第28話:もち、お風呂場にて哲学する
吾輩は猫である。名はもち。
柔らかく、丸く、若干もっちりしているが、その見た目に惑わされてはならぬ。吾輩は日々、家の防衛、異音の調査、そしてご主人のみのりの癒やしを担う、多忙なる猫である。
だが――たまには、そんな吾輩にも「考える時間」が必要なのだ。
それはある静かな夜のことだった。
「は~~……疲れた~……」
仕事から帰ってきたご主人が、ため息まじりに呟く。
「もっちー、お風呂だけ入って寝るからね~、ちょっと待っててね~」
「にゃ(ふむ、了解である)」
いつも通り、吾輩はベッドの上で丸くなり、ご主人の出てくる気配を待っていた。が。
――5分後。
「……うむ。気になる……」
いつもならすぐに湯の中から「ふわ~」とか「溶けそう~」とかいう間の抜けた声が聞こえるはずなのだが、今夜は妙に静かだ。
「……まさか、風呂で溶けたのでは……?」
好奇心と心配が入り混じり、吾輩はそろりと浴室へ向かった。
扉は、わずかに開いていた。
◆
「にゃ……(失礼する)」
そっと風呂場に入ると――
そこには湯船に半分沈んだみのりが、まるで打ち上げられたクラゲのように浮かんでいた。
「……人生って、なんだろうねぇ……」
吾輩は思った。
「……なんだそのポーズと台詞は」
ご主人はただ湯に浸かっているだけなのに、何か壮大な宇宙の理に触れているような顔をしていた。まさか、湯気の中に答えを見出したのか?
いや、それより。
「ふにゃっ!(熱気!むわむわ!この空間、空気がもふもふしとる!!)」
吾輩は思わず洗面器の中へ避難。陶器の上が唯一の涼地。が、そこから見る風呂場の天井は――どこまでも高く見えた。
「……この場所、何かが違う」
いつもの六畳間とは違う空気。足元は水、壁はつるつる、匂いはラベンダー。
「ここは一体、どんな世界なのだ……?」
そう、風呂場とは異界である。
普段は締め切られており、入り口の前には“びちゃびちゃバリア”が張られている。油断して突入すると、肉球が濡れる。あれは罠だ。
だが、今日の吾輩は違った。
洗面器から静かに這い出ると、そろりそろりとバスマットの上を歩く。
(哲学モード発動)
「吾輩は、なぜ猫なのだろうか」
「なぜ、カリカリはいつも同じ味なのか」
「なぜ、ご主人は風呂に入ると、あんなにも無防備になるのか」
……風呂場の魔力とは、かくも思考を深くするのか。
「もっちー、来てたの? あはは、洗面器でうずくまって……かわいい~」
不意に声をかけられ、思索が中断される。
「ふにゃっ!(集中してたのに!)」
だが、ご主人の笑顔を見ると、なんとなく全てがどうでもよくなる。さきほどまでの哲学モードも、どこかへ蒸発してしまった。
そう、人生とはきっと――
「ぬるま湯のように、ちょうどよくて、何もしなくても満たされる時がある」
……のである。
吾輩は、湯気で少しふくらんだ毛並みをぺろぺろと舐め直す。
ご主人が風呂から上がると、吾輩もすっと追いかけ、いつもの場所――ベッドのど真ん中に陣取る。
「ちょっともち、それ私の場所~!」
「にゃっ(ここは哲学猫の指定席である)」
その夜、吾輩は夢の中で宇宙の真理に触れた。カリカリの粒がなぜ丸いのか、人類がなぜ猫を崇めるのか――そんなことが分かった気がしたのだ。
でも、朝にはすっかり忘れていた。
それでよいのである。猫とはそういう生き物なのだから。
次回、第29話:もち、布団乾燥機と対峙する に続く。




