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132話 取引

スノーたちは自室へ戻ると、すぐに作戦会議を始めた。


「……明日の夜、東区の倉庫街でございますか」


エルドリッジが地図を広げながら呟いた。クランレアドの東区は、もともと交易の拠点だったが、今では犯罪組織の巣窟と化している。


『朽ちた門』という名の通り、かつての繁栄は影も形もなく、今では闇取引の温床となっている場所だった。


「魔王グリテアがこの都市を支配しているはずなのに、なぜこんな場所がのさばっているのかしら?」


スノーが疑問を口にすると、エルドリッジが静かに答えた。


「考えられますのは二つございます。魔王陛下がこの犯罪組織を黙認しておられるか、あるいは利用しておられるか……そのどちらかでしょう」


「ふふ、それは興味深い推測ですね」


リーティアが微笑を浮かべた後、少しだけ真剣な表情を見せる。


「クランレアドのような魔王の拠点において、組織が勝手に勢力を伸ばすことは難しいです。つまり、漆黒の剣がここで活動できるのは、何らかの取引や暗黙の了解があるから……そう考えるのが自然だと思います」


スノーは彼女の言葉に小さく頷いた後、ふと気になったように尋ねた。


「……リーティア、あなたクランレアドに住んでいたことがあるの?」


リーティアはわずかに目を伏せ、しかしすぐに表情を整えて微笑んだ。


「昔、少しだけいたことがあります。その頃のつてが、今でも少しは役に立つかもしれません」


「だとすれば、漆黒の剣は単なる犯罪集団ではなく、魔王の意向を受けた“影の組織”かもしれないな」


タケルが腕を組みながら言った。


「そうなると、カールが巻き込まれた理由もより重要になってくるわね」


スノーは腕を組みながら考え込む。


カールとは確かに袂を分かったが、だからといって敵になったわけではない。


しかし、もし彼が漆黒の剣と本当に手を組んでいたとしたら……。


「まずは情報収集を優先いたしましょう」


エルドリッジが冷静に言った。


「グレオが語ることすべてを鵜呑みにするのは賢明ではございません。カール様がどのような状況に置かれておられるのか、それを確認する必要がございます」


「なら、私が調べてみます」


リーティアが軽やかに微笑む。


「私はこう見えても情報屋との繋がりがありますし、それに……この街の裏事情には少し詳しいんです」


スノーは一瞬リーティアを見つめた。


彼女がここまで堂々と自ら動くと言い出すのは珍しい。


だが、今は彼女の力を借りるべきだ。


「頼むわ。私たちも別のルートで情報を集める」


「では、私は黒曜の庵の客の中から何か聞き出してみよう」


タケルが立ち上がる。


「商人や傭兵たちは意外といい情報を持っているものさ」


「私も一緒に行こう」


イシェイルが静かに頷いた。


「では、私は……」


スノーが言いかけたとき、チビ雪が小さな声で言った。


「お姉さま、カールは本当に敵になったの?」


その問いに、スノーは少しだけ沈黙した。


「それを確かめるために動くのよ」


そう言い、スノーは仲間たちと共に、夜のクランレアドへと散っていった……。


---


翌夜。


倉庫街に足を踏み入れると、そこは昼間とはまるで違う顔を見せていた。


静寂が支配し、ひんやりとした空気が漂う。


ところどころに焚かれた篝火が、闇の中にぼんやりと光を投げかけている。


『朽ちた門』の前に立つと、すでにグレオたちの姿があった。黒いコートを翻しながら、彼は笑みを浮かべる。


「よく来たな、お前ら。さあ、取引といこうじゃないか」


スノーたちは静かに頷き、ゆっくりと足を踏み入れた——。


グレオの声が倉庫の薄暗い空間に響くと、その背後から複数の気配が現れた。


物音一つ立てず現れるその身のこなしは、ただのチンピラや傭兵ではないことを示している。


