきたウルフトラップは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。私は私で、心の中では「しまった!」と思っていたものの、かといって自分で客を殴り倒した手前、困った顔をする訳にもいかず、全く動揺など無いかのように無表情を装っていた。

 一旦テーブルに置いたコップを再び取り上げ、注文した客の所へと持っていった。私はコップをその二人の客の前に置いたのだが、その客は両方とも体を引き気味だった。まるで、私が何も悪い事をしてない客でもいきなり殴りそうだと思っているかのようなその態度は、さらに私の気分を悪くする要素になったのだが、流石にその場は何をするでもなく抑えた。が、カウンターの方へと戻って客の方から顔が見えなくなった時、多分、私は泣き顔になっていたと思う。それは、別に尻を触られた事が悔しかったからではない。……いや、それも少しは有ったかも知れないが、本当に悔しかったのは、自分が同じような騒動をまたしても、そして、今度は仕事中に起こしてしまった事に対してだった。店主とウルフトラップは二人とも苦笑していた。店主は私のそんな様子を察したのか、何も私を責めるような事は言わなかったし、ウルフトラップは私の肩をポンと叩いた。そのお陰か、私は涙を見せること無しに済んだ。


 その日の、それから後の事は殆ど憶えていない。ただ、ひどく暗い気分で仕事を続けていた事だけは忘れられない。仕事が終わると、私は精神的にひどく疲労していた。

 ただ幸いだったのは、私は精神的にだけではなく、肉体的にもひどく疲れていた事だった。慣れない作業をしていたために動作の要領を得ず、無駄に疲れていたのだ。何が幸いだったのかというと、体が疲れていたためにベッドに潜り込んだ私はすぐに深い眠りに落ちてしまったため、その日の仕事中にしでかした失敗について考えて悶々とし、懊悩のお陰で輾転反側となって眠れない……という事が無かったからだ。



 翌日、私の目覚めは思いの外良かったのだが、しばらく経つと、またあの仕事場へ行かなければならないのかと思い、気分は落ち込み加減になった。それでも、なんとか私の足は例の酒場に向いていた。勿論、生来の負けず嫌いがその足を後押ししていた。昨日とは打って変わって、ウルフトラップが妙に私に気を使うようなそぶりも見せていた事も、私の気分を少しばかりマシにしていた。


 再び、酒場で食器洗いやら料理の下ごしらえやらをする。自己満足に過ぎないのかも知れなかったが、昨日よりは多少要領良くやれているような気がした。だが、ここまでは何とかなると自分でも踏んでいた。問題は「それ」ではなく「あれ」だ。お運び……というか、接客なのだ。

 店主は、お運びの仕事に出ようとしていた私に向かって、苦笑しながら遠慮気味に言った。

 「出来れば、少しはお客さんに愛想を使って欲しいんだけどねぇ。なるべくで良いから……」

 それに対する私の答えは、ひどく歯切れが悪かった。

 「出来れば……、私もそうはしたいんですけど……。でも……」

 そう答えた時の私の顔がよほどの困った表情をしていたのか、店主はそれ以上は何も言わなかった。


 しかし、いざウェイトレスとして店の中に出てみると、昨日とは少々自分を取り巻く状況が違っていることに気が付いた。当たり前と言えば当たり前なのだが、客が私から少しばかり距離を置こうとしているのだ。早い話が、昨日の一件で私はすっかり怖がられていたのだった。

 大の男達が揃いも揃ってたった一人の女を怖がっているなどというのは、傍から見れば滑稽に見えるかも知れないが、この場合は彼らの側にも仕方無い事情が有った。というのも、私とウルフトラップがこの酒場で働くようになったそもそもの目的は酒場強盗をとっ捕まえる事だったので、この酒場の客には(店主に頼んで)私達が冒険者であるという事を伏せてある。つまり、彼らにとって私達は単なる酒場の店員に過ぎない。これを昨日の一件に当てはめて考えてみると、ウェイトレスの尻を触った酔っぱらいが、そのウェイトレスに一発でノされた、という事になる。これは、言うまでも無く、男にとっては恥ずかしい事だ。女冒険者にノされたのならまだしも、ウェイトレスにノされてしまったのだから。そして、その得体の知れないウェイトレス――私の事だが――を怖がり、そういった恥ずかしい目に遭うのも怖がっていたのだ。あるいは、その男が懲りない男だったなら、恥をかかされた仕返しに(実際にそんなことが可能かどうかは別にして)私に対して乱暴――と言うと穏やか(?)だが、早い話が強姦――しようと企てたかも知れないが、彼はそこまでは恥知らずでも無かったのだ。

