第67話:「みのり、休職仲間と語らう夜」
私、みのり。
二週間前に会社を退職したばかりの、元・社畜OL。
そして、愛猫もちと一緒に“動画投稿者”としての人生を歩き始めたばかりの、新米クリエイターだ。
その日は、退職してから初めて――誰かと、腹を割って話す夜だった。
きっかけは、かつて同じ部署で働いていた先輩、上原さんからのメッセージだった。
「今、少し時間ある? よかったら話さない? ちょっとね、最近しんどくてさ」
上原さんは、私が入社して間もない頃から目をかけてくれていた人だ。
だけど数ヶ月前から休職しているという噂を耳にしていた。
直接連絡が来たのは、退職のあいさつメール以来だった。
私はすぐに「大丈夫ですよ。よかったらうちに来ませんか?」と返した。
もちも会いたがってるはずだし、なにより――なんとなく、話したかった。私も。
夜7時。インターホンが鳴る。
「こんばんは。……あ、もっちー!」
玄関先で、もちがすかさず足元にすり寄る。まるで、「お客人よくぞおいでなすった」とでも言うような歓迎ぶり。
番猫モードと通常営業の切り替えが早すぎる。
「久しぶり……元気そうじゃん、みのり」
「うん、なんとか。上原さんも……少し、顔色戻ったように見えます」
「ありがとう。でもさ、実際はなかなか戻らないね、心のほうは」
彼女は笑ったけど、その目の奥には、やっぱり疲れが残っていた。
私も、かつては鏡に写る自分の目を見て、同じことを思ってた。あの頃の私の目と、よく似てた。
リビングでホットミルクを飲みながら、私たちはぽつぽつと話し始めた。
「辞めたの、聞いたよ。◯◯部長、ちょっと動揺してたって」
「へぇ……そうなんですね。なんか、もうずっと前のことみたいです」
「そっか。でも、私、なんか救われたよ。みのりが決めたって聞いて。まだ全部乗り越えたわけじゃないけど……『あ、辞めても、生きていける人がいるんだ』って思えたから」
そう言ったあと、彼女はぽろっと泣いた。
泣いて、笑って、また泣いて。
私はそっと横に座って、ティッシュを差し出した。
「……まだ、正直こわいですよ。動画も、続けていいのか、間違ってるのか。でも、もちがいてくれて……それだけで毎日、なんとかなるんです」
「……その子、ほんといい顔してる。テレビで見た時より、今のほうがずっと表情豊か」
「毎日一緒にいるからですね。もちは全部わかってるんです。私が泣きたいときも、無理して笑ってるときも」
もちが私の膝に乗ってきた。まるでタイミングを見計らったように。
「ほら、癒しの天才ですよ。うちの編集長です」
「編集長! ふふ、いいなそれ……。ねぇ、動画って、どう始めたの?」
「きっかけは、もちの写真をSNSに載せたら少しバズって。それから少しずつ……でも、動画を撮りたいって気持ちより、“もちと一緒に生きていくために必要だった”って感じかも」
「生活のために、って?」
「そう。最初は、正直それが大きかった。でも今は、もちと一緒に何かをつくれることが、ただ楽しくて。……でも、プレッシャーもあるんです。見てくれる人が増えて、期待されて、だんだん“撮らなきゃ”って思ってしまう。もちの自然な姿が一番なのに……私のほうが焦ってしまう」
「わかる……。私も、休職中ずっと、“復帰しなきゃ”って思ってばかりで、休めてなかった。ほんとは心を休ませるために時間もらってるのに、ね」
二人して、苦笑いする。お互い、まじめすぎるのかもしれない。
夜も更け、上原さんが帰る頃。
「また会ってくれる?」
「もちろんです。もちも待ってますから」
「うん……ありがとう。なんか、少しだけ前を向けそうな気がした」
「私もです。先輩が来てくれて、うれしかったです」
「……動画、楽しみにしてる。無理しないで、もちと一緒に、ゆっくりやってね」
玄関の扉が閉まったあと。
私は、もちを抱き上げた。もちの体温は、やっぱり優しい。
「……私、間違ってないかな?」
もちは「にゃ」とひと声。何も否定せず、ただ肯定するように。
私はそっと目を閉じて、もちの鼓動を耳で感じながら、小さくつぶやいた。
「大丈夫。少しずつでいい。今の自分を、信じていこう」