リーティアの目が細くなり、エルドリッジは無言で背筋を伸ばし、執事服の裾を静かに整えた。


「さて、まずは話を聞こうじゃないか。お前たちが探してる“カール”のことだが……」


グレオが言いかけたその時だった。


「おい、話が違うぞ」


倉庫の陰から、別の男が現れる。


長身で、銀の仮面をつけている。その背後には、さらに十数人の影。


全員が漆黒の装束に身を包み、統率された動きを見せている。


「こいつら、“漆黒の剣”の構成員……!」


タケルがすぐに構えを取る。


その横で、スノーも腰の鞘から音もなくミスリルソードを抜いた。


その刃は月光を受け、ほのかに青白く輝いている。


「どうか、御剣をお抜きになる前に、一息お待ちくださいませ」


エルドリッジが穏やかな声で制止するが、緊迫した空気がそれを押しのけた。


「待て、誤解するな」


グレオが両手を上げ、仮面の男に向き直る。


「こいつらは敵じゃない。まだ“決まって”はいない」


「決まっていない、だと?」


仮面の男の声は低く、冷たい。


次の瞬間、鋭い笛のような音が倉庫に走る。


スノーたちの足元に何かが転がり込んだ。


——煙弾。


「散開!」


スノーの叫びと同時に、濃密な黒煙が視界を奪う。


煙の中、気配だけが殺到する。


「っ、くるぞ!」


タケルは煙の中で瞬時に矢を番え、勘と気配だけを頼りに放った。


一閃。矢は闇に沈む敵の一人の肩を貫き、低い呻き声が返ってくる。


「こっちも本気で応じるぞ……!」


彼の声に応えるように、イシェイルが呪文詠唱を始め、周囲の煙を吹き飛ばす風の魔法を展開。


一瞬だけ視界が開け、スノーは仮面の男と目を合わせた。


その瞳に、見覚えのある光があった。


「……まさか、カール……!」


スノーが震える声で呟く。


剣先がわずかに揺れる。


その瞬間、空気が凍った。


仮面の男は一瞬だけ動きを止めた。


だが、すぐに身を翻し、闇へと姿を消す。


「追うぞ!」


イシェイルの声が夜の倉庫に響く。


仲間たちは即座に動き出し、煙の中を駆け抜けて外へ飛び出した。


だが、仮面の男——おそらくはカールの姿は、もはやそこにはなかった。


沈黙が降りる中、誰からともなく視線を交わす。


「……確信は持てませんが、あれは間違いなく“彼”でございます」


エルドリッジが静かに言う。


手にはいつの間にか手帳と万年筆があり、すでに何かを書き記している。


「となると……彼はやはり、漆黒の剣の中枢にいるということか」


スノーはミスリルソードの切先をそっと地に下ろし、唇を噛みしめた。


「……うそ……カールが、ほんとに……」


チビ雪が大きなショックを受けたように呟いた。


彼女はスノーの後ろで小さく震えながら、目元をこすっていた。


いつも明るく元気な彼女の姿からは想像できないほど、深く傷ついた表情をしている。


スノーは振り返り、しゃがんでチビ雪の肩に手を置いた。


「まだ、決まったわけじゃない。きっと、理由があるのよ。だから……私たちで、カールの真実を見つけよう」


チビ雪はうつむいたまま、そっと頷いた。


その時、グレオが煙の名残の中から歩み出てきた。


服は乱れ、血の跡もあるが、どこか満足げな笑みを浮かべている。


リーティアが一歩前に出て、冷ややかな目を向ける。


「グレオ、あなた……わざと見せたのね。私たちに、“選ばせる”ために」


「さすが、鋭いな。ま、あとはお前ら次第ってこった」


その言葉は、仲間たちの胸に重く響いた。


だが——スノーの瞳には、確かな光が宿っていた。


「違うかどうかは、私が確かめる」


その決意と共に、彼女たちは新たな謎の深淵へと、さらに一歩踏み込んでいくのだった——。

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