 単純に考えると、そして普通の店員ならば、「自分は嫌われている」と思い込んで悲観的になりそうな状況だったが、私はそこで開き直ることにした。客の方から私との距離を置いてくれるなら、それはそれで、私が無理をして客に愛想を使う必要が無いという事を意味しているとも考えられる訳だ。実際に私はそう考える事にしたのだ。


 そうして、私のウェイトレスとしての二日目の仕事は始まった。なべて世の中の事は気の持ちようとも言われるが、開き直ったお陰で、その仕事に対する私の気持ちは大分楽になっていた。無理して客に愛想を使う必要は無いし、極端な話、こっちから嫌な客の事を睨みつけても構わないのだ。もっとも、私を雇っている店主にしてみればヒヤヒヤものだろうが、私が店主の目に余るほどのひどい事をしたならば、それをクビに出来る権利が有るのもまた店主に他ならないのだから、その事については深く考えない事にした。結局、目の前の仕事を自分の出来るような形でやっていくしか無いと割り切ったのだ。

 ウェイトレスの仕事を含めた二日目の仕事は、私自身が考えるには少なくとも初日よりは要領良く出来たように思えた。飽くまで「初日に比べて」だが、それだけ慣れが出てきたし、何よりも気持ちの切り替えが大きかったのだ。疲労も昨日に比べると大分減っていた。特に、肉体的な疲労よりも精神的な疲労が。



 そして三日目。この日も、少しずつだが自分が仕事に慣れていっているのが分かる状態だった。そして、この日最大の事件は、やはり私がウェイトレスとして店に出ている時に起きた。


 私は、例によって淡々とウェイトレスとしての仕事をこなしていたが、その時、あの男が店に入って来たのだ。私の尻を触ったヒゲ男が。

 ヒゲ男は私の姿を認めると、視線を合わせないようにしながら、それでもチラチラと私の方を気にしながら、空いているテーブル席についた。でも当然ながら、私と会話しなければ注文は出来ない。まぁ、注文はカウンター内にいる店主に直接する事で出来るが、カウンター席に座った以外の客の場合は、そこまで注文の品を運ぶのは私なのだ。さて、このヒゲ男はどうする気だろう? あるいは、カウンター席に空きがあるのにそこへ座らなかったのは、私に何か言いたい事があるのだろうか? わずかばかりの不安と、何やら妙に歪んだ期待感を抱いた私は、それでも全く気にもしていないような風を装いながら仕事を続けていた。

 暫くの間、そのヒゲ男はじっと座ったままだった。私が他の客の注文の品を届けるためにその近くを通った時も、まだ声を掛けることはしなかった。しかし、その戻りに再び近くを通った時、意を決したかのように彼は話し掛けてきた。

 「あ、姉ちゃんよぉ……」

 「はい?」

 私はあたかも全く気にしていないかのように答えながら、彼の方へと振り返って顔を見た。彼は落ち着かない感じで時折私の顔から視線を外しながら、話し始めた。

 「あのさ、……一昨日だっけ? ……あの時は済まなかったな」

 「あの時?」

 それが何の事を指していたか分かっていたにも関わらず、少々意地悪な気分になっていた私は、敢えて聞き返した。

 「ほら、あんたの……お尻を触って……。……悪かった。許してくれ」

 「そうね……」

 私はわざと相手から高飛車な態度に見えそうなように、見下ろすような視線をヒゲ男にくれながら、表情を変えずに言葉を続けた。

 「いいわ。許してあげるわ」

 その言葉を聞いて、彼は安心したかのように笑顔を見せた。私もつられて笑顔を見せそうになったが、それはこの店での私のキャラクタに似合わないと思い直し、やはり表情を変えることはしなかった。



 そんな事が有ったり、自分自身が仕事に慣れてきたせいも有って、徐々に酒場の仕事は巧くこなせるようになっていった。

 一週間が過ぎた頃には、なぜか私(というか、私の演じる無表情なウェイトレス)は酒場の人気者になっていた。最初にそう店主やウルフトラップから聞かされた時は半信半疑だったが、どうもそれは本当らしかった。お陰で、店主からは私が客前で愛想の無い事を云々される事は無くなった。まぁ、その無表情なキャラクタが客にウケている訳だから当たり前なのだが。ただ逆に、笑いたい時でも客の前では笑いを抑えなければならないという困った義務のおまけ付きにはなった。

 その内、客の間では変な賭けが流行るようになった。「あのウェイトレス(私の事だが……)を笑わせたら幾ら払う」という物だ。それだけに、私は余計に笑うわけにはいかなくなった。


 一ケ月が経った頃になると、店主も私とウルフトラップの真面目な(?)仕事ぶりが気に入ったのか、任せて貰える仕事の種類が増えた。これはこれで面倒にも思えるが、仕事の種類が増えても、その総量が特に増えた訳ではないので、覚えなければいけない要領が多少増えただけで済んだ。また、住み込みで働かせて貰える事にもなり宿を引き払ったため、宿代も浮くようになった。

 昔から、世の中に有る仕事というものは、およそ楽な職種は無いし、外から見て思うほど楽な仕事も無いと思っていた私だったが、この酒場の営業というのもその例外ではなかった。

 酒場での仕事の種類も少なくない。私達がこの酒場で働くようになって初めにやった仕事の、食器洗いと料理の下ごしらえ、次いで清掃、そして、私がお運びと接客(!)をしている間にウルフトラップは調理をしていた。やがて他にも、食材や酒などの仕入れ、客の会計、各種の伝票の整理なども任されるようになり、店がそこそこ暇な時は二人で新しいメニューを考えていたりもした。

 こういった仕事の全てを一度にやらされる事は無かったし、一日にこれら全てをやらされる事も稀だったが、時によっては、店主が留守にして店全体を二人で任される事も有った。そうした時や厨房での仕事が忙しくない時はウルフトラップもカウンターの方へと出てきたりもしたが、彼は持ち前の陽気さで、ほどなく客達の人気者となった。

 色々と忙しい事も有ったが、その頃になると、私はここで働き始めた頃に店主から忠告された「ほどほどにやっていく」という事の言葉が分かり始めていた。「手を抜く」と言うと聞こえが悪いが、それは仕事の全てを全力でやる必要は無いという意味で、やるべき仕事の要点を見抜いて要領を飲み込んでしまえば、最低限の労力でその仕事をこなす事が出来るという事だと私は解釈したのだ。そして、実際に私はそうして仕事をこなしていたのだった。


 そうして、およそ三カ月が過ぎた。仕事に合間に時折、「私は冒険者のはずなのに、一体ここで何をしているんだろうか?」と思う事も有ったが、それなりに楽しく仕事をこなしていた。やがて逆に時折は、何のために酒場で働いているのかさえ忘れる事が有るほどになってしまった。


 事件はその頃のある日に起きた。



 その前日の遅くに見慣れない二人組の男性客が来た。いくら通りかかる冒険者が多い街だからといっても、夜の酒場は常連客が殆どだ。そんな中に見慣れない客がいるというのは気になるものだが、私達の場合は特に、強盗ではないかと警戒していたのだ。でも、その日はその客も帰り、何事もなく仕事は終わって店も閉めたので、またいつも通りの取り越し苦労かと思っていた。


 次の日の遅くにもその二人組の客が来た。閉店の時間が近づいたが、その二人組と例の常連のヒゲ男だけは店内に残っていた。

 「ほら、もう閉店だよ!」

 飲み過ぎて机に伏せて眠っていたヒゲ男に声を掛けた。彼は良く聞き取れない呻き声を小さく上げると、伏せたまま辛うじて目を醒ました。

 そのまま声を掛け続けても大した効果は無さそうに見えたので、ひとまずそのヒゲ男をほうっておいて、別の閉店作業を続けるためにカウンターの方へと戻ろうとした。


 そして、その二人組の前を通り過ぎた時だった。その片方が、背後から左手で私の顎を引くようにして捕まえ、右手に持った短剣を横にして私の喉に突き付けた。

 「おい、動くな!」

 その男は脅すような低い声で言った。

 「よし、金を出せ!」

 もう片方の男は、短剣を構え、ウルフトラップのいるカウンターの方へと向かって歩きながら、強盗としてはお決まりの文句を叫んでいた。

 (掛かった!)

 反射的に反撃しそうになった自分を抑えつつ、私は心の中で叫んでいた。

 ふと見ると、ヒゲ男は起きた事態に驚いて、一気に目が醒めたようだった。が、強盗が人質にしている(と、強盗自身が思っている)のが私だという事に気が付いて、表情はまた変わった。なにやら笑いをこらえているような顔になったのだ。多分、ほどなく強盗が私にノされると思ったのだろう。私も彼の表情の変化に気が付いて、こみ上げてくる妙な愉快さをこらえて無表情を装っていた。

 そして私は、私を捕まえている強盗の状態を観察していた。

 (なっちゃいない……)

 何から何まで隙だらけだった。この男を倒す事自体は簡単そうに思えたが、私は敢えてウルフトラップがどう行動するかを待った。それがチームプレイと言うものだ。

 ウルフトラップは用心のために置いておいた自分の短剣を手にしてカウンターの内側から飛び出してきた。

 「剣を捨てろ! こっちには人質だっているんだぜ!」

 ウルフトラップと対峙する形になった方の強盗は、短剣をウルフトラップの方へとかざしてそう叫んだ。が、こいつの方も、その構えは隙だらけに見えた。そして、その事はウルフトラップも分かっていて、すぐに反撃するだろうと私は思い、そのウルフトラップの反撃のタイミングに合わせて私も自分を捕まえている方の強盗に反撃しようと考えていた。しかし、ウルフトラップの行動は、私の考えとも違っていた。

 「……仕方ねぇな。分かったぜ」

 なんと、ウルフトラップは言われた通りに剣をその場に捨てたのだった。

 「この馬鹿が!」

 対峙していた強盗は、ウルフトラップが剣を捨てるのを見るや否や、彼の胸に向かって短剣を突き出した。しかし、勿論、そこには既にウルフトラップは居なかった。ウルフトラップの前には無防備に伸び切った強盗の右腕が有った。彼はその手首を右手で握って引き寄せるようにしながら、肘を左手で押しながら体重を乗せるようにした。

 メキッ!

 その強盗の右肘が鈍く、しかし大きな音を立て、彼は手から短剣を落とした。が、それから後暫くは、その男がどういう状態だったかは私は知らない。私も自分の仕事を始めたからだ。


 目の前で起こった事態に驚いたのか、一段と無防備になっていた強盗の片割れ――私を捕まえていた方――に対して反撃するのは簡単な事だった。私は、短剣を持っている強盗の右腕を両手で掴むと、それを捻り上げるようにしながら振り返った。その強盗の驚いたような顔が私の視界に入った。彼は懸命に短剣のコントロールを自分に取り返そうとして、両手を短剣に添えて抵抗していた。しかし、二人の四本の腕が高く掲げられたために体の距離が充分に近寄ったのを確認した私は、遠慮無く右膝を彼の股間へと突き上げた。

 「あうっ!?」

 強盗は言葉にならない悲鳴と共に短剣を手から離し、屈み込んだ。恐らく私には一生分からないだろうその苦悶で屈んでいる強盗の首筋に、私の右肘が落とされてその戦闘にもならない戦闘は終了した。


 「馬鹿はお前だ」

 私がその強盗に馬乗りになり、後ろ手に絞り上げ抵抗できない体勢を作った頃にウルフトラップの方を見ると、同じく、もう片方を完全に取り押さえた彼がその強盗に対して吐き捨てるように言っていた。そして、私の視線に気が付くと、私の方に向かってウインクした。私はあきれ気味に大きく息を吐いた。

 その一部始終を見ていたヒゲ男は、まるでハッピーエンドを迎えた芝居でも見ていたかのように、笑顔で拍手をしていた。それを見た私は、思わず苦笑していた。


 ヒゲ男が自警団を呼んでくれたので、私達は自警団員に強盗を一時的に預け、さっさと閉店作業を終わらせた。それから、自警団員と一緒に警固隊の派出所へと強盗を送り届けた。

 その後の帰り道、私はウルフトラップと二人きりになった所で彼に聞いた。

 「あなた、もしかして、私の事を信用してないんじゃない?」

 「へぇ?」

 ウルフトラップは素頓興な声を上げた。意味が分かっていないようだったので、私はより質問を明確にした。

 「強盗相手に、なんでわざわざ剣を捨てたの?」

 「あぁ、あれは……」

 彼は、言葉を選んで整理しながら話そうとしているようだった。

 「ほら、相手の構えを見て、大した相手じゃないって分かったから。エースも分かっただろ?」

 「そりゃそうだけど、わざわざ剣を捨てる事は無いじゃないの。少しでも危険は避けるべきでしょ?」

 「いや、一応、人質を取られてたし……」

 「人質って言ったって、私じゃないの。私だってあんな相手ぐらいどうとでもなるわよ。あんたが反撃を始めたら、即座に私も反撃開始しようと思ってたのに。やっぱり、私の事を信用してないんじゃない」

 「それでも、エースに万一が無いとも限らないし……」

 「心配してくれるのは嬉しいけど、あなたが剣を捨てたからって、相手が私を離す訳も無いでしょうが」

 「う~ん……、まぁ、そりゃそうかも知れないけど……」

 「なら、そっちこそ少しでも危険な事をするべきじゃないでしょ?」

 私の口調は、少しずつ厳しくなっていた。少し間を置いて、ウルフトラップは聞き返した。

 「……俺の事を心配してくれてるのか?」

 「当たり前でしょ!」

 「……もしかして、俺に惚れてるのか?」

 「あ?」

 今度は、私があきれて素頓興な声を上げる番だった。すっかりあきれ顔になっていただろう私は、足を止め、横を向いて大きく息を吐いてから、ウルフトラップの方へ向き直って少しばかり大きな声で言った。

 「くたばれ!」



 翌日私達は、城に有る警固隊の本拠に行って強盗逮捕の賞金を受け取った。ちょっとした額で、暫くの間パーティー探しに専念出来るほどは有った。

 この国の法律では、あの強盗共は間違い無く死刑になるだろう。しかし、その強盗達に同情する気は、私にはさらさら無い。それが法律というものだし、彼らはそれに値する罪を犯したし、私達は自分達の仕事をしただけだからだ。


 あのヒゲ男と店主が常連客達に言いふらしたため、酒場での私達はすっかり英雄になっていたが、私達の酒場での仕事は、全て終了したと言って良かった。ほどなく私達がやっていた仕事(と言っても、強盗の待ち伏せでは無く、純粋な酒場の仕事だが……)の後任は決まり、彼らへの引き継ぎが終わり次第、私達はこの酒場を離れて次の仕事とパーティーを探しに出る事になっていた。


 酒場での最後の仕事の日、その最後の仕事が終わり、ベッドに入った。このベッドで休むのも、これが最後かも知れない。私が自分に割り当てられた寝室に入る前にウルフトラップに呼び止められて交わした会話を、ベッドの中で思い返していた。

 「エース、……それなりに楽しかったかなぁ?」

 「……うん、そうね」



 いよいよ酒場を離れる日が来た。昨日の内にまとめておいた荷物を担いで二階から降り、店主に最後の挨拶をするために店へと出た。

 ワーッ!

 「え?」

 私とウルフトラップは二人で顔を見合わせた。店に出た私達を迎えたのは、大きな拍手と歓声だった。真っ昼間だというのに、店の中は常連客の殆どで溢れ返っていた。その中から、店主が歩み出て来た。

 「いやぁ、今日あんた達がウチを出てくんだって言ったら、皆が皆、見送りたいって言ってな……」

 私は店の中を見回した。短い間の付き合いだったはずだが、どの顔も懐かしいような気がした。さんざん迷惑を掛けたり、あるいは掛けられたりした顔ばかりのような気もした。と、私はなんとなく笑顔になっていた。

 「あ、姉ちゃんが笑ってるぜ」

 客の誰かが、私の笑顔を見つけて言った。

 「初めて見たぜ」

 他の一人が言うと、店全体がドッと沸いた。

 そこで、例のヒゲ男が得意そうに言った。

 「おれは二度目だぜ」

 店の中が、もう一度ドッと沸いた。


 いよいよ出発の時が来た。店の前でも、皆で見送ってくれた。

 「良い店員だったのに残念だな。仕事にあぶれたらここにおいで。いつでも雇ってやるよ」

 店主が笑顔で言った。

 「ありがとう。お元気で」

 私が言うと、客が口々に叫んだ。

 「元気でな!」

 「頑張れよ!」

 「また帰ってこいよ!」

 それを聞いて、私には胸へと込み上げてくるものが有った。一回大きく息を吸い込んで、歩き出しながら、手を振り、答えた。

 「ありがとう。また、いつか」


 私は、「故郷とは心の帰る所だ」と聞いたことが有った。私には、故郷がまた一つ出来た。


End of Story "Wolftrap" from "Record of Ace".


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